10.いいから落ち着け話を聞け。

 海の家のテラスで、昼食の焼きそばを食べる。ごはんをなにより楽しみにしていたキルは、大はしゃぎしていた。


「浜辺で食べる焼きそばって格別だなー! 夕飯のバーベキューも楽しみだー! 今日はそのために来たと言っても過言ではないからな」


 シエルの作戦は二の次なのかよ。と思ったけれど、口には出さなかった。

 なんやかんや言って、キルもシエルもラルも、普通に海をエンジョイしているように見える。なにか作戦が動いているはずなのに、陸との勝負のお陰かその動きは見られない。陸も怪我をしたりはしていない。緊張感はあるが脱力感もある、なんとも言えない気分だ。


 ソース味の焼きそばをもぐもぐ食べていると、ふと視線を感じた。隣のテラス席でテーブルを拭いている、スタッフらしき女の人がいる。テーブル掃除をしつつも、彼女の視線はこちらを向いていた。

 年齢は三十代くらいだろうか。赤みがかった茶髪をショートカットにした、さっぱりした雰囲気の人である。切れ長の目は深い緑色で、鼻は高く、肌が白い。日本人の顔立ちではなかった。

 白いブラウスにショートパンツ、腰には黒いエプロンをかけている。店のバイトだろうが、愛想はあまりよくはなく、俺たちを煩わしそうに睨んでいた。うるさかったかな、と思った俺は、焼きそばに感激するキルをちょんちょんつついて注意した。


「もうちょい静かに味わおうな」


 人差し指を口に当てて言うと、キルは目を剥いた。


「えっ、そんなにでかい声出てた?」


「いや、そんなでもないけど……」


 そんなでもないが、迷惑がられている気がしたのだ。

 やがて、食事を終えた陸が立ち上がった。


「おっし、俺、腹ごなしに泳いでくる! 咲夜も来るか?」


「元気だな、お前。俺はもう少し休むよ」


 陸の誘いを断って、俺はテーブルに突っ伏した。なんだか、まだスイカ割りしかしていないのに体が疲れた。キルが壁のメニューを眺めて目をきらきらさせている。


「かき氷も食べよう! イチゴとメロンと……えっと、全部制覇するんだ! ところでブルーハワイって結局なに味なんだろうな?」


 なにやらお腹を壊しそうな野望を訴えている。ラルが呆れ目で彼女を一瞥した。


「本当、キルは食い気の権化ね。私は少し歩いてくるわ」


 ラルがスマホを唇に添えて、ふふっと微笑んだ。


「SNSで映えそうな場所を見つけたの。写真撮ってくる」


「行ってらっしゃい。シエルはどうする? 私と一緒にかき氷食べる?」


 ラルを見送り、キルがシエルに問う。彼はしばし悩んでから、面映ゆげに目を伏せた。


「あの、えっと……砂。足が触った感じ、不思議な感触だったから、砂を触っていたい」


 強気な中二病患者のくせに、シエルは意外にも無邪気な遊びを所望した。キルがふうんと鼻を鳴らす。


「そういやシエル、海で遊ぶの初めてだもんな。一旦仕事とは切り離して、好きなように遊んだらいい。仕事とプライベートの切り替えが上手い者ほど仕事のクオリティが高いものさ」


「うん。咲夜さんのおかげで、仕事が成功するビジョンがはっきりしてきたことだしね」


 シエルは皮肉たっぷりの視線を俺に送って、浮き立つ足取りで店を出ていった。あいつは自分が意外と強いのだと自覚して、余計に小癪な態度を取るようになった。

 キルが改めて俺に向き直った。


「サクはどうすんの? 一緒にかき氷全制覇する?」


「そんなに食べられるかよ。俺もちょっと、散歩してくる」


 キルを残して、俺はテーブルを立った。

 外ではシエルが、砂でやけに立派な城を作っていた。無駄に器用だな、と思うと同時に、砂を積むシエルの真剣な顔を憂う。

 もしかしたら彼が作っていたのは、スイリベールの王宮だったのだろうか。その建物を見たことがない俺は、そんな安直な想像しかできなかった。


 上着を羽織って、浜辺をひとりで散歩する。ひと気のない岩場まで足を伸ばしている。上空から聞こえるウミネコの声が、涼やかな波のさざめきと折り重なって、心地よいサウンドを奏でていた。

 しかしそんな爽やかな背景とは打って変わって、俺の頭の中は穏やかでない。脳内会議の議題はもちろん、シエル覚醒の件だ。

 シエルが脱衣で強くなるのは、大発見であり大誤算だった。シエルは王女暗殺というとんでもない仕事を抱えてはいるが、鈍くさくて仕事にならないから、俺は無意識に油断していたのだ。


 古賀先生はなんと言っていた?

 まず、シエルが取るであろう作戦は、双子であることを利用するものだ。堂々近づかれても、アンフェールはきっと、ギリギリまで抵抗しない。

 キルが問題視していたのはそこからだ。シエルがいざ殺そうとすれば、アンフェールの方が素早く動いて返り討ちにする、という懸念である。この状況を聞いて、古賀先生はこう分析した。


『大前提として、攻撃をさせる隙を作らないのがいちばんだ。それでも攻撃を受けてしまった場合は、対処法を知っておけば持ち直せる』


 実際、シエルは俺に技をかけるよう申し込んできた。あのとき、外套を脱いだシエルに俺は絞め技をかけた。絞められたシエルは抜け出せずギブアップしたが、あれはシエルが自ら俺に技をかけさせたのだ。自分が逃げるより、アンフェールの反撃の方が速いと踏んでいたからである。

 しかしスピードを得たシエルならどうだ。古賀先生が言っていたように、攻撃の隙自体を与えないだろう。

 シエルにはやる気も覚悟もある。ただ、技術が追いついていなかっただけなのだ。そこにあの素早さが加わったら、充分な殺傷能力を発揮するだろう。もはやキルや親父の手助けもいらなくなるほどかもしれない。いよいよ、アンフェールが殺されてもおかしくはないのだ。

 回避の方法を考えろ。古賀先生の言葉を思い起こせ。


『キルちゃんとシエルくんが行動を起こす前に、王女をお守りするSPが出てくればいいんだけどねえ。咲夜くんや美月ちゃんが隠してるより、格段に防御が固くなる』


 ……そうだ。アンフェールを守るエキスパート、SPが現れてくれれば。シエルに会いたがる頑固なアンフェールを説得してくれるだろうし、彼女を連れて遠くへ逃げてくれるに違いない。


