12.きょうだい喧嘩はどこもする。

 海岸から少し離れた、雑木林に足を踏み入れる。よたよたと歩くフラムに追いつき、俺は彼女の肩を叩いた。


「シエルとアンフェールは?」


「見失った。しかし、この林へ入っていったのは見た」


 まずいことになった。手足を拘束して、そのままアンフェールと引き離してしまえばもう攻撃はできない……そう考えて油断していたのが過ちだった。

 シエルに与えられているリミットは、即位式、今夜零時まで。それまでにアンフェールを暗殺するのだと自信満々だった。アンフェールは自分自身の手で、自らを殺そうとする暗殺者を解き放ってしまった。それも、事情を理解した上でだ。

 そこへ、木の上からシュタッとキルが現れた。


「ちょっとその辺を回ってみたけど、双子ちゃんら見当たらないな。今、もう少し先をラルに調べてもらってる」


 流石、キルとラルは動きが素早い。いつの間にか俺とフラムに追いついて、周辺を調査したようだ。

 俺は改めて、フラムに向き直った。


「フラムさん、足を怪我してますよね。焦る気持ちは分かりますが、ゆっくり捜しましょう。幸いシエルは武器を持ってませんし、素手なら多分、アンフェールの方が強い」


 フラムは無言で頷いて、左足を重たそうに引いて歩き出した。俺とキルも、フラムの歩幅に合わせてついていく。

 夜風が冷たい。雑木林の木の葉がザワザワと鳴り、運ばれてくる潮の匂いに鼻がつんとした。


 鞄は浜辺に置き去りにしてきてしまった。幸い、ポケットに携帯が入っていたので、それを懐中電灯代わりにして周囲を照らす。ぼやっとした明かりが木々と乾いた地面を浮かび上がらせたが、双子の姿は見えてこなかった。

 白く明るい画面には、時計が表示されている。時刻は九時近い。俺はぽつりと、フラムの背中に投げかけた。


「アンフェールが、女の子のふりをしてたのって……」


「お察しのとおりだ。スイリベールにおいて、王位継承権は王家の女にしかないから」


 フラムは俺が問いかける前にこたえた。


「現女王、即ちシエルとアンフェール様の母君は、なかなか子に恵まれなくてな。ようやく授かったのが、双子の『王子』だった」


 そうしてフラムは、訥々と話し出した。

 彼女が王家のSPとして就任したばかりの頃、シエルとアンフェールが誕生した。しかしスイリベールでは男の子に王位を継げず、しかもこの国では不吉とされる双子であった。

 女王の子が双子だったことは、民衆には伏せられた。お披露目の際には片方だけ公開され、そのとき選ばれたのが、この日この時間にたまたま大人しかったアンフェールの方だった。それ以降ずっと、公の場に立つのはアンフェールに固定された。

 この双子は、子宝に恵まれなかった女王にやっと産まれた子供たちだ。王位継承権を得させるために、アンフェールは女の子として公表された。


 成長するにつれて、大人の都合で裏に隠されたシエル、性別を偽って表に出されたアンフェールとで、当然性格に差が出てきた。人前に立つアンフェールには品性が求められ、厳しく教育された。だが、シエルの方はアンフェールほど大事に扱われない。そのせいか、シエルは度々王宮の外へ脱走するやんちゃな子供に育った。


「これはアンフェール様に聞いた話だが、シエルは王宮の外での暮らしに憧れていたそうだ」


 アンフェールほど丁寧に扱われていなかったシエルは、使用人の隙を見て外へ出かけるようになった。捕まって戻ってきては叱られていたが、彼は脱出をやめなかった。そして目をきらきらさせて、外の世界で見てきたものをアンフェールに伝えていたのだ。


「この辺りでは、おふたりはすでに、お互いの立ち場を理解するようになっていたと思う。王女として扱われるのはアンフェール様であり、シエルは隠された存在で、それを幼いなりに自分で理解していた」


 フラムがゆっくりとまばたきをする。


「やがて時が経ち、双子は四歳で転機を迎えた」


「シエルが、王宮の外へ追い出されたんでしたよね」


 俺が口を挟むと、フラムはいや、と首を振った。


「正確にはそうじゃない。王宮は、真実を知っているシエルを監視しておかなくてはならない。だからむしろ、王宮の中から出さずに働かせるつもりでいたのだ」


 なるほど、てっきり追いやられたものと思っていたが、たしかにそうだ。シエルを野放しにしてしまえば、アンフェールが双子で、しかも男児であることを言いふらされるかもしれない。


