第4話 追跡者たち2
和弘さんが大きく息を吐きだした。
「危機一髪だったな」
よほど怖かったのか、少女はまだ泣きじゃくっている。
「梨恵ちゃん、もう大丈夫よ」
わたしは背中をさすりながら、遠まきにのぞきこむ。
妖魔は重い器械の下敷きになっていた。
下半身を押しつぶされながらも、まだ動いている。恐るべき生命力だ。
「まさか、抜けだして襲ってくるということはないですよね」
「その心配はないだろう。こいつの上にのしかかっているトレーニングマシンは重量がある。その上、片脚はハエトリグサに捕らえられ、二重拘束だ。傷は重く、放っておいてもいずれ息絶える。危険を冒してとどめを刺す必要もない」
ようやくわたしも落ち着くことができた。
「安心しました。今日はここで夜を明かす方針ですか」
室内はすでに薄墨色の闇が混ざりこんでいた。
壊れた窓の外に目を移す。沈みかけた太陽がビルの陰から最後の光を放っていた。
「そうだな。まずは二階に上がって水と食べものだ」
和弘さんが壁にかかっている懐中電灯を手に取った。二、三度スイッチを入れ、電池が残っていることを確認する。
「さあ、行くぞ」
「梨恵ちゃん、行こう」
泣きやんだ少女の手をつなぎ、歩きだそうとしたとき、片脚に痛みが走った。
眉をしかめるわたしに和弘さんが目を向ける。
「美紗紀、どうした?」
わたしは自分の脚を見た。
ズボンの左脚の部分がぐっしょりと血で濡れている。
和弘さんが青ざめた。
「見せてみろ!」
すごい勢いでズボンの裾をまくりあげる。
しばらくあらためていたが、やがて安堵の色を浮かべた。
「どうやら、妖魔にやられたようだな。出血はしているが傷は浅い。簡単な手当てで済むだろう」
ジムの出入り口を抜け、二階に上がる。
懐中電灯の冷たい光のなか、医療品と食糧を探す。
さいわい、災害時の非常持出袋のセットがあった。リュックのなかに一式入っているやつだ。
まずはわたしの傷口を消毒したうえで、包帯を巻く。
それが済むと、同梱されていた水と食べもので腹を満たした。
リュックのなかには、アルミ製のブランケットもあった。今夜はこれにくるまって寝ることにした。
森にいた妖魔が来ているかもしれない。本来なら見張りを立てなければならないところだが、くたびれ果ててそれどころではなかった。
固い床に商品のTシャツなどを敷き、かたまって横になった。
闇のなかを見つめていると、レイダさまや神官の顔が思い浮かぶ。
わたしたちがコロニーを出てから半日以上が経過した。クーデターは成功しただろうか。
ふたりとも無事であってほしい。
それ以上考えられず、泥のような眠りに引きこまれていった。
翌朝、目覚めると和弘さんの姿が消えていた。一瞬どきりとするが、用を足しにいっていると見当をつける。
再び目を閉じた。
次に起きたときにもいなかった。
隣ですやすやと寝入っている梨恵ちゃんを起こさないように、そっと立ちあがる。
二階をざっと見てみたが、どこにもいない。
一階のジムだろうか。
階段を下り、トレーニングフロアに入る。
見慣れた背中があった。微動だにせず、何かに見入っている。
昨日、妖魔を捕獲した箇所だ。
「和弘さん?」
そっと声をかけると、こちらに顔を向けた。
「美紗紀、ちょっと来てくれ」
言われるままにそばに行く。
「何だと思う?」
年上の男性の示す先には、緑の繭のようなものに包まれた妖魔の姿があった。
「
「おれもそう思った」
「嫌な予感がします。なんだか、あの森で妖魔が誕生したことを連想してしまいます」
「同感だ。美紗紀、おれと感覚が近いな」
普段なら嬉しさでいっぱいになるところだが、今は不吉な予想ばかりが頭をめぐる。
「まさか生き返らないですよね」
和弘さんは難しい顔をした。
