第11話 M先生という人

 M先生のことを書くのは前回で終わるつもりだった。しかしながら、それでいいのだろうかと思っている自分がいる。このままだと、悪口を書き連ねているだけになってしまうではないかと。

 今から思うに、M先生は国語が好きだったようだ。他のクラスの先生達との兼ね合いはわからないが、国語の教科書にはない他の題材を使って授業をしていたことがあった。残念ながら、内容は覚えていないのだが、熱意がないとできないことだろう。短歌や俳句についても詳しく授業をしていた。若山牧水は、酒と旅を愛した歌人だと教えてくれたのはM先生なのである。私が若山牧水に心酔して、中学生から大学生のころまで短歌をつくるきっかけになったのは、ほかならぬM先生の授業だった。

 六年生の時、私達のクラスに教育実習生がやって来た。最初、六月にあらわれたのは近所に住む大学生のお姉さんで、みんなは大喜び。勉強はそっちのけで、いっぱい遊んでもらった。その後、九月にやって来た実習生はなんとM先生の娘。神経質な人だった。六月の教育実習生は楽しいお姉さんだったから、その後でギャップがあり過ぎて、クラスのみんなは苦労したはずだ。なんでもM先生の夫は画家だそうで、娘も大学で絵の勉強をしているらしかった。図画の時間に、デッサンらしきものをしたのだが、ごちゃごちゃと言われて、私はM先生の娘も絵をかくのも嫌いになった。

 自分の娘を自分が担任しているクラスで実習させるなど、本来してはならないことだろう。だが、M先生なりに、娘のことが心配で、そのように取りはからったのだろうか。M先生の娘さんは、性格的に他のところで教育実習などできなかったのかもしれない。M先生も、娘に甘い愚かしい母親だったのだろうか。画家の夫は頼りにならず、M先生は、自分一人で何もかも背負っていたのだろうかと想像する。もっとも、M先生のしたことが、その後、本当に娘さんのためになったかどうかはわからないが。

 M先生は感情に流される人だった。クラスに在日韓国人の子供がいて、いじめを心配したのだろう、私の記憶では子供同士は仲良くしていたのだが、

「日本人は中国や朝鮮の人に色んなことを教えてもらいました。だから仲良くしなさい。」

と言ったかと思うと、蒙古襲来の授業では、

「神風がふいたのです。日本は神の国です。」

とも言った。

 家庭の事情があり、妹の面倒をみていて、妹に手提げ袋を作ってあげた子供の家庭科の宿題(裁縫箱を入れる袋を縫う)を免除したことがあった。無茶苦茶な理屈なのだが、ただ、その一方で、M先生でも、子供の家庭の事情を思いやることがあるのかとも思った。だからこそ、クラスのみんなは、おかしいとか、不公平だとか言わなかったのだろう。

 M先生の言動は理論的ではなかったし、信念は感じられなかった。ただ、時として、実に、人間らしい一面を見せてくれたのだと今では思う。

 

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