9.中二病が覚醒した。

 陸の親戚のおじさんの店に、挨拶に行った。海の家は更衣室やシャワー、ロッカーなども完備で、食堂で軽食も食べさせてもらえる。手荷物はロッカーに置かせてもらい、バーベキューの食材も、冷蔵庫に入れさせてもらった。


 着替えを終えて、店の前で今日のメンツと合流する。まず真っ先に目を引いたのは、翡翠色のビキニにシースルーのパレオを腰に巻いたラルだった。ストロベリーブロンドの巻き髪によく似合っていて、ラルが自分の魅力を自らよく認識しているのが手に取るように分かる。


「似合う……」


 陸がSPごっこを忘れて、素のリアクションをする。


「咲夜、落ち着け、一旦落ち着け」


「落ち着けはお前だよ、陸。落ち着け」


 俺もどきっとさせられたが、よく見ればラルだ。こいつが色気で人を騙す悪魔であるのは知っている。ラルは陸の動揺に、満足げに笑んだ。


「ふふっ。いいのよ、恥ずかしがらないで」


 ラルは俺と陸だけでなく、周囲の海水浴客の視線も独り占めしている。目立ちたがり屋のラルはこの視線が快感らしく、すこぶる上機嫌だ。

 ぼうっとしていたら、なぜか俺の横っ面にキルの飛び蹴りが叩き込まれた。


「だらしない顔してんじゃない! りっくんをかけて勝負するんでしょ!?」


 ラルを見た後だと、キルの幼児体型が際立って感じられる。キルのひと言で、陸が我に返った。


「そうだったな! でもさ、まずは腹ごしらえからにしないか?」


 そう言って彼は、海の家を指さした。


「おじさんに頼んで、スイカを冷やしてもらってるんだ。スイカ割りしようぜ」


「っしゃあ! スイカ!」


 勝負にギラギラしていたキルが、一瞬でスイカに気を取られる。食べ物に飛びつくのはもうキルのデフォルトだ。


「スイカ食べてから勝負しよう!」


「そうだな。よしキル、スイカと道具取りに行こうぜ」


 陸が合図するなり、キルと陸は同時に走り出して海の家へと突っ込んでいった。ラルも伸びをして、ゆっくりついていく。


「あら、陸ちゃんと共同作業するのはキルじゃなくて、私の方がいいのに」


 俺は三人の後ろ姿を眺めていた。


「いやあ、元気だな……」


 それからふと、シエルが大人しいことに気づく。


「どうしたんだ、ぼけっとして。もしかしてスイカ割りのルール知らなくて不安?」


 俺が声をかけると、シエルはハッとしてこちらを向いた。


「ううん。全知全能の闇の眷属に未知などあるはずないだろう」


「どの口が言うんだよ……」


 海を知らないと言ってはしゃいでいた奴が。シエルは立ち竦んだまま腕を組んで、海の家へ向かっていく三人の背中をじっと見つめた。


「ラルさんって、やっぱお姉さんだなあ」


「ぼーっとしてると思ったら」


 俺は自分の額を叩いた。思春期真っ只中のシエルには、ラルは刺激が強すぎたか。というか、俺でもあの色気は胸焼けする。しかし、シエルの表情はそういった感情ではなさそうだった。


「ねえ咲夜さん、ラルさんって何歳なの?」


 妙に落ち着いた態度で尋ねてくる。


「えっ、そういえばいくつだろう。高校の制服着て隣のクラスに紛れ込んでたから……俺と同じくらいだと思うけど」


 しかしラルは、酒が出るような夜の職場で働いてもいる。どう見ても子供のキルが実は十七歳なのを考えると、ラルの年齢も、見た目どおりではないかもしれない。

 シエルは俺の返事を聞いて、うーんと唸っていた。


「陸さんは?」


「俺とタメだから、十六歳。これは間違いないよ」


「そっか。十代も後半になると、大人っぽい体つきになるものなんだね。僕もあと五年もしないうちに、あんな風に成長するのかな」


 シエルがひとつ、深めのまばたきをする。俺はラルと陸の背中を眺めて唸った。


「うーん……あのふたりに関しては、完成されすぎてる気がするけど……。そうだな、シエルくらいの年齢から一気に大人に近づいていくよ。声も変わるしさ」


「そっか。僕もアンフェールも、大人になっていくんだ」


 シエルの声は、やはり落ち着いている。

 もしかして、双子であるアンフェールと性別が違うから、こんなことを考えているのだろうか。そっくりな双子として生きてきていても、大人になるにつれて体が変わってくる。シエルが男の体つきになっていく一方で、アンフェールは女性らしい体型に変わる。十三歳という年頃ならば、それを自覚しはじめる頃か。

