7.ペットには躾が必要だ。

 自室のある二階に上った。

 部屋についたら、図書館へ持っていった鞄のポケットを開けた。キルから飛んできた、麻酔銃の針が残っている。それを慎重につまみ出し、じっくりと眺めてみる。


 先程の会議の様子を思い出す。キルはどうして、麻酔銃を使うのをやめたのだろう。針がなくなったのか。

 考えたところで、真実は分からない。俺は針をゴミ箱に捨てようとして、家庭ゴミで出さない方がいいなと思い止まった。しかしどう捨てたら安全なのかも分からなくて、結局、勉強机の引き出しにそっとしまい込む。

 引き出しを奥まで押し込んで、ひとつ、ため息をついた。


 アンフェール殺害計画を思うと、一秒たりとも気を抜けない。今は煮詰まっている様子だけれど、キルとシエルは新たな策を思いつき次第、またアンフェールの命を狙いに行く。日原さんと一緒に本を読みながら考えたが、アンフェールを殺してまで王座につこうとする時期女王候補とその周辺人物に、スイリベールという国を任せたくはない。

 しかしだ。キルが言うには、シエルはアンフェール殺害に失敗すれば、マフィアから処分される。つまり、彼も命懸けなのだ。


 それを思うと、アンフェールを生かすためにシエルの邪魔をするのが、無性にやりづらくなる。だがだからといって、シエルに協力するつもりもない。彼のためにアンフェールに死んでもらおう、とはならない。

 俺は机の一角を見つめ、奥歯を噛んだ。どうしたらいいのだろう。シエルとアンフェールは双子なのに、片方が生きるためには片方が死ななくてはならない。

 どうしたら、ふたりとも無傷で平和的に解決できるのだろう……。


 シエルもアンフェールも無事で済む方法は、俺のお粗末な頭で考えても答えは見つからない。誰かを頼りたい。今までは、こんなときに優しくしてくれるのはばあちゃんだった。しかしそのばあちゃんは、キルが所属するフクロウの親玉だ。あの人は俺の味方でありつつも、仕事はキル側なのだ。親父は以ての外。あれはキルに仕事を割り振り、シエルをこちらに送り込んだ張本人だ。まひるには当然話せない。陸も巻き込めない。というか、話したところで信じてもらえない。


 思考の沼を深く深く潜り込んで、俺はふと、ひとりの人物に思い当たった。だがすぐに首を振る。彼はだめだ、と拒否つつも、頭の片隅では彼しかいないとも思ってしまう。

 スマホを手に取って、考える。ある人物に教えてもらった連絡先が、まだ残っている。しかしこの人にかけるかどうかと、尻込みした。

 悶々と考えていたら、俺が弄る前にスマホが鳴りはじめ、どきりとした。

 画面に映っていた名前を見て、うんざりする。俺が連絡をとるべきか悩んでいた相手ではなく、よりにもよっていちばん話したくない相手だった。無視するわけにもいかないので、渋々応答する。


「はい、もしもし」


「さっくやー! 今朝もかけたのにまた電話しちゃった。てへっ」


 一音目から俺を煽ってくるこの男は、残念ながら俺の父親である。


「なに?」


「咲夜に会いたくて頻繁に連絡しちゃう。だめ?」


「用がないなら切る」


「うそうそ、待って。いや嘘じゃないけど。会いたいのは本当だけど、そんだけじゃないから」


 親父は俺をからかって、その洒落のめした口調のまま話しはじめた。


「さっきキルから連絡があってね。王女ちゃんを見つけたのに、まーた失敗したんだって?」


 どうも俺と離れている間に、キルは親父に律儀に報告を上げているらしい。


「しかも日原美月たんと一緒にいるんだとか」


 返事をしたくなくて、俺は黙っていた。それでも親父は奔放に喋り続ける。


「王女殺害に手こずる要因のひとつが、それなのかもね。キルが美月ちゃんに目移りしちゃって、二兎追うものは一兎を得ず状態なんだよ」


 そういえば、キルは図書館で日原さんも一緒に殺そうかと考えている様子だった。アンフェール殺しはシエルにとっての重要案件であり、キルには代行できない。キルにとっては日原さんの方が大事なターゲットなのだ。

 そうキルの胸中を汲んだのだが、親父はあっさりと切り捨てた。


「だからね、キルには今は王女に集中するように指示しちゃった! もちろん美月ちゃんも殺せれば最高なんだけど、依頼は停止中だから急ぐ必要はない。それより、急ぎの仕事である王女暗殺に一点集中してもらった方が、ずっと効率的だから」