「じゃあシエルはどうして王宮の外に?」


「……いつもの脱走癖だ。ただ、いつものより、本気の」


 フラムが眉間に皺を寄せる。


「アンフェール様のように公の場に出ない代わりに、自分は王宮内で働かされる。つまり、王宮から出て自由になることは許されない。それを悟ったシエルは、本気の脱走に踏み切ったのだ」


 何度も脱走して何度も捕まっていたシエルは、様々な手段、経路、使用人の動きまで把握していたのだ。彼は街へ繰り出し、王朝の追手から逃れ続け、そしてついに、二度と王宮へ戻ることはなかった。


「アンフェール様は、シエルは王朝の方針で捨てられたのだと考えているようです。捨ててなどいない、むしろ連れ戻したいのだと説明しても、訝っておられた」


 木々がザワザワ、風に揺れている。


「恐らく彼の目には、我々が真剣にシエルを捜しているように見えなかったのだろうな。民衆に捜索を呼びかけたり、賞金をかけたりはしていなかったから」


 フラムは重々しく語った。


「九年間、私たち王朝側はシエルを捜し続けた。人相描きを提示して民衆へ呼びかける案も出たが、女王はアンフェール様が双子であると公になるのを恐れ、踏ん切りをつけてくれなかった。そのまま時だけが過ぎて、シエルは見つからないまま。まさか暗殺者になっていたとは……」


 苦い顔で話すフラムを見上げ、キルが冷笑する。


「ばからし。双子は不吉とか、スイリベールに限った勝手な思い込みじゃんか。双子に失礼だっつの。つまんない迷信のためにシエルを隠して、しかも逃げられても大々的に捜せない。くっだらねー国だな」


「おいキル、そんな言い方……」


 俺はキルを窘めようとして、途中でやめた。


「そんな言い方でちょうどいいかもな。本当にばかばかしい」


 無意味な迷信で双子を引き離し、しきたりのために男の子を女の子として育て、結果、こんな複雑な状況を作り出してしまった。血を分けた双子は、今や王女と暗殺者だ。


「アンフェールが悩み続けたのも、シエルが薄暗い汚い場所で暗殺者として生きていくことになったのも。アンフェールが暗殺されるか、暗殺に失敗したシエルが殺されるか、そのどっちかしかないのも……。全部、大人の都合のせいだ」


 声が少し震えた。怒りなのか虚しさなのか、自分でもよく分からない。名前が分からないくせに大きな感情が、胸いっぱいに押し寄せてくる。

 都合を押し付けた「大人」側であるフラムは、険しい顔で俯いていた。


「私だって、思うことはあった。事情を知る我々SPも、上層階級も、女王の決定には違和感を覚えていた。しかし女王に助言をすることはあっても、彼女の機嫌を損ねるような粗相をすれば自分の首が飛ぶ」


 フラムは俺の言葉に反論したりはせず、むしろ受け止めた。


「咲夜殿の言うとおりだ。私は事情を分かっていたのに、双子の運命に同情していたのに、おふたりのお側にいたのに、なにもできなかった。自分の身がかわいくて、おふたりを見殺しにしたのだ」


 苦しそうに地面を睨み、フラムはちぎれそうな声で認めた。歯を食いしばる彼女をつまらなそうに見上げて、キルが言う。


「そう自分を責めんなや。いずれにしろ、最終決定は女王の権限なんだろ? あんたにはどうしようもないじゃん」


「しかし、おかしいと思っていながらそれを口にしてこなかった。女王のお考えが変わる可能性だって、あったのに」


「今更言っても仕方ない。腐った女王も、能無しの周囲も、どうしようもない。いくら悔やんだところで、つまんねー国だって事実は変わらないだろ」


 キルのそれは、フラムを宥めているような文脈だったが、最終的には冷たく突き放しているだけだった。悔やみきれないフラムの歪んだ顔を前に、俺はぽつりと言った。


「だけど、さっきのフラムさんの話が本当なら……」


 シエルが自分の意思で、王宮から逃走していたのなら。


「本当なら、シエルはアンフェールを憎んではいない。それだけが救いだ」


 もしもシエルがゴミのように捨てられたのだとしたら、王女として大切にされるアンフェールを恨んだかもしれない。しかしそうでなく、シエルは自らの意思で王宮から遠のき、行方を眩ませていた。

