2.歳頃だから仕方ない。
「はあ、そんじゃあんたは、スイリベールからターゲットを追いかけて、この国にやってきたと?」
割れた窓の向こうから、夕方の風が直に流れ込んでくる。そんな夕飯時、ハンバーグを口の前で止めて、キルは言った。キルの向かいに座る銀髪の少年は、フォークでハンバーグを切り分け、デミグラスソースをザッとつけては一気にがっついた。
「そういうこと。ここまで手配してくれたミスター右崎には感謝しかないな。ちょっと変わった人だけれどね」
透き通る銀の髪に、燃えるような赤い瞳。日焼けした小麦色の肌は、ガラスの破片で浅く小さな傷がついている。顔立ちは、女の子と見間違えるような造形だ。キルが「お嬢さん」と間違えたのも頷ける。幼さが残っており、どことなく儚くて、それでいて凛とした涼やかな印象を放つ。鞄などの手荷物は、なにひとつ持っていない。
少年は日本人ではなさそうだったが、現地人並に流暢な日本語を操った。
「ミスターはちょっと変わってるっていうか……だいぶ頭のネジ外れてるだろ。それはともかくとして、あんた、この家に寄生する気か?」
キルが尋ねると、少年はハンバーグをもぐもぐ咀嚼し、飲み込んで、改めてキルを見据えた。
「『あんた』じゃなくてシエルね。安心して、長くいるつもりはないよ」
少年、シエルは、銀色の前髪を手で避けてまじまじとキルを見つめた。
「ミスター右崎に紹介された家に、息子さんともうひとり暗殺者がいるとは聞いてたけど、まさかその暗殺者が、こんなチンチクリンとはね」
「てめえ! 私は先輩だぞ。ここに住むなら上下関係を弁えろ。先に住んでる方が偉いんだからな」
キルがくわっと牙を剥く。シエルは肩を竦めた。
「はいはい分かったよ、キル先輩。さっきも言ったとおり、長く滞在する気はないって。仕事を終えたらすぐに国に帰る。羽根を休めるホテル代わりとして、ミスター右崎からこの家を紹介されただけだよ」
「なんだその生意気な態度は。大体、鬱陶しいんだよその前髪! 左目見えてないだろ!」
目にかかっている長い前髪をキルに指摘され、シエルはむっと気色ばんだ。
「うるさいな。僕が左の目をみだりに表に出さないのには、理由があるんだ」
俺はもくもくとハンバーグを食べていた。かわいい妹と甘えられるばあちゃんを奪われた代わりに、訳の分からない暗殺者が送り込まれてきた。なんで?
あの後俺は、ぼんやりしながら割れた窓ガラスの掃除をした。その間キルとシエルはお互いに、前髪がうざったいとか犬耳のフードが変だとか、なにやら言い合いをしていた。大した内容でもなさそうなので俺はろくに聞いてもいない。ガラスの片付けが済んだら、とりあえず三人分のハンバーグを作り、夕飯の時間を迎え、今に至る。
「えーと……シエル。怪我は?」
俺はとりあえず、ありふれた質問をした。
「窓ガラス叩き破って入ってきたけど、大丈夫なのか?」
シエルがふっと目を細める。
「慣れてるから平気。怪我を最小限に留める割り方くらい分かるよ」
「それが分かるのに、どこが玄関かは分からなかったのか」
ひとまずシエルの怪我が小さくて済み、俺とキルも怪我はない。しかし俺は、シエルの左腕の包帯が気にかかっていた。
「ガラスでは怪我しなかったみたいだけど、その腕はどうしたんだ。そんな怪我でよく窓を破ってきたな」
「……気にしないで。これは僕の問題だ」
シエルは深く語ろうとはしない。
暗殺者は隠密の存在だ。余計なことは喋らない。こちらも、下手に詮索して知り過ぎると殺されかねない。俺はそれ以上、聞くのはやめた。
キルはハンバーグを食べながら、シエルを牽制する。
「言っとくけどな、サクは私の主人だ。サクが作るごはんは私のためのものであって、お前の分はついでなんだからな!」
「別になんでも構わないよ。僕はお腹さえ満たせれば、味は大して気にしない」
「はああ!? お前、ごはんに対する敬意が足りないんじゃないのか!?」
「君の食い意地が極端なだけだよ。暗殺者なら味わって食する暇なんてないはず。いかに素早く栄養補給をするかでしょ」