「……じゃ、キルは日原さんは殺さない?」


 ぼそっと尋ねると、親父はふふふっと笑った。


「殺さないとは言いきれない。メインからは外すってだけ。絶好のチャンスがあれば殺すと思うよ」


 ということは、キルはしばらくは日原さんどころではないと。日原さんに危険が付きまとっているのは変わらないが、少しは安心してよさそうだ。

 それより問題はアンフェールである。彼女には、日原さんのように奇跡的なディフェンス力があるわけではない。

 親父はわざとらしく残念そうな声を出した。


「シエルは元から王女一点狙い、キルにも王女に集中させた。あとは咲夜が協力してくれれば完璧なんだけどなあ……?」


「絶対に嫌」


 断固として拒否する。親父はしつこく繰り返した。


「君のペットたちが苦戦してるんだよ? かわいいペットたちにはしてやれることを全てしてやるのが、飼い主の努めなんじゃなーい?」


「悪さするペットを戒めるのも飼い主の努めだよ。そんな交渉のために電話してきたのか? 切るぞ」


「待ってよ咲夜。パパもっと息子とお話ししたい」


 なにか言っていたがこれ以上聞く必要はない。俺は容赦なく通話をぶちぎった。

 全く、ろくなものではない。あのクソ親父の指示で、キルは日原さんから一旦目を背けている。それは助かる。しかし、キルがこれまで以上にアンフェールに集中するということでもあり、アンフェールの危険がより高まったとも取れる。

 キルとシエルは、今のところ煮詰まっている様子だった。親父に相談の電話をしているのも、なにかアイディアを求めたのかもしれない。俺もぐだぐだしている余裕はなさそうだ。

 と、またもやスマホの画面が明るくなり、「クソ親父」の表示と着信マークが映し出された。ムカッとしつつ、乱暴に応答ボタンを押す。


「しつこい! 協力ならしない! 一生しない!」


 相手が話し出すより先に怒号を叩き込む。と、耳に飛び込んできたのは意外とかわいい声だった。


「お兄ちゃん! 昨日ぶりー!」


「まひる!?」


 なんと親父の端末でかけてきている、我が妹ではないか。


「怒ってるの? 昨日なんにも言わないで置いてったから? ごめんね」


「あああ、違う。まひるを怒ってるんじゃないよ。いや、黙って旅立たれたのはショックだったけど、怒ってはいないというか……。いきなり怒鳴ってごめんな。親父のスマホからかけてきてるってことは、無事親父のとこに着いたんだな」


 突然のまひるに動揺して、言いたいことがとっ散らかる。たった一日会っていないだけなのに、なぜか無性に久しぶりに感じた。

 まひるはご機嫌な甘え声で言った。


「スイリベールには今着いたとこ。これからパパとおばあちゃんと一緒に、ご飯食べに行くのー。お腹空いちゃった」


「そっかあ」


「スイリベールのごはんね、ゲラゲラ鳥のスープっていうのが有名なんだって。どんな味がするのかなあ。お兄ちゃんも一緒に食べてくれたらおうちでも作れたかな? お兄ちゃんも来ればよかったねえ」


 まひるはマイペースにお喋りしている。他愛もない話をしている暇はないというのに、一方的に話してくるので切るに切れない。だが、不思議とうんざりしなかった。親父のうんざり力が強すぎるせいか、まひるが楽しそうに話しているのはむしろ癒しだ。ついつい現実の苦悩を忘れ、のほほんと聞き入ってしまう。

 まひるの純新無垢な言葉の羅列を聞いて、癒されていると。


「あのね、スイリベール、八月の二十日にせーけんこーたいパレードやるんだって。まひる、それ見るの楽しみなんだ」


 ふいに、現実の苦悩に引き戻す単語が挟まってきた。政権交代。八月二十日、王女が女王になる。


「それを見届けたら、まひるとおばあちゃん、日本に帰るよ。もうちょっと遊びたいって思ったけど、パパが決めたの。だからお兄ちゃん、まひるたち二十日の次の日くらいに帰ってくるから、それまでお土産待っててね。……って、パパがお兄ちゃんに伝えておいてって言ってた!」


 なるほど。八月二十日の政権交代を見届けたら、任務は終了。それまでにアンフェールを暗殺し、シエルが依頼を受けている別の継承者が王位に着けば、シエルの任務は完了という意味か。

 逆に言えば、二十日までアンフェールを守り抜き、彼女を国に帰せばセーフというわけだ。


「パパ、お兄ちゃんがお話聞いてくれないって、悲しそうにしてたよ。お兄ちゃんね、パパいじめちゃだめだよ」


 まひるが思い出したように窘めてくる。


「あ……はい」


 親父はまひるを使って、二十日のリミットを俺に伝えてきたのである。

 それはそうと、あのクソ親父ときたら、自分の方がよっぽど俺をいじめているのに俺を悪者扱いしていやがる。タイムリミットも気になるが、そちらにも腹が立った。


「じゃあねー、お兄ちゃん! お土産いっぱい買ってくるねー!」


 明るい声が弾けたのち、通話は切れた。スマホを持った腕から、くたっと力が抜ける。久々にまひるの声を聞いた。癒された。

 と、癒されている場合ではない。俺は再び、気を引き締めた。二十日まで、あと一週間しかない。その間にできることはなにか。なにかと考えると、驚くほどになにも思い浮かばない。せいぜいキルとシエルの妨害くらいしかできず、自分から率先して動けることがない。

