4.猛毒のサキュバスが加勢した。

 翌日の朝。俺は親父に電話をかけた。


「結構頻繁にかけてくるねえ。寂しがり屋さんかな?」


 親父は相も変わらずこの調子で、俺の精神を削ってくる。


「ばあちゃんはもう着いた? いるなら代わって」


「総裁もまひるもまだ着いてない! パパも寂しがり屋さんだから早く来ないかなって待ってるとこだよん!」


「まだなのか……聞きたいことあったんだけどな」


「パパが教えてあげちゃうぞ」


 親父の声が、機嫌よく弾んでいる。


「咲夜のことだから、聞きたいのはスイリベールの王女様についてだろ?」


 ……こんなハイテンションな喋り方のくせに、この男はどこか抜け目がない。だから余計に、気味が悪いのだ。

 俺はちらりと、布団の上で寝息を立てるシエルに目をやった。壁に顔を向けて、手足を胸にひきつけて丸くなって寝ている。着ているのは、俺のTシャツと中学時代のハーフパンツだ。


 ひと晩、シエルは俺のベッドで寝かせ、俺は床に布団を敷いて寝た。シエルはなにかと堂々としているが、風呂の使い方が分からなかったり着替えを持っていなかったりして結構手が掛かる。俺は彼になにかと尽くしてしまった。キルが来たばかりのときもそうだったが、たとえ暗殺者でも、ここに現れた以上しっかり世話を焼きたくなる。

 シエルに風呂を教える際、彼が羽織っていた外套を丸洗いしようとしたのだが、これ以上ないほど威嚇されて触らせてももらえなかった。内側に武器を隠している外套だから、俺に奪われて隠されたりでもしたら困るのだろう。眠っている今も、丸めた外套を抱き枕にしている。内側に折り込まれた武器がゴツゴツしそうだが、シエルは怪我をすることもなくすやすや眠っている。


 シエルを横目に、電話の向こうの親父の晴れやかな声を聞く。親父のご明察どおり、俺が確認したいのは今回の案件についてだ。

 なぜシエルをこんな辺鄙な町に送ったのか。なぜ王女アンフェールがこの町に現れたのか。アンフェールがここにいたのは、本人は事故だと話していたが、いくらなんでも都合がよすぎないか。

 でも親父と会話をすると五分で一日分疲れるので、できることならばあちゃんから聞きたかった。しかしまだ到着していないのなら仕方ない。


「親父は、王女アンフェールが今どこにいるのか、把握してる?」


 あくまで試すように、日本にいるとは言わずに尋ねる。すると親父は、俺の慎重な出方を呆気なく一蹴した。


「その町にいるんでしょ。そろそろ会う頃だと思ってたぞっ!」


 ふはははと、親父の高らかな笑い声が電話口から洩れ出る。


「なぜならば! アンフェールたんがそっちへ流れ着くように操作したのは! なにを隠そう、このパパだからだー!」


「は!? なにそれ、どういうことだよ!」


「シエルがアンフェールの乗った飛行機を落とそうとしたのは知ってるよね? でもどうせ失敗するのは目に見えていたし、不時着した島についてはすぐにニュースになった。お陰でこっちも、動きやすかったにゃー」


 驚く俺の反応を、親父は面白がっている。


「不時着した島に、うちの組織が抱き込んでる『フクロウ便』の貨物船を送って、SPと引き離してから、アンフェールを回収させてもらった。んで、指定の港に降ろしてもらったわけさ」


 俺は絶句し、スマホを手から落としそうになった。

 フクロウ便は、暗殺者集団フクロウが利用している運送業者のことだ。通称名であり、本当の社名ではないらしい。世界各地に分散するフクロウの暗殺者たちが必要とするものを、届けに来る者たちだ。キルもよく利用しており、我が家に暗殺用の武器が大量に届いたことがある。