「そうは言ってもなあ……」


 つい、ひとり言とため息が洩れる。そうは言っても、はぐれたSPの手がかりはどうやって掴めばいいのか。

 立ち止まって水平線を睨みつけ、ハッとした。海水浴客ひとり見当たらない。そういえば、もう十五分以上はこうして散歩していた。結構遠くまで歩いてきてしまったようだ。

 進行方向には漁船がたくさん停まっているのが見える。運営しているのかしていないのかもよく分からないような、寂れた海鮮の店が並んでいる。だいぶ離れた漁港まで来てしまったのだと気づき、元来た道を引き返すことにした。踵を返した、そのとき。


「咲夜さーん!」


 漁港の方から声がする。一瞬、シエルの声だと認識した。だがあいつは砂浜で築城していたはず。振り向くと、ひまわり柄のワンピースに身を包んだアンフェールが、こちらに向かって走ってきていた。

 青いピアスが、きらっと光る。足首まである長いスカート丈がふんわり揺れて、指先まで隠れる白いカーディガンが風を孕む。麦わら帽子の中から銀色の長い髪が零れて、日差しに煌めいていた。


「なっ……アンフェール! なんでここに!?」


 驚いている俺の方へ、もうひとりの人影が駆けてくる。


「アンフェールちゃん、待って! 誰がどこから狙ってくるか……あっ、朝見くん!?」


「日原さんまで!?」


 こんな嘘みたいな出来事が起こりうるのかと思うが、日原さんまで一緒にいる。アンフェールを追いかけてきた彼女は、ボーダー柄のTシャツに白いスカートという爽やかな装いで、その風貌には無骨すぎて見える大きめなリュックサックを背負っていた。

 アンフェールと一緒に海辺を走ってくる姿は、びっくりするほど画になっている。


「ふたりとも、なんでここに……」


 目を白黒させる俺に、日原さんが詰め寄る。


「こっちの台詞だよ!? あれっ、メッセージ見てくれたわけじゃないんだよね?」


「メッセージ?」


「『この漁港にアンフェールちゃんと行くよ』って送ったんだよ。アンフェールちゃんの件だから、朝見くんにも相談したかったけど、返事が来ないからもう諦めてふたりで来ちゃったの」


 日原さんによると、どうも彼女は今日の午前中、俺のスマホにメッセージをくれていたみたいだ。しかし俺は、生憎スマホを海の家のロッカーに預けていてメッセージに気づかなかった。

 ここにふたりが現れたことにまず仰天して、その後いろんな感情が一気に押し寄せてきた。


 日原さんが海にいるということは、水着姿を拝めるのでは……と過ぎった直後、キルの策略を妨害するために日原さんを誘わなかったくだりを思い出す。ということは、キルやシエルらには、このふたりが来ていると、絶対に知られてはならない。

 今のシエルは、服装を軽くすれば強くなると自覚している。これまでの彼とは違う。アンフェールと引き合せるのだけは、絶対に許されない。


「なんでここに……」


 俺は先程のフレーズを、もう一度繰り返した。なんでここに、というか、なんで来てしまったのか。今すぐ帰れと口をつきそうになった矢先、アンフェール本人が言った。


「はぐれていた専属SPの、メッセージを見つけたんです」


「えっ」


「彼女は動画配信サイトを通じて、私に信号を投げかけてきていたんです」


 真剣な顔で話すアンフェールの横で、日原さんがスマホを操作する。こちらに向けられた画面には、青い海に白い砂浜、パラソル、かき氷の旗。つい先程見ていた景色が映し出されている。


「これ……!」


 ここへ来る前に陸に見せられていた、海の家のPR動画だ。アンフェールが画面の下の方を指さす。


「ひとつだけ日本語じゃないタグがあるでしょう。これ、スイリベールの言語です。それも、私の専属SPの愛称が書かれてます」


「マジで!?」


「私がどこかインターネット環境のある場所にいる場合、彼女の名前で検索するだろうと見越して、このタグをつけたのだと思います。生憎、昨日の夜まで気づかなかったのですが……」


 そういえばアンフェールは、銃を所持している専属SPのことを心配していた。彼女の身になにか起こっていないかと、ニュースになってはいないかと検索したのだろう。そして専属SPの方も、アンフェールがそう動くと予想していたのだ。


「そして、動画の最後」


 アンフェールの指が、日原さんのスマホに触れる。画面下のシークバーを一気に進めた。動画が終わりかけたところで、停止ボタンを押す。砂浜に書かれた、各国語でのアピールが映し出されている。アンフェールが真面目な顔で言った。


「この中で私に読める言語は、スイリベール語とフランス語と日本語だけです。この三つの言語を繋げて読むと、『私は』『ここにいる』『来てね』になるんです」


 驚いた。俺は日本語の他にはせいぜい英語が少し読めたくらいだったから、てっきり全て「おいでよ」みたいなことが書かれているのだと思い込んでいた。

 この動画は、ただのPR動画ではない。タグでアンフェールを引きつけて、自分の居場所を教える、アンフェール宛のメッセージだったのだ。

 しばしぽかんとしてしまった。日原さんがスマホをスカートのポケットに片付ける。


「私も驚いた。まさかこんな方法があったなんて」


 本当だ。アンフェールは通信機を持っていないが、誰かに拾われて助けられていれば、こうして動画に辿り着ける。

 感心して言葉も出ずにいた俺だったが、はたと、この動画を見たシエルの反応を思い出した。

 陸に海に誘われた当初、あまり気乗りしない様子だった。しかしこの動画を見て以降は、打って変わって食いついた。

 単に、海での遊び方を動画で知って興味を持っただけのように見えていたが……。


「あいつもこのメッセージに気づいてた……!?」


 シエルが陸に向かって何度か口にした、「あのメッセージ」という言葉。シエルはこの動画を見て、アンフェール専属SPのメッセージを見つけた。だから、なんとしてでもこのビーチを訪れ、アンフェールと専属SPが合流しないように手を打つつもりだったのだ。なんなら、アンフェールが見つかるまで下手に動けない専属SPを、殺す気でいたかもしれない。


 考えてみたら、いろいろと思い当たる。キルは日原さんとアンフェールを海に誘おうとしていたが、シエルはガツガツしていなかった。彼はあの時点で既に、先に専属SPを殺してアンフェールの逃げ場を断ち、アンフェールを確実にじっくり殺す作戦を立てていたのだ。

 動画を見た日から今日までの三日間、シエルが行動しなかったのはこのためだ。今日、確実に専属SPを仕留めるため。キルが日原さんの様子をチェックしていたのも納得がいく。日原さんとアンフェールが、この動画に気づいて行動を起こしていないか、確かめていたのだ。見張っていた結果、アンフェールはこの動画にここまで気付かずにきた。アンフェールと専属SPの合流はないと判断し、今日、万を辞して専属SPを狙いに来たのである。