「何とも言えないな。昨夜の時点では、まだ動いていた。とはいえ、息を吹き返したとしても下半身は固定されたままだ。注意しておけば、すぐにどうということはないだろう。こいつを監視する役はおれが引き受ける。おまえは二階で物資を調達してきてくれ」
「わかりました。そろそろ梨恵ちゃんを起こして……」
「ふうん。こんなところにいたのか」
入り口から新たな声が聞こえてきた。
会話を中断したわたしたちは、さっと視線を向ける。
男がふたり。
ひとりはクロスボウでわたしに狙いをつけ、もうひとりは鉄槍を構えている。
片方は見覚えがある。回収班にいた新顔のひとりだ。
クロスボウを構えているほうが続ける。
「捜したぜ。まさかエリアの反対側にいたとはな。随分と歩かされちまったよ」
和弘さんは不快そうに吐き捨てた。
「おまえ、首長に魂を売ったか」
男が歯をむき出した。
「おれもコロニーに入ったばかりだからな、役に立つところを見せなければならないんだ。悪く思うなよ」
そう言って仲間に目をやる。
「おまえも点数を稼ぐチャンスだぞ」
「ああ、わかっている」
鉄槍を構えたもうひとりが応じた。
こっちは難民か。
ふたりがゆっくりと入ってくる。
和弘さんは冷たい目をした。
「指図する立場になるとは、たった数日で偉くなったもんだな」
クロスボウが眉をしかめる。
「おれたちのなかで首長のおぼえめでたいのは、おまえたちが新入りと呼んでいる若造だけなんでな。おまえも知っているとおり、ここに来たとき、あいつは勝手に怪我をして何の役にも立たなかった。それにもかかわらず、奮闘した結果の負傷だと首長に吹きこみやがったんだ。まったく悪知恵のはたらくやつだぜ」
「だから手柄をたてたいというわけか」
「おれもちょっとは目立つことをする必要があるんだよ」
和弘さんは鉄槍の男に顔を向けた。
「おまえは何と引き換えに魂を売ったんだ? コロニーへの移住か?」
男は唾を飛ばしながらわめいた。
「もう妖魔に怯えて暮らす生活はたくさんなんだよ! コロニーに住めるなら何だってやるぜ!」
男の言うとおり、わたしたちは恵まれているのかもしれない。
でも、他人を踏み台にして移住したわけじゃない。
和弘さんが続ける。
「首尾よく住めるようになっても、首長に
わたしはちらりと年上の男性に視線を送った。
おかしい。
今まではどんなに厳しい状況でも、もっと冷静だった。
今は焦っているように見える。
なぜだろう。
クロスボウの男にも伝わったようだ。
目を細めて和弘さんを見る。
「どうも時間稼ぎをされているように感じるな。さっさと済ませたほうがいいかもしれない」
仲間に顎をしゃくった。
ふたりが扉を抜けて入ってくる。
わたしたちは押されるように数歩下がった。
視界が広がり、男たちの背後が明らかになる。
わたしは震えあがった。
入り口の向こう、ホールに梨恵ちゃんがいる。物陰に隠れ、こちらをうかがっていた。
和弘さんは彼女が逃げる時間を稼いでいたのだ。
クロスボウが言う。
「おまえは何を隠しているんだ?」
和弘さんは沈黙を保っている。
男は視線を左右に投げ、壊れた窓のあたりで止まった。
「何かあるな」
仲間の鉄槍に命ずる。
「おい、近くで見てきてくれ」
「おれがか?」
鉄槍の瞳に怯えの色が走る。
「あたりまえだ。おれはこの男に狙いをつけているんだぞ。おれが確認してもいいが、こいつらが暴れだしたら、おまえひとりで止められるのか?」
鉄槍は唇をなめた。
「わかったよ」
あそこは妖魔を捕獲した場所だ。
男たちはまだ梨恵ちゃんに気づいていない。
今のうちに何とかしなければ。
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