 島にいたアンフェールを乗せた船は、そのフクロウ便の貨物船だったのだ。アンフェールがこの町へやってきたのは、偶然ではない。親父が貨物船で運ばせたのだ。


「じゃ……アンフェールが専属SPとはぐれたのは、親父が仕向けたことだったのか……?」


「だよ。だって王女の専属SPは、日本の忍者を真似て発達したスイリベール独自の体術『シノビ』を体得しているんだよ。あれは日本の暗殺者に匹敵する戦闘技術だから、それがついてる限りは狙うに狙えないから」


 俺は言葉を失った。こいつら暗殺者サイドの最低な都合のために、アンフェールはひとりぼっちにされた。知らない国で孤立させられ、あんなに困っている。なんて酷いことをするのだろう。

 無言になった俺に、親父が勝手に続ける。


「アンフェールとシエルは生き別れの双子だ。アンフェールの方は、シエルに会いたくてたまらないときた。そこで、スイリベールの王位継承権を持つ者……すなわち本件の依頼者は、アンフェールに近づきやすいシエルを雇い、アンフェール殺しに向かわせた」


 俺は黙って聞いていた。双子だと分かってる上で、シエルに姉を殺すように指示した、依頼者がいる。その時点で残酷な話だ。しかし、親父にとってはそこは問題ではないらしい。


「だけどシエルはヘッポコだから、傍でフォローする人が必要じゃんね。そこで俺は、業務停止中でお金がないキルに、殺人をこなさなくてもいいお仕事として、シエルの補助を任せたの。実は昨日の夜にも、俺はキルからアンフェール殺害に失敗したって連絡受けてるよん」


 つまり、シエルは朝見家での安定した暮らしとキルの援護を受けられ、キルはホー・カードなしで行えるリスクの少ない仕事を貰える。親父はキルから、シエルの様子を報告してもらえる。各人の利害が一致しているというわけだ。


「シエルとキルにバディを組ませたから、アンフェールはふたりがいる町に送った! 不時着の島から回収した船の中で殺しちゃうのが、いちばん効率よかったんだけどねえ。遺体をその場で海に投げ捨てられるし。でも、フクロウ便の配達員は暗殺者じゃなくてあくまで配達員だからね! 船に同乗させる暗殺者もすぐには用意できず、できたとしても王女にSPがついてると狙いにくい。だからこんな回りくどい形になっちゃったさ」


 アンフェールがこの町に現れたのは、親父が根回ししていたからだった。フクロウ側の都合だったのだ。

 俺は頭を抱え、しばらく沈黙した。最低な仕事内容に「ふざけんな」と怒鳴りたいところだが、怒鳴ったところで親父は反省しない。怒る気力がもったいない。感情を静めて、俺は尋ねた。


「でも、シエルはフクロウに所属してるわけじゃないんだよな? そんな無関係の暗殺者のフォローまで、親父の仕事なのかよ」


 親父はフクロウの暗殺者に仕事を回す、エージェントである。シエルは関係ないはずだ。

 親父が複雑そうに唸る。


「まあねー、管轄外だね。だけどパパ、暗殺講習の先生でもあるからさ。こないだも言ったとおり、シエルはかつての教え子みたいなものだから」


 そうだった。親父はエージェントをしながら、他国の暗殺者に暗殺を教義している。だから度々、海外へ出向くのだ。


「それに今回は、スイリベール王朝の時期女王候補から直々に頼まれてるんだよね。今後の国際交流を考えても、シエルのフォローの仕事は、承って損はない」


 それから親父は、あはっと屈託のない笑い方をした。


「なにより、報酬が弾むんだなー! パパがお金を稼げば、結果として朝見家が潤う。咲夜にとっても、メリットのある話でしょっ!」


 これを聞くと、頭が痛くなる。朝見家の家計は、人殺しで稼いだ資金だ。俺が今日もこうして暮らしていけるのも、親父が誰かの人殺しを手助けしたからであって。

 考えれば考えるほど、罪悪感に潰されそうになる。


「俺、バイト始めて自分でお金稼ぎしようかな……」


 せめてもの反発のつもりだったが、親父には効かなかった。


「おお、いいんじゃない!? 咲夜にとっても社会人の練習になるし、咲夜がバイトしてる間はキルが動き放題だし、バイトでヘトヘトになってくれればキルの邪魔をされてもキルが上回るし、いいことずくめじゃにゃいか!」


