第5話 ママ下さ〜い! 

 初出は~なろうにて2015年5月。

 文字数1400字程度。


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「ママ下さ〜い!」


 突然の言葉に圭一は、慌ててルームウェアのグレーのスエットパンツを履くと、アパート二階の自分の部屋のドアの前に立った。

 明らかに自分の部屋の玄関の方から聞こえたからだ。

 アパートには色々な人が住んでいる。何の事かは分からないが、放置していて変な噂でも立ったら嫌だ。そんな思いで圭一はドアの覗き穴から外を窺うと、ゆっくりとノブを回した。

 覗き穴からは人の姿は見えないからだ。

 悪戯か何かかも知れないと思いながらも圭一はドアを少し開ける。

 するとその隙間から、幼稚園年中位の小さな女の子が立っているのが見えた。

 それを見て安心した圭一は、今度はちゃんとドアを開けて女の子の顔を眺めては、彼女の目線に合わせる様にしゃがみ込んで、「何の話?」と尋ねた。


「古いママあるって聞きました。ママ下さ〜い」


 女の子は何の疑念も持たない様な屈託のない声で言う。


「ここには僕しか居ないよ。ママを探しているなら、他所を探しな」


 しょうがないなと思いながらも、なるべく優しく圭一は言う。 


「ママ売ってないんですかー?」


 それに対して女の子が尋ねた。


「そんなもの、売ってないよ」


 この子は頭でもおかしいのだろうか? そんな事を思いながら、今度は少し困った様な口調で圭一は答えた。


「そうですか…わかりましたー!」


 女の子は一瞬困った様な顔をしたが、何かを吹っ切ったかの様に直ぐに笑顔になり、大きな声でそう言うと、今度は突然横を向き、通路を歩き出した。

 思いの外物分りの良さに驚いた圭一は、ドアから通路に身を乗り出して、立ち去って行く女の子の後姿を眺める。

 女の子は一度もこちらを振り返る事もなく、スタスタと歩いて階段の所まで行くと、そのまま壁に隠れて姿は見えなくなってしまったが、階段を元気良く下りて行く足音ははっきりと聞こえた。


 一体何だったんだ?

 それにしても何処かで見た事がある様な顔だったが。

 そんな事を思いながら圭一が部屋のドアを閉めて鍵を掛けると、圭一の部屋の奥のドアが開いた。


「なんで美空が来たの?」


 中から出て来たのは二十代後半の女性。

 彼女は玄関の所に立っている圭一にそう尋ねた。


「美空? 誰? 知らないよ。さっきの子供?」


 圭一が言う。


「そう。何で此処が分ったんだろ?」


 女性はドアの隙間から玄関の方を静かに眺めていたのだ。急いで着たのか服がシワよっていて妙に馴染んでいない。


「子供に後つけられてたんじゃないの」


 圭一はそう言いいながら、なるほど彼女に似ていたのかと一人納得してはほくそ笑む。


「近所の大学生とこんな事していいの? 美空ちゃん待ってるよ」


 女性の方に近づきながら、圭一は更に続けてすました顔でそんな事を言う。


「いいの。どーせ旦那帰って来る前、夕方までには帰るんだから」


 女性はそう言いながら、近づいて来た圭一の肩に腕を回すと、キスをせがむ様に顔を近づけた。



 美空がアパートの階段から下りてくると、下には三十代前半くらい男性が待っていた。


「どーだった? 古いママは売ってたかい?」


 男は美空に尋ねた。


「ううん。ママ売ってないって。売り切れちゃったのかなー?」


 美空が言う。


「そうか、じゃあしょうがないね。近くの喫茶店で新しいママを売っているから、そっちを買いに行こうか?」


 男が言った。


「うん、わかった! パパ、今度のママは優しいと良いね♪」


「きっと美空にも優しいと思うよ♪」


 そう話すと二人は手を繋いで、アパートの方を振り返る事もなく、歩き始めた。





              おわり

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