第3話 妖魔との戦い2

【第4章 3】 

【3 妖魔との戦い2】 

 わたしたちがたどり着いた場所は、複合スポーツ施設が建ち並ぶエリアだった。


「じきに陽が落ちる。早めに夜を過ごせるところを探そう」

 和弘さんの声はかすれていた。


「はい。まずは水ですね」

 わたしの声もしゃがれている。


「わたしも喉がからから」

 歩き続けた梨恵ちゃんも疲労困憊していた。


 わたしたちは飲食物を取り扱っている店を求め、比較的大きな建物に入ることにした。

 この施設は一階がスポーツジム、二階はその利用者目当てのドラッグストアになっている。


 通電していない自動ドアをむりやり開き、なかに入った。


 エントランスのすぐ前はホールになっており、小洒落た雰囲気の受付カウンターがある。

 横を通り抜け、奥へと進む。

 まっすぐ行けば二階へ通ずる階段だが、まずはこのフロアのチェックだ。妖魔に寝込みを襲われたくない。


 わたしたちは梨恵ちゃんを背後にかばい、開け放たれた扉からジムのトレーニングフロアへと進む。


 左右の大きな窓から夕日が注ぎこみ、フロア内はまだ明るかった。

 あちこちでコンクリートの床を破り、植物が顔を出している。床にボルト留めしたトレーニングマシンの支柱が傾いていた。


 ざっと見たところ動く姿はなさそうだ。

 念のため、奥のスタジオも確認する。


「器械に触れないよう注意しろよ。いつひっくり返るかわからない」


 和弘さんの注意に従い、比較的安全そうな箇所を歩いた。


 スタジオルームの入り口からなかをのぞく。

 一方の壁の全面を占めるミラーと音響設備、それにヨガマットが立てかけてあるだけで、動くものはなかった。


「異常ないようですね」

 首を引っこめ、戻ろうとしたときだった。


 だしぬけにガラスの割れる音が響く。窓ガラスが粉々に飛び散った。

 重い着地音とともに妖魔が降りたった。


 少女が悲鳴をあげる。

「もう追いつかれたの!」


「違うわ! 体表は茶色、別の個体よ!」


 妖魔が顔をあげてわたしたちを見る。赤い瞳が焦点を結ぶのがわかった。


 和弘さんが一歩前に出る。


「美紗紀。隙を見て梨恵を連れて逃げろ」

 妖魔に目を据えたまま命ずる。


 わたしたちは森で武器を捨ててしまった。自分が囮になって時間を稼ぐつもりだ。

 そんなことはさせたくない。


「和弘さんを置いて逃げるのは嫌です。わたしも戦力として扱ってください」


「しかし……」


「お願いです!」


 和弘さんは答えない。


 梨恵ちゃんが声をだす。

「わたしも手伝います」

 震えているが、きっぱりとした声だった。


「よしわかった。おれがこいつの注意を引きつける。その間ふたりは、ぐらついたマシンを探してくれ。簡単に倒れるやつがいい」


 そういうことか。

 重量のあるジムの器械は、それだけで凶器になる。こいつで押し潰してやれば、さすがの妖魔もひとたまりもないだろう。


 わたしは少女に指示する。

「梨恵ちゃん、ひとりでできる? わたしは妖魔の視線をさえぎる役をするわ。和弘さんもわたしも、あなたに目を向ける余裕はないから、見つけたらその場所を知らせてね。植物に気をつけるのよ!」


「わかった!」

 頼もしい返事がかえってきた。


 三人がうまく連携すればやれるだろう。

 雄二さんのときと同じように。


 和弘さんはわたしに目配せした。

 わたしたちは、妖魔の目の前でゆっくりと左右に広がりはじめる。和弘さんは左に、わたしは右だ。


 化け物の注意を分散させるのが目的だ。

 一緒にいると目標が固定される。すぐに飛びかかられて終わりだ。


 だから迷わせる。

 急な動きは禁物。できるかぎり判断を遅らせるのだ。


 こいつが高度な知性を有していたら、まったくの無駄に終わるが、そうはならない気がした。


 わたしの背後で、梨恵ちゃんがそろそろと奥に移動する。トレーニングマシンはそちら側に並んでいる。


 化け物が顔を振りながら、和弘さんとわたしを等分に見る。

 その口から、ゴムベルトが金属とこすれるときのような、キュルキュルという不快な音が漏れた。


 迷っている。


 わたしは自分の身体で梨恵ちゃんの動きを隠しつつ、ゆっくりと移動する。


 不意に少女の声が響いた。

「見つけたよ、お姉ちゃんから五つ先の器械!」


 妖魔がびくりとし、身体を伸びあがらせた。声の出所を確かめている。


 注意をそらせなければ!


 わたしは両手をぱんと打ちあわせた。


 化け物の顔がわたしに戻り、再びキュルキュルという鳴き声をあげる。


 妖魔の背後に音もなくまわりこむ和弘さんの姿が目に入った。

 梨恵ちゃんのほうに向かっている。


 わたしは左まわりに移動先を変えた。


 常に妖魔の気をそらす必要がある。


 化け物はわたしの動きを追うように、顔の向きを変えかけ――


 気配に気づいたのか、背後を振り返った。


 まだ早い!


 とっさにそばにあった折りたたみ椅子を投げつける。


 繊毛の生えた背中に命中した。

 化け物が動作を中断し、こちらを向く。

 蟹の脚のような顎脚が左右に広がり、大きく裂けた口がのぞく。

 あたりの空気がびりびりと振動するような、凄まじい咆哮をあげた。


 何かが視界の隅できらりと光った。襲いかかろうと身体を縮めた妖魔がよろける。

 ごとりと音をたてて床に落ちた。

 ダンベルだ。


「化け物、おれを追って来い!」


 和弘さんが器械めがけダッシュする。

 それを見た妖魔が跳び上がった。


 和弘さんをバックアップしなければ!


 わたしも床を蹴って走りだす。

 化け物の動きを目で追った。


 宙を跳ぶ妖魔は和弘さんをはるかに超えた。少女に向かう。


「梨恵ちゃん!」「梨恵、逃げろ!」

 わたしと和弘さんが同時に叫んだ。


 梨恵ちゃんの目の前の床に地響きをたてて着地する。


 悲鳴をあげ、尻もちをつく少女。

 それが彼女の命を救った。


 横薙ぎに振り払われた凶悪な腕がくうをきる。


 少女は尻もちをついたまま後退りしている。

 顔が恐怖に歪んでいた。


 赤い瞳を向けた妖魔は片脚を踏みだし――


 がくりと歩行が止まった。

 湾曲した脚がハエトリグサにはさみこまれている。


 妖魔が怒りの咆哮をあげる。


 わたしと和弘さんが同時に到達した。


 わたしはすばやく少女を抱えあげる。

 立ちあがろうとしたときに、ふくらはぎに鋭い痛みが走った。構わず駆けだす。


 和弘さんは重いトレーニング器械に体重をかけ、押している。

 支柱の緩んでいたマシンがぐらりと傾き、化け物の上にのしかかる。


 妖魔は逃れようとするが、脚を固定され動けない。

 派手な音をたて、横倒しなった器械が下半身を押しつぶした。

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