第7話 忘れ物グラフ

 まさか、今はないと思うが、私が小学生の時は、クラスの壁に忘れ物グラフが貼られていた。クラス全員の名簿の横に、ご丁寧に方眼紙のような升目が書いてあり、忘れ物を一回すると名前の横の升目にバツマークがつく。

 二年生から六年生まで、この忘れ物グラフは存在していた。もっとも、二年生から四年生の担任のI先生は、実にいい加減な人だったから、ただバツマークをつけるだけで、お説教もない。     時折、何をちまよったか、発作的に、忘れ物をしたら、教室の前の廊下を雑巾で拭くという罰則を課すこともあったが、I先生が見張っているわけでもないし、子供達にとっては、何の意味もなかった。キャッキャッとはしゃぎながら、雑巾がけレースをして遊んでいただけで、廊下がきれいになるわけがなかった。

 だいたい、小学校の位置が悪い。駅と駅の中間地点、田んぼの真ん中にあり、どの地域からも遠いのだ。忘れ物に気づいたところで、子供の足で、家に取りに帰っていたら、完全に遅刻する。ということで、何の罪悪感もなく、みんなそろって、仲良く忘れ物をしていた。

 五年、六年の担任のM先生は、陰険な性格だった。保護者の批判を恐れたのか、忘れ物をしたからといって、罰則を課すことはなかった。そのかわり、些細な忘れ物でも、バツマークをつけた。私がよく忘れたのは名札で、だいたい服を着がえた時に忘れることが多かった。私のバツマークの数はごく平均的だったと思う。多くもなく、少なくもなかった。

 クラスのみんなは、さほど忘れ物グラフを気にしていなかったのだが、一度だけ、忘れ物グラフで紛糾したことがあった。M先生が、黒板に書かれた明くる日の時間割の横に「ハガキの用意」とだけ書いて、口頭による説明がなかったことがあった。一人を除いて、みんなは、ハガキを用意していない。もちろん、私も用意していなかった。

「先生は、口で説明していない。」

「急に言われても、ハガキを用意できない。」

六年生だから、みんな、黙っていない。口ぐちに文句を言ったが、M先生は「一人でも、ハガキを用意した人がいる。あなた達が間違っている。」

と譲らず、ハガキを用意した優等生を除いて、バツマークをつけられた。

 ちなみに、ハガキを用意した優等生、Yちゃんは、詩を書くのが上手な女の子だった。アイスクリームを食べた時のひんやり感を「口の中が北海道の冬みたい」と表現した。うわさでは、お父様が国語の先生だったとか。

 M先生の陰謀に負けて、バツマークがついた悔しさより、注意深く黒板を見て、ハガキを持ってきたYちゃんの賢さの方をよく思い出す。

 残念ながら、私は、いまだに、北海道の冬を知らない。いつか、訪れる機会に恵まれるだろうか。

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