 数秒悩んだ結果、俺は意を決して、スマホを掲げた。ギリギリまで葛藤があったけれど、電話をかけた指には、案外、迷いがなかった。

 彼の応答は早かった。


「はいはーい。まさか君からかけてくるとは思わなかったよ」


 口先は驚いているが、話し方は平板で、驚いているっぽくは聞こえなかった。


「俺も、自分からあなたに電話をかけるとは思いませんでした」


 自嘲気味に言って、俺はひとつ、小さく息を吐いた。


「相談したいことがあります。ご都合のいい日はありますか、先生」


 俺が言うと、電話の向こうの彼はおかしそうに返してきた。


「へえ。いいよ、僕でよければ。いつにしようか」



 その三日後。キルとシエルの様子に動きはない。今日もリビングのカーペットに並んで座って、作戦会議をしている。


「いずれにせよ、アンフェールが日原邸にいる限り、攻撃は難しいな」


「どうしたものか」


 シエルが腕を組んで俯いている。俺も悩まされているが、こいつらも事態が膠着している。今のところ、いきなり日原さんのところへ突撃したりはしそうにない。

 俺はふたりに声を投げた。


「ちょっと出かけてくる」


「美月のとこ行くの?」


 キルが早速機会を窺ってくる。俺はぶんぶんと首を振った。


「そんなにあっさり何度も謁見できる相手じゃありません」


「それもそうだ」


「ゴキ……害虫対策のハーブを買ってくる。あと、夕飯の買い出し。食べたいものあるか?」


「おっ! じゃあ、今夜はお魚が食べたい!」


 キルはすぐさま夕飯をリクエストしてくれた。彼女の単純さには度々助けられている。


「了解。行ってくる」


 俺は鞄を肩に引っ掛けて、外へ駆け出した。



 買い出しもするけれど、それは後回しだ。俺は本来の目的を達成するべく、彼に指定されたファミレスへと向かった。

 店内に入るとすぐ、彼の方が俺を見つけた。


「朝見くん。こっちこっち!」


 くしゃくしゃの癖っ毛に、眼鏡の奥の穏やかな瞳。俺は彼と目が合うなり、反射的にほっと頬が緩んだ。


「古賀先生。早いですね」


「洋ちゃんのお宅の掃除には飽き飽きしてたからね。気分転換できそうだと思ったら、即行体が動いたよ」


 彼の席には、既にコーヒーのカップが置いてあった。ほこほこと湯気を立てる黒い水面を見て、俺は初めてこの人に会った頃を思い出した。当時はよく、先生にコーヒーを淹れてもらっていた。

 古賀新一先生は、俺の学校に勤めるスクールカウンセラーだ。一時期俺は、先生のいるカウンセリングルームに遊びに行っては、コーヒーを飲みながらこの人とだべって過ごしていた。洋ちゃんというのは校長のことであり、古賀先生は校長に気に入られて校長の家で世話になっているらしい。

 先生がコーヒーカップを手に取る。


「それに、久しぶりに君と話したかったしね」


 コーヒーをひと口啜り、ふっと微笑む。


「自分を殺そうとした人に悩み相談をする、君みたいな面白い子との会話を楽しみたい」


「ですよね。そういうわけだから、俺はあまり先生と話したくないです」


 俺はテーブルに置かれていたメニューを開き、そう吐き捨てた。

 スクールカウンセラーは、あくまで古賀先生の光の姿である。彼の正体はキルと同じくフクロウに所属する暗殺者だ。それも、ターゲットは俺、朝見咲夜である。

 日原さんを狙うキルを止めるのが先生の仕事だったりとか、俺の親父がフクロウのエージェントであり、それが先生の思想と対立していたのだとか、様々な理由で俺の命が狙われている。

 ただし今は、身分証であるホー・カードがないので、俺を殺そうとはしてこない。逆に言えば、この人はカードさえあれば躊躇なく俺を殺せる人間である。親父以上に頼りたくない存在だ。

 メニューを見ている俺に、先生がにこにこと話しかけてくる。


「なにか食べる? 先生がご馳走してあげるよ」


「先生、カードがないからお金ないでしょ」


「洋ちゃんがお小遣いくれるから大丈夫だよ」


「じゃあ……バニラアイスと、ドリンクバー」


「いいね。俺もアイス食べよ」


 先生は無邪気に笑って呼び出しボタンを押し、店員を呼んで注文を告げた。朗らかな微笑みは、人殺しになどとても見えない。

 注文を終えて、俺は先生と同じくドリンクバーからコーヒーを貰ってきた。外が暑かったから冷たい炭酸でも飲もうかと思ったのだが、先生と話すときは、どうにもホットコーヒーを飲みたくなる。

 席に戻って砂糖を溶かしていると、早速、先生は本題に入った。


「それで。今日の相談はなにかな。あっ、待って。当てる!」


 質問しておいて答えを止めて、先生は俺の目を覗き込んできた。


「生島キルの関係。当たり?」


「……当たりです」


 俺はティースプーンでコーヒーを混ぜて、ひと口、味を見た。


「先生はキルと同じ暗殺者であり、暗殺者がどんな行動をとるか、予測ができる。それでいて、キルとは敵対する立ち位置にいる。だから、キルが自分では言わない、キルが不利になる事情も教えてくれる。ですよね?」