 俺はすぐに考えを改めた。キルを放っておけば、もしまた日原さん殺害の指示が出たときにキルを止められなくなる。

 そもそも俺がバイトをしたくらいで、家計をきれいなお金に塗り替えられるわけではない。人殺しの仕事は大金を掴んでくる。すごく嫌だけれど、暗殺業の親父やばあちゃんに支えられるしかないのだ。

 親父は話を戻した。


「んじゃ、そんなこんなでシエルをキルに任せるし、ふたりのことは咲夜に任せる! よろぴくちゃん!」


「絶対やだ!」


 俺が最後に全力の反発を見せるも、電話は親父の笑い声とともに切られた。

 一気に精神攻撃を受けた俺は、ばたっと布団に倒れ込んだ。スマホが枕の横に落ちる。最悪だ。王女暗殺などというとんでもプロジェクト、なんで俺が巻き添えを食らわなくてはならないのだ。


 しかし、と、俺は寝返りを打った。俺がこの事実を把握できたのは、不幸中の幸いだったのではないか。俺はシエルを監視できる立場にある。シエルをここに固定して、彼に悟られないうちにアンフェールをどこか遠くへ逃がせないだろうか。

 アンフェールが日原さんに保護されたのは、親父はおろかキルとシエルにもばれていない。もっといえば、日原さんがアンフェールを隠し通している間に、アンフェールの専属SPが現れてくれれば更に好都合だ。このSPは親父も恐れてわざと引き離すほどの存在だ。それが見つかれば、アンフェールを警護できる人をつけた上で、この町から逃がせる。

 シエルや親父らが、アンフェールの行方を見失ってくれれば、かなり邪魔できる。


 そうと決まれば、アンフェールと作戦会議をしなくては。昨日は信じてもらえなかったけれど、日原さんも交えて相談しよう。

 俺はバサッと、布団から起き上がった。早速日原さんに連絡しようとして、一旦手を止める。電話をかける前に、スマホの電池パックを開けた。

 以前ここに、キルに盗聴器を仕掛けられたことがある。フクロウが使用する盗聴器には、小指の爪ほどの小ささでしかも薄っぺらい、チップのようなタイプのものが存在する。それを密かにねじ込まれてきたのだ。

 日原さんに電話をしているのがキルに洩れたら、アンフェールの居場所を特定されてしまう。


 電池パックの中には、盗聴器はなかった。とはいえ、ここになくても、部屋のどこかにはあるかもしれない。電話はキルの生活圏外からかけた方が安全だ。むしろ声を出さないよう、メッセージアプリのショートメールのみでやりとりするべきか。

 アプリを起動した瞬間、背後のベッドの上でシエルが呻いた。


「んー……」


 そうだった、ここにはシエルがいる。寝ているようだけれど、いつ起きるか分からない。こいつにショートメールの内容を読まれたら厄介だ。

 自分の部屋にいながらこんなに警戒しなくてはならないことには腹が立つが、暗殺者を飼う者の使命である。結局俺は大事をとって、外で電話をかける判断を下した。のっそり立ち上がって、出かける支度をはじめる。