シエルがいかにも暗殺者らしい意見を出した。じっくり味わって「おいしい」と喜びながら食べるタイプのキルは、シエルの理屈に押されギリギリと歯を食いしばっている。
シエルは右手にフォークを握ったまま、左手でグラスを手に取った。注いであった麦茶を口に含み、ふうと息をつく。
シエルは左腕に包帯を巻いているが、折れているわけではないのか、案外自由に動かしている。今も、自然に飲み物を飲んでいた。
俺は、ふたりの温度差あるやりとりを、ぼうっと眺めていた。なんというか、暗殺者という珍しいペットを二頭飼いしている高校生って、俺以外にいるのかな。
「なあサク! こいつ食べ物に対して失礼だぞ。躾が必要だ!」
キルがお行儀悪く、テーブルに手をついてシエルを指さしている。こいつにこそ、マナーを躾した方がいいかもしれない。キルを犬と形容するならば、シエルはどちらかというと猫っぽい。なんて、どうでもいいことを思った。
俺はなにも考えたくなくて、徐ろにテレビのリモコンを手に取った。ダイニングテーブルからリモコンの信号をキャッチして、テレビに光が灯る。夕方のニュース番組が映り、キャスターが落ち着いた声色でニュースを読んでいる。
「続いてのニュースです。現地時間昨日昼頃、スイリベール空港発の旅客機が、オーストラリア近海のツキトジ島に不時着した事故で……」
「うわ! こんな事故あったのか」
シエルに怒っていたキルの興味が、一気にテレビに逸れた。飛行機の映像とともに、ニュースキャスターの声が続く。
「現在、乗客全員の安全確認が取れておらず、調査中です。今のところ怪我人、死者は確認されておりません」
「うひゃー。こりゃまた盛大にやらかしたなあ。墜落じゃないだけマシなのかな」
キルがテレビに向かって返事をしていると、シエルがハンバーグをフォークで切りつつ言った。
「日本の暗殺者は、この程度で驚くの?」
「ん?」
キルがテレビからシエルに目線を動かす。俺も、箸を止めてシエルを見た。シエルは赤い瞳でひとつ、まばたきをした。
「天使が空へ逃げるなら、利口なハンターはまず、翼をもぐものさ」
彼は銀の睫毛を伏せ、赤い目を光らせた。
「ターゲットが乗ってる飛行機を特定したら、操縦士に薬を盛る。普通じゃない?」
シエルの言葉に、俺は手からぽろっと箸を落とした。キルが口を半開きにして、数秒固まる。
「……マジかよ」
「やらないんだ。暗殺大国日本は、随分と平和ボケしているね」
シエルはぱくっと、ハンバーグを口に放り込んだ。
俺は、シエルのかわいらしい所作とテレビの中の飛行機を、同時に視界に入れていた。
つまり、この飛行機の事故は、シエルが仕組んだものだったというのか。
数秒の沈黙の後で、キルがはあと感嘆する。
「手段としてはもちろん知ってるけど、やったことはないな。でもたしかにコストパフォーマンスがいいよね。事故に見せかければ暗殺行為だとは気づかれにくい」
「関係ない乗客も航空会社も、他にもいろんなものが巻き込まれてる……」
俺はやっと声を出した。キルとシエルが同時にこちらを振り向く。
「だからいいんじゃん。事を大きくすればターゲットだけを狙ったものとは思われにくい。ついでに他にダメージを与えたい奴がいれば、飛び火で一石二鳥も狙える」
「現に僕はこの飛行機の航空会社の株価を落とすことも視野に入れた。ターゲットとは別件だけど、ここの社長に恨みを持った依頼人から頼まれたから、ついでにね」
「なるほど。あんたがまあまあデキる暗殺者だってことは認めるよ」
キルが改めてシエルに向かい合う。
今更だが、暗殺者という生き物は倫理観を大きく欠落させている。そもそもまともな感性を持ち合わせていたら、暗殺者などしていないだろうけれど。
「死人が出てないとはいえ、最低だ」
俺が呟くと、キルがぼそっと言った。
「甘いな。本当は要人が死んでいたとしても、混乱を避けるためにマスメディアでは伏せるものだ。ニュースなんて嘘で塗り固められてると思った方がいい」
「なにからなにまで終わってんな」