 すると先生は、ふはっと吹き出した。


「あはは! 一度殺意を見せたはずの相手から頼られたのは初めてだな。まあ、殺意を見せた相手は間違いなく殺してるからなんだけどさ」


「怖いこと言うのやめてください」


「君も大変だねえ、こんな人しか頼れないなんてさ。でもたしかに、キルちゃんを困らせたいのなら、俺は相談相手として適任だよね」


 古賀先生は、親父以上に頼りたくない存在だ。けれど、こんなに頼りになる人は他にいない。


「先生の目的は、日原さん暗殺を止めることなんですよね。今キルは、日原さん暗殺の仕事は停止中です。殺せそうな機会を窺ってはいるけれど、急いではいない。代わりに、別の仕事を優先しています」


 俺は訥々と、今の状況を話した。


「外国の王女と、王女殺害の指示を受けてる暗殺者が、来日してるんです。それが双子で……」


 先生は俺の命を狙う暗殺者だ。だから本来は敵である。全く怖くないわけではない。だが、彼が今すぐ俺を殺そうとするわけではないのも分かっている。先生も多分、俺の複雑な感情を分かっていて、こうして話を聞いてくれている。

 先生は俺が話し終えるまで、コーヒーを飲みながら黙って聞いていた。

 シエルとアンフェールの存在、それをフォローしようとするキルの動向について、ひととおり説明した。先生がふう、とコーヒーの水面に息を吹きかける。


「そっか、そんなことになってたんだ。随分グローバルな規模で戦ってるね。暗殺者をペットにすると、気苦労が絶えないねえ」


 先生のカップが、受け皿へ置かれた。


「キルちゃんとシエルくんが行動を起こす前に、王女をお守りするSPが出てくればいいんだけどねえ。咲夜くんや美月ちゃんが隠してるより、格段に防御が固くなる」


「そうですね。SPの人、今頃どこかでアンフェールを捜してるはずなんだけどな」


 俺は眉間を摘んで、項垂れた。SPが現れるまでは、俺と日原さんでできることをしなくてはならない。


「んで、キルが麻酔銃でアンフェールを眠らせて、的を固定してからシエルがとどめを刺す計画だったみたいなんです。だけどなぜかキルが『不可能になった』って言ってる。なんでだめになったんでしょうか。先生なら分かりますか?」


 フクロウ所属の先生なら、その辺りの事情に詳しそうだ。先生が唸る。


「うーん……状況を見ていたわけじゃないから、言い切れないけど。その麻酔銃のライフルは、キルちゃんの私物?」


「いえ、レンタルです」


 キル本人がそう言っていた。

 以前、キルが日原さんを殺すために武器を大量に発注したことがあった。経費で落ちると話していたから、あれは購入したものなのだろう。だが今回のライフルに関しては、買ったのではなくフクロウからのレンタルだ。

 先生がふむと自身の顎に指を添える。


「レンタルなら、返却日が来ちゃったんじゃない?」


「すぐにまた同じものを借りればいいんじゃないんですか?」


「次に借りたい人が待機してるからね。連続して借り続けるのは難しいかな。麻酔銃の類なんかは、人気な武器だから特にそうだ」


「人気な武器とかあるんだ」


 フクロウという機関については、未だに謎が多い。先生は親切に付け足した。


「返却日を過ぎても返してないと、ペナルティとしてレンタルサービスを一定期間利用できなくなる」


「そうなんですか?」


「たった一度でも返却日を守らなければそうなるよ。待ってる他の暗殺者の中には、急ぎの仕事を抱えてる人だっているからね。ルールを守れない奴がいると、全体に迷惑がかかるわけ。キルちゃんも延長できなくて、借りたライフルは返すしかなかったのかもね」


 そうか。 キルの麻酔銃作戦が実行できなくなったのは、そんな事情だったのか。


「作戦どおり上手く行けば、武器を買うより安上がりですもんね。でもシエルが思った以上にノロマだったから、レンタル期間内にケリがつかなかったと……」


「そんな気がするね。だけど気になるのは、シエルくんが現れたのが四日前だという事実」


 先生がテーブルに肘をつき、両手の指を組んだ。


「レンタル期間は、一律一週間なんだよ。シエルくんが来る前から借りていたのならともかく、シエルくんのために借りたんだとしたら、まだ返却日まで余裕がある」


「そうなんですか?」


 俺があのライフルを見たのは、三日前の図書館が初めてだ。多分、シエルのためにレンタルしたばかりだと思う。しかし先生の言うように返却の期限がきてしまったというのなら、シエルが来るより前から隠し持っていたということか。でも今まで見たことがない。なんだかちょっと、もやっとする。先生も腑に落ちない様子だ。