 寝巻きのスウェットを脱ぎ捨てて、クローゼットからTシャツを取り出した、そのときだ。


「サクー、朝ごはんにしようぜ!」


 バンッとドアが開け放たれ、キルが顔を覗かせた。着替え中の俺はギェッと変な声を上げて振り向く。


「せめてノックしよう!? 俺は多感な高校生なんだよ!」


「なにを今更。にしても、サクが朝ごはんより先にお着替え優先とは珍しいな。いつもスウェットにエプロンで朝ごはん作ってるのに」


 これもキルが暗殺者である故だろうか。彼女はこういう、小さな違和感を見過ごさない。ぎくっとさせられた俺は、できるだけ平静を装ってTシャツに頭を潜らせた。


「たまに順序が入れ替わることくらいあるよ。それがどうした」


「なんか怪しいなと思って。なんでもないなら別に構わん。それより朝ごはん食べたい」


 キルは目敏くはあるが、即物的な性格のお陰で度々助けられる。とはいえキルが一瞬でも怪しんだのだ。外へ出て電話をかける作戦は封じられたも同然である。


「なあキル、盗聴器、隠してないだろうな?」


 ストレートに本人に聞いてみると、キルは腕を組んでむくれた。


「生憎、ひとつも残ってないよ」


 それからみるみる顔を険しくしていった。


「性能のいい盗聴器ってのは高いんだよ。今までは出世払いで送ってもらってたけど、サクが何度も破壊するから流石にもう注文できなくなった。どうしてくれるんだ」


「どうしてくれるもなにも、盗聴器仕掛ける奴がいちばん悪い」


「こっちは仕事でやってんだよ! それより朝ごはん! 寝起きの私は平常時の五倍気が短いんだ。ん? 短さ五分の一? いや長さ五倍? んん? がああ! 意味分からん!」


「本当だ、気が短い。分かった分かった。着替えてるから出てってくれる?」


 自分で言い出して混乱して怒るアホのキルを宥めて、Tシャツに腕を通す。

 俺は内心、安堵していた。ひとまず、盗聴の心配はなさそうだ。


「ふあ……もう、なに? 騒がしいな」


 今度はシエルが起きた。のんびりと欠伸をして、伸びをして、くしゃくしゃの頭を掻く。


「あー、おはよう、咲夜さん」


 その一連の仕草は、至って自然な少年らしい動きだった。暗殺者だとか信じられないほど、ゆったりしている。

 キルがぴょこぴょこと室内に入ってきた。


「ほらほらシエルも、朝ごはん、朝ごはん」


「キル先輩の頭の中、食べ物が八割だよねえ」


 俺が今まで言わずにいたことを、寝起きのシエルがあっさり言った。キルが分かりやすく不快そうな顔になる。


「暗殺者は体が資本だ。おいしいごはんがいい仕事を生む」


「僕、ミスターから『新しい住処には十七歳の女の子がいる』って聞いて、どんな見目麗しきお姉さんかなって期待しちゃったんだよ。それなのに、こんな幼き子供みたいな……」


「あん!? なんだコラ!」


 シエルの挑発に、キルがくわっと牙を剥く。そしてびしっと指を立て、彼女は言った。


「お望みならば呼んでやるよ。見目麗しきお姉さんをな!」


 その瞬間、俺は嫌な予感でひゅっと血の気が引いた。


 *


 その女が現れたのは、俺が朝食の目玉焼きを焼いている最中だった。


「んもう……朝から呼び出すなんて乱暴ね」


 玄関でキルに迎え入れられた彼女は、清々しい朝に似合わない「夜の匂い」をぷんぷん漂わせている。胸元の大きく開いたシャツに、膝上十五センチほどのタイトなミニスカート。桃色がかったブロンドの髪は、無造作に肩から垂れ、豊満な胸に覆い被さっている。彼女はキッチンの俺を見つけるなり、婉然と微笑んだ。