俺はいろいろ嫌になって頭を抱えた。シエルがハンバーグにフォークを入れる。
「でも今回に関しては、事実、的を外してしまったかもしれないな。本部から連絡がない」
「そうなのか、どんまい。因みに誰を狙ってたんだ?」
キルが世間話のように問いかける。シエルは一旦、不服そうに眉を寄せた。
「ちょっとキル先輩、同業者でしょ。暗殺者がターゲットについてみだりに喋らないと、分かってるよね。その上で聞いてきてるの?」
「当たり前だろ。でもあんたは仕事に失敗した。すぐに国に帰るつもりだったかもしれないけど、予定は狂ったろ。この家でサクの世話になる以上、先輩ペットの私に情報を共有してもらわないと」
キルはなぜだか偉そうにふんぞり返った。
「シエルも同業者なら分かるでしょ? 私ら暗殺者は、自分の不利益になる場合を除けば、別の暗殺者の仕事の邪魔はしない。むしろ見返りを求めて協力することさえある」
夕刻の蝉の声が、テレビの音を遮っている。
「あんたは、ミスター右崎の指示でここに来たんだ。私と相容れない仕事じゃないはずだ。むしろ私とシエルとが協力して国際的に繋がっておけば、今後役に立つかもしれない。あんたも早く仕事にケリつけて、国に帰りたいだろ?」
キルの上から目線に、シエルはやや不快感を示して顔を顰めた。だが、キルの提案自体には納得しているようだ。
「分かった、キル先輩はミスター右崎のお気に入りだと聞いている。お互い様で利用価値がありそうだし、話しておこうかな。ただし他言はしないでね」
「当然だ。サクも分かってるな」
キルが目配せしてくる。俺は口の中で「飯時に血腥いな」と愚痴りつつも頷いた。ターゲットについては、一応聞いておきたい。
暗殺のターゲットになるような人間など、俺が日常生活で関わる相手ではない。シエルのターゲットがどれほどの要人かは分からないが、邪魔できることがあれば邪魔をする。それが善良な一般市民の務めだ。
シエルはハンバーグを口に運び、目を閉じた。
「聞いて驚け。僕のターゲットはスイリベール王朝の国王の娘……」
そして開いた赤く燃える真剣な眼差しで、俺とキルに打ち明ける。
「第一位王位継承者、アンフェール王女だ」
その名前を聞くなり、俺とキルはぎょっと目を剥いた。
「王女!?」
「マジ!? でっかい案件貰ってんな」
この反応が気持ちよかったのか、シエルはしたり顔で続けた。
「僕は継承権第二位の、王女の従姉妹の従者から依頼を受けていてね。王女を殺して、依頼人の継承権順位を繰り上げるのが狙いなんだ」
シエルの語りを耳に入れつつ、俺は悶々と頭を回す。俺に邪魔できることがあれば、と思ったのだが、想像以上に話が大きくて怯んでしまった。
シエルは淡々と、ハンバーグをフォークで切っている。
「スイリベール王朝は今、時期国王の継承権争いで大混乱に陥っている。アンフェールは争いに巻き込まれないために、日本に亡命しているんだ。当然スイリベールではその情報は伏せられてるけれど、王朝のスパイを通じて、僕にだけ伝えられてる」
「ほう。それでまずは、その王女様の乗った飛行機を墜落させる作戦を取ったわけだ」
キルは間抜けな声で、シエルの話に相槌を打った。
「そっかあ。ミスターと総裁がバカデカイ仕事に巻き込まれてると思ったら、こういうことか」
スイリベールは王位を巡って骨肉の争いの真っ最中だ。キルが言うとおり、親父もばあちゃんも、この関係でスイリベールへ発ったのだろう。
王女とやらは争いに巻き込まれないために日本に逃げてきたのに、暗殺者に追いかけられているというのか。気の毒だ。
キルが感心しながら、ハンバーグに箸で挟む。
「シエル、あんた思った以上にやり手なんだな。王家の暗殺を任させるとは相当な実績があるんだね」
「やり手というか……逃れられない運命というのかな。この仕事は、僕だからこそ任されるものといえる」
なぜか芝居がかった口調で、シエルは言った。
俺は箸を止めたまま、凍ったみたいに動けなくなっていた。