 ウェイトレスがバニラアイスをふたつ、盆に載せて運んできた。


「失礼します。バニラアイスお持ちしました」


「ありがとう」


 先生は考え込む真顔から一転、ふわっと優しく、ウェイトレスに微笑みかけた。穏やかな表情は、やはり暗殺者には見えない。

 ウェイトレスは、アイスをテーブルに置いて立ち去った。俺と先生はそれぞれ、バニラアイスの淡い黄色の側面にスプーンを入れる。口に運ぶと、まったりした濃いめの風味が舌の上でとろけた。

 先生がのほほんとした笑顔でアイスを頬張っている。俺はその、脱力感溢れる相手に、真剣な声色で聞いた。


「理由ははっきりしませんが、なんにしろキルはこの作戦を取りやめにしたようです。次にキルが取る行動はなんだと思いますか?」


「そうだなあ……」


 先生はスプーンを咥えたまま、宙を仰いだ。キルとシエルは、ここで行き詰まっている。次の作戦を練っている最中だ。

 俺は先生にこの質問をして、キルの行動を先回りしようと思っている。先生はしばらくスプーンを咥えて考えていたが、やがて再び、スプーンでアイスを削りはじめた。


「シエルくんが提案してるとおり、双子であることを利用する作戦に出るんじゃないかな」


 彼はファミレスのざわめきの中、淡々と話した。


「慎重に遠くから狙わなくても、シエルくんならアンフェールちゃんに接近できる。アンフェールちゃんは、警戒はするかもしれないけど、それ以上にシエルくんと話したいだろう。ギリギリまで反撃はしないんじゃない?」


 先生に言われ、俺は目を伏せた。コーヒーの水面が、天井の照明を反射させている。


「そうですね……アンフェールはそういう子です。シエルにナイフを投げられたというのに、それでも『会いたい』って言うんです」


 あの子は、まだシエルに希望を持っている。シエルになら、たとえ首筋にアイスピックを突きつけられたとしても、無抵抗を貫くような気がする。


「ただ、アンフェールは武器を持たない代わり護身術を体得してるらしいんです。いくら相手がシエルでも、死ぬかもと思えばアンフェールだって防衛する。キルは、シエルが取り押さえられて任務失敗になるのを恐れているようです」


「ふうん……。そんじゃ、アンフェールちゃんに対抗するなんらかのスキルを習得するんじゃないか。例えば、絞め技だったらそれを抜け出す方法を模索するとか」


 先生はコーヒーカップを口元で傾け、小さく息をついた。


「まず大前提として、攻撃をさせる隙を作らないのがいちばんだ。それでも攻撃を受けてしまった場合は、対処法を知っておけば持ち直せる」


「それじゃ、次にキルとシエルが行うのは肉弾戦対策ですね」


「少なくとも俺だったらそうするかな」


 先生のおかげで、少しだけ先が見えた。これを踏まえて今俺にできることを、考えておこう。


「他に質問はある?」


 先生がバニラアイスの最後のひと口を口に運ぶ。俺もアイスをスプーンに集め、舌に載せた。


「あります。どうしたらいいのか、悩んでること」


「うんうん。話してごらん」


 優しく導いてくれる話し方には、無意識に安心感を誘われる。俺は数秒口を噤み、コーヒーを飲んだ。


「任務に失敗したら、シエルが処分されてしまう……らしいです」


 相手が暗殺者だと分かっているのに、スクールカウンセラーに相談する思いで、胸の内を話してしまう。


「シエルはフクロウの暗殺者じゃなくて、スイリベールのマフィアに雇われてる暗殺者です。王女殺害はシエルの運命を分ける起死回生の仕事で、失敗は許されない」


「なるほどね。成功しても失敗しても、双子のどっちかが死ぬわけだ」


 先生はあっさりとまとめた。俺はぐずぐずとコーヒーカップに口をつける。


「アンフェールが殺されるのは絶対だめだなと思っているんで、今のところシエルの邪魔をしてるんですが……行き着く先ではシエルが殺されると思うと、どうしていいのか分かんないんです」


 シエルは暗殺者だけれど、俺はどうも、彼を本気で憎めない。王家に生まれたものの、くだらないしきたりで王宮を追い出され、不遇の扱いを受けてきた。それだけでも不憫なのに、今度は血を分けた双子の姉を自らの手で殺せと指示されている。

 そんな経緯があるからなのか、親父はシエルをかわいがっている。キルも、喧嘩はするがなんやかんやでしっかり世話を焼いている。

 家で預かっているシエルは、年齢相応のあどけない少年だ。彼が任務に失敗して殺されてしまったらと思うと、運命を恨まずにはいられない。


「任務は失敗でも、シエルが処分されずに済む方法はないんでしょうか?」


 俺は目の前の先生に、縋りつくような思いで問うた。この人なら全員を救えるヒントをくれるのではないかと、心のどこかで期待してしまう。

 彼がにこっと目を細める。


「相変わらず生温いね、朝見くん。人を殺せない暗殺者が処分されるのは当然じゃないか」


 優しい微笑みからは想像できない、ストレートな言葉で彼は切り捨てた。救いを求めていた俺は、受け止めきれなくて思考が停止した。


「えっ……先生……?」


「使えない暗殺者がひとり殺処分されるだけでしょ、誰が困るの? フォローするという任務に失敗した右崎とキルちゃんにはダメージがあるだろうが、俺の知ったことじゃない。むしろぜひブランドを落としてほしいね」


