第6話 魔女の言葉

 自分の姿をした魔女が脚を止める。

 顔が触れそうなほどだ。

 まるで鏡に向きあうように、自分の顔をのぞきこんでいる。


 震えが止まらなかった。

 自分自身の手にかかって死ぬのだ。


 魔女の手が迫ってくる。


 死を覚悟したそのとき、そいつの下半身が弾け、緑の塵が舞いあがった。

 スプライトの立ちこめるなか、裸の上半身が落下する。

 鈍い音をたてて床に転がった。


 助かった……


 わたしは突っ立ったまま、魔女の残骸を見つめていた。


「美紗紀!」「美紗紀お姉ちゃん!」


 和弘さんと梨恵ちゃんが駆け寄り、震えるわたしを支えた。

 ふたりに助けられて歩こうとするが、膝ががくがくして思うように動けない。


「しっかりしろ」


 和弘さんが身体を密着させ、わたしの脇と膝裏に腕を差しこむ。

 足が床を離れ、上半身が仰向けに傾いた。


 梨恵ちゃんが目を丸くする。


 たくましい和弘さんに抱きかかえられ、近くのベンチプレスマシンに運ばれた。

 そっと下ろされる。


「怪我はないか?」


 シートに腰かけたわたしを和弘さんが気づかう。


「はい。もうだめかと思ったら、妖魔があんな風になりました」


「そうか。おまえに何かあったら、おれは……」

 それ以上続けず、横を向いた。


「お姉ちゃん、よかった!」

 隣に座った少女が身を寄せる。


 その背中をさすりながら、目の前の男性を見あげた。

「一体、あれは何だったのでしょう」


「おれのほうが聞きたいぞ」


 和弘さんは向かいのシートに腰を下ろす。


「おまえがやったことじゃないのか?」


「それは無理です。わたしに魔法があったとしても、タイプが違います」


 レイダさまの力に似ているが、彼女でも身体の一部を分解させたり、欠損部位を再生することはできないだろう。


「それもそうだな」

 和弘さんは顎に手をあてた。


「あの現象、スプライトの結合に似ていましたね」


 最初にこのショッピングモールを訪れたとき、駐車場で妖魔に襲われた。

 わたしたちは死を覚悟したが、あわやというところで、化け物はスプライトに分解した。

 そいつはスプライトが結合したものだったのだ。


 今の現象もそれに似ている。

 妖魔の半身が溶けて再生したときも、その再生した部分が再び分解したときも、大量のスプライトが舞った。


 スプライトがかぎを握っている。


 ふと気づくと、梨恵ちゃんの背中がこわばっていた。

 つい直前までは子どもらしく、柔らかな感触だったのに。


「梨恵ちゃん?」


 少女は抱きついたまま、顔だけをあげた。

 あいかわらず背中に力がこもっている。


「あなた、何か心あたりがあるの?」


 少しためらっていたが、やがて口を開いた。

「わたしね、さっきお姉ちゃんとおじさんが、武器をもった男の人たちに脅されているのを見て、あの妖魔が蘇ってくれればいいと思ったの」


 あのとき、この子は入り口の陰からわたしたちのことを見ていた。


「それで、お姉ちゃんがあいつらに呪いをかけた、妖魔は死んでいないというようなことを言ったでしょう?」


「ええ、たしかに言ったわ。あいつらに幻覚をかけるつもりだったの」


「わたし、本当にそんな気がしたの。そうしたらスプライトがたくさん集まって、妖魔の身体をもとに戻したわ」


 やはりスプライトがかぎだったか。

 ほかにも思いあたることがある。


「ひょっとして、あなたがわたしの部屋に隠れていたときも、何か考えごとをしていたの? あのときもスプライトだらけだったわよね」


 梨恵ちゃんはつぶらな瞳で、和弘さんとわたしを交互に見る。


「わたし、みんなが魔女の噂をしているのを耳にして、本当に怖かったの。ひとりぼっちで隠れていなければならないのに、魔女があらわれたらどうしようかと恐ろしかったわ」


 そういうことか。

 魔女は梨恵ちゃんの恐怖の感情の具現化だったのだ。

 だから短時間しかその状態を維持できず、目撃されてもすぐに消えてしまう。

 わたしが神殿の帰りに目撃した人影も、結合したスプライトだったのだ。


 わたしは梨恵ちゃんを抱きしめた。

「あなたがわたしを救ってくれたのね。ありがとう」


 少女は嬉しそうにしがみつく。