今俺の目の前にいる少年は、一国の女王候補を殺すという、大役を担っている。彼にはそれだけの実力が秘められているということだ。
はたと、シエルと目が合った。赤い目に射抜かれると、背筋がぞくっとして身じろぎさえできなくなる。俺より幼い、中学生くらいの少年なのに、こんなにも圧がある。
キルもそうだが、暗殺者には高い人殺しスキルがある。つまりこいつらが俺を殺そうと思ったら、いつでも殺せるわけだ。キルは能力はあれど、俺の料理を気に入っているから今のところ俺を殺そうとする気配はない。しかしこのシエルという少年は、キルほど単純ではなさそうだ。
こんなものを送り込んできた親父は、一体なにを考えているのだろう。キルと暮らしているだけでも充分危険なのに、暗殺者を増やすとはなにごとだ。親父のハイテンションボイスを思い浮かべたら、腹が立ってきた。
とりあえず、と、俺は自身の額を抓った。とりあえずだ。扱い方が分からない分、シエルはキル以上に危険だ。しかもこいつは王女殺しを依頼されるほどの敏腕アサシンでもある。絶対に、下手に刺激してはいけない。
俺がそんな決意を固めている傍で、それを知らないシエルがため息をつく。
「僕はね。王女暗殺のために生まれた、呪われた血族なんだ」
「呪われた血族……?」
キルが眉を顰める。シエルはこくんと頷いた。
「そう。おかげでこのとおり、左半身の一部は日の光に晒せない。左目と左腕を解放してしまうと、僕自身も力を抑えられないんだ」
「なに言ってんだこいつ」
頭上に疑問符を大量に発生させるキルを一瞥し、シエルはふうとため息をついた。
「言っても分からないか。まあいいや、理解されたいわけでもない」
彼は包帯を巻いた左腕を、右の手のひらで撫でた。
「ともかく、今回の飛行機作戦では王女を殺せなかったみたいだ。飛行機が上手く墜落すれば、これで仕事は済んだんだけどな」
それを聞いて、キルが返す。
「そんなの、日本に潜伏してる王女を見つけ出して首を掻っ切れば解決……ああ、そんな簡単じゃないか」
途中まで言って、彼女は自分で訂正した。
「なんせ王女だもんな。大使館で厳重に警備されていれば、暗殺者でも入り込む隙は殆どないか」
「そう。だから到着前に終わらせたくて、飛行機を狙ったんだよ」
シエルがハンバーグの付け合わせの粉吹き芋にフォークを刺す。芋はぱくっと割れて、フォークから逃れた。俺は刺さらない芋を眺めつつ、問うた。
「だけど、飛行機は不時着してるんだよな。このニュースを見た感じだと、別の飛行機も出てなくて乗客はまだ日本には着いてないみたいだ。王女も、日本に上陸してないってことだよな」
「そうだね。今も不時着した島にいるんだろう。その島に突撃できればよかったんだけど、いくらなんでも不可能だし。王女が日本に入国してくるまで動きようがない」
シエルの瞳がテレビに向く。王女はどの飛行機でいつ、どの空港に降り立つのか……そういった情報も、暗殺者なら伝わってくるのだろうか。と、思った矢先、キルが難しそうに唸った。
「王女の入国のタイミングなんて、絶対情報洩れないだろ。仮に入国の瞬間に立ち会えたとしても、警備は相当厳重になる。ガチガチに守られて入国し、セキュリティの高い大使館に連れていかれる。手出しのタイミングはほぼなし。詰んでない?」
「……今、どうするか考えてる」
どうやらシエルにもどうしようもないみたいだ。キルはやれやれと肩を竦める。
「これは長期戦になりそうだな。来日中の王女様が隙を見せるまで、待つしかない」
それからキルは、俺に目配せをした。
「ミスターはそこまで見通してたのかもしれないね。サクにシエルのことを任せたのは、滞在が長くなる前提の判断だったのかも」
「『新しいペット』って言ってたもんな……」
俺はハンバーグをもそもそと咀嚼する。あの言い方は、俺に長期的に世話をさせるのを見越している気がする。
しかしシエルの方は、余裕たっぷりに首を横に振った。
「ミスター右崎はそのつもりだったかもしれないけれど、僕は君には甘えないよ。王女が保護される大使館の傍で身を潜めていた方が都合がいい。大使館付近に隠れ家を作るから、すぐにここは出ていくよ」