「咲夜くん、おはよ。今日もエプロンがお似合いね」


「ラル……俺はラルほど朝の光が似合わない人を知らないよ」


 ラルの無意味な色気は、朝から豚カツでも出されたかのような重さだ。

 都ルーラル、通称ラルは、キルと同じフクロウに所属する暗殺者である。キルとは仕事で手を組むこともある上に、個人的にも親しい。

 ラルがキッチンに入ってきて、俺の邪魔をする。


「咲夜くん……おいしそうだわ」


 意味深に耳元で囁き、俺に腕に胸の谷間を押し付けてくる。俺がびくっと腕を引っ込めると、今度はラルは、俺の肩に顎を乗せてきた。


「やだ、なにを想像した? 目玉焼きのことよ?」


 吐息が耳を擽る。ぞぞっとさせられ、俺は身じろぎしてラルから離れた。


「なにも想像してねえよ。『いつものだな』って思っただけだよ」


「つまんない。もっと興奮して?」


「はいはい、どうも。ラルの分も焼いてあげるから、ちょっかい出してこないで」


 できるだけしれっとあしらうようにはしているが、本音を言うと、結構どきどきさせられる。離れても離れても、ラルは俺の腿に手を這わせてくる。


「ねえ咲夜くん。片面焼きの目玉焼きの別名、知ってる?」


「えっ……?」


 ラルは俺の耳に唇を寄せ、甘く息を吹きかけた。


「サニーサイドアップ……」


「へ、へえ」


 なにか如何わしい単語でも出てくるのかと思いきや、ただの豆知識だった。

 ラルは、この色気ムンムンな容姿を利用する暗殺者である。ターゲットを惑わす「ポイズンサキュバス」のふたつ名を欲しいままにした。

 ラルが人を誑かす目的でこんなことをするのだと知っていても、この色気は俺には刺激が強すぎて全然慣れない。ラルからは相手を惑わす毒霧が出ていると思われる。

 俺をからかうラルに、キルが声をかけた。


「ラル、今日のおもちゃはそっちじゃないぞ」


「そうだったわね。かわいい男の子が来たんだっけか?」


 散々俺に絡んでおいて、ラルの興味はあっさり新しい方に奪われた。ダイニングの椅子に座るシエルを、キルが手で示す。


「じゃーん! こちらスイリベールからお越しの、シエルだ! サクの新しいペットで、私の後輩だぜ」


「やん。かわいい」


 ラルの嬌声が聞こえる。俺は焼けた目玉焼きを皿に移し、ダイニングテーブルを眺めた。見れば、白シャツに外套姿に着替えたシエルが、椅子の上で石のように固まっている。そういえば、シエルは生意気だし中二病だが、純情な思春期の少年である。ラルの色気に充てられて緊張しているのだ。

 キルは包み隠さず情報を漏洩した。


「こいつはスイリベールの王女の双子なんだぜ」


「そうなの!? エージェントの息子である咲夜くんより、更に利用のしがいがありそうね」


 ラルが俺もシエルも聞いている場で堂々と言う。ラルは、俺の親父がエージェントミスター右崎であるとを知っている。俺に擦り寄るのも、俺を利用すれば親父からおいしい仕事を回してもらえると期待できるからだ。とはいえ、俺が親父に口利きできるとも思っていないだろうから、理由の半分以上は、単に面白がっているだけだろう。

 絶句するシエルを、キルとラルが面白そうに観察している。


「ほれ。あんたが所望していた見目麗しき妙齢のお姉さんだぞ。よかったな」


「あらあら、緊張してる? お姉さんと気持ちいいことしたらリラックスできるかも」


「ふたりとも、風紀を乱すのはやめなさい。シエルが困ってるだろ」


 俺は目玉焼きの皿を持って、ダイニングに出た。いじわるするキルとラルを押し退けて、テーブルに皿を置く。ラルがつまらなそうに舌を出した。


「相変わらずお硬いのね」


「ラルの貞操観念が緩すぎるんじゃない?」


 とりあえず、目玉焼きをひとつ多く焼いて、ラルの分まで朝食を作った。今日のメニューは、目玉焼きと焼いたウィンナー、ほうれん草のソテー、コーンスープ。それとトーストだ。外国から来たシエルに和食の朝食を食べてもらおうとも考えたのだが、まずは馴染みのありそうなパン食を振る舞う。

