第2話 妖魔の地
手を握る梨恵ちゃんの力がこもる。
「美紗紀、梨恵。動くなよ」
和弘さんが力づけるように言った。
わたしは逃げだしたくなる衝動を抑え、押し寄せる襲撃者の姿に目を据える。
男たちは数歩も進めなかった。
踏み出した足もとの地面がぱっくりと割れ、ひとりが膝まで沈みこむ。
驚きの声をあげる男。
近くの仲間が立ち止まった。
「おい、なにやってんだ。早く上がってこい!」
両手を地面について身体を持ちあげようとするが、むなしい努力を重ねるだけだった。
「それが動かないんだよ! 泥沼にはまったみたいだ!」
和弘さんが叫ぶ。
「泥じゃない、消化器官だ! 早く引っ張りあげてやらないと溶けてしまうぞ!」
「手のかかるやつめ!」
後ろのひとりが舌打ちをして駆け寄る。
わたしは思わず声をあげた。
「だめよ、そこは地面じゃないわ!」
男の足が踏み下ろした地面が同じように割れる。
ずぼりと腰まで落ちた。
「何だよ、これは!」
さらに身体が落ち、肩まで地中に埋まった。
周囲に茂っていた草がなだれこみ、獲物の身体を埋め尽くす。
あっという間に姿が見えなくなった。
もがく仲間を捨ておき、わたしたちの目の前まで駆け寄った男が不用意に踏みだす。
周囲に広がっていた巨大な葉が弾けた。左右からプレス機のように男をはさみこむ。
一瞬にしてその姿が消えた。
「ハエトリグサだ! でかすぎる!」
別のひとりがよろよろと後ずり、木の幹に手をつく。
次の瞬間、頑丈なはずの幹が縦に裂け、男を呑みこんだ。裂け目が閉じ、もとどおりになる。
木の内部から悲鳴が聞こえ、静かになった。
ほかの男たちはすでに足を止めていた。
恐怖に満ちた目で、あたりの
「お、おい。ここはやばいぞ」
ひとりが青ざめた顔を仲間に向ける。
和弘さんが言った。
「だから危険だと言ったろう。ここはおまえたちには無理だ。コロニーとの取り引きなど忘れて帰れ」
別のひとりが仲間を見る。
「な、なあ。おれたち、なんでこいつらを捕まえようとしたんだっけ?」
「なんでって……」
聞かれたほうがぼんやりと答える。
そのとき何かがわたしの注意を引いた。
なんだろう。
男たちの背後にそそり立つ巨大な木だ。
そこに大人ほどのサイズのひょうたん型の実が下がっている。真っ白な色だ。
その実がかすかに揺れたような気がする。
「和弘さん」
声をかけようとした瞬間、白色の実に小さな亀裂が入った。
嫌な予感がする。
裂け目が縦に広がった。
あっという間にふたつに割れ、何か大きなものが落下した。
どさりという音に全員が目を向ける。
緑色の人のかたちをしたものが地面に横たわっていた。人間の大人より大きい。
ねっとりとした粘液で覆われ、胎児のように丸まっている。
ひとりが薄気味悪そうな顔をした。
「なんだよ、こいつ。人間に見えるぜ」
「お姉ちゃん……」
梨恵ちゃんがわたしの服の裾をつかむ。
粘液に包まれた緑の人間?