 シエルは急に、ふっと鼻で笑った。


「なんてね。アンフェールは成長する前に僕が殺すさ。彼女はあの姿のまま永遠に時が止まる」


 痛々しい言い回しで物騒なことを言い、シエルはちらっと俺を見上げた。


「ところで、キル先輩はなんで成長止まってるの?」


「知らないしどうでもいい。とりあえず、本人には絶対言うなよ」


「それもそうだ」


 素っ気なく言ってシエルはネットの方へと歩き出した。

 彼の話し方は、最後まで落ち着いていた。落ち着いていたけれど、どこか探り探りで、そしてどこか、怯えているようにも聞こえた。

 やがて、キルと陸とラルがおじさんの店から戻ってきた。キルは大きなスイカを大喜びで抱きしめていて、陸は木の棒を持ち、首には今まで着けていなかったストップウォッチを下げて、ラルは手ぬぐいを持って現れた。


「見て見て、サク。スイカ、すっごくでかいぞ。おいしそうだ!」


 キルが胸に抱いたスイカの匂いを、すんすんと嗅ぐ。陸が棒と手ぬぐいをキルに手渡した。


「まず、目隠しをしてぐるぐる回って方向感覚をなくす。それからスイカを捜し、棒で叩き割る。持ち時間はひとり一分三十秒。時間内だったら、一ターンにつき三回まで棒を振り下ろせる。失敗したら相手チームに交代。これをスイカが割れるまで繰り返す」


 この棒も目隠し用の手ぬぐいもストップウォッチも、おじさんの店でレンタルさせてもらったそうだ。

 シエルが不思議そうに目をぱちくりさせた。


「日本には不思議な遊びがあるんだね。方向感覚を失って、目隠しもされて、どうやってスイカを狙えばいいんだ」


 スイカ割りを知らないシエルに、俺は言った。


「周りが呼びかけをするんだよ。右に何歩とか、そのまま真っ直ぐとか」


 説明していると、ラルが寄ってきて付け足した。


「そうそう。わざと嘘の誘導をする意地悪な人もいるから、鵜呑みにしていいわけじゃないのよ」


「なるほど……誰を信じ誰に裏切られるか、常に試されているということだね」


 シエルがスイカを睨んで神妙な顔をすると、スイカを抱えた陸が、無邪気に笑った。


「そっか、シエルは初めてか。一回やり方見てみるか?」


 陸はスイカを置くと、有無を言わさず俺の目を手ぬぐいで覆った。突如視界を奪われた俺の手に、木の棒を手渡される。


「これは練習な。はい咲夜、五回くらい回って」


 促されるまま、俺は先端を砂地につけた。反対側の先端を自分のおでこにつけて、その場でぐるぐる回転する。

 回った後、棒を両手に持って背筋を伸ばすと、頭がくらくらした。たった五回回っただけで、こんなにも平衡感覚が失われるものなのか。

 よろよろしている俺に、陸が声をかけてくる。


「スタート! 咲夜、まず右を向け。そこから十歩くらい真っ直ぐ!」


「陸ちゃんたら意地悪しないの。咲夜くん、そっちじゃないわ。反対よ」


 陸もラルもいたずら好きだから、どちらが本当のことを言っているのかよく分からない。とりあえず陸を信じて右に向かおうとしたが、思ったように歩けない。足元がふらついて、進みたい方向と違う方へ歩いてしまう。

 やがて俺は砂に足を取られ、派手に転んでしまった。背後からどっと笑い声がする。転んだお陰で目隠しがずれてしまい、視界が解放された。スイカは、俺がいる場所から十メートルほど離れたところで、レジャーシートに鎮座していた。


