第10話 クーデター

 気づけば、妖魔に遭遇することもなくコロニーのすぐ近くまで来ていた。


 結局、塹壕は使わずに済んだ。


 車のドアを開けながら和弘さんが呟く。

「これなら最初から車にすればよかったな」


 ショッピングモールに取り残されたわたしたちは、時間をかけて塹壕を歩き戻ったのだ。


 車を停めた場所からもっとも近い西門に歩み寄る。

 難民の姿はなかった。


 不意に鋭い声が飛んでくる。

「止まれ! それ以上近づいたら射殺するぞ!」


 フェンスの内側にライフルを手にしたふたりの男が見えた。


 警告どおりに立ち止まり、呼びかける。

「サスペンダーさん、わたしです! 赤リボンです。アレグロさんも一緒です」


 内側から驚いた声が返ってくる。

「赤リボン、どうした? ここは危険だぞ」


「わかっています。だから来たんです。そちらに行ってもいいですか?」


「もちろんだ。妖魔があらわれる前に早く入って来い」


 足早に近づく。

 梨恵ちゃんは和弘さんの身体で隠していた。


 門を開けて待っているのはサスペンダーさんだ。もうひとりの警備の男性は黙って見ている。


 サスペンダーさんは、わたしと和弘さんの顔を交互に見た。


「赤リボン、今は戻ってこないほうがいいぞ。大変なことになっているんだ。コロニーの住人が首長派とレイダ派に分かれ、争いが起きている。犠牲者も次々と出ている」


「サスペンダーさんたちは、どうしてここにいるんですか?」


 問われた男はもうひとりの顔を見た。相手がうなずく。


「門を守る者がいなくなれば、妖魔が入りこんでくる。どちらが勝とうが、ここを離れるわけにはいかないんだ。ほかの門でも、警備班はみな持ち場についているよ」


 わたしはちょっと感動した。

 サスペンダーさんたちは、どちらの側にもくみせず、ひたすら住人のために身を捧げている。


「わたしが何とかしてみます」


「しかし……」


 そう言ってから、思いだしたように言葉をひるがえす。


「そうか、おまえはレイダさまのお気に入りだったな。おまえがうまく助言してくれれば、この騒ぎもおさまるかもしれない。だが気をつけてくれ、銃声も聞こえたんだ」


 和弘さんが口をだす。

「深刻だな。両サイドとも引き返せないところまで来ているというわけか」


「そう思う。仮におさまったとしても、敗れた側は追放処分だ」


 サスペンダーさんはわたしに視線を戻した。

 梨恵ちゃんも視界に入っているはずだが、素通りしていた。


 魔法はうまく働いている。


 わたしはグラウンドを眺めわたした。

 あちこちで車が不規則に並べ置かれ、身を隠すためのバリケードになっている。

 どうやら人力で移動させたようだ。


 車列は間隔を置き、くねくねとしたラインを描いている。

 人の姿は見えないが、身を伏せているのかもしれない。


「レイダさまたちはどこですか?」


 サスペンダーさんは車の列を示した。


「あのバリケードのどこかだ。グラウンドはレイダ派、校舎は首長派が支配している」


「わかりました。ありがとうございます」


「アレグロ、持っていけ」

 サスペンダーさんが自分のライフルを差しだす。


「いいのか?」


「ああ。フェンスには電流が流れているし、相棒も銃をもっている。二挺は要らないさ」


「感謝する」

 和弘さんが受けとった。


 サスペンダーさんはわたしに視線を移す。

「赤リボン、死ぬなよ」


「死にませんよ」

 わたしは笑顔で答えた。


 ふたりの警備員に背を向けたわたしたちは、身をかがめ、バリケードめざして走った。


 まずはレイダと会って、この争いを鎮めるよう説得しなければならない。友理の件はそのあとだ。


 ごめんね、友理。もう少し我慢してね。


 わたしは心のなかで謝る。


 車列の端にたどり着いた。

 顔だけを出してのぞき見る。


 あちこちで男女のかたまりが身を伏せ、校舎をうかがっている。

 みんなクロスボウや鉄槍を手にしている。ごくわずかだが、ライフルを所持している者もいた。


 レイダらしき人影はない。

 どこだろう。


「美紗紀」

 和弘さんがわたしの注意を引いた。

 視線を先に向けている。


 十人ほどの男女に囲まれ、身をかがめている神官がいた。周囲の者は護衛だろうか。


 和弘さんが声をかけた。

「梨恵、おれの後ろにいるんだぞ」


 すばやく走り寄る。

 気配に気づいた護衛のひとりが顔を向けた。


 少女の存在を知られる前に暗示にかける。

「赤リボンとアレグロです。戻りました」


 神官が振り向き、驚いた顔をした。

 わたしたちはそばに寄り、かがみこむ。


「赤リボン殿、アレグロ殿。予定を変えたのですか?」


