薬袋家

 当麻さんが行った足掻きとは一体何か。

 私は不安と好奇心を早まる心臓の音で押さえつけ、続きのノートの文字を上から指でなぞりました。指先から伝わる筆圧による凹凸が、この空間が現実であると突き付けて来るのでした。

 こう書いている間にも、ヒタ、ヒタという足音がすぐそこまで迫ってきています。

 それでは、当麻さんが遺した残りの内容を記載していきます。


『ここからは私が最期に行った悪あがきについて記載していきます。

 母が遺したというノートには、自身の娘を生贄として捧げなくてはならないことへの懺悔と、薬袋家の風習、儀式に関する恨み言が長いこと記されていました。そしてページを捲るごとに、大切な娘を生贄として捧げられたにもかかわらず、ひとりふたりと犠牲者が増えていることへの嘆きで埋まっていきました。

 しかしある時から呪いの浸食が止まったことにより、苦言や恨み言の数が減っていたのです。ただそれも束の間の休息だったようで、数年後、再び例の死体が出現してしまうのです。目には五寸釘を、首には注連縄を巻かれた「見慣れた」死体でした。落ち着いていたノートの記載も、呪いが再発して以降のページは徐々に死に怯える叫びと、私たち家族の安否を心配する言葉で溢れていたのです。

 勿論、そのまま母も呪いによって亡くなりました。


 私にとっては母が亡くなったことはとても大切で、重大な出来事ではあるのですが、呪いについて記載するなかでは大切ではありません。母が遺したノートの中で一番大切な記載というのは、再び呪いによる犠牲者が発生した少し前にありました。

 それが、渡邊楓が薬袋家を訪れていたということです。

 彼女は父親を呪いによって亡くしていたようなのですが、死の真相については彼女自身には伝えられてはいませんでした。彼女の父親は渡邊家へ婿入りし、苗字を変え、さらには薬袋家と縁を切るように動いたとのことですが、それでも呪いの犠牲になったのでした。母のノートによると、薬袋家の呪いの対象となるのは薬袋家の人間と認識された人物ということです。形式的に薬袋家と縁を切ろうとした渡邊楓の父親は、逃げることが出来ずに呪いによる死を迎えていることから、渡邊楓も例の呪いの対象となりうるはずなのです。それでも渡邊楓および、彼女の母親は未だに健在です。

 これはなぜか。

 彼女たちは薬袋家の人間と認識されず、薬袋家を対象とした呪いの対象から外れたからです。

 もちろん、まだ順番が回ってきていないということも考えられますが、それはあまりにも楽観的であるでしょう。それに、呪いの対象から外れたという根拠はあります。その根拠となるのが、母のノートに記載された渡邊楓に関する記載です。

 母は渡邊楓たち親子に対し、薬袋家の人間ではないときつく言い放ち、無理やり罵詈雑言を浴びせさせたとのことです。これは母や薬袋家全員の優しさでした。元々薬袋家の人間ではない渡邊家の人間を巻き込まないようにするため、また薬袋家の血を引いている渡邊楓に呪いの影響が及ぼされないようにするため、呪いのトリガーである薬袋家の人間という条件を外そうとしたのです。

 もちろん理由なども説明し、敢えて厳しく、精一杯きつく行ったようです。母の苦悩も記されていましたが、痛みと引き換えに解呪という目論見は成功しました。その証拠が前述した通り、渡邊楓は今も生きているという点なのです。

 つまり、呪いは条件さえ揃えば簡単に回避することが出来るということ。

 私自身は手遅れですが、とても重要なことです。


 また、個人的に引っかかった部分として、渡邊楓が薬袋家を最後に訪れた日です。

 渡邊楓は、私の姉を縁側から突き落としたあの日から、数年の間に数回この家を訪ねていたのです。そして最後に訪れたのが、一時期止まっていた呪いによる犠牲者が再び現れる三日前でした。

 生贄による儀式が失敗した原因が渡邊楓です。

 数年間止まっていたはずの呪いが動き出した数日前、薬袋家を訪れたのが渡邊楓です。

 私はこれが偶然とは思えません。思いたくありません。

 仮に父の言葉を信じ、儀式の失敗による呪いは収まっていたとするのならば、渡邊楓が訪れた前後で、また新たな呪いを薬袋家は受けたということになります。

 では果たして新たに薬袋家を呪ったのは誰か?

 私は渡邊楓だと考えています。

 こうして私は、薬袋家を呪っているのは彼女だと仮定して行動を始めたのでした。最後の足掻きを始めたのです。

 勿論、全く理由が無かったわけではありません。ちょうど呪いが再発した時期に、私は縁側で血塗れのボタンを拾っていたのです。薬袋家の家紋が彫られたボタンです。当時はその意味が分からず、洗って居間の引き出しに黙って戻しておいたのですが、母の日記や薬袋家に降り注ぐ呪いについて調べていくうちに、ボタンの存在意義に関するひとつの可能性を見出しました。

 呪いの触媒です。

 呪いを行う人の血を、呪う対象の形代に付着させて呪う。そんな方法もあるらしいのです。

 このボタンを拾ったのが渡邊楓が訪ねて来た翌日であり、母が彼女たちに対し勘当を行った翌日でした。母は鏡台の小物入れからボタンやペンなど手あたり次第に投げつけたらしく、渡邊楓が投げつけられたこのボタンを入手することも可能だったのでしょう。そして理由ははっきりと出来ないが薬袋家を呪った。