「こんなに難しかったのか。結局、陸とラルはどっちが正しい指示出してたの?」


「俺もラルちゃんも嘘ついてて、咲夜はそのどちらでもない方向に進んだ。でもそっちにもスイカはなかった」


 陸が腹を抱えて笑う。俺は陸に従ったつもりだったが、方向感覚がめちゃくちゃで行きたい方向にすら行けていなかった。

 ひとしきり笑った陸が、息を整える。


「シエル、やり方わかったか?」


「よく分かったよ。己の感覚を研ぎ澄まし、周りの嘘と真実を見抜く遊戯だね」


 シエルがこたえると、陸はそうだ、と手を叩いた。


「優勝者は、割れたスイカの中から好きなところを取って食べていいことにしようぜ!」


 それを聞くや否や、キルが目を見開く。


「マジか! 燃えてきた!」


 食べ物を前にしたキルは、極めて単純だ。


「そんで武器の使用はあり? ありなら何系の武器をどこまで使用可にする? 急所を狙うのは反則にしとくか?」


「キル、今から始まるのはスイカ割りだぞ?」


 俺はキルの肩を掴んで黙らせた。スイカ割りに必要なさそうな物騒なルールを決めてどうするつもりだ。第一、今日のキルはいつものように、全身に武器を隠した暗殺者装備ではない。水着姿では武器を持ち込んだりはできないだろう。早くスイカを食べたいキルは、素直に承諾した。


「そうだな。んじゃ、早速始めよう」


 ジャンケンで順番を決める。スイカへの執念でキルがひとり勝ちし、次が陸、俺、シエル、ラルの順に決まった。

 陸がキルの目を手ぬぐいで覆う。


「目隠しをしたら、右回りで五回転して」


 目隠しされたキルが、棒を受け取りくるくる回る。その間に、陸はスイカを持って彼女から離れた。俺は陸を追いかけ、レジャーシートを敷いた。その上に、陸がスイカを下ろす。

 回転を終えたキルが、少しよろつきながら棒を掲げた。


「行くぞ! ひとり目だからといって遠慮はしない。いちばん大きいスイカの欠片を食べたいんだ!」


 宣誓したキルを一瞥し、陸がストップウォッチを押す。


「スタート!」


 合図と同時に、キルが歩き出す。


「うあ……上手く歩けない」


 回転して目を回しているお陰でよたよたしているが、向かっている方向には迷いがない。まだ誰もなにも指示していないのに、的確にスイカに向かってくるのだ。陸がぎょっとする。


「えっ!? キル、もしかして見えてる!?」


「見えてない。でも分かるんだよ。こっちの方からスイカの匂いがする」


 キルは立ち止まることなく、棒でスイカの位置を示した。

 匂いで判別しているだなんて、警察犬みたいだ。俺はキルに向かって叫ぶ。


「キル、そっちじゃない! 左、左!」


 嘘の誘導でキルを惑わそうとするも、キルは騙されない。


「善良な市民は嘘をつくのが下手だな……」


 俺はぐっと押し黙った。どんなに誘導をかけようと、キルが匂いでスイカを捜しているのでは惑わせようがない。

 陸とシエルも唖然として指示を出さない。惑わせることはおろか、正確な指示がなくとも、キルは自力でスイカに辿り着けるのだ。こんなの勝ち目がないではないか。

 誰もがキルの勝利を確信していたであろうそのとき、ラルが呼びかけた。


「そうね、咲夜くんは嘘が下手よね。だからとっても意外だったわ。その善良な市民を、キルがこんなに気に入るなんて!」


「ん?」


 なにを言い出したのかと、俺はラルを振り向いた。陸とシエルもラルに注目する。目隠しをしているキルまでもが、立ち止まってラルの方を向いた。


「はあ!? なんのこっちゃ!」


 声だけを頼りに、ラルがどこにいるか分かるようだ。嗅覚も聴力も、犬じみている。ラルはふふんとわざとらしく笑う。


「だからあ、清らかな性格に拒否反応を起こすキルが、咲夜くんにこんなに懐いて、ごはんをおねだりしてるなんて、信じられないわって言ってるの」


「懐いてないし! 私が好きなのは、サクが作るごはんだけだぞ!」


 キルがいきなり取り乱す。その慌てぶりに、俺も戸惑った。本当に「ごはんだけ」なら、そんなに逆上する必要はないではないか。ということは、キルは俺が自覚している以上に、俺を好いているということか?