 それなら、シエルがアンフェールを恨む理由はない。双子は離れていても、お互い大切に思いやっていたということだ。

 少し頬を緩めた俺を、キルが冷ややかに一瞥した。


「サクはおめでたいな。それって、却って残酷じゃんか」


 はあ、と呆れを孕んだため息をつかれる。


「いっそのこと憎んで殺意マシマシだったら、気持ちよく殺せたのにさ。憎悪が介在してた方が、殺す方も殺される方も納得できる」


「憎悪がないなら、殺せないかもしれない。アンフェールと会って話して、シエルの気持ちが揺らぐかも」


「ないな。あいつはミスター右崎の指導を受けてる。シエルはもう、仕事と割り切って人を殺せる。メンタリティが暗殺者だ」


 キルは俺の希望を容赦なく一蹴した。口調はあっさりしていたが、現役暗殺者であるキルの言葉には、鳩尾を蹴られたような重みがあった。


「そんなこと……」


 ないと、言いたかった。

 大切な家族を前にしたら、仕事なんてどうでもよくなるものではないのか。そう思いたいのに、暗殺者の気持ちに寄り添えない俺には、言いきれない。

 キルの言葉で不安を煽られたのだろう、フラムが少し駆け足になった。


「のんびりはしていられない。手分けして捜した方が早い。私はあっちを捜すから、君たちは別の方向を頼む」


 一方的に指示をして、フラムは駆け出した。足を捻っていたようだが、流石は鍛錬を積んだ戦士だけはあり、ダメージを感じさせない足取りで林の奥へと駆けていく。

 残された俺とキルは、互いに目を合わせた。


「手分けね。私とサクも別々に……」


「だめ。キルが俺やフラムさんより先に双子を見つけてしまったら困る。いくらアンフェールが屈強だからといって、暗殺者ふたりに囲まれたら流石に不利だ」


 キルは今でこそ俺に対して協力的な素振りを見せているが、こいつはシエルの暗殺業を支援する側だ。それを忘れてはいけない。キルがアンフェールを取り押さえて、シエルに武器を貸し、殺させる可能性は充分にある。

 キルはチッと舌打ちした。


「平和ボケ高校生のくせに、最近のサクは鋭くなりやがった。最後のチャンスだってのに、邪魔くさい」


「やっぱりお前は信用ならないな」


 こいつから目を離すわけにはいかない。がしっと手首を掴んでやると、キルは「ふへっ」と変な声を出して驚いていた。

 スマホの明かりを頼りに、暗闇の林の中を進んでいく。静かだ。風に揺らされる木の葉の音しか聞こえない。不気味なほどの沈黙は、俺の声に破られた。


「あっ」


「なんだよ」


 キルが掠れた声を出す。俺は足元をスマホで照らした。湿った土の上に落ちていた、青い石がきらりと反射する。石がぶら下がった、ピアスだ。


「アンフェールのピアス。ここに落ちてるってことは、少なくともここを通ってる」


 ピアスを拾って、俺は手の中に握りしめた。キルは数秒俺を見上げ、やがて再び、歩き出した。


「さっきの、シエルは仕事と割り切って人を殺せるって話だけど」


「うん」


「メンタリティだけは、だ。武器がないシエルにアンフェールを殺せるかといえば、かなり不利だよ。首を絞めるか石で頭を殴打するかくらいしか方法がないし、それ以上にアンフェールが強い」


「そうだな」


「こんだけ静かなら、悲鳴が上がれば聞こえる。ふたりが喧嘩してない証拠だ。……口を塞がれてなければな」


 キルの言葉から、俺は少し、想像してみた。

 シエルを想うアンフェールは、彼のためにどういう行動を起こすだろう。


『私、これからはもう嘘はつかない。シエルと同じように、男の子として生きていく』


 つまりアンフェールは、自ら女王の座を降りるということか。たしかにそれなら、シエルの依頼人の望みどおり、王位継承権の順位は変わる。アンフェールが暗殺される理由もなくなる。