 まさかこの動画に仕掛けがあっただなんて……。


「こんなの気づくわけないだろ……!」


 バスの中での様子を見る限り、このことはキルとラルにも共有されている。シエルが急に海に行きたがったことも、陸と距離を置いていたラルが飛びついてきたことも、これで全て合点が行く。

 俺はその場に崩れ落ちそうになった。一瞬でも、シエルが仕事を忘れてただ海で遊びたいだけだと思ってしまった俺がバカだった。あいつは初めから、専属SPに狙いを定めて、海へ仕事をしに来ていたのだ。


 動画をシエルに見せて、手の内を明かしてきた陸を、味方だと考えたのも肯ける。しかし陸は水鉄砲をきっかけにスイリベール王朝のSP側の立場だと名乗りはじめ、場が混乱した。シエルを導いたように見せかけて、実は彼をおびき寄せる罠だった、という形になってしまったわけだ。

 これによって専属SPどころではなくなってしまい、先に陸を味方に落とし込む方向にシフトした。そうして、今こうなっている。

 立ち尽くす俺に、日原さんが続けた。


「でね! 動画に出てた海の家に電話をかけて、SPさんらしい人がいるかどうか確認しようとしたの。でも電話に出たお店の人は、『スタッフの個人的な情報は教えられない』って……。それでこうして、直接捜しにきたんだ」


「あっ……えっと!」


 俺は言葉を詰まらせた。どうするべきだ。すぐにでもアンフェールを専属SPに引き渡したいところだ。シエルが陸との勝負に集中しているうちに、アンフェールと専属SPを合流させ、そしてすぐにここから離れてもらいたい。

 しかしアンフェールがビーチを歩けば当然シエルが気づく。今のシエルは、これまでのようにトロくさくはない。せめて丸腰ならよかったのだが、彼が武器を持ち込んできているのも確認済みだ。


「ふたりとも、ここで待ってて。専属SPは俺が連れてくるよ」


「どうして? 私、行きますよ」


 アンフェールがきょとんとしている。シエルが待ち構えていると素直に言ってしまうと、アンフェールはむしろ喜んで会いに行ってしまうだろう。俺は上手い言い回しをぐるぐる考えた。


「ええと、ビーチは結構な人混みだから。危ないからさ、ここにいて」


「大丈夫です。SPと初対面の咲夜さんが行くより、私が直接捜した方が速いです」


 俺の心配など意に介さず、アンフェールがすたすた歩き出す。俺を追い越して、ビーチの方へ向かっていく。俺は慌ててアンフェールを追いかけた。


「待てって! 連れてくるから、な、じっとしてて。SPの人ってどんな外見なの?」


「自分で行きます。SPだって、見ず知らずの咲夜さんに私のこと言われるより、私本人が来た方がすぐ分かるでしょう?」


「だめだってば!」


 アンフェールの右腕を掴んで、引き止めた。アンフェールが立ち止まり、俺を振り向く。そしてその直後、掴まれている腕と逆の左手で、がしっと俺の手首を掴んで引き剥がし、そのまま俺をアスファルトへ放り捨てた。地面に突っ伏す俺は、数秒、なにが起こったのか理解できず間抜け面で横寝になっていた。

 えっ、今俺、この子に投げられた?

 アンフェールの声が降ってくる。


「すみません、もうすぐ会えるので私も急いでるんです。止めないでください」


 柔らかな口調とは裏腹に、俺は地面に叩きつけられている。

 キルの言葉が、頭の中に蘇る。


『力がものすごく強かったんだよ。アンフェールは可憐な外見とは裏腹に、筋肉で物事を解決しようとするマッスルプリンセスだ』


「そんなバカな」


 衝撃のあまり、テンプレートみたいな古臭いフレーズが口をついた。

 キルがアンフェールの護身術に適わなかったのは、単にキルの方が力不足だったのだと思っていた。でも今、たしかに俺の全体重がアンフェールの片腕であっさり突っぱねられた。

 アンフェールは申し訳なさそうにぺこっと一礼して、ビーチの方へ駆け出していった。

 呆然と寝そべる俺の横に、日原さんがしゃがむ。


「大丈夫?」


「ちょっと擦りむいたけど、すぐ治るから平気」


 俺は体を起こし、細かい傷と砂利がついた胸元を手で払った。

 アンフェールの怪力は本当だったのか。キルが大袈裟に警戒していただけではなかったのか。あんな華奢な体のどこにそんな筋肉が……と、先を行くアンフェールを見上げて気づく。

 腕も脚も、なんなら体の線も、見えない。

 今のアンフェールの服は長いスカートで体型を隠し、腕もふわっとしたシルエットのカーディガンで隠れている。思えば今までもそうだった。マントやパーカー、長いスカートなど、体のラインを隠すような格好しか見たことがない。

 もしかして俺が錯覚していただけで、アンフェールは意外と筋肉質なのか?

 日原さんが立ち上がる。


「待って、アンフェールちゃん! 朝見くん、追いかけるよ」


 走り出したアンフェールの背中は、だいぶ小さくなっている。もう俺たちを置いて、五十メートルくらい先まで進んでいた。

 びっくりさせられたが怯んでいる暇などない。俺は日原さんと共に、アンフェールを追って走り出した。


 *


 砂浜へと戻ると、やはりアンフェールは人の目を引き付けた。銀色の髪が目立ってしまうのだろう。ぱらぱらいた海水浴客が、こちらを振り向く。

 アンフェールは砂に足を取られ、少しよろついていた。追いかけていた俺は逆に裸足だったお陰で一気に有利になった。アンフェールの腕に手を伸ばし、あとひと息で捕まえられる……と思ったそのとき、横からぐんっと引っ張られた。


「やっと戻ってきた! ほら、水鉄砲合戦始まってんぞ」


 俺の手首を掴んでいたのは、陸だ。


「今それどころじゃ……」


 振り払う俺をよそに、彼は俺に水鉄砲を差し出してくる。


「ほれ咲夜、俺のシャルウィーダンス改を貸してやる」


 手渡されたのは、黄色いハンドガンの水鉄砲だ。俺が先程、シエルに向けて撃ったものである。


「ずっと思ってたけどネーミングセンスどうにかならないのかよ。じゃなくて、今は急いでるから!」


「これおじさんから借りてきた。金魚すくいのポイ! これを首から下げるんだ。相手のポイを水鉄砲で破くんだ。自分のが破かれたら、破いた人の味方になる。たとえば俺がキルに破かれたら、それ以降俺が誰かのを破いてもキルの得点になる」