 絶句する俺を、ラルが可笑しそうに一瞥する。それから再びキルを煽った。


「素直じゃないんだから。私には分かっちゃうわよ?」


「変なこと言うな! なんのつもりだ!」


「あのね咲夜くん、キルってばね……」


 ラルがなにか言いかけた矢先、キルはラルに突進してきて木の棒を振りかざした。


「わー! うわー!」


 しかし目隠しをしたキルの攻撃など、ラルはあっさり躱す。棒がぶんぶん振り回されるも、ラルは全てを素早く避けて、振られた数を数えた。


「に、さん、し。キル、カンスト。棒を振れるのは三回までよ」


「うわっ! 嵌められた!」


 キルがぴたっと手を止め、目隠しの手ぬぐいを押し上げる。俺はぽかんとしていた。

 匂いでスイカを探し当てるキルには、勝ち目がないはずだった。

 だがラルはキルの直情的な性分をよく分かっており、その習性を利用してわざとキルを煽って自分に攻撃させた。キルから棒を振るストックを奪ったのだ。鮮やかなテクニックは賞賛に値する。

 だがそれ以上に、俺はラルの煽りが気にかかって仕方なかった。


「ラル、『キルってばね』の続きは?」


「うふ。続きはキル本人から聞きなさい」


 ラルはにんまりするだけである。


「本当は私も、キルの本音は知らないの。今のは鎌をかけただけ。それでキルがこれだけ取り乱すってことは……咲夜くんは少し、自身の身を案じた方がいいかもしれないわね」


「なにそれ……キルってそんなに俺のこと……」


 俺はちらっと、キルを見下ろした。顔を真っ赤にしたキルが、目が合うなり棒を振りがさして襲いかかってくる。


「だから! 私が好きなのは! ごはんだけ!」


 木の棒がバコバコバコと三回俺の脳天を打撃する。


「痛い痛い痛い」


「サクもダシにされたんだからちょっとは怒れ!」


「なんだよ! 俺を慕ってくれてるなら、かわいいなと思ったのに!」


「かわいいとか言われても嬉しくないからな!」


 キルはもう一発俺を殴る。更にもうひと振り加えようとしたところで、陸に棒を止められた。


「そこまで。キルはもうとっくに三回以上振ってるだろ。痴話喧嘩は棒を返してからにしろ」


「ラルのせいでスイカを割り損ねた!」


 ギャーギャー騒ぐキルから棒を奪い、今度は陸がチャレンジャーとして立つ。俺はまだ気持ちの整理がついていなかったが、ひとまず陸からストップウォッチを受け取る。手ぬぐいで陸を目隠しし、陸が回っている間にスイカを移動させた。

 陸の挑戦が始まるなり、それまで楽しげだったキル、シエル、ラルの面持ちが急に神妙になった。いきなり空気がピリついたので、俺はひとり置いていかれ頭上に疑問符を浮かべる。

 緊張感溢れる面持ちで、シエルが陸を見つめている。


「スイリベール王朝のSP。どんなパフォーマンスを見せる?」


 なにかと思えば、その話だったか。そういえば俺も、遊びに夢中になって忘れかけていた。

 しかし彼らの警戒も虚しく、陸はとうとう時間内にスイカに到達できずに終わった。俺は彼にしっかりと、正しい方向へと指示を出したのだが、どうも陸は相当目が回っていたようだ。

 屈託のない笑い方で「失敗した」と悔しがる陸を横目に、キルが真顔で唸る。


「敢えて下手なふりをして、こちらの油断を誘っているんだ。シエル、ラル。気を抜くなよ」


「分かってる」


「大丈夫よ」


 シエルとラルも真剣である。俺ももう、いちいち誤解を解こうと努力するのはやめた。

 続いてシエルの番が回ってきた。目隠しをして棒を持つ、きれいな立ち姿に少しどきりとする。


「闇が……闇が僕を包み込む。暗転した世界に行き先さえも奪われて……黒きいかずちを刻みし血の果実はいずこへ……」


 折角姿勢がきれいなのに、なんだか訳の分からないことを口走っている。目隠しをされたシエルは、精神を研ぎ澄ましてスイカを捜していた。


「気配が……見える」


 シエルがすっと、歩き出す。俺は息を呑んだ。彼の爪先の方向には、たしかにスイカがある。やはりシエルは、ポンコツでも暗殺者だ。俺が認識しているより遥かに能力があるのかもしれない。今も、誰からの誘導も受ける前から、スイカの気配を探り当てた。