 周囲の耳があるため、配慮してくれたのだろう。コロニーを抜けたとは言わなかった。


「はい。レイダさまのことが心配で」

 さすがに真実は言えない。


「そうですか。心強くもありがたいことですが……」

 この美しい男性は赤い唇を噛み、言い淀んだ。


「神官さま、どうしたのですか?」


 和弘さんは口をつぐんでいる。魔法の効果に影響を及ぼすことを恐れ、わたしに任せているのだ。


「首長派に追われ、逃げている途中で、レイダさまが取り残されてしまったのです。救援に行こうにも、こちらの主力は校舎からの進撃を防ぐのに手いっぱいで、とても余裕がありません」


 つまり、レイダは首長派に取り囲まれているということか。

 友理のことを問いただすのが目的だったのに、事態は複雑化している。

 話を聞くためには、まずレイダを救出しなければならない。


 わたしは和弘さんに目顔で聞いた。

 頼りになる男性は黙ってうなずく。


「わかりました。わたしたちが向かいます。レイダさまは、どこにいますか?」


 神官はほっとしたような顔をする。

「ありがとうございます。体育館から農園にかけての中庭のはずです」


「だれか護衛役と一緒ですか?」


「巫女たちがいるはずですが、どこまで戦力になるか……」


 憂慮の色を浮かべる。


 巫女たちが、みな友理と同じような力を持っているのなら強力な護衛になるだろう。

 しかし動作は緩慢だ。サポート役がいなければ、飛び道具を持った相手には、たちうちできない気がする。


 そのとき、空間のねじれを感じた。同時に気分の悪さを覚える。

 魔法だ。

 レイダだろうか。あるいは巫女か。


「赤リボン殿、レイダさまと顔をあわせる前にお話ししておきたいことがあります」


 わたしは目の前の、女性よりも美しい男を見つめた。

「どのようなことでしょう」


「その、レイダさまを見ても驚かないで欲しいのです」


 おおよその察しはついたが、無知を装ったほうが賢明だろう。


「どういう意味ですか?」


「この騒動が起きてから、レイダさまは少し変わられてしまったのです」


「もう少し具体的に話してくれないか?」

 和弘さんが要求する。


 神官は思いきったように言う。

「つまり、攻撃的な振る舞いをするのです。もちろん首長派に対してだけですが。ですが、とても以前のレイダさまと同じ人物とは思えません。わたしたちを警護してくれる住人のためだとは思うのですが……」


 わたしは消えた言葉を補足した。

「人を傷つけているのですね?」


 神官はうなずいた。その瞳に憂慮の色が浮かんでいる。

「そうです。もちろんわたしたちも、彼らの暴力から身を守らなければなりません。しかし、レイダさまの姿を見ると、嬉々として魔法を使っているとしか思えないのです」


 レイダは生物の生命エネルギーを操る魔法の力を持つ。

 この力で攻撃するということは、すなわち人の命を奪うということだ。


「わかりました。慎重に行動します」


「どうぞお気をつけください」

 神官が心配そうに言った。


 わたしたち三人は中庭へと走った。

 体育館の壁に張りついて、そっと向こう側をのぞいてみる。


 広い中庭の中央にレイダがいた。

 三人の男に取り囲まれ、そのひとりを倒したところだった。


 周囲には巫女と首長派らしき男数名が横たわっている。

 巫女の背中には、クロスボウの矢が突き立っていた。


 鉄槍を構えたふたりは、逃げ腰になっている。


 わたしは仲間に囁いた。

「ふたりはここにいてください」


 和弘さんはライフルを構え直す。

「わかった。だが、おまえの命が危険にさらされたら、相手がレイダでも全力で戦うぞ」


「はい、そのときは合図をします。片手で握りこぶしをつくるので、助けに来てください」


「わかった」


「お姉ちゃん、わたしはどうすればいい?」

 梨恵ちゃんが聞く。


 わたしは少女の両肩に手を置いた。

「梨恵ちゃん、あなたは切り札なの。わたしたちをよく見ていて。あなたの助けが必要なときは、それとわかるような呼びかけをするわ。そうしたら、魔法を発動してね」


 少女は真剣な顔でうなずく。

「うん、わかった」


 わたしは向き直り、もう一度建物の角から顔を出して様子をうかがった。


 首長派の男たちに向かい、レイダが脚を踏みだすところだった。

 ふたりは悲鳴をあげた。戦意を喪失し、背を向けて逃げだす。


 死の女神は遠ざかる男の背に手のひらを向けた。


「レイダ、やめなさい!」


 わたしは建物の陰から飛び出した。

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