 食べ物が出てくると、キルが大人しく席についた。


「さあごはんだ。いただきます」


 それを見て、ラルも椅子を引く。


「私の分まで。咲夜くんたら、嫌がってるふりして優しいのね」


「ラルのことだから、また夜通し仕事してたんだろ。朝食くらいゆっくり食べていきなよ」


 ラルは暗殺者として働く傍ら、否、むしろそのためになのか、夜の店で働いているらしい。彼女を労ると、ラルは決まり悪そうに目を伏せた。


「やめなさい。そういう甘ったるいの、苦手」


 そうだった、ラルは優しくされるのと反発するのだった。

 テーブルを囲んで、俺とシエルが隣、俺の前にラル、ラルの隣にキルという並びで座る。気がついたら俺は、暗殺者三人に囲まれている状況になっていた。冷静に考えると結構異様である。

 長い髪を括るラルに、俺は話しかけた。


「最近ラル来なかったから、もうどっか遠くで仕事してるんだと思ってた。まだこの界隈にいたんだな」


 するとラルが、トーストに手をつけてこたえる。


「ここに来る用事が、これといってなかっただけよ」


「陸が寂しがってた。今は会いに行ってないんだな」


 惣菜屋の息子の陸が、振られたと嘆いていた相手。それがこのラルだ。ラルは諜報活動の一環として、陸を誑かそうと狙っていたのである。

 ラルが頬に手を当てる。


「今は時間を空ける時期なの。ほら、『押してだめなら』ってやつよ。少し会えない期間があった方が、恋はより一層熱く燃えるものよ」


「とか言ってるけど、こいつ、りっくんに方言を聞かれたの引きずってるだけだぜ。恥ずかしくて会えないんだよ」


 キルがばっさり真実を言う。途端に、ラルの甘えるような目つきは暗殺者の目に変わった。


「あらあら、キルちゃんたら。余計なお喋りをするいけない唇は塞いじゃうわよ?」


「事実だろ。そこは素直に認めなよ」


「喧しゃー! わしゃわしの間合いとっとるだけじゃが!」


 ラルがいきなり、地方民の顔を出す。

 ラルは普段は耽美な話し方をするが、時々素になると、こうして聞き取れないほどきつい地方の方言が出る。これは彼女のコンプレックスらしく、陸にそれを聞かれて以来、足が遠のいているみたいだ。陸は方言を「純朴な印象でかわいい」と好意的だったのだが、ラルは未だ、自分のお国言葉を認めていない。

 俺はスープをひと口啜り、ほっと胸を撫で下ろした。


「よかった。陸がラルに騙されたらどうしようかと思ってたんだよ。そのまま陸から離れてくれ」


 しかしラルはつんとそっぽを向く。


「嫌よ。絶対ものにするんだから。キルが認める優秀な暗殺者を、引き込まないわけにはいかないわ」


 あえてもう一度断言するが、陸は俺の幼馴染みである。小さい頃からの腐れ縁で、家族並にお互いをよく知っている。その俺がはっきり言い切る。陸はただの高校生だ。決して暗殺者ではない。

 ただ、陸は運動神経が抜群に飛び抜けているため、キルの攻撃を全て受け止め無効化してしまう。そのせいでキルとラルから暗殺者だと思われており、ふたりから仲間にしようと狙われている。ラルが彼に近づくのもそのためだ。


「陸は暗殺者じゃないってば。あれはなんの罪もない一般人だよ。もうやめてやれよ」


 ほうれん草のソテーを口に運ぶ。いい感じにバターが効いていて、おいしくできた。

 キルとラルは、のんびり優雅に食卓を楽しんでいる。暗殺者らしさは微塵も感じられない。むしろ、平穏な家庭の姉妹のようにすら見える。


 ちらりとシエルを見ると、彼は黙々と食事をしていた。他の誰より食べるのが速い。そういえばシエルは、暗殺者の食事は味わうのではなく、素早く栄養補給できてこそだと話していた。シエルはポンコツのくせに、心構えだけは一丁前にプロの暗殺者だ。

 トーストを齧っていたキルが、急に本題に入った。


「今日ラルを呼び出したのは、シエルをからかうためだけじゃない。今回の案件について、少しだけ手を貸してほしい」


 キルの手から、パン粉がパラパラと落ちる。


「事前に相談したとおり、シエルは王女の暗殺を任されている。昨日、サクの案内で王女アンフェールを発見できたんだが、私のフォローも虚しく殺害に失敗。そのまま逃走され、見失った」