 かと思いきや、シエルはふらふらっと足をもつれさせてすっ転び、立ち上がってまた転び、ようやく歩き出したと思ったら、キルの方に向かっていった。


「おい待てシエル! こっちじゃない! スイカはあんたの後ろ五メートル!」


 キルがじりじり後ろに下がりながら誘導すると、シエルは従って後ろを向いた。だが結局ふらふらとキルの方を向いて、「こっち?」なんて言いつつキルに近づいていく。逃げ惑うキルと、まるでわざとかのように追い回すシエルの光景に、陸とラルが爆笑する。シエルはキルに向かって三回棒を振り下ろした。キルは全て避けたものの、シエルはチャレンジ失敗となった。手ぬぐいを外したシエルが、ことのほか離れたスイカに目を剥く。


「あんなに遠くに!? 血の果実は闇を逃げ回っていたのか」


「スイカが自走するわけないだろ! お前がみるみる離れていったんだよ!」


 キルがぺしっとシエルの後頭部を引っぱたく。

 俺は半分呆れ、半分ほっとしていた。

 中二病をこじらせている上に鈍臭い、それがシエルだ。恐れるに足りないへっぽこ暗殺者だ。

 ひとしきり笑い終えたラルが、シエルに歩み寄る。


「次は私ね」


 シエルから手ぬぐいを受け取って、ラルのチャレンジが始まった。目隠しをするラルを見て、俺は咄嗟にシエルの目を手で覆った。普段から色気のあるラルが水着姿で目隠しをしているのだ、すごくいけないもののように感じられて、シエルにはまだ見せてはいけない気がした。


 ラルが回転してふらふらになったのを確認し、ストップウォッチを押す。よたよた歩くラルは早速転んでしまったが、陸が手を差し伸べるとわざわざ全身ですがり付いたので、多分転んだのは計算だ。ラルは遊びながらも、陸を手玉にとるという目的を忘れていない。俺とキルは、ラルの小悪魔ぶりにぞっとさせられていた。俺はさっさと陸から離れさせるため、シエルの目を覆うのをやめてラルに指示を出す。


「ラル、右。もう少し右。そうそう」


 ラルは目を回しているわりに、足取りがしっかりしていた。ラルから離れた陸が、俺に続いてラルを丁寧に移動させる。


「まだ真っ直ぐでいいよ。あ、ちょっと逸れた。一旦止まって右を向いて」


 俺の隣にいたキルも、彼女の平衡感覚には驚嘆している。


「すごいなあいつ、真っ直ぐ歩けてる。あっ、ラル! そっちじゃない!」


 熱くなってきたのか、キルがラルをしっかり誘導した。


「早くスイカ食べたいから、もう誰でもいいから早くスイカを割ってほしい。ラル、いいぞー! その調子で進めー!」


 俺たちが盛り上がってきたせいだろう、いつの間にか、周りの他の海水浴客らが足を止めてこちらを見ている。ラルの足取りに歓声を上げたり息を止めたりして、観戦している。中にはラルに向かって方向指示を飛ばす野次馬まで現れた。

 ストップウォッチが一分経過を知らせた頃、ラルは今まで誰も辿り着けなかったスイカの正面に立っていた。この胸が熱くなる展開に、いつの間にか陸もシエルも俺も、赤の他人の海水浴客らも、夢中になって声援を送っていた。