 そこまで考えた辺りで、突然キルが立ち止まった。人差し指を口元に当て、俺に合図する。俺も足を止め、口を結んだ。

 耳を済ますと、木のざわめきと、風の唸る音が鼓膜を擽る。潮風に運ばれてくる波音が微かに混じって、それからさらに遠くに、声が聞こえた。

 俺とキルは、同時に顔を見合わせた。シエルとアンフェールの声に間違いない。


 聴力を頼りに、ふたりの声を辿る。進むごとに、暗い林が奥まっていく。そして声が徐々に近づく。

 やがて俺は、大木の下で寄り添う双子の姿を見つけた。

 ふたりは少し俯いて、互いに目を背けている。手を握り合っているように見えたが、よく見たらアンフェールがシエルの手を握っているだけだった。木々に囲まれた暗闇の中、銀色の髪の双子が並ぶ姿は、どことなく幻想的でぞくっとする美しさがあった。

 アンフェールの髪が短くなったおかげで、今まで以上にシエルとそっくりになっている。一瞬どちらがどちらか判断できなかった。服で見分けがついたが、もし同じ服を着ていたら、この距離でこの暗さでは分からなかっただろう。


 早速向かっていこうとするキルの腕を掴み、俺は木陰に隠れた。ここで突っ込んでいけば、また逃げられる。キルは俺の言いたいことを察したのだろう、俺を一瞥だけして、大人しくなった。

 俺だってすぐにでも捕まえたい。だが、双子は九年越しにようやく対面したのだ。話したいことは募っていただろう。俺たちやフラムから離れて、やっとふたりきりで話せるのだ。

 このふたりは多分、これが最後のチャンスなのだ。また離ればなれになってしまう。そう思うと、僅かな時間も奪いたくない。危険な動きがあるまでは、もう少しだけ、そっとしておきたい。


 ふたりの会話は日本語ではなかった。多分、母国の言語である。俺には理解できない言葉の応酬は、ぞくっとするような光景と相まって妙に神秘的に感じた。

 下を向いていたふたりが、ほぼ同時に目を上げ、向かい合った。まるで鏡のようだ。

 シエルがなにか言い、アンフェールが食い気味に返す。シエルはやや首を竦めたが、すぐに言い返した。それに対するアンフェールの応答は駄々をこねる子供のような口調で、シエルも負けじと語気を荒らげる。

 穏やかな会話というよりは、口喧嘩の空気だ。

 教養の差だろうか、シエルの方が劣勢な様子である。やがて言い返せなくなったらしいシエルが、拳を握って肘を引いた。今にも殴りかかりそうな雰囲気に、俺は咄嗟に身構える。が、シエルの手首をしっかり握るアンフェールの手を振り払えなかったようで、彼の拳はへなへなと緩んだ。

 やはり今すぐにでも取り押さえるべきか、と思った、そのときだ。


「もう諦めないか! こんなところでなくしたらもう見つからないよ!」


 それまで全く聞き取れなかったシエルの言語が、突如として俺の耳にも言葉として届いてきた。そして彼は、くるっとこちらに顔を向けた。


「咲夜さんとキル先輩からも言ってよ。アンフェールってばバカなんだ!」


「あっ、俺たち気付かれてたのか!」


 ポンコツとはいえ、シエルは暗殺者だ。周囲の気配には敏感なのだ。俺とキルはこそこそするのをやめて、ふたりの元へと姿を見せた。アンフェールは気づいていなかったようで、大きな目をもっと大きく見開いている。

 シエルは掴まれている手をめいっぱい引いて、アンフェールを指さした。


「こいつ、ピアスを落としたのに気づいて、慌てて捜してるんだよ。こんな暗い中で見つかるわけないのに!」


「あれは大切なものだから!」


 アンフェールが言い返したが、シエルはツンとして聞かない。


「知るか! なくしたものはなくしたんだよ」


「諦められない! あのピアスはシエルが私にくれたもの。私とシエルの絆なの!」


「絆だろうとなんだろうと、なくしたらもう返ってこないんだよ! 見つかったら奇跡だ!」


 そっくりな声で言い合いになるふたりに、俺はそっと声をかけた。


「あの……」


 そして手のひらを開いて、ピアスを指で摘んでぶら下げる。


「奇跡、起こったぞ」


「あっ!」


 アンフェールとシエルが同時に目を剥き、アンフェールはシエルを引きずって駆け寄ってきた。シエルから片手だけ離し、その手をこちらに広げてくる。彼の手にピアスを返すと、アンフェールは心底安堵した顔でため息をついた。