 陸は俺の話を聞かず、紐を通したポイを俺の首に引っ掛けてきた。見れば、陸の首にも同じものが掛かっている。


「そんで、俺の武器はもちろんこれ」


 陸が手に持っていた水鉄砲を、くるんと回した。


「インターギャラクティックカスタムⅡ!」


 クリアブルーの銃口が、俺の胸に下がったポイに向けられる。直後、俺の脇腹にキルが飛び蹴りしてきた。


「危なーい!」


 キルの全体重が俺を突き飛ばす。お陰で俺とキルは砂浜に倒れ込み、陸の水鉄砲の攻撃は寸前で躱された。キルがポカッと俺の額を小突く。


「なにやってんだサク。あんたがりっくんに破かれたら、りっくんが有利になるだろ! 早く離れろ。でなきゃ撃て」


 キルはオレンジ色の大柄な水鉄砲を肩に担いでいた。背中にタンクを背負っており、水鉄砲本体とチューブで繋がっている。キルの小さい体には、ゴツすぎる装備に見えた。


「あのな、キル。遊んでる場合じゃ……」


「いいかサク。りっくんはスイリベール王朝SP部隊専用器『銀河』を改造して、水鉄砲にもなるように仕様を変えている。それがあの『インターギャラクティックカスタムⅡ』だ。今は水鉄砲としての利用のみとルールづけたが、油断はするな。りっくんはこの水鉄砲合戦において、手によく馴染んだあの拳銃でエントリーしてきたってわけだ」


「ただの水鉄砲だろ!」


 よくもまあいつまでも騙されているものだ。陸が俺の後ろにいた日原さんに、今更気づいた。


「うわ!? なんで美月ちゃんいるの!? 咲夜お前、美月ちゃんは呼んではならないとあれだけ主張しておいて、自分ばっかりこっそり会ってたのかよ」


「違う! ばったり会ったんだよ」


「そんな都合のいい偶然あるわけねえだろ!」


「俺もそう思ってるよ!」


 俺と陸がやりとりしている横で、日原さんも目を見開いていた。


「陸くんもキルちゃんも遊びに来てたの? 私も誘ってほしかった!」


「なんだ!? なぜ美月がいる!? どういうことだサク!」


 キルもギャーギャーと俺の腕を引っ張ってくる。

 陸と日原さんとキル三人から同時に説明を求められ、俺は目を白黒させた。言葉を探しているうちに、数メートル先でそっくりなふたつの声があがる。


「アンフェール! やっと見つけた!」


「シエル! やっと見つけた!」


 両方とも明るく弾んだ声だったが、含みが違う。

 拳銃片手に仁王立ちするシエルと、スカートの裾をひらめかせるアンフェールとが対峙している。

 しまった。生き別れの双子が、ついに邂逅してしまった。俺はキルを振り払って立ち上がる。


「逃げろアンフェール!」


 咄嗟に叫ぶその傍らで、日原さんが目をぱちくりさせた。


「あれっ。あの子、顔がアンフェールちゃんそっくり……あ! この前聞いた、双子の弟のシエルくん!?」


 同時に陸も、アンフェールに仰天した。


「おお、あれシエルの双子ちゃんか! すげえ、マジでそっくりじゃん」


「あ、ああ……!」


 俺は情けなくも狼狽した。一気にいろいろ起こって、なにからどう対処すればいいのやら。

 シエルがスチャッと拳銃を構える。


「さよなら、アンフェール」


「シエル! 待って、話し合いましょう!」


 まだシエルに期待するアンフェールは、たじろぎながらも逃げようとはしなかった。

 俺はシエルに向かって駆け出す。なんとかして取り押さえるしかない。しかし陸とキルに同時に、それぞれ左右の腕を掴まれる。


「遊ぶより先に説明だろー」


 間延びした声の陸と。


「邪魔をするな、サク」


 俺にしか聞こえないくらいの小声で、重低音を発するキル。

 声の温度が違いすぎる。

 こうしている一秒の隙に、シエルの銃口がアンフェールに定まる。させるか、と、俺は無理やり腕を伸ばした。陸から借りた水鉄砲を突き出し、引き金を引く。

 狙いを定めるのに、〇・一秒かからなかったと思う。プラスチックの水鉄砲から、シャンと安っぽい音がした。吹き出した水の弾は高速でシエルの手元へ到達し、彼の指先で弾ける。


「ふあっ」


 手元が狂ったシエルが、情けない声を上げた。見ていた陸が無邪気に拍手する。


「すっげええ! 咲夜、プロの狙撃手みたい!」


 シエルの拳銃の弾は、アンフェールから逸れて空中に弧を描いた。打ち上がったその弾は、青空に向かって浮上した後、細かい水滴になってシエルに降り注ぐ。


「あいつの拳銃も水鉄砲かよ!?」


 半ば叫んだ俺に、陸が呆れ顔をする。


「当たり前だろ。水鉄砲合戦だぞ。あれはハイドロスクリュー・ローリング花吹雪だよ」


「いや、でも相手はアンフェール……!」


 言いかけて、途中でやめた。これを陸に言っても伝わらないのだった。代わりに、事情を知っているキルがぼやく。


「もちろん本物を持ってるべきだったがな。シエルは今、水鉄砲合戦に集中するために、武器を潜ませたパーカーをロッカーに片付けてきてしまったんだ」


「事実上丸腰!?」


「仕方ないだろ。まずは本当に装備を解くだけで動けるようになるのか、水鉄砲合戦で確認するつもりだった。まさかアンフェールが現れて、実戦に雪崩込むなんて、思いもよらなかったんだよ」


 キルが眉を寄せた。


「だが丸腰というのは語弊がある。たとえ水でも、顔に当てれば相手の動きを制限するには充分だし、それに」


 真剣な声色で、彼女は言った。


「シエルが持ってるハンドガン型の水鉄砲は、りっくんが改造して圧力が三倍かかる仕様になってる。至近距離で目を撃たれたら、間違いなく失明する」


「陸はそんな危ないおもちゃ作ってんのかよ」


 俺とキルのやりとりは聞こえなかったのだろう。日原さんがのほほんと微笑んでいる。


「なんだあ、水鉄砲か。シエルくんが暗殺者だなんていうから警戒しちゃったけど、やっぱり遊びたいだけだったのね」


 折角シエルの危険度を理解してくれていたのに、日原さんはすっかり安心してしまっていた。取り返せるか分からないが、俺は悪あがきをした。


「違うんだよ日原さん! 今はたまたま水鉄砲ってだけで……!」


 しかしどう説明しても、この状況下では説得力がない。

 シエルが指先で水鉄砲を回す。


「どうせ死ぬんだ、視力は奪わせてもらうよ。大人しく僕についてきてくれれば、こんなことしなくて済むのだけど。アンフェールは暴れるから仕方ないね」


 お日様サンサンのビーチで言うには不似合いな台詞を吐き、シエルが水鉄砲をアンフェールに向ける。しかしアンフェールは怯まない。


「それなら、その水鉄砲を力ずくで奪うまでです」


 アンフェールのサンダルが、タッと砂を蹴る。自身に銃口を向けるシエルに、躊躇なく突進していく。シエルも即座に水鉄砲を噴射した。が、アンフェールは麦わら帽子を脱いで、顔の前にかざして水を弾く。アンフェールを守った帽子の天井が、水圧でペコッと凹んだ。

