第10話 抗議文

 前から書いているように、小学校、五、六年の時の担任のM先生は、嫌な人だった。嫌な人だったが、六年生にもなると、子供達なりに、M先生との付き合い方を習得していたから、子供達とM先生との表立ったトラブルは、そんなに多くはなかったと思う。誰もが考えることだが、トラブルになると、何かと面倒だ。それは、私もわかっていて、不満はあっても、何とかやり過ごしていた。ところが、人間、何が起こるかわからないものだ。

 六年の時に、毎日ではないが、日記を書く宿題が出るようになった。M先生を相手に書く日記である。学校行事のことや、家族で出かけたこと(私の場合は行き先は祖父母の家が圧倒的に多かった)など、当たり障りなく書いていた。ところがある日、M先生が

「あなた達はレベルが低いのだから、S中とK高で十分。」

と言ったことがあった。要するに、地元の公立中学校から地元の公立高校に行けということである。

 田舎だったが、中学受験を考える家庭がちらほらとあらわれたのが、M先生は気にくわなかったのかもしれない。私も、親に言われて某私立中学を受験することになっていた。当時の私は、何がなんでも合格したいと思っていたわけではない。ただ、親に受けろと言われただけである。クラスで仲のよかった女の子も私立中学を受験すると言っており、彼女も親に言われて、ということだった。

 それでも、である。あなた達はレベルが低いと言われると、しゃくだった。その時、ちょうどいいタイミングで日記の宿題が出た。なぜか、私にスイッチが入ったのだ。後先のことなどいっさい考えなかった私は、M先生に抗議文を書いた。特に「私達は馬鹿扱いされたら迷惑だ。」と、横書きのノートの三行分を使い、大きな字で書きなぐった。何くわぬ顔で提出すると、その日の昼休みに日記は私の机に戻ってきていた。授業の間の休み時間に、日記を見て、M先生はコメントを書いていた。要は私が誤解をしているというのだ。よく言うよと子供心にも思い、途中でM先生のコメント読むのをやめた。

 午後の授業は理科で、M先生は、理科が大嫌いな私に、わけのわからない質問をあびせたが、

「わかりませーん!」

とヘラヘラしながらやり過ごした。

「俺、わかります!」

とT君が助けようとしてくれたが、

「Nさん(私のこと)が答えなさい!」

とM先生は発狂状態で、それを見て、私は意地わるく、心の中で笑っていた。授業が終わってから、T君が

「さっきの、何、あれ?」

と言ってきたので、

「ホント、何だろうね。ヒステリーじゃないの。」

と笑っておいた。子供とはいえ、M先生にとっては、何とも憎らしかったことだろう。だが、今でも悪いことをしたという認識はない。そのあと日記を書く宿題はなくなった。

 ほどなく、私の抗議文は、私のランドセルを勝手に開けた母のせいで、両親の知るところとなった。

「先生に謝らせないと……」

と、母は真っ青だった。父が

「お前、これを書いたのか?」

と聞くので、

「うん。」

とだけ答えた。

「すっとしたか?」

と父に聞かれて、

「うん。」

と答えておいた。どちらかと言えば、怒りっぽい父に怒られなかった数少ない思い出である。

 私のクラスの中学受験をした子供達は残念ながら、ほとんどが不合格だった。今から思えば、何となく、軽い気持ちで受けているのだから、合格するわけもない。ただ、私の中に、何となく、外の世界に出たいという気持ちがうまれ、その後、地元の中学校を卒業してからは、私立高校に進み、上に大学があったのだが、あえて別の大学に進学したのだった。

 


 

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