「よかった。ありがとうございます」


 潤んだ青い瞳で俺を見上げ、アンフェールは深々とお辞儀をした。それからアンフェールは、気まずそうに周囲を見渡す。俺に捕まったら、シエルと引き離されると思って警戒しているのだろう。俺としてもここはアンフェールの安全を確保してフラムに引き渡すのが筋だと思うのだが、気持ちの問題で、それはできなかった。


「アンフェール。フラムさんから逃げて、どうするつもりだった?」


 慎重に尋ねると、アンフェールも落ち着いた声色で答えた。


「このまま日本に住もうと思います。シエルも一緒に。ふたりで国に戻らずここにいれば、なにもかもから逃げられます」


「そんなことしたって、どうせすぐに捜し出される。君も、僕も」


 呆れた口調で言ったのはシエルだ。


「王朝は王女を必ず連れ戻すし、僕の雇い主も僕を野放しにはしない。僕らは運命から逃がれられないんだよ!」


 俺の横でキルが頷く。


「なるほど、それはシエルが正しいな」


「だから、ここでアンフェールに死んでもらうしかない。だけど、手を離してくれないから身動きを取れない。キル先輩、こいつなんとかして!」


「はいよ。アンフェール、早く手を離さないと手首ごとちょん切るぞ」


 キルがアンフェールに歩み寄ろうとしたので、俺は慌てて彼女の襟首を引っ掴んだ。


「バカ! 殺させるかよ!」


「サクー、空気読んで。うざいぞ」


 辟易した目でキルに凄まれたが、俺も睨み返してやった。

 たしかに、アンフェールは無茶を言っている。それは承知だが、だからといってここでシエルにアンフェールを殺させるわけにはいかない。アンフェールは怯むでもなく堂々としていた。


「私はまだ死にたくない。でも、私を殺せなくてシエルが死ぬのも嫌。だったら逃げ切るしかない!」


「逃げきれないんだってば! バーカ! 脳筋!」


「なんですって! 酷い!」


 アンフェールが叫ぶと同時に、シエルの手首がボキッと鳴った。シエルが声にならない叫びを上げて悶絶する。見ていて脚がぞわっとした俺は、堪らず仲裁に入った。


「まあまあ、落ち着いて考えよう。俺はやっぱり、アンフェールには女王……って言っていいのか微妙だけど、王様になるべきだと思うよ」


 アンフェールが王にならなければ、その代わりに王座につくのは王位継承権第二位の人物になる。シエルに王女暗殺の依頼を出した張本人だ。厳密には本人が依頼したわけではないのかもしれないが、いずれにせよ、彼女を取り巻く周辺人物の依頼である。

 つまりアンフェールが暗殺されても辞退しても、その依頼人の思う壷になるわけだ。自身の順位を繰り上げるために王女の暗殺を企てる、そんな者にスイリベールという国を任せたいとは思わない。

 するとキルがへえ、とぼやいた。


「つまりシエルは見殺し、と」


「それは……」


 そこを突かれると、返事を詰まらせてしまう。

 依頼人の希望を叶えないと、シエルが処分される。それも分かっているのだ。

 なにも言えなくなった俺を、アンフェールがじっと見つめている。


「いずれにせよ、私は王にはなれません。スイリベールは女性じゃないと王位に就けない国です。私は男です」


「でも、国民はアンフェールを女の子だと思ってるんだろ?」


「今まではそうして誤魔化してこられました。子供の体なら、髪を伸ばしてふりふりした服を着ていれば、女の子に見せかけられた」


 アンフェールは視線を下げて、自身の体に目を向けた。


「でも私はもう、少しずつ大人に近づいてきてる。近頃、筋肉がつきやすくなってきて、体術の稽古を続けていけば体の線が太くなっていくんです。体つきが変わってきて、女性ものの服がフィットしなくなってきてる」