 防御するアンフェールの見事な動きには感心するが、麦わら帽子を凹ませるほどの水圧の水鉄砲は脅威だ。当たれば相当痛いのではないか。キルの言うとおり、目に直撃すれば視力を失う。

 一度は帽子で阻まれたシエルだったが、彼も負けていない。アンフェールの隙を突き、少し溜めてから次の弾を撃つ。今度の一撃は、先程より水の束が厚くなっていた。キルが俺の横で呟く。


「チャージショットだ。シエルの水鉄砲は、ただでさえ水圧が強いのに、レバー操作で溜め技を放てるんだ」


 アンフェールはもう一度麦わら帽子を盾にする。しかし水が叩きつけられたと同時に、帽子は彼女の手から弾き飛ばされた。チャージショットの水圧は、最初の一撃の比ではない。

 帽子を吹き飛ばした水は、アンフェールの右目ぎりぎりを掠めた。耳元を通り抜けた水流が、アンフェールの髪を撃ち抜く。銀色の長髪がきらっと靡いて、間際で雫が爆ぜて散っていく。彼女は歯を食いしばって顔を覆ったが、怯んではいない。落とした帽子をすぐに拾い、体勢を立て直した。

 俺はなんとか仲裁に入ろうとしたのだが、激しい攻防の中に入っていけずただ狼狽していた。と、横っ面にバチッと、痛みが走る。


「だっ!?」


 突然のことで、頭が追いつかなかった。

 痛みがあった顔を手で覆うと、手のひらがびっしょり濡れた。口の中は塩の味がする。目をぱちくりさせていると、ふふっと不敵な笑い声が聞こえてきた。


「クリーンヒット」


 声は、陸のものだった。見ると、水鉄砲を構えた陸がしたり顔で立っている。それを見て、俺はやっと状況を理解した。


「不意打ちなんて卑怯なんじゃないか」


「ぼーっとしてる方が悪い。次はポイを破かせてもらうぜ」


 陸が改めて銃口を向けてくる。瞬間、キルが俺に体当りしてきた。


退け!」


 俺を突き飛ばし、キルが正面へ躍り出る。同時に水鉄砲を噴射し、同じく水鉄砲を構える陸へと水流の束を飛ばす。陸の撃った水流が、キルの水鉄砲に迎撃され、両者の弾は真ん中辺りで弾け合った。陸が舌打ちをする。


「チッ。やっぱキルは素早いな」


「りっくん、あんたの相手は私だ。スイリベール王朝SP、どんなもんか見せてもらおうじゃねえか」


「骨のある奴が現れたな。かかってきな、キル!」


 陸は今度はキルに水鉄砲を飛ばし、キルはそれを躱して反撃の水鉄砲を撃つ。このふたりの戦いになったかと思うと、陸は急に、狙いを俺に変えた。俺も咄嗟に水鉄砲を構え、的を定めずに発射する。


「今遊んでる場合じゃないっつってんだろ!」


「はははっ! 狙いが定まってねえぞ」


 陸が余裕で躱して、煽ってくる。こちらはシエルVSアンフェールが気になって、それどころではない。俺の中で、カチッとスイッチが入った。


「ちょっとじっとしてろ」


 今度は陸のポイに焦点を定め、引き金を引いた。水流が的を目掛けて空中を突き進む。陸が横に逃げたら、即座に次の一撃を送る。陸のポイに直撃こそしなかったが、微かに濡らした。陸の目に動揺の色が差す。


「うわっ」


 陸もこちらに銃口を向けてきたが、撃たれる前にこちらがもう一発撃ち込む。これもポイを掠めたが、破れなかった。

 俺が借りているこの水鉄砲、シャルウィーダンスは、連射のスピードがピカイチである。ただし軽い分、水圧と給水量は他に劣る。

 ならば撃つ回数を制限し、なるべく正確に、相手に反撃される隙を与えず撃ち込むのが吉。

 陸は逃げ惑っているのだが、不思議と的が止まって見える。陸の次の動きを読んで、ポイが流れ着く先に向けて引き金を引く。

 次の瞬間、パチャッという微かな音とともに、陸の胸のポイのど真ん中に穴が空いた。


「あっ! くっそ、やられた」


 陸が目を見張る。俺は水鉄砲を構えた姿勢のまま、空いた片手で小さく拳を握った。


「よしっ」


 その横で、キルが唖然として俺を見上げている。


「サク……すごく速くて正確だ。狙撃の訓練でも受けたのか?」


 彼女の言葉で、ハッと我に返る。俺は今、なにを。我ながらどうやって、あんなに素早く確実に陸を狙撃したのか分からない。


「訓練なんて受けてるわけないだろ」


「だとしたら才能か。お前やっぱり、暗殺者向いてる」


「やめろ。人殺しの才能なんて、あってたまるか」


 殺し屋に褒められても嬉しくない。気色ばむ俺を見上げ、キルはより楽しそうに煽ってきた。


「この前、キッチンにゴキブリが出たときもそうだったろ。サクは時々、自分で自分を制御できなくなる。頭は善良な小市民でも、体は条件反射で、心に反した動きをする」


 これを言われると虚しくなる俺は、無言でキルの頭を小突いた。

 こうなってしまう自分を、俺は一応自覚している。日原さんを含めて出かけた花火大会の日、俺の中でなにかが壊れて、霧雨サニの遺伝子が覚醒してしまった。認めたくはないけれど。


「たとえそうであっても、俺は母さんの言いつけを守るよ。アンフェールもシエルも、誰も傷つけない」


 後ろを見れば、日原さんがぽかんとしていた。この子も困っているではないか。

 こんなことをしている場合ではない。今はシエルとアンフェールが優先だ。気持ちを切り替えようとした、そのときだ。


「楽しそう! 私も参加する!」


 日原さんがリュックサックを砂の上に下ろした。俺はぎょっと二度見する。日原さんはシエルとアンフェールは遊んでいるだけだと認識してしまったらしい。完全に緊張が解れた顔をして、リュックサックをあさっている。


