第15話 授業参観
私の父親は工業高校の電気科の教師だった。
「お父さんが先生なら、勉強は何でも教えてもらえるね。」
と、言われたことがあるが、とんでもない誤解である。父が教師であるのは家の外でのことである。家の中では、ただのオジサンなのだ。徹底した男女分業主義者で、「男は外で仕事、女は家の中で家事、育児、雑用」という考え方だから、家の中では、上げ膳据え膳である。食べたいものしか食べないし、テレビのチャンネル権も自分が握る。脱いだ服はそこらに散らかす。父親の所業について、母親は何も言わなかったが、子供ながらに、これは真似をしてはならないとわかっていた。
間違いなく、父親の所業のせいで、私は、教師といえどもただの人、学校でどんなに威張っていても、家に帰ればぐうたらな一面もあるはずだと思うようになり、子供のくせに、冷めた目で学校の先生達を見るようになっていた。
世間の目は残酷である。教師である父親から勉強を教えてもらったことはほとんどないというのに、教師の子供であるいじょうは、勉強ができねばならない。優等生で当たり前と思われる。何か悪さをしようものなら、
「あんた、先生の子やろ。」
と言われる。私の弟は、友人達と悪さをするたびに、一人だけ、先生の子なのに、と近所の大人達からお説教をされたそうだ。
私にとっては、「先生の子」というレッテルは、はなはだ迷惑なことなのだが、子供の教育を任された母親にとっては辛いものがあっただろう。高卒で、学歴にコンプレックスがあった母親は、教師の子供たるもの、出来が良くないと自分が笑われると思い込み、私に宿題の他に、国語や算数の問題集をさせた。問題集の後はピアノの練習があり、家にいると息が詰まるようになった私は、学校ではねをのばすようになっていた。もちろん、学校が楽しいだけの場所ではなかったが、何故か、母親といるよりはるかに気楽だった。そんな私にとっては、自分の世界に親が踏み込んでくる授業参観など、迷惑でしかない。
基本的に授業参観には母親がくるのだが、何をちまよったのか、父親がくることがあった。父親があらわれるだけでも、十分、目立つのだが、何より困ったのは、父親が学校中を見て回ることだった。後ろで手を組み、のしのしとそこら中歩き回る父親の姿は、まさに教師そのもので、近所付き合いが密な田舎の学校で、たいていの子供達は、私の父親を知っている。
「あんたのお父さん、きやはったでえ〜」
と言われて、
「えらい迷惑なことでごめん……」
と言いつつ、意見をしたところで、聞き入れる父親ではないしと、私はため息をつくしかなかった。
父親の授業参観への出没は、なんと、私が都市部の高校に入ってからも続いた。高校三年の時のことだ。授業中に、
「ちょっと……後ろに、どっかのお父さんが立ってはるで……」
と、となりの席のEさんから話しかけられた時、私は振り向きもせず、
「そうか……暇なオッサンがいるんやな……」
と応えた。もっとも、授業参観の後のクラス懇談会に父親が出席して、名簿の私の氏名のところに◯をつけたので、受け付を手伝ったEさんは
「何が暇なオッサンやねん。あんたのお父さんやないかいな……まあ、他人のふりしたい気持ちはわかるけど……」
とケタケタと笑った。
いったい、父親はどんな気持ちで授業参観に来ていたのだろう。いまさらだが、後ろを向いて手を振ってやればよかったのか、せめて嬉しそうに笑ってやればよかったのか。授業参観で学校にあらわれて、後ろで手を組んで歩く父親の姿を見る時だけ、自分の父親は教師なのだと実感していたように思うのだ。
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