 アンフェールのそれを聞いて、俺はシエルの言葉を思い出した。ラルや陸の体格を見た、彼の呟き。


『僕もアンフェールも、大人になっていくんだ』


 あれは、そっくりな顔なのに体が別々の成長をしていく自分と双子の姉を比べていたのではない。シエルは、大人になっていくにつれて子供の頃より性別を隠しにくくなっていく、アンフェールの将来を考えていたのだ。

 アンフェールはまだ、下を向いていた。


「大人でも、完璧に女装をなさる方はいます。それに私の場合、もし似合わなくなってきても、立場上お金だけは豊富なので、誤魔化す方法はいくらでもあります。でも私の性自認は男性です。体も心も、男として成長していく」


 そうか。アンフェールは男の子として生まれ、男の子として生きたいのだ。結婚とか、次の世代のこととか、そういうところまで考えていくと、彼自身を女王と貫き続けるのには壁が多い。


「私は王にはなれないし、それなら殺される理由はなくなる。シエルも助かるんじゃないですか?」


 アンフェールが頑固に主張する。少し気圧されたが、俺は屈せずに反論した。


「でも、それじゃアンフェールの暗殺を企てた人たちが政治の実権を握る。国がおかしくなるよ」


「もともとおかしい国です。私は、スイリベールがどうなろうと構いません」


 はっきり言い切ったアンフェールに、キルが顔を顰める。


「ふうん、サクのシエル見殺し発言も軽率だけど、あんたはあんたで自己中だね。祖国の全国民と、自分と暗殺者の弟を天秤にかけて、自分と暗殺者の方が大事なのか」


「一時の感情に任せて申し上げているのではありません。私は生まれてからずっとスイリベールにいて、スイリベールのルールの中で暮らして、何度も疑問を呈してきたからこその判断です」


 この子は俺より歳下の、まだ十三歳の少年だ。それなのに、意志の強い凛とした目、威圧的でない芯の通った声に、圧倒されてしまう。

 アンフェールはぎゅっと、手の中にピアスを握りしめた。


「もううんざりです。性別で役割を分ける文化も、過去の王が気まぐれで作った変な風習も、双子を引き離す習わしも。私とシエルの人生をめちゃくちゃにした、あんな国なんて……どうでもいい」


 するとシエルが、口を開いた。


「それじゃ、アンフェールが変えたらいい」


 アンフェールの凛々しさとは正反対の、気だるげな態度だ。だが、不思議と胸に突き刺さってくるような強さがある。


「君が『女王』として君臨して、その権限で法律を変えまくって、なにもかもを変えたらいい! 男が王になってもいいことにして、民衆の役割も男女の境目をなくす。無意味な風習は撤廃。ついでに『双子は不吉』っていうのも、もうナシにするんだ」


 シエルの言葉はやけに滔々と、淀みなく連ねられた。

 まるで、栓が抜けたみたいだった。ずっと思っていたことが溢れ返って、零れ出して、大洪水になったように見える。


「それができるのは君だけだ。スイリベールを変えられるのは、君だけなんだよ、アンフェール」


「シエル……あなたは私を王にしたくないんじゃなかったの?」


 戸惑っているアンフェールに、シエルは吐き捨てるように返す。


「そうだよ、死んでくれるのがいちばんいい。だけど死なないならせめて王になって。逃げるな。なにもかもを変えて、こんな双子を、僕たちで最後にして」


 そしてシエルは、はは、と泣きそうな声で笑った。


「変なの。僕はずっとアンフェールを殺すつもりだったし、そこに一切の迷いもなかったのに。それと同時にずっと、君ならスイリベールを変えてくれるって、期待もしてたんだ」


「シエル……」


 彼の名前を呼ぶアンフェールの声は、掠れて声になっていなかった。


「ねえシエル、海を見に行こう」


 アンフェールが、どこか儚げな微笑みで言う。


「零時になるまで、フラムから逃げよう。そしてたくさんお喋りしましょう。離れてた九年間のこと、全部話そう」


 それから彼はちらりと、俺に目をやった。


「でも殺されちゃう心配があるのは怖いので、咲夜さんにも近くで見張っていてほしいです。あなたならフラムみたいに邪魔はしないで、それでいて私を守ってくれるでしょう?」