「それもそうだな。こんな辺鄙なところにいても、王女様とは遭遇しない」
キルもこくっと頷く。俺はほっと胸をなで下ろした。こちらとしても、早いところ出ていってくれるのはありがたい。……けれど、やはり納得できない。シエルの手で王女が殺害されるのは、許し難かった。
シエルを怒らせると、自分の命に危険が及ぶ。俺はシエルの顔色を窺い、慎重に切り出した。
「王女って、どうしても殺されないといけないのか?」
こんなことを暗殺者に聞いてもイエス以外の返事はないだろうが、こちらもあっさり送り出したくはない。
「政治的な理由があるのは分かるけど、やっぱり、平和的じゃないよな。人の命を奪ってまで政権を取りたいっていうのは、どうなんだろう」
訴えかけても無駄なのは、承知の上だ。それでも、言わずにはいられない。シエルはフォークを咥えて不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの? 協力してくれると思ったから事情を話したのに、随分否定的じゃないか。もしかして君は、王女を支援する側なのか?」
「政権のことは分からないよ。そうじゃなくて、王女が殺されると知っててシエルを野放しにするのが嫌なんだよ」
俺が頑なに言うと、シエルはより一層、疑問符を浮かべた。
「驚いたな。ミスター右崎のご子息ともあろう人が、そんな気持ちの悪い道徳を語ってくるとは。それとも今のは、穢れない世界への皮肉?」
彼は赤い瞳を細め、微かに口角を吊り上げる。
「僕は『殺せ』と言われれば殺す。それが仕事だよ」
またこれだ、と、俺は俯いた。キルを含め、俺が見てきた暗殺者どもは皆、こうやって殺人を仕事と割り切っている。害虫駆除と変わらない感覚で、人の命を奪うのだ。
前回、キルのターゲットが俺のクラスメイトだったときもそうだった。なにひとつ悪いことをしていない女子高生であるクラスメイトが、キルに命を狙われる。俺は意地でもターゲットを守ろうとして、キルとしょっちゅう揉めた。
そのせいで俺の性格をよく知るキルは、今も辟易した目を俺に向けてくる。
「あのなあサク。あんたが善良なのは分かってるけど、頭が固すぎるぞ。そろそろ社会の仕組みを理解できるようになったらどうだ」
「これでもだいぶ、感覚が麻痺してきてるよ。『人を殺してきます』って宣言してる奴を『はいどうぞ』とは送り出せねえだろ」
白米を口に運びつつ、キルを睨む。俺とキルのやりとりを聞いていたシエルは、フォークで粉吹き芋も掬い、こちらを一瞥した。
「ミスター右崎のご子息なのに、君は分からず屋だね」
「そうかもしれないけど、でも……」
言いかけて、俺はひゅっと息を止めた。シエルが包帯を巻き付けた左手に、鋭く煌めくアイスピックを握っている。
あんなもの、どこから、いつの間に。
シエルはにこりと、目を細めた。
「口うるさい人は嫌いなんだ。僕を怒らせないでくれ。自分をコントロールできなくなる」
体じゅうが危険信号を発する。しまった、この人を怒らせてはならない。
「す……すみません」
俺は素早く謝った。ここは大人しく、シエルに従うべきだ。そう判断したのだが。
「おい新入り。やっぱり、あんたには躾が必要だな」
キルに怒りの火がついてしまった。キルはハンバーグの残りのひと口を飲み込むと、スタッと椅子の上に立ち上がった。
「食事中に武器を出すな。お行儀が悪いだろうが」
キルの指の隙間から、ナイフが数本突き出している。
「どうもあんたは、自分の行儀の悪さを理解できてないな。口で言って分からないなら、体に教え込むしかないか?」
それを目にするなり、シエルも粉吹き芋を口に突っ込み、椅子から降りてアイスピックを構えた。
「キル先輩こそ、後輩を威圧する態度はよくないと思うよ」
彼はアイスピックの先を光らせ、ニヤリと笑う。
「僕がキル先輩を倒せば下剋上。僕の方が立場が上になるけど、いい?」
