第二十二話 夢と現実の狭間で

 リーサンが目を覚ましたとき、すでに湖には夜が訪れていた。起き上がって夜空を見上げると、いくつもの星が輝いていた。


「おれは、まだ生きてたのか」


 ふと違和感に気づいた。体がとても軽かったのだ。しかも体には、まだたくさんの生傷がついているのにもかかわらず、痛みを全く感じない。


「やっぱり、死んでしまったのか?」


 リーサンは立ち上がって周囲を見渡した。ここは最後に手紙の転送を試みた湖のほとりだ。風の音も虫の声も聞こえず、奇妙なほど静かだ。


 背後にある森の中に気配を感じて振り向くと、しげみの奥に焚き火のあかりが見えた。リーサンはそちらの方へ歩いて行った。


 茂みを抜けて視界がひらけたとき、思わず息をのんだ。焚き火のそばに座っている自分の姿を見たからだ。そしてそこにはアンとエナもいた。


 焚き火のぜる音も、誰の話し声も聞こえない無音の世界だったが、リーサンがいま見ているのは間違いなく、ダンジョンに入る前日の夜にキャンプをしている三人の光景だ。


 リーサンはゆっくりともう一人の自分に近づいた。こちらの存在には全く気づかず、アンとエナに何かを話し続けている。やはり声は聞こえない。


 次にアンのそばに近寄ってみるが、アンもリーサンがそこにいることに気づかない。


「アン……」


 両手でアンの白い頬にれてみた。なんとなくさわっている感じはするが、柔らかさや温かさは伝わってこなかった。このとき、アンの頬にリーサンの血がついてしまった。アンはその部分を無造作にポリポリといている。


「すまない……アン」


 最後にエナに近づいた。穏やかな顔でもう一人のリーサンの話を聞いている。やはりエナもこちらの姿には気づかない。


 リーサンはエナの美しい髪にれた。そのとき一瞬ドキッとした。こちらを見上げたエナと目があった気がしたのだ。気のせいだろうか。

 

 エナはもう一人のリーサンに何かを言うと、ランタンと短剣を持って立ち上がった。そうだ、たしかこのときのエナは、湖にお祈りに行くと言って席を立ったのだ。エナが横を通り過ぎるとき、また目が合ったような気がした。


 エナは湖のほとりに着くと膝をつき、手を胸の前で組んで祈り始めた。リーサンはすぐ横に立ってその姿を見つめていた。やがてエナのうっすらと開いた目に青い光りが輝き始めた。


「セミトランス……」


 そうつぶやいた瞬間、エナがハッとした顔でこちらを見上げた。今度は間違いなくリーサンを見ている。


 エナは立ち上がってリーサンに話しかけた。その声は聞こえないが、唇は明らかに「リーサン」と動いていた。


「エナ、見えるんだね」


 エナは悲しそうな顔で何かを言っているが、リーサンにはその声が聞こえない。


「きみの声が聞こえないよ」


 エナは必死に何かを言っていたが、やがて話すのをやめると、うつむいて目に涙を浮かべた。


「すまない。ダンジョンできみとアンを失ってしまった」


 エナが涙をこぼしながらまた何かを言った。リーサンはそっとエナの手を取った。そして、そうするのが決まっていたかのように、エナの手の中に精霊からもらったペンダントを握らせた。エナの柔らかい手はとても暖かった。


「これは精霊のログライトだ」


 エナは不思議そうな顔でペンダントを見ると、顔を上げてリーサンを見た。


「きみによく似合うと思う」


 エナは首をふりながら何かを言った。そしてリーサンの両腕を掴むと回復魔法を唱え始めた。


 長い髪がふわりと広がり、エナの体から青い光の粒子が出る。そして両手をつたって光が流れ込むと、リーサンの全身は光に包まれた。リーサンは目を閉じてその暖かい光に身をゆだねていたが、しばらくすると目を開けて、そしてエナに言った。


「もう十分だ。ありがとうエナ。さよなら……エナ」


 リーサンはそう言って微笑ほほえむと、静かに消えた。




第二十二話 夢と現実の狭間はざまで ――完

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