 なんだか、こちらの心配まで全部見透かされた気分だ。有無を言わさない問い方に、俺は苦笑いで頷く。


「分かった。死なせないし、殺させない」


「ふふ。頼りにしていますよ」


 アンフェールはいたずらっぽく笑い、再度シエルの方に顔を向けた。


「それじゃ、零時まで。私が女王になる瞬間まで、シエルに隣にいてほしい。私が逃げずに女王になったこと、証明したいから」


 シエルはというと、数秒目を伏せたのち、ふっと勝気に笑った。


「……いいだろう。王女暗殺より、女王暗殺の方がランクアップしてるからね。零時過ぎに殺してやろうじゃないか」


「あら恐ろしい」


 アンフェールが苦笑する。

 サワサワ揺れる林の木の葉の向こうで、星が瞬く。遠い漣の音が、静かな夜を包んでいた。



 林から出て海辺へ戻った。シエルとアンフェールは、砂浜で遊んで、水を掛け合って、はしゃいでいる。そこにいるのはただの十三歳の双子の少年たちで、今だけは暗殺者でも王女でもなかった。

 俺とキルは、他に誰もいない砂浜に座って、双子の様子を眺めていた。


「キル、分かってるな。少しでも妙な動きをすれば、お前の分のごはん一週間作らないからな」


「っせーな」


 シエルの仕事を支援するはずのキルだったが、膝を抱えて大人しく座っていた。


「ラルにもさっき連絡したんだけど、あいつとっくに帰ってやがったわ。薄情なやつだよな。あーあ、レンタルのライフルは壊されるし、シエルはこうだし。なんかなにもかもが上手くいかなくて腹立つ。サク、明日はハンバーグ作って」


 背中を丸めているキルはいつも以上に小さく見えて、俺はなんとなく、キルの背中をぽんと叩いた。キルがむっとこちらを睨んでくる。


「なんだよ」


「別に。さっきバーベキューでたらふく食べたのに、もう食べ物の話かよと思って」


「もう何時間も前の話だろ」


「お前さ、本当、俺の作るハンバーグ好きだよな」


「ハンバーグに限った話じゃないぞ」


「うん、そいつはどうも」


 静かな海に、シエルとアンフェールの笑い声が響いている。アンフェールが容赦なくシエルを突き飛ばし、シエルは背面から盛大に浅瀬に飛び込んだ。びしょびしょに濡れたシエルがアンフェールの手を取り、今度はアンフェールの方が海に倒れ込む。ふたりの周りで水飛沫が爆ぜて、きらきらと煌めいていた。


「あのさ、キル。お前、スイカ割りのときにさ」


 なにげなくに切り出すと、キルはんー、と眠そうな声で相槌を打った。俺はシエルたちの方に目を向けたまま続ける。


「ラルにめっちゃキレてたよな。俺、あのとき、ラルにキルの本音はキル本人から聞けって言われてて……」


 と、突然バチッとこめかみに衝撃が走った。

 驚いて振り向くと、キルが鬼の形相で水鉄砲をこちらに向けている。


「痛……その至近距離で撃つ?」


「水鉄砲だっただけ感謝しろ。それ以上気色の悪いこと口にしたら、今度は実弾ぶち込むからな」


「物騒だな。てかなんでそんな怒る? ごはんだけが好きなならそれでいいじゃん。なにがそんなに気に入らないの?」


「不愉快だからに決まってんだろ!」


 キルがまた水鉄砲を噴射してきた。


「あぶねっ!」


 今度は反射的に避けられた。キルは立ち上がり、フードの中で悪魔のように笑う。


「この距離での発砲を避けるとは、流石だな。ではこれはどうかな? 早撃ちモード切り替え!」


「おい! やめろ、濡れるだろ!」


 俺も座っていられず、キルの激しい攻撃を避け、置き去りだった自分の荷物に駆け寄った。陸から借りっぱなしだった水鉄砲には、まだ僅かに水が残っている。その銃口をキルに向け、引き金を引いた。


「大人しくやれてるだけと思うなよ。反撃開始!」


「くっ! させるものか!」


 いつの間にやら、俺とキルも遊びはじめてしまい、零時の瞬間は、誰も時計を見ていなかった。

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