第五話 涙の理由は

 アンと剣を交えた翌日の朝、リーサンは少し早起きをして宿舎前の広場で剣の素振りをしていた。剣は昨日アンから借りたものだ。


「リーサン様、おはようございます」


 エナはリーサンを見つけると、わざわざ近づいてきて挨拶した。リーサンは剣を振り上げた状態でエナに視線をやると、エナの姿にしばし見惚みとれてしまった。


 エナは膝丈の白いワンピースの上にタータンチェック柄のエプロンをまとい、素足にサンダルを履いていた。腕に抱いたカゴの中には卵が積まれている。


 ……なにこの十七歳の透明感、破壊力強すぎる。

 

「おはよう、エナ。朝食用の卵かい?」


 リーサンが覗き込むと、彼女は被せてある布を指でつまみ上げて、卵を見せてくれた。


「卵です、リーサン様」


 えへへと笑いながら何だか嬉しそうだ。リーサンもつられてへらへらと笑った。

 

「あ、ところでエナ。おれのことはリーサン様ではなく、リーサンと呼んでくれないか?」


「そんな、本部のシーカー様に対して失礼です」


「これからは任務で命をあずけ合う仲間だ。気にする必要はないよ」


「そうですか? でも、それに、リーサン様の方が全然年上だと思いますし……」


「まあそうだけど。うーん、でもこういうことは慣れてしまえば、そっちの方が楽になるもんだよ」


「そういうものでしょうか……」


「そういうものだよ。そうだ一回練習してみよう! とにかく頭を空っぽにして、今からおれの言う言葉を繰り返してごらん? いいかい!?」


「え? あっハイ! 分かりました、やってみます!」


 エナは卵のカゴを少し離れた安全な場所に置くと、リーサンの正面に立ち、足を肩幅に広げてエプロンをぎゅっと握りしめた。


「じゃあいくぞぉ!」


「おはよう、リーサン!」

「おっおはよー、リ、リーサン!」


「こんにちは、リーサン!」

「ここここんにちはっ、リーサン!」


 エナの額にうっすらと汗が浮かぶ。


「よーし、その調子だ! 次いくぞっ!」


「頑張って、リーサン!」

「がんばってっ、リーサン!」


「素敵よ、リーサン!」

「すすっ素敵よっ、リータン!」


 エナの顔がみるみる紅潮していく。


「いいぞいいぞ! 最後だ!」


「ありがとう、リーサン!」

「ありがとう、リーサン!」


「さよなら、リーサン!」

「さよなら、リーサン!」


「ようし! よくやった、エナ!」


「ありがと……リーサ……ハァハァ、さよな……リーサン……リーサン……」

 

 エナはリーサンの名を繰り返し呼んでいたが、やがて息を切らして両膝に手をついた。汗がキラキラと輝きながら地面に落ちた。


「やればできるじゃないか、エナ! リータンになってしまった時はもうダメかと思ったが、よく持ち直したよ! どうだい簡単だろう? もう慣れたんじゃないか?」


 リーサンも肩で息をしながら、しかし弾ける笑顔で言った。


「はいっ、なんかもう大丈夫です……リーサン!」

 

 二人は黙って見つめ合った。ぷぷっ、リーサンが思わず吹き出すと、二人はせきを切ったかのように大声で笑い出した。エナはおなかを抱えながら、涙まで流して笑い続けていた。


「ねえ、何してるの?」


 急に背中をポンとされて、リーサンは肩をびくっとさせた。振り返るとアンがキョトンとした顔で立っていた。


「アン、びっくりしたよ。いつからそこにいたんだ?」


「素敵よリータンのとこから」


 リーサンとエナは顔を真っ赤にした。アンは不思議そうな顔で二人を見上げていた。


 アンの大きな金色の瞳には、爽やかな春の空が映っていた。




第五話 涙の理由わけは ――完

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