「いけー! そこだー!」


 早くスイカを食べたくて仕方がないキルが、特段大声で叫ぶ。

 ラルが棒を振り上げて、思い切り振り下ろす。パカンッと小気味のいい音がして、棒がスイカにヒットした。緑色の皮にヒビが入り、赤い果肉が覗く。

 途端に、キルが歓声を上げながら飛び跳ね、陸がガッツポーズし、シエルが口を押さえて目を見開いた。俺も、「よっしゃあ」なんて声に出してしまった。


 集まってきていた周りの海水浴客らも、素晴らしい瞬間に立ち会ったとでも言わんばかりにどよめく。周囲全体、無意味に心がひとつになった瞬間だった。

 決着を見届けた野次馬たちが、各々去っていく。徐々に冷静になってきた俺は、目線を迷わせた。他人の注目を集めてしまったのは、恥ずかしい。


 そしてふと、野次馬の中のひとりに目が止まった。他の海水浴客は興味本位なのに対し、ひとりだけ、取り締まるような顔つきをしている。ウェットスーツにライフジャケットを着た、背の高い女性だ。

 怪訝な目つきや服装から察するにライフセーバーだろうと、俺は推測した。この海水浴場の治安を守る立場から、悪目立ちする俺らを警戒していたのかもしれない。俺は「暴れてすみません」と胸の中で謝った。

 ラルが手ぬぐいを押し上げた。


「よし! 私の勝ち!」


 スイカ割りはラルに軍配が上がった。早くスイカにありつきたいキルが、ラルに、いや、スイカに駆け寄る。


「ヒビが入ってるだけだから、これじゃまだ食べられないな。切り分けよう」


 キルがパーカーからナイフを抜く。俺はぎょっと息を呑んだ。暗殺者装備でない薄着では武器は持ち込めないものと思っていたが、そんなことはなかった。キルはこんなときでも警戒を解かないのだ。そういえばキルは、スイカ割りが始まる前に「武器の使用はありか」などと言っていた。あそこで「あり」になっていたら、危うくナイフが飛び交っていたところだった。

 ぞっとする俺をよそに、キルがナイフをスイカに突き立てる。しかし、投擲用の薄くて小さなナイフはスイカと相性が悪い。俺は自分の荷物の中に包丁があったことを思い出した。


「ロッカーに預けた荷物の中に、包丁あるよ。取ってくる」


「流石、バーベキューにウェイト置いてるだけはあるな」


 陸が感心する。バーベキュー用の食材は全部切り分けて持ってきたが、包丁も持ってきていてよかった。

 陸のおじさんの店へ発とうとすると、シエルがスイカの前に座った。


「こっちのナイフならどうかな。キル先輩のより大きいよ」


 彼はキルと同じく、パーカーからナイフを取り出した。キルのものより少し刃渡りが長い。公園でアンフェールと対峙したとき、シエルが投げてきたものと同じ型のものだ。シエルまで武器を持ち込んでいるとは、俺はより頭が痛くなった。

 キルはシエルのパーカーをくいっと引っ張った。


「シエルはただでさえぶきっちょなんだから、大きさバラバラになるだろ」


「そんなことないもん、僕のナイフさばきは僕を雇うマフィアからも賞賛されてる」


「どこがだよ! シエルのノーコンぶりは飽きるほど見せつけられてる。いいか、スイカを切るのは難しいんだぞ。いちばん甘いところは球の真ん中だから、その部分が五等分になるように切るんだぞ」


 熱く語るキルを、シエルが気だるげに一瞥した。


「分かった分かった」


「やめとけって、シエルにはできない。スイカを爆発させて、果汁が飛んでパーカー汚れて、お洗濯が大変になってサクに叱られるのがオチだ」


「そうだね。返り血は浴びない方がよさそうだ」


 シエルがわざわざ物騒な言い回しに直し、パーカーを脱いだ。俺は食べ物を前に我慢ならないキルを呆れ目で見下ろす。


「そんなに急がなくても、すぐ包丁取ってくるから待ってなよ……」


 と、言い終わるか終わらないかの瞬間。

 ひゅんと、俺の頬をスイカの種が掠めた。

 なにが起きたのか理解するより先に、目の前に並ぶ、均等に切り分けられたスイカが目に映る。

 俺はしばし、立ち尽くしていた。自分は今、確実にスイカとシエルを見ていたはずだ。しかし、シエルがスイカを切っていた姿を、見た記憶がない。まるで、そのシーンだけが飛ばされて早送りされたみたいだった。

