儀式

 呪いというものがあるのか、それだけが私にとって重要でした。

「詳しく説明しますね」

 机に置かれた形代と藁人形を手に持って説明を始める姿を、私は物珍し気に眺めていました。水族館で水中を漂う海月を眺める様にぼんやりと。私にとっては、そのどれもが創作物の中での話のように思え、現実味が全くなかったのです。

「まず先祖代々、私の家系ではとある神を祀っていたのです。名前は控えますが、一般的に知られていない、なんなら先祖自らが作り上げたと言って良いほどの神様です。過去の書物を漁ってみると、人柱、人身御供、このような単語が何度も出て来るので、神に対してどのようなことを行っていたのかは容易に分かるでしょう」

「そういう言い伝えだけで、特殊な儀式とか神の祟りとか実際には無いのですよね」

 首を振りました。その動きが恐ろしいほど緩慢で、悪夢を見ているような、自分だけが流れゆく時間に取り残されているような感覚に陥るのでした。

「儀式も祟りもあります。寧ろ、私の家系はもともと呪われていたのです。その呪いに対抗するため、先祖が現在の神を祀ったのです」

「呪われていた?」

「はい。何をしても失敗続き、畑の作物は収穫する直前になると不自然に腐り始め、商いをしようとしても商品は傷むし盗難にもあう……、どんな努力をしてもぎりぎり生活出来るほどの日銭を稼ぐだけで精一杯のようでした。その状況を呪いだと考えたようで、打開するために神を降ろし、祀る様になったらしいのです。もちろん先ほど伝えた通り多くの贄を用いた結果、その効力も強力なものになりましたが、呪詛に塗れた荒魂でもあったのです。勿論、呪詛に塗れた状態であれば私たち一族にも呪いが降りかかってしまう。そこでその呪詛を抑え込むために行っていたのが、神を降ろす際にも行った人身御供でした」

 淀むことなく語られる内容に、実は全て嘘でしたと言われても納得してしまうほどの現実感の無さに襲われます。それもそのはず、呪いに続いて神まで現れてしまったのです。仕舞い忘れていた机の上のビデオカメラが何故か気になり始めたのも、私がこの話を聞いた頃でした。8mmビデオという呪いを呼び起こした触媒、呪いを起動するための儀式。そのように認識してしまったのです。

「ただ生贄と言っても、時代と共に倫理観や世情が移ろう中で、生身の人間を捧げることが出来なくなりました。当然と言えば当然ですね。そこで使い始めたのがこの藁人形です。儀式の際には藁の中に爪や髪を入れ、こっちの形代へ降ろした神に対して捧げます。捧げ方には特に決まりはありませんが、死に装束を着せ、『目』に位置する部分に釘を刺すことだけは必ず行うようです」

「目に釘を刺す」

「一族を見守って貰うための、周囲を見張って貰うための『目』を捧げるという意味があるそうで」

 手にした藁人形の目であろう位置を、何度か小突く姿に心臓がきゅっと締め付けられるような気持ちになります。身代り人形というのがどのような効果であるのかは分かりませんが、どこか不安を憶える所作ではあったのです。まるで本物の人間の眼を刺して抉るような。

「そして私が生まれるよりも前、一度だけ儀式を怠ったことがあったようです。藁人形を使い始めた結果、徐々に儀式の本質が忘れられ、神の祟りを信じなくなったことで、生贄を用いる儀式など必要ないという呪詛を軽視した考えが蔓延した影響だと聞かされています。その後、どうなったと思いますか」

「また作物が腐り始めたとか……でしょうか」

「不審火に、疫病、怪我、ありとあらゆる災いが起こり始め死者が出たのです。それ以降、儀式を軽視することは禁忌とされるようになりました」

「えっと、儀式が今も続いているのは分かりましたけど、失踪は儀式を行わなかったからだと?」

「はい。厳密にいえば、儀式に失敗したからだと思っています。失踪の始まった二十年近く前の話です。もっと詳しく言うと十七、十八年くらい前でしょうか、その際の儀式で捧げられる贄に問題があったようなのです」

 カチ、カチ、と耳の奥で音が鳴ります。その音が時計の秒針なのか、心労からくる幻聴なのか私には分かりませんが、その音に呼応するように目の奥がじんわりと熱く、痛みを感じるようになりました。

 そして、自分の視線が机の上のビデオカメラと、8mmビデオをしまった引き出しの間で揺れていることを自覚し始めたのです。擦り切れたビデオの様に小刻みに揺れる視界。

「十数年? 数十年? おきに行われる儀式での失敗。儀式前、薄々とは贄の方に問題があると気付いていましたが、多少の問題は誤差の範囲であろうと、そのまま強引に執り行ってしまったのです。すべての元凶はそこでした。それからは先ほどもお伝えした通り、一人、また一人と失踪者が出始めたのです。いくら追加で儀式を行おうとも止まることはなく、今日まで呪い、呪詛が失踪という形で続いています」

 呪いという言葉が重く圧し掛かります。

 当麻さんの話す言葉からは私が手に負えることなど無いように思え、今すぐにでも前言を撤回してしまいたいという後悔と、この先に待つ地獄から逃げたいという焦りが、両の掌を固く握らせます。じんわりと不快な汗が手のひらに広がる感覚。微かに香る石鹸の匂い。