人間ではない。あれは……
わたしが口を開くより早く和弘さんの叫びが飛ぶ。
「妖魔だ、みんな逃げろ!」
妖魔が目を開いた。赤い瞳が輝き、長い両腕を使って上体を起こす。
全身が緑色だった。顔をあげ、人間たちを見まわす。
口もとを覆う蟹の脚のような顎脚が開き、甲高い濁った叫び声を放った。
悲鳴をあげ、男たちが逃げはじめる。
緑の妖魔が跳躍し、近くの男に飛びついた。
背中からのしかかられ、うつ伏せに倒れる男。喉の奥から悲鳴を絞りだし、手脚をばたばた動かす。
やがて大きな叫び声があがり、静かになった。
男を
和弘さんは手のなかの槍を近くの地面に突きたてた。
「美紗紀、クロスボウだ!」
わたしは武器を手渡す。矢はセットされたままだ。
飛び道具を構えた和弘さんは、すばやく狙いをつける。化け物が跳躍する瞬間、引き金を引いた。
クロスボウの矢は緑色の脚を正確に射抜いた。
バランスを失った化け物が地面に激突する。
身を起こした妖魔は怒りの咆哮をあげた。
近くで足をすくませていた男を八つ裂きにする。
「美紗紀、次の矢だ!」
化け物に目を据えたまま差しだす手に次の矢を握らせる。
和弘さんはすばやくセットし、引き金を引いた。
風をきって飛んでいった矢が緑色の身体に吸いこまれる。
化け物がびくりと痙攣し、赤い瞳をこちらに向けた。
オウムの雄叫びにも似た甲高い不快な鳴き声が耳を揺るがす。
和弘さんはクロスボウを投げ捨てた。
鉄槍を手に取り、少し離れた木の幹に投げつける。
尖った先端が木に食いこむと同時に、近くにいた植物が一斉に鉄槍に押し寄せた。
「美紗紀、逃げるぞ! 矢筒もリュックも捨てろ、身軽になるんだ!」
梨恵ちゃんを抱えあげ、走りだす。
荷物を投げ捨てたわたしは全力であとを追った。
あの妖魔は和弘さんの攻撃により、脚をやられている。
逃げられるかもしれない。
だが、後ろを振り返る余裕はなかった。
両手両脚を力のかぎり振り動かし、ひたすらたくましい背中を追う。
森の風景が揺れ動き、飛ぶようにすぎていった。
植物の罠にかからないのが不思議なほどだ。
心臓が破れそうになり、息が肺から絞りだされるが、それでも脚を動かし続けた。
「少し……休もう」
無限とも思える時間が経った頃、和弘さんが言った。
わたしたちは、ぜいぜいと息をあえがせ、安全そうな木の根もとに座りこむ。
地面に下された梨恵ちゃんが申し訳なさそうな顔をした。
「おじさん、お姉ちゃん、ごめんね。大丈夫?」
自分が足手まといになっていると思っているのかもしれない。
わたしは苦しい呼吸の合間から声を絞りだす。
「大丈夫よ。少し……休めば……回復するわ」
喉が渇くが、水の入った荷物は捨ててしまった。我慢するしかない。
様子を見ていた和弘さんが励ます。
「美紗紀、もう少しの辛抱だ……ショッピングモールまで行けば……好きなだけ飲める」
梨恵ちゃんを抱えていた和弘さんは、わたし以上に疲労しているはずだ。
これくらいで弱音を吐くわけにはいかない。
「はい、まだ動けます」
無理してほほ笑んだ。
ひと息ついた頃、和弘さんが幹に手をかけ、立ちあがる。
「そろそろ行かないとな」
脚を怪我しているといっても妖魔だ。いつまでも休んでいるわけにはいかない。
わたしはよろよろと立ちあがった。
「梨恵、歩けるな」
和弘さんが確認する。
「はい」
わたしたちは出発した。
とはいえ、今までのように走っていくというわけにはいかなかった。
可能なかぎりのスピードで足を速める。
黙って歩いていると
気をまぎらわすため、わたしは話しかけた。
「さっきの妖魔は何だったんでしょう」
すぐに梨恵ちゃんが反応する。
「あいつ、緑色だったよね。今まで見たやつは茶とグレーの混ざった色だったのに」
和弘さんも応じた。
「植物から生まれたように見えたな。成長すると色が変わるのかもしれない。今まで妖魔の繁殖など考えたこともなかったが」
「スプライトの件もありますね」
「スプライトの件ってなに?」
少女がたずねる。
「ショッピングモールで見た光景なの」
わたしは説明した。
妖魔がスプライトを捕食していたこと。スプライトがみずから捕食されるような動きをしていたこと。
「スプライトは食べられているわけじゃなくて、妖魔の身体のなかに入って自分を運ばせているっていうこと?」
梨恵ちゃんが言った。
「そんな気がしたな。異世界の生態系は謎だらけだ。もしかしたら、まだ気づいていない秘密があるのかもしれないぞ」
妖魔が植物から生まれるのなら、その妖魔に捕食されるスプライトはどうやって繁殖するのだろう。
考えているうちに目的地に到着した。
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