 俺の脳がバグったのかと思ったのだが、陸もぽかんとしている。キルとラルは通常運転で、キルがシエルの肩をぽんぽん叩いていた。


「なんだよシエル、やればできるじゃん。じゃ、私ここの種が少ないとこ、もーらい」


「こら。勝った人から選ぶ約束でしょ? その部分は私が貰うわ」


 キルが早速スイカに手を出し、ラルに抑えられている。俺は陸と顔を見合わせた。


「今、シエルが切ったのか? あんまりちゃんと見てなかったかも……」


「俺も見てたはずなんだけど、目が追いつかなかった」


 陸も数秒固まっていたが、細かいことは気にしない彼は、あっさり切り替えた。


「まあいっか。切ってくれたならそれでOKだよな。俺はこの部分にしよう」


 初めてやって来た日、キルの喧嘩をして手も足も出せずに泣き言を言っていた、あのシエルと同一人物とは思えない動きだった。なにが起こったのだろう。今までのシエルは、周りを油断させるためにわざとノロマな振りをしていたのではないか……なんて勘繰ってしまう。


「私はこれにしよ。サク、サクも早く食べなよ。取らないと、サクの分まで私が食べちゃうぞ」


 キルが急かすので、俺もとりあえず手前からスイカを取る。キルがこだわっていたとおり甘い部分を均等に分けているし、大きさもばらつきがない。シエル自身も、したり顔で自分のナイフを眺めていた。


「意外だった? 止まってるものが相手ならこんなものさ」


 いや、相手に動きがあるとかないとか、それ以前の問題ではないか? こんな音速で動けるのなら、相手が動いていようと、それより素早く動けるはずだ。

 なにかがおかしい。

 わいわいとスイカを食べる他四名の中、俺だけがまだ困惑していた。とりあえず、スイカをひと口かじった。乾いた喉に水分が染み込んでいく。


 砂の上に、シエルが脱ぎ捨てたパーカーが落ちている。内側に括りつけられた武器の数々は、お気に入りのアイスピックや、キルも携帯しているようなナイフだけでなく、分銅鎖や小型の拳銃など物騒な顔ぶれがごちゃごちゃしていた。

 鞘に収まっているとはいえ、武器が体にゴツゴツ当たりそうで着心地が悪そうだ。よくこんなのを身につけられるなと思う。


「こんなところに放置して……」


 踏んだら滑って転ぶどころの騒ぎではない。俺はパーカーのフードを掴んで、自身に引き寄せた。そのとき頭に浮かんだ感想は、「思ったより重い」だった。

 内側にこれだけ武器が仕込まれているのだから、重くて当然だろう。これを着て動くとなると、結構動きが制限されるのではないか。

 そこまで考えて、俺はハッとした。


「なあ陸、水鉄砲たくさん持ってたよな。ひとつ借りていいか?」


 スイカを頬張る陸に言うと、彼は快く頷いた。


「鞄に入ってるから好きなのをどうぞ」


「ありがと」


 砂浜に置かれていた陸の鞄から、水鉄砲をひとつ手に取る。黄色いボディの、ハンドガンタイプのものだった。俺はスイカを片手に、水鉄砲に海水を汲んだ。

 これを構え、名前を呼ぶ。


「シエル」


 シエルがこちらを振り向いたと同時に、水鉄砲の引き金を引いた。水が飛び出すと、シエルはスイカを持ったまま、さっと避ける。


「うわっ! なにをする!」


 威嚇するシエルに、俺はパーカーを手渡した。


「これ、こんなところに脱ぎ捨てたらだめなんじゃないの。お前、外套触られるの嫌がってたじゃん」


「む……」


 水鉄砲で狙撃されて不服そうだったが、シエルは素直にパーカーを受け取った。もそもそと袖を通した彼を確認し、俺は再び水鉄砲を構える。


「シエルー」


 もう一度呼んで振り向かせて、再度水鉄砲を発射した。今度は、シエルの顔面にヒットする。


「ん、うわっ! もう、なんなんだよー!」


「やっぱり……」


 最初の一回目は反射的に避けたのに、二発目は避けられなかった。

 逆ならまだ分かる。一回目はいきなりの攻撃だから躱せず、二回目から学習するなら分かるのだ。

 だがシエルのケースは違う。一度目の攻撃と二度目の攻撃の相違点は……。


「ひょっとして、シエルって重い装備を着てるとトロくなるんじゃないか?」


「えっ?」


 シエルが目をぱちくりさせる。キルとラルも、スイカを食べるのを止めてこちらを見た。陸だけぱくぱくスイカを齧っている。

 俺は水鉄砲の銃口をシエルに向けた。


「パーカーを脱いでナイフを持ったら、普段のシエルじゃ考えられないくらいのナイフさばきを見せただろ。試しに今、着脱させてみたら、着てないときは避けた水鉄砲を、着たら避けらなかった」