 藁にもすがる様な推論を立てた私は、急いで渡邊楓を探しました。家にあった古い電話帳から実家の番号を探し出して、渡邊楓の母と接触することが出来たのです。それから彼女が住んでいるマンションまでどうにか辿り着きました。

 居場所を把握した状態でまず最初に行ったのは、渡邊楓を呪うことでした。意趣返しでもあるのですが、呪いの対象を増やせば、少しでも私の延命ができるとも考えたのです。

 幾つも呪いの手段を考えたのですが、一番理想なのは彼女が私たちを呪ったその呪いの環の中に誘い込むことです。思い出して欲しいのが、呪いを解呪する際に薬袋家の人間ではないことを明白にした点です。薬袋家の人間に、薬袋家の人間ではないと認識されると呪いの対象外となる。つまりその逆も可能なのではないか。

 薬袋家の人間だと認識すれば呪いの対象となる。私もふざけた結論に達したと思いましたが、可能性があるなら試すべきです。どうせすぐ死ぬので、最期まで足掻いてみようと。

 まずは「渡邊楓は薬袋家の人間である」と強く思い込むようにしました。そこから、言葉として口にだし、文字として紙に残すように様々な方法を試したのです。そうしている内に、渡邊楓が引っ越しをすることが分かり、引っ越しの際にストーカーの如く後をつけ、新居に押し掛けることを決めたのです。

 無理やり新居を訪ねてから部屋に上がり、「ただいま」と言いながらまるで私の家であるかのように振舞ったのです。また薬袋家に一晩寝かした藁人形の中へ、彼女の肩に付いた髪を詰め込み、敢えて残してきたりもしました。そういえば、薬袋家の仏壇に残っていた線香も手土産として渡したっけ。

 そして、儀式やら失踪やらと無理やり理由を作り、渡邊楓を薬袋家まで案内したのです。

 目的は二つでした。

 一つ目は、渡邊楓を薬袋家の人間として呼び込むこと。「おかえりなさい」と家の中へ案内することで、薬袋家の人間だと認識されるのではないかと考えたのです。

 二つ目は、薬袋家を呪ったという確証を得ること。仕草でも、言葉尻でも何でもいい、私が確信できる何かを得られればそれで充分でした。

 結果として、どちらも成功したのです。

 私が初めて、渡邊楓の新居へ押しかけたときから終始何かに怯えている様子でした。その様子は、薬袋家へ連れて行った際も同じであり、寧ろ、より大きくなっていたのです。まるで誰かが後ろからついてくるような挙動。まさに呪いの対象となった私たちが、背後から迫る呪いの足音に怯えるときの姿と同じだったのです。

 そして彼女が例のボタンを知っていることも、家紋を知っていることも判明したのです。ただこの情報も蜘蛛の糸のように細い細い生命線であることには変わりませんが、そのほかの状況証拠も加味すると私にとっては確信へと繋がる光明でした。流石に長くなるので詳細は割愛させてもらいますが。

 渡邊楓と一緒に薬袋家を巡り、疑念が確信に変わった瞬間、私は最後の呪いをかけることを決意しました。凄く単純な呪いです。それは彼女の写ったチェキに私の血を付けて縁側から投げ捨てるというもの。しかも彼女の目の前で行うことにしたのです。実際の彼女は、目の前で呪われたと気付いていたかは分かりませんが。


 呪詛返しにも、解呪にもなりませんが、渡邊楓がボタンを使って行った呪いと同じ方法で呪い返すことができて私は満足です。これが私にできた最期の悪あがきでした。残りは実際に渡邊楓が死ぬのか、死ぬ前にこのノートのもとに辿り着いてくれるのか、それだけが気がかりです。

 私と渡邊楓が死ぬことで薬袋家に蔓延る呪いは消え去るはずです。

 呪いを消し去るだけなら渡邊楓を巻き込む必要は無かったのですが、態々巻き込んだことは私のエゴです。呪いを広め、明確な殺意をもって彼女を殺そうとしていることについて、私は後悔していません。呪いの対象から外そうと苦心した母たちの気持ちを無視し、恩を仇で返した渡邊楓を私は許さない。たとえ私自身がどんな罪を、業を背負うことになっても彼女だけは道連れにしないと気が済まない。

 絶対に許さない。絶対に。


 ただ、もし最期に一つ我儘を言えるのならば。

 願わくば、姉たちが眠るあの部屋の下でみんなと再会できることを。』


 以上が当麻さんが遺したノートの内容でした。

 母がいじめられていたと思ったあの日、それは私が助けられた日であったのです。私は取り返しのつかないことをしていたのでした。過去の過ちは消すことも清算することも出来ませんが、この事実を隠さずに記載したのは私なりの懺悔でもあります。謝っても許されることは無いのですから。

 因果応報といえば良いのか、当麻さんの話が本当ならば、私は私自身が掛けた呪いによって呪われていたのです。たぶん、あの8mmビデオを見つけたのとほぼ同じ頃に、私は当麻さんに呪われたのでしょう。薬袋家にしか掛からない呪いの螺旋に囚われ、私はただゆっくりと底の無い地獄へ落ちていくのです。

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