「水鉄砲はちょうど持ってる。陸くん、私の分もポイある?」


「おお、余ってるよ。でも大丈夫か? 服濡れるぞ? もしかして水着も持ってきてるのか?」


 陸が悠長に言って、日原さんにポイの残機を差し出している。日原さんは莞爾として笑った。


「水着はないけど大丈夫! 濡れちゃったら、近くのお店で服を買えばいいんだもの」


「まあそれもそうか。にしても、それじゃなんで水鉄砲だけ用意してるんだ?」


「用意してたというか……」


 そう言う日原さんが、リュックサックから手を引き抜く。中から引っ張り出されたそれを見て、俺とキルは同時に目を剥いた。

 日原さんの細い腕に抱かれていたのは、黒いライフル。キルが図書館に持ち込んでいた、あの麻酔銃だったのだ。


「日原さん、それ……! どうしてそれを日原さんが!?」


「この前キルちゃんが図書館に置き去りにしてたから、次に会うときに返そうと思って持ってたの」


 日原さんが躊躇なく、銃口をキルに向ける。


「今日はアンフェールちゃんの件で朝見くんと会うつもりだったから、リュックに入れてたんだ」


「こらこらこら! 人に向けない!」


 俺は思わず、キルを抱き寄せて庇った。

 キルが麻酔銃作戦を諦めた理由が、これではっきりした。レンタル品だったあの麻酔銃を、紛失していたのだ。日原さんが回収していたのまでキルに想像できたかどうかは謎だが、いずれにせよ、借り物を返せない状態で新しいものも借りられず、保留するしかなかったわけだ。

 キルが怖い顔で威嚇している。


「お前だったか、日原美月。それを返せ」


 そのギスギスしたオーラなどまるっきり無視で、陸が目をきらきらさせた。


「うわー! それキルの水鉄砲なのか? かっこいいじゃん! ライフル型、いいな!」


「ねー! でもキルちゃんたら、図書館で水鉄砲遊びしようとしてたの。本が濡れたら大変なのに」


 脳内お花畑の日原さんも、キルの麻酔銃をおもちゃ扱いである。彼女はにこにこ笑顔で麻酔銃を引っ提げ、波打ち際へ歩いていく。


「というわけで、これ借りるね。私はこれで参戦する!」


「あっ、おい!」


 キルが青くなる。彼女が俺を振り払って日原さんを追いかけた頃には、日原さんは既に、麻酔銃を海水の中に沈めていた。黒髪の後ろ姿が、カチャカチャと麻酔銃を弄っている。


「どうやって水を汲むのかな。ここかな? あっ、開いた」


「うわああー! レンタルのライフルがああー!」


 キルの絶叫が浜辺に響き渡る。

 ふたりの背中を見ていた俺は、呆然と立ち尽くしていた。

 日原美月という女の子は、天然で暗殺者を困らせる天才である。日原さん本人は決してわざとではないのだが、こうしてキルがされたくないことを、悪気もなくやってしまう。


「これで水、入ったのかな? えいっ」


 日原さんがライフルを肩に載せ、引き金を引く。海水に浸されたライフルは、カコッと情けない音を立てた。当然、水鉄砲ではないので水は出ない。キルががくっと膝をついた。


「こ……壊……」


 わなわな震えて、掠れた声を絞り出している。あまりに不憫だ。流石に同情する。

 そんなキルと俺の間を、シエルとアンフェールが横切った。


「逃げ惑うだけで、暗殺者に勝てると思ってるの?」


 シエルがアンフェールを追い詰め、アンフェールは彼から後退りする。アンフェールが盾にしている麦わら帽子は、鍔が割れて天井に穴が開き、ボロボロになっている。


「なんだあれ!? シエルの水鉄砲、麦わら帽子を破壊するほどの水圧なのか!?」


 圧倒される俺に、陸がのほほんと話しかけてくる。


「あそこまで強化すんの大変だったぞ。ただな、あの水鉄砲には弱点が……」


 陸が言いかけたタイミングと、ちょうど重なる頃だった。シエルの攻撃の手が、はたと止まる。引き金を引いても、カキッと硬い音が鳴るだけなのだ。

 陸が眉間を押さえる。


「小型の拳銃タイプだから、タンクが小さいんだよ。それであの水圧を出力するから、チャージショットの最大出力で行けば五発も撃てば干上がるんだ」


 つまり、弾切れだ。


「加圧式ならもうちょい簡単に高水圧を出せるし、キルが持ってるものみたいに背中にタンクを背負うタイプにすれば貯水池問題も解決なんだけどな。しかしあれは軽さ重視の水鉄砲だから……」


 陸がなにやら薀蓄を語っているが、それはどうでもいい。

 アンフェールの反撃が始まった。

 彼女は麦わら帽子の鍔を片手で握り、シエルの懐に突っ込んでいく。シエルも水鉄砲を直接振り上げ、殴りかかって応戦しようとする。しかしアンフェールの力押しが勝る。彼女は帽子をシエルの顔面に押し付け、視界を奪った。


「ふあっ……!」


 シエルが帽子を剥ぎ取ろうとするも、彼の顔面を押さえ付けるアンフェールの力に敵わない。アンフェールの腕は、シエルをそのまま砂浜へと押し倒した。

 形勢逆転。ついにアンフェールが、シエルを取り押さえたのだ。

 シエルに馬乗りになったアンフェールは、右手一本でシエルの両腕を押さえつけた。シエルが呻く。


「うっ! こいつ、関節を外し……っ」


 シエルの自由を奪った上で、アンフェールは左手で帽子を剥いだ。


「ちゃんと説明して。シエル、今までどこにいたの? なにをしてたの?」


「ぐっ……離せ」


 シエルが歯を食いしばる。アンフェールを鋭く睨み、もがく。しかしアンフェールの腕の筋力は相当強いのか、シエルがいくら身じろぎしても解放されない。

 ただでさえ目立つ容姿の双子がそんな戦闘を繰り広げたのだ、平和な海水浴場の平和な海水浴客らは驚嘆して固まっている。ギャラリーの視線など気にもせず、アンフェールがシエルの腕をギリギリと絞める。


「教えて。私はずっと……あなたと離ればなれになってからずっと、あなたがどこでどう過ごしてるのか心配してた! 九年間、毎日シエルのことを考えてた。一日だって欠かさなかった!」


 俺は公園でアンフェールがシエルを見つけた、あの日の反応を思い出した。武器を持って襲いかかってきたシエルに対し、アンフェールは無邪気に手を振って、「会えて嬉しい」と再会を喜んだ。