 空間に散らばる要素の一つ一つが私から正常な判断力を奪い去っていたのです。

「すみません、楓さん。恥ずかしいのですが、お水って頂けますか。緊張と話し続けたせいで、喉が渇ききってしまって」

「あ、ああ、そうですよね。大丈夫ですよ。持ってくるので少々お待ちください」

「本当にすみません」

 彼女の言葉で私自身も喉が渇いていることに気付きました。不思議なことに一度自覚してしまうと、焼けるように喉が熱くなってくるのです。

 キッチンで冷えた水をグラスへ注いでいる間にも、私の背筋には指先で撫でられるような一種の不快感が常に付き纏っていました。付くというよりかは、憑くと書きたくなるほどです。表現するとすればシャワーを浴びている最中に背後に感じてしまう、不安と恐怖が入り混じった気配に近いでしょうか。

 それから暫く、大体五分ほどキッチンで呼吸を整えたのちにリビングへ戻ると、静かに天井を眺める当麻さんがいました。出来るだけ平常心を保ちつつ、彼女の前にグラスを置きます。結露したグラス。指先に付いた水滴の感触が、拭っても消えずに残っていました。

「ありがとうございます、助かりました」

「いえ」

「それで楓さんに依頼したいことなのですが、よろしいでしょうか」

「私に出来ることなど無さそうですが」

「薬袋家へ向かうのですが、その際に楓さんにもご同行して欲しいのです。先ほどお伝えした儀式での強力な触媒になるものが屋敷に残されているらしいのですが、どうしても一人で行くのが怖くて」

「一緒に行くだけ?」

「はい、一緒に来てくれるだけで大丈夫です。子供の頃に、あの屋敷に足を運んだことのある楓さんだからこそ、もしかしたら私にも見つけられない何かを見つけてくれるかもしれないですし」

 薬袋家へ向かうのは、十何年ぶりでしょうか。薬袋家、その言葉で脳裏を横切ったのは青く晴れ渡る空が覗く綺麗な縁側でした。そして気付けば何かに導かれるかのように、私は返事をしていたのです。

「もちろん私で良ければ、喜んで伺いますよ」

 本当に不思議なことに、言い淀むことなく言葉が紡がれていきました。まるで私の口が意志を持ったかのように。

「いつでも大丈夫です。なんなら明日でも、連絡を頂ければ直ぐに」

「ありがとうございます。私の我儘に付き合ってくれて、本当に感謝しきれないです。それでは後ほど連絡しますね。さすがにこれ以上の長居は申し訳ないので、この辺で帰ります」

 そう言った当麻さんの表情はとても晴れやかでした。あの笑顔を思い返すたびに、彼女がどれほどの重荷に耐えていたのかが容易に想像できるのです。

 立ち上がった当麻さんが、机の上に放置されたハンディカムを手に取ったのです。

「ずっと気になっていたけど、凄く懐かしいですね、これ。今でも使っているの?」

 ハンディカムを手にされたことよりも、砕けた口調に驚いたのを今でも鮮明に憶えています。

「使ってないですよ。引っ越しの際に偶然気になったビデオがあって、その映像を確認する為だけに買ったんですよ」

「どうでした、その映像」

「えっ」

 言葉が詰まって「う」と「え」の中間のような声が出てしまったことに対する、言いようのない居心地の悪さを笑ってごまかしたのです。

「その映像の中身ですよぉ。何が映ってたんですか?」

「女の子が映る、知らない映像です。でも何となく薬袋家の縁側を思い出しましたね。あの綺麗な縁側」

「へぇ、そうなんですね。ふぅん、そっか。もしかしてそのビデオってあの引き出しに入っていたりして」

 当麻さんが指さした先は、私が見ないように意識して視線を逸らし続けていた引き出しでした。もちろんその中には、例の8mmビデオが入っているのです。

「良く分かりましたね」

「ただの勘ですよ。時々、凄く怯えた目であの引き出しを見ていたので。あっ、そうだ、渡し忘れるところだった。受け取ってください」

「これは?」

 彼女から渡されたのは小さなお守りでした。

「お守りです。先ほどの呪いとか、私たちの都合に巻き込んでしまわないように、出来れば身に着けておいてくれると嬉しいです。気休め程度ですが」

「とてもうれしいですよ。ちょっと安心しました」

 その言葉に嘘偽りはありませんでした。不思議なことにお守りを手にした瞬間、肩に乗っていた黒い靄のような圧力が消え、僅かながら気が楽になったのです。

「良かったです。ではこの辺で、今日の夜にでも連絡させて貰いますね。ありがとうございました」

「では、お気を付けて」

 当麻さんを見送り玄関を出ると、空には雲一つない綺麗な青空が広がっていました。ええ、この先の未来が素晴らしいものであるかのように。

 リビングへ戻り、すっかりぬるくなったグラスをキッチンへ片付けようとして、ソファの上の違和感に気付きました。藁人形です。当麻さんがしまい忘れていた藁人形が、クッションの間に残されていたのです。そういえば、と思い興味本位で藁人形の胸の部分を指で掻き分けました。見なければよかった。頭の中を支配するのは、ただただ見なければよかったという後悔のみ。

 ぽろぽろと足元に落ち、カーペットの隙間に挟まった小さな欠片を恐る恐る手にすると、黄ばんだ一枚の爪でした。子供の爪でしょうか。私はもう悲鳴すら上げることも出来ず、ただ視線だけが何かに救いを求めていたのです。

 机の上に残り続ける乾いた水滴の後が、いつまでも消えない呪詛を刻み付けているようでした。

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