「そのようね」


 ラルの瞳も、真剣な色が差している。シエルがフォークを止め、ふたりの暗殺者をじっと見つめる。キルは彼に目配せし、再びラルに告げた。


「暗殺失敗により、シエルに殺意があるとアンフェールに悟られた。今後は警戒される。折角生き別れの双子で、近づきやすさを理由に抜擢されてるのに、ばれてしまっては意味がない」


「なるほどねえ」


「そして、アンフェールがどこへ行ったのか分からなくなってしまった。向こうがシエルの殺意に気づいている以上、警戒してこの町から逃げられる可能性すらある。行方を追えなくなったらこっちの負けだ」


 キルの説明を聞いていたラルは、長い睫毛を伏せ、焼いたウィンナーを唇に当てた。


「そこで、私に王女ちゃんの居場所を特定してほしいと」


「話が早いな。そのとおりだよ」


 キルがニッと口角を吊り上げる。それを聞いて俺は、口の中で「まずい」と呟いた。

 ラルは、そのサキュバス力を利用した諜報能力に長けている。誑かして落とした相手から、機密情報を引きずり出す天才なのだ。ラルが本気でアンフェールを捜しはじめたら、すぐに辿り着いてしまうだろう。

 こうしてはいられない。ラルがアンフェールを見つける前に、アンフェールを遠く届かない場所まで逃がさなくては。

 ラルが上目遣いで俺を見つめてくる。


「昨日王女ちゃんを取り逃したのって、どうせ咲夜くんが邪魔したとかでしょ。あなたは王女ちゃんがどこへ逃げたか、知ってるんじゃないの?」


 流石はラル。鋭い。しらを切って誤魔化せるものでもないので、俺は状況を逆手に取ることにした。


「駅まで逃げて、そこからは知らない。電車に乗って遠くへ行ったのかもな」


 せめてもの時間稼ぎのつもりで、情報を撹乱させる。ラルはじっと俺を見据え、テーブルに手をついて前のめりになった。顔を近づけてくる。薄いシャツの首周りから、服の中が覗く。


「嘘つきさん。目と目を合わせれば、分かっちゃうわよ? 本当のこと、教えて」


「目が合うどころか、目のやり場に困ってます」


 お望みどおり、本当のことを言う。ラルはこれ以上俺に構っても面白くないと思ったのか、すっと椅子に戻った。


「王女ちゃんって、シエルくんと双子なんでしょ。じゃあとってもかわいくて目立つ見た目なんでしょうから、ちょっと聞き込みをすればすぐに見つかりそうね。私が出るほどの仕事でもないんじゃない?」


「もちろん私とシエルも捜すよ。けど、相手はかなり警戒してるはず。人手は多い方がいいし、尚且つ面が割れてないラルもいた方がいいと思ってな」


 キルが醤油をかけた目玉焼きにかぶりつく。そして頬をふっくら膨らめて目をきらきらさせた。


「おいし……。サクは目玉焼き焼くの、上手だな」


「それはどうも」


 悪夢のような計画会議が行われているというのに、この満足げな顔を見ると本気で憎めないから困る。

 キルがシエルとラルとを、それぞれ見比べた。


「それじゃ、ごはん食べ終わったら早速情報収集に出かけるぞ。各々三方向に分かれて町を巡り、聞き込みを中心に諜報活動を行う。この町の人たちはのほほんとしたお人好しばかりだ。人捜しをしてるとなれば、積極的に協力してくれる」


「他人の善意を悪用すんなよ」


 ぼそっと突っ込むと、キルがフォークの柄の先をこちらに向けてきた。


「サク、あんたは邪魔するな」


「するよ。普通にするよ」


 プロの暗殺者バーサス一般人の俺、三対一の、分が悪いにもほどがある戦いの火蓋が、切って落とされた。

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