 そうだった。この人は暗殺者だ。俺の親父、右崎とキルを敵視している暗殺者だ。冷徹で無慈悲な人殺しなのだった。


「シエルくんも、君にとってはペットみたいなものなのかな? それなら尚更、飼い犬が他所様に噛みつかないように躾をしておいてよ」


 先生はコーヒーを飲み干して、屈託のない笑顔を咲かせた。


「ぜひとも、生島キルの邪魔をして貶めてやってくれ。頼んだよ、朝見くん」


 先生の邪気のない笑顔から邪気まみれの台詞が出てくる。俺はしばらく、呆然と固まっていた。


 *


 先生と別れて、俺はスーパーで買い物をしてから帰宅した。キルとシエルはリビングで一緒にテレビを観ていた。会議に結論が出たのか、なにも思いつかなくて一旦保留してテレビでリフレッシュしているのか、その辺りは分からない。

 俺は買ってきた魚を冷蔵庫へ移動させて、自室に数学の問題集を取りに行った。先生に電話する前に、課題をやろうと考えていたのを思い出したのだ。

 問題集とペンケースを持ってリビングに戻る。キルとシエルが妙な行動を起こさないか気になるので、目が届く場所で問題集を解こうと思う。

 俺はふたりがいる傍にあるローテーブルに、問題集とペンケースを置いた。問題集を開き、目に飛び込んできた数式を見て、早速嫌気が差してきた。

 そこへ、キルが声をかけてくる。


「なあサク。ちょっと、シエルをぎゅっとしてくれないか?」


「やだ」


 理由も聞かずに、間髪入れずに即答した。キルが言い直す。


「今のは語弊があった。あのね、シエルに絞め技をかけてほしいんだ」


 言い直されても、意味が分からない。困惑する俺に、シエルがニヤリと笑う。


「アンフェールにノックアウトさせられたら、僕の仕事は失敗となる。ならばノックアウトされなければいい」


「アンフェールの攻撃から逃れるすべを身につければいいんだよ。ということで、サク。シエルをいっちょ絞めてくれ」


 キルが改めて頼んできた。先生が言っていたとおりの展開だ。

 意図は理解したが、俺は尚、拒んだ。


「手伝いたくない。キルが絞めればいいだろ」


「だめ。サクが言ってたとおり、私じゃ筋力が足りない」


「アンフェールもそんなもんだろ」


 俺はぶんぶんと首を横に振った。


「なんにしろやだ。暗殺者って体じゅうに武器を隠してるから、触るとなにかしら刺さりそうで怖い」


「だってよ、シエル。サクはあんたが丸腰なら絞めてくれるようだ」


 キルは俺の返事を逆手に取って捉え、シエルも素直に外套を脱いだ。


「仕方ないな。主の所望であれば僕はこの刃のヴェールを脱ごう」


 外套を脱ぎ捨てたシエルは、白いシャツにハーフパンツの軽装になった。腕に巻かれた無意味な包帯が、結び目の先をひらひらと踊らせている。ポケットや服の内側に隠してあったらしき小さなナイフも全て床に捨て、シエルは俺に歩み寄ってきた。


「アンフェールに絞められたと想定した訓練だ。咲夜さん、本気で頼むよ」


 無防備な姿で近寄ってくる彼を見て、俺は手に持っていたペンをテーブルに置いた。


「マジでいいんだな」


 正直言って、絞めてやりたい衝動には何度も駆られている。それをシエルの方から頼んでくるのだから、これまでの鬱憤をここで晴らさせてもらおうではないか。

 問題集に気が向かない俺は、結局一問も解かずに閉じた。そしてまだ油断していたシエルの腕を掴んで引き寄せ、彼の首に右腕を回す。左手でシエルの後頭部を押し、ギリギリと首を絞める。


