第十四話 アクアマリンと人魚の血

 今にも倒れそうに歩き続けるリーサンの視界に、やっと浜辺の岩場が見えてきた。人魚の精霊が浅瀬の岩に座っているのが見えて安堵あんどしつつ、一歩また一歩と進む。向こうもこちらを見ているようだ。


 どのみちこの怪我ではダンジョンから出られたとしても、あの遠い街まで帰ることはできないだろう。途中で行き倒れることは確実だ。リーサンは助けを得ようと、なんとか精霊のいる浜辺までたどり着いた。


「ひどい怪我を……」


 精霊はリーサンの姿を見ると、泣きそうな顔で言った。

 

 リーサンは折れた太刀で体を支えながら精霊の前で膝をつき、先ほど起こったことを簡単に説明した。


「そう……だったのね」


「回復魔法は使えますか? 助けて下さい」

 

「ごめんなさい、私は魔法が使えないのです。でも――」


 精霊は少し考えると、自分の人差し指の付け根あたりを口に含んで、ぎゅっと目を閉じた。


「何を……!?」


「さあ、この血を口に入れてください」

 

 白い指から鮮やかな赤色をした血が出ている。精霊はリーサンを近くに寄せ、指を口元に近付けながら言った。


「飲み込んではだめよ。できるだけ多く血を吸ったら、しばらく口に含んで下さい」


 リーサンは言われたとおりに、精霊の指に口をあててゆっくり血を吸った。精霊はもう片方の手でリーサンの頭をかかえた。細くて柔らかい指から、生温かい血が少しずつ口の中に入ってくる。


 人魚の血を吸っているという罪悪感を何となく感じながら、すぐ目の前にある白い腹部やへそを見ていた。人間と変わらないんだな……。そんなことを考えていた。


 しばらくして、リーサンは指から口を離した。精霊の顔を見上げると、まるで子どもを見守る母親のような眼差しでリーサンを見ていた。


「そろそろいいわ。決して飲み込まずに残らず吐き出して下さい」


 リーサンは後ろの岩かげまで行き、口の中のものを吐き出した。その時、少し身体が軽くなっていることに気づいた。


「あくまで気休めです。応急処置と痛み止め程度だと思って下さい。おそらく時間が経つと痛みはまたぶり返すでしょう」


「助かりました、本当にありがとうございます」


 リーサンは頭を下げて礼を言った。口の中には、なぜか懐かしい感情を思い起こさせるような血の味が残っていた。


「あの騎士の魔物は何者なんでしょうか? なぜおれ達を……いや、よく考えるとアンを狙っていたように思います。なぜなんでしょうか?」


「あの騎士はこの世界が創られた時に、古い時代の悪い精神が流れ込んだ結果です。本来はこの世界のものではないはずです。この辺りにいる魔物の多くも同じです」


「……なんだか、よくわかりません」


「おそらく彼女が身につけていたログライトを、いえ、その持ち主を……その……」


「消したかったんですね」


 リーサンは精霊の言葉を引き継いで言った。


「詳しいことはいずれわかる時が来るかもしれませんから、今は何よりもあなたが無事に帰ることです」


「そうですね……」


 リーサンはつぶやくように言うと、もう一度深々とお辞儀をし、そしてきびすを返した。


「待って! リーサン」


 精霊に呼び止められ、リーサンは驚いた顔で振り向いた。なぜか今、エナに呼ばれたかのように錯覚を覚えたからだ。胸が早鐘を打つように鼓動している。


 そんなリーサンの様子をよそに精霊は言った。


「これを持っていって下さい」


 リーサンは精霊から受け取ったそれを手のひらに乗せて見つめた。しずくの形の石がついたペンダントだ。その石は透き通るような淡い青色をしていて、美しい海の水面みなものようにきらきらと輝いている。


「それはアクアマリンのペンダント。精霊のログライトです」




第十四話 アクアマリンと人魚の血 ――完

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