悠然と挑発するシエルの頬の横に、銀の閃光が通り過ぎた。シエルの長い前髪が微風に揺れる。一秒もないうちに、奥の壁にトスッとナイフが突き刺さった。
椅子の上に立ったキルが、指の谷間からひとつ、ナイフを飛ばしたのだ。
「臨むところだ。格の違いを教えてやるよ」
まずい。俺は交差するふたりの暗殺者の視線に、冷や汗を垂らした。
シエルが浅黒い手に、アイスピックを握り直す。
「本気で言ってる? 僕は王女暗殺を依頼される暗殺者だよ」
「それがどうした! 私もこう見えて、暗殺大国日本のフクロウで最強クラスと呼ばれてるんだ」
これは、まずい。俺はガタッと椅子を立った。
「ふたりとも、やめなさい!」
「覚えておけ新入り、ごはんの時間はごはんに向き合え。物騒なもの出して主人を威嚇するなんざ、ペットにあるまじき無作法だ」
キルは手の甲で口の周りを拭うと、椅子を蹴飛ばしてシエルに特攻した。シエルが包帯を巻いた腕を振り上げ、キルのナイフから急所を庇う。キルは空中で一回転し、床に着地した。そして息をつく間もなく、再度シエルにナイフを飛ばす。シエルは肩を強ばらせ、身を捻ってナイフを避ける。ひらっと揺れた外套の中が、俺の目に飛び込む。小型のナイフや拳銃、ペン型の物体などなど。中にはびっしりと武器が隠されていた。
まずいまずい。暗殺者たちが暴れはじめた。俺は自分にナイフが飛んでこないよう、下手に動かずに声だけ飛ばす。
「やめなさいって! 家の中がぼろぼろになるだろ!」
しかし、キルもシエルも聞いてくれない。
「どうしたどうした。避けるだけか?」
キルはシエルの足元まで滑り込み、ナイフを突き立てる。シエルはそのナイフにアイスピックで応戦する。
俺ははらはらとその光景を眺めていたが、徐々に冷静になってきた。なにか、違和感がある。
「ちょっと、避けるだけ?」
ナイフをかざすキルも、その妙さを訝っている。シエルは食いしばった歯を見せ、アイスピックを両手に握って、キルに向かって振りかぶった。
「えいっ……!」
だがその先端は、キルが後ろにひょいっと飛び退いただけで、いとも簡単に避けられた。
「遅!」
キルのそれは、挑発でも嫌味でもなく、素直な感想だった。正直俺も、同じことを思った。
シエルが一生懸命アイスピックを振り回すが、動きが鈍い。それだけでなく、的が定まっていない。キルが避けずとも、全く見当はずれなところへピックの先端が下りてくる。キルを狙っているのかどうかすら危うい。
キルはもはや、ナイフを投げるのをやめていた。
「シエル、あんたまさか……!」
ようやく、シエルのアイスピックがキルの手元付近に下りてくる。キルがそれをすんなり躱すと、シエルはくわっと叫んだ。
「もう! 動かないでよー!」
「あんたまさか、めちゃくちゃ鈍くさい!?」
キルにはっきり言葉にされ、シエルはその場にぺたんと座り込んだ。
「ち、違う。僕だって真の力を解放すれば、キル先輩くらい……!」
「真の力? あ、左目と左腕を解き放つんだっけ?」
「あっ、う、待って」
シエルがもだもだ暴れるも、キルは彼の腕の包帯の端を掴む。シエルはアイスピックを床に投げ出し、包帯の腕を必死に押さえた。
「やめろ! 力が解き放たれたら世界は闇に呑み込まれる! や、やめっ、やめてってばあ! 離してよ! 取らないで!」
「おいサク、こいつただの中二病だ!」
真っ青な顔で振り向いたキルの口から、診断結果が繰り出される。テーブルに手をついて身を乗り出していた俺は、なにも言えなかった。
なぜなら俺も、キルと同意見だったからだ。
*
親父に電話をかけたのは、その数分後だ。
「そろそろ洗礼を受ける頃だと思ったよ。咲夜、君もお気づきのとおりだ。シエルは闇の歳月を迎えし漆黒の民だ」
「分かりやすい言葉で言うと?」
「十三歳、中二病」
親父は電話の向こうで、ふはははと笑っていた。
「でも暗殺者なのは本当。スイリベールの裏社会で幅を利かせてるマフィアに雇われてるんだよ」
ダイニングテーブルには、頬杖をつくキルの姿がある。俺は椅子の上で三角座りをし、スマホで親父と話す。