「んぐうっ! 苦し、苦しい!」


 シエルがもがく。俺はここぞとばかりに、溜まっていた鬱憤をぶちまけた。


「王女暗殺? ふざけんな! ご挨拶に窓割ってんじゃねえ! ポンコツ! 中二病!」


「痛たたた! タンマタンマ! 一旦緩めて!」


「危ないもん家の中に持ち込むな! 暗器の類、全部捨てろ」


 腕を寄せて締めると、シエルの髪が頬にぎゅっと触れる。シエルは俺の腕をパチパチ叩いて抵抗した。


「ぐうっ、ごめんなさい! 許してえ」


「お前に会いたがってるアンフェールの気持ちを悪用すんな!」


「ごめんなさい!」


「飯はもう少しおいしそうに食べて!」


「ごめ……なさい……!」


 シエルの声が掠れはじめた。ひととおり説教を終えた俺は、絞めていた腕を緩める。シエルはその場で崩れ落ち、膝をついてぜいぜいと息を整えた。

 その無様な姿を、俺は腕を組んで見下ろしていた。


「分かったか?」


「はひ……」


 シエルは普段見せている高慢な態度を引っ込めて、弱々しく頷く。床に座って眺めていたキルが、可笑しそうにニタニタしている。


「抜け出すのは難しそうだな。とはいえ抜ける方法はなにかあるはずだ。いろいろ試してみるか」


 彼女は余裕げに胡座をかいて、シエルを観察していた。


「にしてもサク、あんた途中から嗜虐心芽生えてなかったか? 気持ちは分からんでもないけどな」


 そんな悠長な態度のキルを、俺は横目で睨んだ。


「キル。次はお前だ」


「へっ?」


 キルの目から余裕が消える。


「いや、私はアンフェールと直接殴り合うつもりはないから。私には必要ない」


「違う。キルにこそ必要だ」


 俺は崩れたシエルを放置し、キルに歩み寄った。


「シエルは来て間もないから、対して恨みも募ってないけどな……キル、あんたにはお仕置きが必要だと、常々思っていた」


「目的がすり変わっている……!?」


 キルは目を見開き、素早く立ち上がった。


「私は嫌だぞ。誰が好き好んで絞め技くらうものか」


 逃げ出そうとするキルに手を伸ばし、俺は彼女の白い外套の裾を掴む。キルは縄抜けの如く外套を脱ぎ捨て、黒のキャミソールにデニムのショートパンツ姿に変わった。俺は脱皮された外套を背後に放り、逃げるキルを追う。


「大人しくしろ。お前は調子に乗りすぎた。どっちが主人かちゃんと教えてやらないとならん」


「違うから! これはアンフェール対策として頼んだのであって、そういう目的じゃない! だから私が技を受ける必要は……!」


「うるせえ! こっちは元から暗殺者に協力する気はねえんだよ!」


 キルとシエルに手を貸すつもりはない。かといって、先生が勧めてきたとおりにシエルを見殺しにするのは嫌だ。

 だが、「飼い犬が他所様に噛みつかないように躾をしておいて」という先生の言葉には大賛成だ。こいつらには少々、反省してもらいたい。

 キルは身軽に飛び回り、ソファに飛び乗ったかと思うと後ろの棚に移り、壁を蹴って宙を飛び越え、テレビ台に着地する。この野生の猿みたいな動きも、もはや見慣れたものだ。俺はキルの行先を予測して先回りし、ソファからクッションを取って投げ、キルの行く手を阻んだ。

 クッションがテレビに直撃すると、キルはテレビ台から転げ落ちそうになった。しかしすぐに姿勢を立て直し、宙返りしてカーテンにしがみつく。キルの体重で傾いたカーテンは、シャーッと滑ってキルを運んでいく。カーテンレールの辺りがギチッと嫌な音を立てた瞬間、キルはカーテンから手を離し、壁際のチェストに飛び移る。