 服の着脱でスイッチが切り替わるなんて、そんな漫画みたいな現象がありうるのかと思うが、暗器だらけの動きにくそうな装備では、無理もないかもしれない。


「外套といい、このパーカーといい、動きにくかったんじゃないか」


 俺は水鉄砲を発射した。やはり避けられないシエルの顔面に、水の束が直撃する。シエルは水をぽたぽた滴らせて、目から鱗な顔で二の句を継げずにいた。代わりに、キルが前のめりになる。


「装備の中に武器を仕込むのは、手に持つより合理的だからだぞ。そのせいで逆に動きが制限されてるっていうのか?」


 疑問形で投げかけた後、キルは自分で続けた。


「ありうる。こういう暗器を隠した外套は、隠す武器の種類や量を上手く調整できないと、すごく動きにくい。私も暗殺者になったばかりの頃はミスだらけだったからすごくよく分かる」


 ラルも腕を組み、シエルをじっと凝視した。


「そうね。私も重たい上着は窮屈で好きじゃないわ」


 そういえばラルはキルやシエルのように外套を羽織っておらず、薄着に必要最低限の武器を仕込んで活動している。キルがシエルとラルを見比べた。


「ということは……シエルもラル式に、外套をやめて武器の装備数を減らせば、戦闘能力が一気にぶち上がるんじゃないか?」


 そしてキルはぱあっと目を輝かせた。


「その素早さが活かせれば、アンフェールの体術も充分に躱せる!」


 彼女のきらきらした目と発言を受けて、俺はあっと息を呑んだ。もしかして、俺は今ものすごく余計な気づきをしてしまったのではないか。

 ぽかんとしていたシエルの顔も、次第にニヤアッと不敵な笑みに変わる。


「ククク……ついに封印を解く鍵に辿り着いたね。これで真の力が解放される」


 キルがご機嫌な笑顔を向けてきた。


「やるじゃんサク、いいところに気づいてくれた。これで王女暗殺は成功したも同然だな」


 やってしまった。止めたかったはずのシエルの暴走を、自ら後押ししてしまったではないか。気づいても黙っていればよかった。

 流れを見ていたラルが、くすっと俺に笑いかける。


「面白くなってきたわね」


 茫然自失の俺を尻目に、キルとシエルがスイカ片手にハイタッチしている。


「どの程度動けるか見極める必要があるな。水鉄砲合戦は、シエルは脱パーカーで参戦な!」


「もちろんさ! 解き放たれし僕に、海神も震撼するだろう!」


 俺は石のように固まっていた。心のどこかで、シエルは鈍臭いからキルよりは厄介ではないと思っていた。それが素早く動けるようになったら、いろいろまずい。キルの言うとおり、アンフェールを殺すのだって容易くなってしまう。

 シエルが脱ぎ捨てたパーカーを、陸が拾って広げて眺めている。


「こんなガチャガチャした服着てたのか。動きにくそう。おもしれー」


 陸だけは、重大な問題に置いていかれてのほほんとしていた。


「なあなあ、それよか腹減らね?」


「今スイカ食べたじゃん」


「スイカは水分だろ。もっとがっつり、焼きそばとか食べようや。この後の水鉄砲でたくさん動くんだから、栄誉補給しようぜ」


 陸が言うと、キルがスイカの皮を手に賛同した。


「そうだそうだ! お腹がすいた!」


 言われてみれば、太陽が高い位置にある。俺は砂浜の隅っこに立っていた時計を見つけ、時刻が正午近くなっていたのを確認した。


「じゃ、昼食にしようか」


「ひゃっほー! 焼きそば、かき氷、フランクフルトー!」


 我先にと海の家へと駆け出して行った。

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