「王女殺しを依頼されたやり手の暗殺者だって言ってたけど、実際にキルと手合わせしたら、キルに手も足も出なかったぞ?」
「んー、ハッタリだけは一人前なんだけどねえ。猪突猛進型のキルには通用しないか。実はシエルは、まだまだ見習いレベルの実力しかないよ。人殺しに成功した実績もない」
「……まあ、あれだけノロマだったら暗殺なんかできないよな……」
俺は妙に納得して、小さく息をついた。流しの方から水音がする。キルに負けたシエルが、服従の証として食器洗いをしているのだ。
シエルの動きの鈍さ、不正確さ、不器用さは、目も当てられないものだった。あれなら俺の方がまだ、キルと互角に近い。
「ってことは、シエルに王女暗殺の依頼が言い渡されるわけもないか。あれもキルに対するハッタリだったのか?」
うっかり信じてしまったが、多分嘘だ。もっと言うと、飛行機の件だって怪しい。親父は鼻にかかった声で返してくる。
「シエルの仕事については、一般ピープルくんの咲夜にはあんまり事細かには教えてあげたくないなー」
「俺に世話を押し付けたのに?」
「それはほら、パパのサポートだと思って請け負ってよ。シエルは過去に、俺の暗殺演習プログラムを受けていてね。その誼で、今回の案件で手を貸すことになったんだ。シエルはめちゃくちゃド素人だから、周りがしっかり支えてあげないとね」
そのサポートの一環として、この家に送り込んだというわけだ。
「悪く思わないでやってね。シエルは自分自身にオリジナル設定を盛るけど、嘘つきなわけではないよ。自分の中では闇の力を封印した強い暗殺者っていう設定だっただけで、咲夜とキルを騙そうとしたわけじゃない」
「そう言われても、こっちはシエルが暗殺者ってだけで警戒するし、どこまで脅威か分からないし、すげえ怖かったんだからな」
必要以上に怯えさせられたのが、なんとなく腹立たしい。
俺は水音の方を横目に、親父に尋ねた。
「でもやっぱり、王女殺しの仕事は嘘だよな? 仮にシエルが本当に暗殺者だったとして、あんなポンコツになんで女王殺しの仕事が舞い込んでくるんだよ」
しつこく聞くと、電話の向こうの親父は、楽しげにへらへらした。
「だから、シエルは嘘つきなわけではないってば」
「でも王女暗殺なんて玉じゃないだろ」
「玉じゃないけど、立場ではある。なにせシエルは王女暗殺のために生まれた呪われた血族……!」
親父が面白おかしくシエルの真似をする。俺は彼のテンションの高さに辟易していた。
「はいはい。嘘つきじゃないけど架空の設定は盛るんだろ。『王女暗殺を仕った暗殺者』っていう設定で来てるんだよな」
そうでもないとおかしい。シエルにそんな大きな仕事が回ってくるはずがない。
「本当の仕事はなんなの?」
「闇に葬られし過去を携え、少年は隠密の世界を孤独に駆け抜ける」
親父が機嫌よさげに喋っている。闇ポエムを考えるのが楽しくて仕方ないみたいだ。このまま話していてもこの調子だろうので、俺はさっさと通話を切ることにした。
「なんかあったらまた連絡する。じゃあね」
「咲夜ー! 毎日電話してねっ!」
最後だけ元の調子に戻った親父の声を、最後まで聞くか聞かないかのところで通話を終了させた。
スマホを耳から離し、腕をぐったり下げる。椅子の背もたれに背中を預け、大きく息を吐いた。少し話しただけで、親父にだいぶ体力を吸い取られた。
キルが頬杖の体勢で声をかけてくる。
「お疲れさん。ほんで、結局シエルは何者だって?」
「よく分からん。親父もふざけはじめて、全然こたえてくれなかった」
「ミスターはなぜ大事なところで羽目を外すかな」
キルもだるそうに気色ばむ。
俺はふと、昼間に拾ったピアスのことを思い出した。
「あ。忘れてた、交番行こうと思ってたんだった」
「交番? 今更お巡りさんなんかになにを頼るんだ」
国家公認暗殺者である故に殺人を犯しても罪にならないキルは、警察官をナメている。俺はテーブルの下に放置していた鞄を、肩紐を持って手繰り寄せた。
「落し物を拾ったから、届けようと思ったんだよ」