 すばしこいキルに、俺は舌打ちをした。


「ずるいんじゃないのか。シエルのことは『絞めろ』と言っておいて、自分だけ逃げるとは」


「アンフェール対策だからだよ! 私が絞められる理由はない」


 キルはチェストの上でこちらを振り向いた。駆け回ったせいなのかなんなのか、顔が赤くなっている。

 彼女は仁王立ちし、びしっと俺を指さした。


「逆に問うぞ、お前、美月にも同じことができるか!?」


「日原さんを絞めるって!? するわけないだろ」


 わけの分からない仮定を挙げられ、俺は変に大声を出した。キルも負けじとでかい声を出す。


「それなら、なぜ私にはする!?」


「お前が日原さんじゃないからだよ! 日頃の行いが全く違うだろ」


「そういうことが言いたいんじゃ……ああもう!」


 なにやら言い淀むキルへ、俺は容赦なく突進した。チェストに乗ったキルの足首を掴み、強引に引きずり下ろす。流石のキルも悲鳴を上げた。


「ふぎゃっ」


「捕まえた!」


 姿勢を崩したキルを両腕で抱きとめて、そのまま首をロックする。キルの首に腕を回すと、彼女の頭が俺の頬に触れて、自分と同じシャンプーの匂いがした。

 キルの動きを封じ、勝利を確信した、そのときだった。


「さっ……サク。もっと優しく抱いて……!」


 キルが俺の腕の中で、貧弱な声を出した。思わず怯む。キルはぷるぷる震えて、僅かにこちらに顔を向けた。


「顔が近い……。こんなに密着したら、私……」


 涙ぐんだ瞳に、赤らんだ頬。


「こんなこと、美月にはしないんだよね?」


 なんだ、その顔。

 キルがそんな顔をするのは初めて見た。びっくりして、否、それ以外にもいろいろな感情が一気に脳内を駆け巡ったのだが、結局は驚嘆が最強で、俺は腕の力を抜いてしまった。

 解放されたキルが床に着地する。こちらを振り向いた顔は、蛇のようにニヤリと笑っていた。


「バーカ! ラルの真似だよ!」


 数秒前までの脆そうな表情は面影もない。そこにいるのは、いつもの小癪なチビだ。怒りのボルテージがカーッと上がる。


「てめえ……!」


 捕まえてやろうと腕を伸ばすも、キルは余裕で躱す。


「ふわははは! サクもいい顔してたぜ」


 まさかキルに色仕掛けで気圧される日が来るとは思わなかった。一瞬でもぞくっとしてしまった自分が悔しい。

 キルは俺を煽るだけ煽って、再びリビングの床を飛び跳ねて俺から逃げていく。

 そのときのキルの目を見て、俺は瞬時に、キルの目標に気づいた。こいつが向かっているのは、脱ぎ捨てられた外套だ。これを回収して武器を手にするつもりに違いない。

 キルが外套を着てしまったら、今のように逃げ惑うだけでなく、ナイフなどの暗器で抵抗してくるようになる。それは避けたい俺は、キルより先に床に滑り込んでキルの外套を回収した。目標を見失ったキルが、金髪の隙間から俺を睨む。


「鋭いじゃねえか」


 俺はそれには返事をせず、外套を腕に引っ掛けてキルのいるチェストへ駆け寄った。キルはすぐに反応し、チェストを飛び降りてソファの背もたれを経由し、反対側の壁際へ逃げていく。そのついでにキルは、ソファの上のクッションを引っ掴み、こちらにぶん投げてきた。その動きを読んだ俺は、咄嗟にローテーブルの上の問題集を取ってクッションを弾き返す。そしてその問題集をくるくる巻いて筒型にし、キルに向かって振りかぶる。

 キルがぎょっと目を剥き、素早く身を屈めた。ソファの裏に転がり込んで俺の攻撃を躱し、床に手をついて立ち上がると、吹っ飛んでいたクッションをもう一度手にして自身の顔の前に掲げた。俺の振りかざした問題集が、クッションにボスッとヒットする。


「っぶな……」


 クッションの影から覗くキルの顔は、案外本気で焦燥していた。


「サクは一般人のくせに、随分センスがいいよな」


「暗殺者としてのセンス、褒められても嬉しくない」


 俺は問題集を放り捨て、代わりにキルの手首を握った。キルがびくっとする。


「あっ、待っ……サク」


 今度こそキルの首を固定し、ついでに脚でキルの胴体も固定して、思い切り絞めあげた。


「俺の勝利だあああ!」


「あううう!」


 それはそれは凄まじい爽快感だった。

 クラスメイトの命を狙われることに始まり、盗聴器を仕掛けられたり家の中で暴れられたりといつも多大な迷惑をかけられていたキルを、今こうして服従させている。

 キルがキーキー悲鳴を上げてじたばたともがくほど、俺は強く腕と脚を絡めて彼女の動きを封じた。


 俺は善良な市民である。暴力で相手を屈服させるなどあってはならない。そう思っているのに、この腕を離す気にはなれなかった。これはペットの暗殺者への躾だ……と、頭の中で繰り返す。

 キルが俺の腕を必死に叩いて、泣き言を叫ぶ。


「よく考えたら、サクは霧雨サニの息子だった! DNAがチートなんだった! センスがよくて当たり前だったー!」


「泣け泣けー! そして行いと心を改めろ!」


 アンフェールのためにシエルを見殺しにすることはできない。これについては、まだ俺の中で結論は出ていなかった。だけれど、先生が言っていたように躾が必要なのだけは本当だ。

 キルとシエルを俺の監視下にしっかり置いて、まずはアンフェールを最優先に守る。任務は失敗に終わらせ、シエルが受ける処分を回避する方法を考えればいい。今俺がすべきことは、キルとシエルを徹底的に邪魔することだ。

 先生自体はやはり好きではないが、彼のお陰で、俺の中でひとつの区切りがついた。

 と、そうしてキルを絞めあげて遊んでいたところへ。


「ええと。お取り込み中、申し訳ない」


 やけにしらけたテンションの、聞き慣れた声がした。俺は腕を緩め、キルと同時に声の方を向く。

 そこにはぬっと背の高い短髪の幼馴染みが立っていた。


「陸……お前、いつからそこに」


「さっき。普通にインターホン鳴らして、この男の子に出迎えてもらって入ってきたんだけど?」


 陸が指さすのは、彼の背中に隠れて立つシエルだった。

 俺もキルも、追いかけっこに夢中でインターホンの音が聞こえていなかった。ついでにシエルがリビングから消えていたのも、陸をお出迎えしていたのにも全く気づかなかった。

 キルを腕に抱いたままぽかんとしていると、陸はあははっと軽やかに笑った。


「楽しそう。お前ら、本当に仲良しだよなあ」


「仲良……し? だろうか?」


「少なくとも俺にはそう見える」


 陸がこたえたところで、キルがいきなり我に返った。俺をどついて拘束から抜け出す。抜けたついでに問題集を拾い、俺の頭を引っぱたいて、ドスドス歩いて不機嫌面でソファに座った。俺は腕に残ったキルの体温が冷めていくのを感じつつ、ぽかんと陸を見上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る