 彼女は今、やっとシエルと面と向かって話すチャンスを得たのだ。シエルの攻撃を全て受け止めて、自分に好機が巡ってきたら一気に追い詰め、主導権をむしり取った。あの子はそれだけ、シエルへの強い想いを原動力にしている。


「今までどこ行ってたの!」


「離せ」


「離さない! もう離さないよ!」


 アンフェールがシエルの腕に爪を突き立てる。


「あなたは私の、たったひとりの弟なのー!」


「痛だだだ! 折れる!」


 シエルが足をばたばたさせて絶叫した。最初こそアンフェールを心配していた俺だったが、もはやそれも逆である。


「アンフェールやめなさい! 怪我するから! シエルが!」


 俺はあわあわと駆け寄って、仲裁に入ろうとした。しかし俺が手を伸ばすより先に、アンフェールの腕を掴んだ者がいた。


「王女様。お怪我はございませんか」


 日差しにきらっと光る、赤みがかった茶髪。白いブラウスとショートパンツ、黒いエプロンは水に濡れている。その女性を見るなり、俺はつい、立ち止まった。

 腕を掴まれたアンフェールも、目をぱちくりさせる。


「フラム!」


「お迎えに上がれず、申し訳ございませんでした」


 流暢な日本語で話すその人は、昼時に海の家で見た、バイトの女性だったのだ。

 呆然としている俺の横に、よく知っている気配が寄ってくる。


「あーあ。私なりに足止めしてたけど、流石に限界ね。当然か、守る対象を見つけたSPは、最優先でそっちへ行っちゃうわよね」


 豊満な胸にポイを下げた、ラルである。彼女はピンク色の水鉄砲を片手に、エプロンの女性を眺めていた。事態を呑み込めずに困っている俺が面白いのだろう。ラルはにこっと機嫌良さげに笑った。


「あちらのおねえさん、シエルくんに気づいてこの勝負に乗っかってきたのよ」


 続いて、アンフェールが言った。


「ご紹介します。彼女はフラム・ロウ。私の専属SPです」


 紹介されているエプロンの女性本人は、口を結び、鋭い瞳で俺を射抜いていた。

 アンフェールの専属SPがこの辺りにいるらしい、ということは、先程の動画を根拠に分かってはいた。だがなぜそれが、こうして一緒に遊んでいるのか。

 アンフェールも不思議そうに、自分のSPを見上げる。


「フラム、その格好はどうしたのです? この方々とはどういった関係なのですか?」


「そうですね。お話ししたいことも、伺いたいことも山積みですが」


 フラムという女性は、砂浜に転げるシエルを鋭く睨んでいた。


「説明は後で」


 そう言うと、彼女はエプロンの中から拳銃を取り出した。クリアブルーのボディは、陸が持っていたインターギャラクティックカスタムⅡに似ているが……。


「王女様を脅かす者は、たとえ双子であろうと抹殺します」


 銃口がぴたりと、シエルの額に当てられた。

 フラムの冷ややかな目と、彼女を見上げるシエルの目線が交差する。凍りつくシエルと、青くなるアンフェール、振り向くキル。ラルがちらり、俺に目をやる。


「気をつけてね、咲夜くん。あのおねえさんの拳銃は、水鉄砲じゃないわよ」


 俺は息を呑んだ。

 まさか、あれが本物の「銀河」か。

 銃口を向けられたシエルは石のように固まっている。腰が抜けて動けないのか、頭が真っ白なのか。いずれにせよ、彼は逃げようとしない。

 俺は反射的に水鉄砲を構えた。


「やめろ!」


 また、自分の中にあるなんらかのスイッチがオンに切り替わった気がした。相手の拳銃が本物なら、水鉄砲で太刀打ちできるわけがない。それでも、咄嗟に動いていた。

 周囲の動きが遅く感じる。フラムの手元の銃口だけが、マーキングされて見える。狙いを定めるのに一秒もいらない。そこに向けて引き金を引くのに、躊躇いはなかった。

 噴射した水が、フラムの拳銃に直撃した。銃口が押し退けられて、シエルの額からずれる。当然シエルの顔面にも水が降り注ぎ、シエルは脊髄反射で飛び退いた。

 直後、フラムの視線は俺に動いた。彼女の拳銃がこちらに向けられる。


「何奴」


「こっちの台詞だよ! 平和なビーチを血の海にする気か!」


 もう一発、水鉄砲を撃つ。フラムも躊躇なく引き金に指をかけた。しかし撃つ前に、アンフェールが彼女の腕に飛びかかる。


「やめなさいフラム! その方は味方です!」


「王女様は下がっててください! ……わぷっ」


 フラムの左の頬に、俺の噴射した水鉄砲がぶち当たる。


「これは……いったいなにをかけた!? なんの薬品だ!」


「水だよ!」


 俺は引き続き水鉄砲を連射しながらシエルに駆け寄り、フラムの足元へ滑り込んで、シエルに覆い被さった。シエルを回収して砂浜を横転し、フラムから距離を取る。

 俺の胸元に顔を埋めているシエルに、小声で尋ねる。


「大丈夫か、シエル」


「……うん」


 よほど怖かったのか、僅かに上げたシエルの顔は、まだ呆然としていた。見たところシエルに怪我はなさそうだ。ほっとしたのも束の間、背後に殺気が迫ってくる。


「なかなか腕の立つ狙撃手のようだな。賞賛しよう。貴様、シエルの仲間のマフィアか?」


 フラムが片笑みを浮かべて俺を見ている。俺は砂浜に座り込んでフラムを見上げ、シエルを腕の中で庇った。


「マフィアじゃない。れっきとした一般人だ」


「ではなぜ、私の邪魔をする?」


「他の海水浴客の迷惑になるからだよ!」


「いずれにせよ、そいつを庇うのなら貴様も王女様の脅威だな」


 威嚇するフラムの低い声に、アンフェールの震え声が反論する。


「違うのフラム、話を聞いて!」


 俺は再び、水鉄砲を構えようとした。しかし水鉄砲は、シエルの元へ飛び込んだときに無意識に手放してしまったようだ。数メートル先に吹っ飛んでいる。

 フラムが拳銃に両手を添えて、こちらへ向かってくる。その横を追いかけていたアンフェールに、ドバッと水が吹きかかった。


「ひゃあ!」


「王女様!?」


 フラムの意識がアンフェールに逸れる。アンフェールの髪からぽたぽたと水が滴っている。俺は水が飛んできた軌道を、目で逆流させた。

 そこに仁王立ちしていたのは、キルだ。タンクを背負い、そこに繋がっている水鉄砲を両手で構えて、したり顔をしていた。


「援護するぜ、サク。お前は私の飼い主だからな」


 いつ以来だろうか。キルにこれほどまでの頼りがいを感じたのは。小生意気でやんちゃで俺に迷惑ばかりかけるキルだが、こういうとき味方につくと心強い。

 アンフェールが濡れたスカートを持ち上げて、か細い声を出した。


「ふあ……びしょ濡れです」


 フラムがアンフェールの肩を抱く。


「王女様! 申し訳ございません、私としたことが、王女様から目を離すなど……! お怪我はございませんか!?」


 そんなふたりに、キルは容赦なく水を撃つ。


「おらおらー! こっちこっち!」


 ビスビス飛んでくる水で、アンフェールもフラムもびしょびしょになっていく。先程まで俺とシエルに牙を剥いていたフラムだったが、今はアンフェールを庇う方に集中している。