「絵に描いたような善良行為だな」
「これ。なんか高そうなピアス」
鞄のポケットからピアスを取り出し、キルの前に突き出した。キルはその青く美しい石に目を奪われて、あどけない顔になる。
「はあ、きれいだね。たしかに高そうだ」
「な。だから遺失物として届けようと思います」
「勿体ない。貰っとけよ。そんで売っちゃえよ」
「最低だな」
そこへ、水音が止まってシエルが戻ってきた。
「食器洗い、終わったよ」
「うん、ありがとう」
俺の返事に、シエルはこそばゆそうに目を伏せた。
意外とノロマだと分かったら、シエルがかわいく見えてきた。まだ人殺しの経験がないというから、キルよりずっと安全だし、考えようによってはホームステイみたいなものだ。
キルも最初に比べ、シエルに攻撃的な態度を取らなくなった。
「後輩よ。ようやく立場を理解したようだな。食器洗い、ご苦労様」
「はーい、キル先輩」
シエルの方も、ひとまずキルにたてつかなくなっている。とはいえ、不服そうではある。
「チッ。調子に乗ってられるのも今のうちだけだ。キル先輩はまだ真の力を解放した僕の恐ろしさを知らない」
「なんか言ったか?」
「別に」
シエルはキルから目線を泳がせ、動いた目が俺の手の中のピアスを捕らえた。
「……えっ?」
こしゃくな態度だったシエルの顔つきが、急に素っぽい真顔になる。
「えっ!? このピアス……!?」
「なに、どうした!?」
俺は咄嗟にピアスを握り、手を背中に隠した。シエルは無理に奪おうとはせず、ぽかんと口を半開きにして固まる。
「……咲夜さん。そのピアス、なんで持ってるの」
「なんでって、商店街で拾ったんだよ。落とした人を見たから追いかけて届けようと思ったんだけど、間に合わなかった」
ざっくりと経緯を話す。シエルはしばらく、無言のまま立ち尽くしていた。
そしてやがて、ニヤアッと赤い瞳を三日月型に細める。
「へえ、なるほどねえ」
その妙に婉然とした笑い方に、俺はぞくっと鳥肌が立った。ポンコツ暗殺者だと見せつけられたのに、なぜだろう。直感的に「ヤバイ」と思ったのだ。
シエルはすぐに、元のしれっとした面持ちに戻った。
「決めた! 僕、もうしばらくこの家にいるよ」
シエルの突然の宣言に、硬直していた俺は我に返った。
「はい? なんかさっき、大使館近くに移動するって言ってなかった?」
「気が変わったんだ。よろしくね」
「はあ……?」
なんなのだろう。理解が追いつかない俺とは逆に、あっさりしているキルはすぐに事態を吸収した。
「そうかい。ならシエル、今日からあんたは朝見家のペットだ」
暗殺者という職業柄なのか、キルは基本、詳細を聞かずに呑み込む。彼女はびしっと、人差し指を立てた。
「ご主人様はここにいるサクで、先輩は私。あんたはいちばん下っ端だ。この立ち位置はちゃんと胸に刻んでおけよ」
「……はーい」
シエルが不機嫌に返事をする。キルはおかしそうに、相好を崩した。
「あんたの暗殺のターゲットは誰だか分からんが、とりあえず私はあんたの味方だ。サクも使っとけ。こいつは度を越した善良で融通が利かない性格だけど、基本短絡思考だから手のひらで転がせば逆に利用できる」
「こら! キル!」
俺はキルの犬耳の真ん中に、ポコッと拳骨を叩き入れた。
前回、キルのターゲットが俺のクラスメイトだったとき、キルはターゲットに近づくために俺や周りの人を全力で利用した。
キルは頭を小突かれても、主張を曲げなかった。
「シエルはサクの言うことなんか気にせず、暗殺業務に打ち込んでいいからな」
「分かった。気にしなくていいなら気にせずやるよ」
「よくねえよ!」
よく考えたら、たとえポンコツだとしてもアイスピックを武器に持っている時点で普通に危ない。キルに比べて鈍いというだけで、あれが暗殺者であることには変わりない。
凶暴なペットが二体に増えた俺の夏休みは、まだ始まったばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます