失踪

 当麻さんを部屋へ上げることにしました。引っ越しをして初めてのお客さんが、友人でも家族でもなく、見ず知らずの相手。私も正気ではなかったでしょう。

「ただいま」

「どうぞ」

「楓さん、肩に塵がついてますよ。取りますね」

 当麻さんもご家族の失踪などで余程疲れていたのか、頓珍漢な挨拶をしながら玄関へと入ってきたことを憶えています。当麻さんをリビングへ通しソファに座らせようと、そして私が極力8mmビデオがあった側に座らないよう、自然に彼女を誘導しました。私をずるい奴だと思うかもしれませんが、それくらいは許して欲しいものです。個人的にはビデオが置かれていた場所というのは一種の呪いのようなもので、呪いとは、呪われたという認識が重要なのです。つまり、全く認識をしていない当麻さんなら呪いは無効だということ。

 この時の私は、このように御託を並べ自分の行動を正当化しました。

「そうだ、これお気持ち程度ですが、受け取って貰えますか」

 当麻さんから小さな紙袋を受け取り足元に置きながら、当麻さんの正面に座りました。

「詰まらないもの過ぎて恥ずかしいので、今は開けず、後ほど開けてもらえると私としては嬉しいです。ちなみに中身はお香ですが、好みに合うかどうか」

「そうですか、分かりました。ただそんな気を使わなくても良いですよ。こちらこそ、お茶の一つも出せずにすみません。引っ越したばかりなので。えっと、ご家族の失踪の話でしたよね」

 既に意識は足元の紙袋から離れ、失踪の話へと向いていました。ええ、未だに紙袋の中身を確認していないほどには。

「早速本題ですが、失踪に関してお話します。失踪の始まりは二十年近く前からです。最初の頃は、ただの失踪ということで近隣を捜索したり、知り合いに連絡を取ったりしていましたが、それから一人、また一人と失踪を始めました」

「警察には?」

「いいえ。楓さんも知っての通り、私の実家は周囲が山に囲まれたような人の少ない村でしたし、警察なんて中央から呼んでしまえば直ぐに悪い噂が広まってしまいます。いくら廃れようとも見栄というのでしょうか、近隣にバレたくない、そこまで大事にはできないという意識が働いたようですね」

 生まれてから都会で暮らしていた私には、隣人の顔すら知らないのが当たり前で、そのような近隣住民の"眼"というものを一番に考えることは無かった気がします。それこそ人の眼を意識する瞬間というのは、先ほどの玄関先での出来事くらいなのです。

 考えに耽る私のことを気にせず、彼女は訥々と話し続けました。

「それからというもの、数年おきに一人、若しくは一年に一人から二人など、不定期に失踪者が出始めました。もちろん警察に行った方が良いとお思いになるかもしれないですが、ここまで失踪者が出ると逆に行けなくなるものです」

「引くに引けず、現状のようになったと」

「はい。そして半年前、最後の失踪者が出ました」

「最後……」

「あの家に住んでいた住民は、私を除いて全員いなくなりました。最後の失踪者は私の父です。そして次、本当の意味で最後の失踪者になるのは私でしょう」

「でも失踪する気が無ければ大丈夫なのでは」

 彼女の話に憶えた違和感、その正体は全く分かりませんが、どことなく気持ち悪さを感じたのです。濡れたシャツを身に着けるような、肌にねっとりと絡みつく不快感。もしかしたら、自分の中の常識と噛み合わないことから生じたものなのかもしれません。

「私の父も最後まで失踪する気はありませんでした、そもそもそんな簡単に好んで失踪なんかできるわけないと思いませんか。特に私と二人で暮らしている状態で、住居、資金、食料、どれにおいても安定を棄てる必要性などないのです」

 なるほど、と当麻さんの言葉に納得する自分がいました。幾人の方が失踪したのかは分からないが、不自然と言えば不自然な状況だったのです。警察に連絡した場合、不当に当麻さんたちが怪しまれても可笑しくない状況だとも。

「そして父たちが常々、もし無理そうなら渡邊さんを頼りなさいと、楓さんならなんとか出来るかもと言っていたのです。お願いです、私を助けてくれませんか」

「そう言われても、私は何もできないですよ」

 まさに寝耳に水と言えるでしょう。こんな不可思議な状況をどうにかできる力など、私には無いのです。何をしても平均で、大した取柄もなく、子供の頃の記憶まで曖昧な私に何ができるのか。せいぜい囮になるのが関の山です。

「それに、二度しか伺った事のない親戚の方たちに、そこまで信頼される理由も分からないというか」

「あれ、三回じゃなかったでしたっけ」

「二回ですね。小学生の頃、どちらもお盆の時期でしたよ」

「そうでしたか。すみません、私の記憶違いでした。ただ、楓さんなら解決策を見つけてくれるはずだと常々言っていたのは本当です。その言葉だけを信じて、私はこの一年近く楓さんを探していました。全て解決してくれなど不躾なことは言いません、責任を取ってくれともお願いしません、ですが私の最期の希望にどうか、どうか」

 涙を流して言葉を紡ぐ姿が、どうしても演技にも見えず、私を騙そうとしているようにも見えず、つい手を差し伸べてしまったのです。私自身、軽率で流されやすいなとは思いましたが、貴方も、もし目の前でこのような事態が発生したら、無碍に突っぱねることは出来ないと思います。

 自分を必要だと口にしてくれること、そしてなにより、何か起きても私が責任を負う必要が無いということが魅力的でした。

「何が出来るのかは分かりませんが良いですよ。私に出来ることなら」

 勢いよく上げた当麻さんの顔には、安堵に似た表情が浮かんでいました。流した涙が机に零れ、どことなく8mmビデオの呪いが浄化されていくような気持ちになったのです。寧ろ、あの呪われた場所に座らせたことに罪悪感を憶えたほどです。

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

「私は何をすれば?」

「はい。まず、これを見て頂きたいのです」

 そう言って淡い色をした小さな鞄から取り出したのは、人型の白い紙と藁で出来た人形でした。紙の方はよく神社で見るようなもので、形代と言えば良いのでしょうか、陰陽師が主人公の漫画などで目にした記憶があります。

「こちらの紙は形代です。そして藁の方は、見たまま藁人形です」

「これで呪われたとでも」

「そんなことはありません。どちらも先祖代々まじないに使っているものです。まあ呪いもまじないも漢字にしてしまえば、同じ呪いなんですがね。それに本来、藁人形は誰かを呪うためだけにあるのではないですよ」

「はぁ」

「詳しい説明は後ほどしますが、この藁人形を私たちは身代り人形としていました、偶にウィッカーマンと呼ぶ人もいましたが、呼び方などどうでも良いですね。この藁の中に爪とか髪とかを入れて作るんです」

 正直な話、私は話半分で聞こうとしていましたが、出来ませんでした。今の世の中、呪いの類など信じている方が少数派でしょう。しかし、何となく引っかかるのです。8mmビデオに対し呪いのような感情を抱いてしまった今、笑って受け流すには余りにも間が悪く、見逃すのは難しすぎたのです。一日前までの私なら何も考えずに受け流すこともできたでしょう。寧ろ本来なら今でこそ受け流してしまう必要があるのですが……。だって、当麻さんの話を鵜呑みにしてしまえば、8mmビデオの呪いも肯定してしまうような気がしないでしょうか。

「詳しく話を聞かせてください」

 それでも私は、話を聞かずにはいられませんでした。

 自分自身の感じる呪いから目を背けたかったのか、呪いなどまじないなど無いと確信したかったのか。いや今では動機などに意味はありません。大事なのは、別の呪いに足を突っ込んだということです。ええ、他人に降り注ぐ火の粉を、態々隣で浴びようとするものなのです。

 そして僅かに考えました。もしこの失踪に何かしら呪いの類が関わっていたとしたら、私には何も出来ない上に関わると余計な被害を受けるのではないかと。しかしながら無情にも話は進んでいきました。

 やはり好奇心は猫をもという奴でしょうかね。

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