 肩を抱きながら、やさしい顔で見ている和弘さんに話しかける。

「まだいくつかわからないことがあります」


「どんなことだ?」


「先ほど梨恵ちゃんがスプライトを刺激したときは、魔法の発動を感じませんでした」


「いつものような空間の揺らぎや気分の悪さはなかったということか?」


「はい」


「ふうむ」


 和弘さんは考えこんでいたが、やがてゆっくりと言った。


「これはおれの推測でしかないが、おまえたちは、ふたりでひとりなのだと思う」


「ふたりでひとりですか? どういうことでしょう」


「魔法だよ。スプライトは強い感情をキャッチしてそれを具現化する」


「はい」


「同時に幻覚も見せる。暗示と言い換えてもいい」


「あのショートカットの女性ですね。虚空に向かって叫んでいました」


 幻覚を見たのだ。自分にとっては心の底から恐ろしいものを。


「スプライトが結合して実体化するには、いくつかの段階を踏むのかもしれない」


 言わんとしていることがわかった。


「単に対象の知識だけでなく、視覚情報、聴覚情報を充分に引きだすということですか。その次にその情報をもとに具現化させる」


「そうだ。おれたちの体内はスプライトだらけだ。だから直接脳に働きかければ、暗示をかけ幻覚を見せることができる。それが美紗紀、おまえの力だ」


 わたしはあとを継いだ。

「そして梨恵ちゃんは、その幻覚を本物と認識してスプライトを結合させる」


「そうだ。梨恵はおまえのことが好きだ。だから特におまえの言葉の影響を受けやすい」


「ですが、それだけでは魔法の発動を感知しないことの説明にはなりませんよ」


「スプライトは生物の体内に入りこみ、共生状態をつくるのだと思う」


 わたしは思いだした。


「それがショッピングモールで、スプライトが妖魔に捕食されていた理由ですか」


「おまえはあのとき、スプライトが進んで捕食されに行っているように見えたと言った。正しかったんだよ。幻覚を見せて体内に取りこませる。体内で共生状態をつくりだし、繁殖する。それがスプライトの生存戦略だ」


「妖魔が繭に覆われたのはスプライトの作用なのですね」


「妖魔の体内で充分に繁殖したスプライトは外界に出る。そのときに妖魔は完全変態する。サナギから蝶になるのと同じだ。体構造もつくり変えられる」


「人間には違うように働くということですね。魔法を付与する。なぜでしょう」


「おれたちは異なる世界の存在だ。だからスプライトの持つ機能は完全には発現されない。きっとおれたちのなかの何かが、スプライトの働きの一部を停止させたんだ。ちょうど、太古の海で細胞同士が結合して多細胞生物になるときに、相互に機能の一部を停止させたように」


「梨恵ちゃんとわたしは、もともとスプライトがもっていたひとつの魔法の力が分かれて定着した。梨恵ちゃんが魔法を発動しても、わたし――というより、わたしのなかのスプライトにとっては、自分の魔法が継続しているに過ぎない。だから何も感じないということですね」


「そういうことだな。スプライトにもさまざまな種族があり、それによって外界への干渉の仕方も違ってくるのだと思う。レイダのように生命エネルギーを操作するもの、火炎を使うもの、さまざまだ。そして、おまえたちのそれは具現化だ」


「魔法を使える人間がかぎられているのは、なぜでしょうか」


「わからないな。遺伝子が違うのかもしれないし、年齢が関係しているのかもしれない。要因はいくらでも考えられる」


 妖魔がわたしそっくりになったのはどうしてなのだろう。


「この妖魔は、わたしの姿に変化しました。梨恵ちゃんが魔法を発動する前でした」


 わたしは床に転がっている妖魔だったものに目をやった。

 あいかわらずわたしの姿のままだ。分解はしていないし、妖魔に戻ってもいない。


「おまえの姿になったのは、たまたま直前に、おまえの血液を吸収したからだろう。おまえは梨恵をかばって傷を負った。そのときだな」


 あの妖魔はわたしそのものだったのか。

 そこまで考えて、不意に恥ずかしさがこみあげた。

 わたしの姿をした妖魔は全裸だった。わたしと同じということは、それを和弘さんに見られたわたしは……


 ああ、どうしよう。

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