祝詞

 8mmビデオに映っていた少女が、カメラへ向かって丸めた懐紙を投げつけていたことを憶えているでしょうか。足元に散らばった紙屑を憶えているでしょうか。

 私はその紙に何が書かれていたのか知っているのです。

 何が書かれていたのかを思い出してしまったのです。

 そこに書かれた内容は「しにたくない」でした。えぇ、さきほどの戸棚の裏に張り付けられた血に濡れた紙片、それこそが少女の書き残した言葉であり、願いであり、私が自分自身で封じていた記憶なのです。

 突然何を書き始めたのかと思うでしょう。

 しかし、ここで私は自分自身の記憶の整理をしないと、これまで引き摺り続けた認識のずれを正せないと思うのです。明らかな釦の掛け違いを放置しておくようなことは出来ません。

 まず初めに、あの8mmビデオについて謝らなければならないことがあります。散々怯えていましたが、どうやらあの映像の撮影者というのは私のようです。いえ、私だったと断言できるのです。

 あれは私が幼稚園に通っていた頃だと思うので、二十年から十八年前くらいになるのでしょうか、確かにその頃に一度、私は薬袋家を訪れていました。母に手を引かれて初めて訪れた薬袋家の邸宅は、都会の小さな部屋で育った子供にとっては、あまりにも立派で荘厳で、圧迫感を憶えるほどの非日常感に溢れていたのです。しかし、その荘厳さの中に一点だけ、言葉で表すことの出来ないような違和感、畏怖と言えば良いのでしょうか。子供ながらに触れてはいけないと直感で感じられてしまうほどの何かが存在したのでした。

 例えるなら、ただ一本、細いロープで空間を区切っただけでそこから先に入るのを戸惑うようなものです。より具体的に言うと、神社の注連縄でしょうか。神域との明確な境界、現世と交わらないようにする結界。まさにそれと同じような空気を、子供ながらにあの薬袋家で感じてしまっていたのです。

 その空気の正体までは分からないまま、私は例の襖の奥にいた少女と出逢ったのです。

 はい、8mmビデオに映っていたあの少女です。

 今だから理解できるのですが、私があの少女と一緒に居るとき、薬袋家の住民は周りに一切いなかったのです。それは少女を生贄とするため、情が移らないように「いないもの」と扱っていたからなのでしょうか、それとも生贄という存在がいることを私たち部外者に悟られないよう、避けていたのでしょうか。

 いずれにせよ、私と少女が二人きりになる時間が驚くほどたくさんあったのです。

 遠く離れた場所から来た私が珍しかったのでしょう、外の生活、都会の高層ビルと狭い空の風景というような話に興味津々でした。満足に外へ出ることも出来ない分、余計に「外」という未知の世界への憧れがあったのでしょう。例の8mmビデオを撮影したハンディカムについてもそのとき話題に出ていました。あのハンディカムが薬袋家の物か、私の母の物か思い出すことは出来ませんが。

 その少女の年相応の好奇心と、神秘的で大人びた雰囲気にどこか私は嫉妬に似た感情を抱いてしまっていたのです。だからでしょうか、薬袋家へと向かう途中で母から聞いた、死と縁側の話もしていたのです。つい数時間前まで知らなかった知識を得意げに。

 ひとしきり私の話に目を輝かせた後、吐き捨てる様に彼女が漏らした言葉が、事情を知った今となってはっきりと別の意味を持って思い出せるのです。

「わたしがいないと、みんな悲しくなるんだって」

 それは当たり前の言葉でした。誰だって大切な人が居なくなると悲しくなるものです。しかし、改めて振り返ってみるとこの言葉を素直に咀嚼して飲み込んでしまっても良いのだろうか、いやそれではいけないのだろうと感じてしまうのです。貴方は、どう思いますか。

 少女がいなくなるという意味。

 悲しくなるという言葉に込められた意味。

 きっと同じ結論に辿り着いたと思います。

 そう、「生贄がいなくなり、災いが降り注ぐから困る」。

 これなのです。

 そしてその少女はこうも言っていました。

「わたしはみんなに意地悪されてるから、わたしも意地悪するんだ。ねぇ、てつだって」

 こうして例のビデオが撮影されたのです。

 薬袋家にどのような影響を及ぼすのかを知らないままに撮影したビデオの内容が、少女に対する純粋な好奇心が、幾人もの死を招く結末を引き起こすことになったのです。

 私が少女に言われたことはたったの二つ。「撮影しながらついてきて欲しい」ということと「合図をしたら、わたしを恨みながら縁側から突き落として欲しい」、これだけでした。

 そして私は、あのビデオの最後に静かに彼女を縁側から突き落としたのです。言い訳がましいですが、突き落とすなど、勿論やりたくはありませんでした。しかし、彼女自らの願いですし、ビデオの内容を思い出してくれれば分かると思いますが、紙屑を投げるなど、わざと私に対し意地悪をしていたのです。そして、わざとなのか偶然なのか分からないのですが、彼女は縁側で転んでしまった。

 思わず私は当初の目的を忘れ、カメラを放り投げつつ彼女のもとに駆け寄ったのです。いくら彼女を恨みながら突き落とす必要があったとしても、私は彼女との間に確かな友情を感じていたのですから。友情というにはあまりにも刹那的で歪な関係ではありましたが。


 わたしが駆け寄ると、縁側に仰向けで横たわっていた彼女は静かに微笑んだのです。

「大丈夫、わたしをころして」

 幾度となく私は首を振りました。

 幾ら決意したとしても、脳は理解していても、いざその場に立ってみると身体が動かないものです。

「大丈夫だよ、私をたすけて」

 そう言うと、そっと私の手を取り、彼女自身の肩に優しく添えたのでした。もう私にはどうすることも出来ませんでした。このまま押すしかない。そう思うと悲しくて、悔しくて、すべてを恨みました。しかしながら、不思議と立っている背中を押すよりも、横たわっている姿を押すのは抵抗がないものです。

 さようなら、と一言呟いて彼女の肩をそっと押し、縁側から外へと送り出しました。これが出棺だと、覚えたての言葉が脳裏に浮かび、この瞬間に彼女は死んでしまうのだと理解してしまったのです。

 こうして私は、肉体的な死ではなく、精神的な死でもなく、ただ彼女に対して死という概念を付与したのです。勿論、そんなことはその当時には考えもしませんでした。

 あの8mmビデオは私にとっての呪いでなく、ただただ彼女を突き落としたという重荷に耐え切れず、二度と思い出すことの無いよう綺麗に封印していた記憶を呼び起こす鍵だったのでした。もしかしたら、それこそが一生付き纏う呪いともいうのもしれませんが。


 私は殺人を犯したのです。

 私は生贄の儀式を妨害したのです。

 私は薬袋家を呪ったのです。

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