 面白そうだと思ったのか、陸も参加しはじめた。


「俺もさっき咲夜に負けたから、今は咲夜の仲間だ。援護する!」


 陸も自慢の水鉄砲で無邪気にフラムとアンフェールを撃つ。それを横目に、ラルが肩を竦めた。


「あら、陸ちゃん。いつの間に咲夜くんに一本取られてたのね。それじゃフラムちゃん、一斉攻撃の的になっちゃうわね」


  フラムの拳銃は水鉄砲ではなく本物だというのに、水鉄砲合戦の参加者扱いである。

 改めてフラムに話しかけようと、目を上げた。その瞬間、視界に物騒な美少女が飛び込む。


「あっ、見て見て、動いたー!」


 日原さんだ。本物の麻酔銃とは知らず海水にどぶづけしたライフルを、がっつり肩に載せて構えている。あどけない笑顔で引き金を連打し、銃口からバスバスと針を飛ばしている。壊れたと思われたあのライフルだったが、急に動き出したようだ。


「これ変わった水の出方するのね。針みたい」


 針状の水を放つ水鉄砲だと思っているらしく、日原さんは楽しそうに、空中に麻酔針をばらまいている。

 アンフェールに水鉄砲を向けていたキルが、日原さんを見て石化する。俺の腕の中のシエルも目を剥き、ラルも普段から見せる悠々とした態度から余裕を消した。

 日原さんがライフルの銃口をふらふら泳がせる。


「えーっと、あのフラムさん? っていうおねえさんが劣勢みたいだから、私はあの人の味方になるね」


 ぴたり。ふらついていた銃口が狙いを定める。


「まずはキルちゃんから! いっくよー!」


「うわちょおい待てえええ!!」


 キルの断末魔がこだました。その直後、銀の針が砂浜の上空を水平に横切る。そしてキルの小さな体が、その場に倒れた。


「くっ……これまでか……。すう……」


 麻酔針が的中したのだ、砂浜に仰向けになってすぴすぴ寝息を立てはじめた。俺はしばし、言葉を呑んだ。頼りになる仲間が戦闘不能になる、その瞬間を目の当たりにして、映画ばりの絶叫が出る。


「キルー!」


「あははっ、ふたりともすごい演技」


 日原さんが大笑いしている。「バンしたらゴロン」みたいな感覚なのだろう。起き上がらなくなったキルを見て、フラムとアンフェールも絶句した。これには、能天気な陸ですら流石に違和感を覚えたようだ。珍しく真顔になって、キルを見下ろしている。

 ひとり無邪気なのは、キルを撃った張本人だけである。日原さんのライフルが、次のターゲットを探す。


「次は……決めた、陸くん!」


「俺え!?」


 びくっとする陸に、日原さんは容赦なく銃口を向ける。引き金が引かれ、針が陸に突き刺さる。


「えい!」


「ぐわあー! あっ……ぐう……」


 悲鳴を上げた後、陸もキル同様、即寝た。フラムがみるみる青ざめていく。


「あの娘は一体……?」


 にこにこしながら次々に人を襲う日原さんは、フラムの目にはよほど恐ろしく見えたようだ。というか、俺から見ても充分怖い。

 一歩引いて傍観していたラルも、まずいと思ったようだ。面倒くさそうにため息をついて、日原さんに歩み寄る。


「美月ちゃーん。ちょっと、それ下ろしましょうか」


「ラルちゃんもこれ使う? 面白いよ」


 日原さんがラルにライフルを向けた、そのタイミングだった。パキッと妙な音が鳴ると共に、銃口から針が飛び出し、ラルの胸に直撃した。


「きゃっ!」


「あっ、ごめんラルちゃん。撃ったつもりは……あれ? 止まんない」


 日原さんのライフルは、引き金を引かなくとも勝手に針を吹き出すようになっていた。

 ラルが胸を押さえ、くたっと崩れ落ちる。砂浜に横たわり、長い髪を広げて眠りはじめた。

 ライフルからは、まだ針が吹き出している。日原さんも、制御が効かなくて困っている。しかし困り顔をしていたのは数秒だけで、すぐに余裕を取り戻した。


「もしかしてモード切り替えができるの!? マシンガンモード? すごい!」


 なんでそんなにポジティブなのか。

 あのライフルは、水に濡れて既に壊れていたのだ。無理に動かしたせいか、完全にぶっ壊れて暴発したのである。

 俺の声は、若干震えていた。


「シエル、あれどうなってんの? どうすればいいの?」


「知らないよ……僕のライフルじゃないもん」


 シエルの返事も、掠れて消えかけていた。

 そもそもあれは本物の武器だ。危険を理解していない人間に、持たせていいものではない。


「日原さん、それ下ろして! 下ろせ! お願いだから!」


 遠くから叫んでみたが、日原さんは下ろすどころか、こちらに銃口を向けた。

 パパパと吹き出す細かい針が、こちらに向かって飛び出してくる。手前にいたフラムとアンフェールにも降りかかる。フラムはアンフェールを抱きしめて自分が盾になり、背中で針を受け止めた。そしてその直後、アンフェールを胸に抱いて砂浜に倒れる。彼女の下敷きになって、アンフェールが悲痛な叫びをあげた。


「フラム……フラム、しっかりー!」


 しっかり守られるアンフェールを通り越し、針は俺とシエルにも飛んでくる。首筋にチクッと痛みがあった。


「咲夜さっ……ん……」


 俺の腕の中で、シエルがストンと眠りに落ちる。それを見届けるか否かの狭間で、俺もぐわっと襲い来る睡魔に呑み込まれた。

 ああ、日原さん。一度キルを倒した経験を持っているだけはある。やはり彼女の無邪気さは最強だ……。

 勝手に落ちてくる瞼の隙間に、楽しそうな日原さんの笑顔が見える。しかしそのうちなにも考えられなくなって、俺も安らかな眠りに落ちた。

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