第4話 魔女の影

 広い体育館は負傷者で埋め尽くされていた。

 あちこちにシートが敷かれ、怪我をした者たちが寝かされている。


 そのあいだを忙しく動いている者は医療班だ。水で満たしたバケツや包帯を持って、そこここにいる怪我人の手当てをしている。


 たった一匹の妖魔に、コロニーは壊滅させられるところだった。

 わたしも死の一歩手前まで連れて行かれた。まだ震えが止まらない。


「美紗紀殿、大丈夫ですか?」


 隣を歩くレイダさまが足を止めた。

 艶のあるきれいな髪が揺れ、わたしの顔をのぞきこむ。


 自分の思いに浸かっていたわたしは、はっとして視線を戻す。

「ありがとうございます。レイダさまのおかげで命びろいをしたのが、まだ信じられない思いです」


「あなたは死神の手を逃れたばかりです。休んでいて良いのですよ」


 わたしを気づかってくれている。


「いいえ。どうかこのまま、レイダさまのお手伝いをさせてください。そのほうが、わたしも気がまぎれます」


 和弘さんは夜になっても整備班とともに壊れたフェンスの復旧作業をしている。

 あんな目にあったあとは、ひとりになりたくなかった。


 女神はやさしくほほ笑む。

「それではお願いいたします。ですが無理はしないでくださいね」


「はい」


 わたしは少し先を歩き、傷の重そうな者を見つけると、片手を上げる。


 呼びかけに従い、女神さまがやって来る。

 負傷者の横にひざまずき、右手を相手の身体にかざす。

 レイダさまの全身が白い光で包まれる。


 同時にぐにゃりと空間が歪み、わたしはかすかな気分の悪さを覚える。


 治癒魔法だ。


 しばらくすると光が消え、苦しそうにしていた患者が安らかな顔で眠りこむ。


 襲われた警備班のふたりも、逃げ返ってきた回収班のふたりも、すでに処置をほどこされ、眠りについていた。


 ひととおり治療を終えると、女神さまはぐったりした様子で舞台に上り、その縁に座りこんだ。

 わたしもその横に腰を下ろす。


 ふたりで脚をぶらぶらさせ、ぼんやりと目をさまよわせた。


 体育館には難民も寝かされている。


 首長は当初、彼らを治療することに難色を示した。

 神官が交渉し、夜が明けたら追いだすことを条件に、レイダさまの恩恵にあずかることを承諾させたのだ。


 わたしはレイダさまや神官さまほど慈悲深くはない。

 本音を言えば、この騒動の原因をつくった彼らに、ここまでの恩恵を与えたくなかった。


 わたしの考えを読んだかのようにレイダさまが口を開く。

「申し訳ないですが、程度の軽いかたは自力で治してもらうことにいたしました」


 その声には疲労の色にじんでいた。


「はい。レイダさまも随分とお疲れのようです」


「こんなに力を使ったのははじめてです。さすがにくたびれました」


「妖魔の撃退から負傷者の治療までされているのです。レイダさまがいなければ、コロニーは全滅していました。みな感謝してもしきれないと思っているはずですよ」


 レイダさまはほほ笑んだ。


「わたしの使命であると、常々神官から諭されています」


 きれいな瞳を瞬かせる。


「ところで美紗紀殿、気になったことがあります。あなたは、わたしが魔法を発動する瞬間がわかるのですか?」


 やはりレイダさまも同じように考えていたのか。


 そうとしか思えなかった。


 ショッピングモールの駐車場でスプライトが妖魔のかたちをとったとき、建物のホールで攻撃を受けたとき、そしてレイダさまが魔法を使ったとき。

 いずれもわたしに同じ症状が出ている。


「どうやらそのようです。魔法が使われたときに、その発動源から圧迫感のようなものが感じられ、気分が悪くなるのです」


 そう言って、これまでの経験を語った。


「やはり、そうですか」

 美女は納得したようにうなずく。


「レイダさまは、どこからわたしが魔法を感知できると判断されたのですか?」


「魔法を使った瞬間、あなたはわたしに目を向けましたよね。どんなに患者に視線を注いでいたときでも、その瞬間だけはわたしに流れます。そのような反応を示した人は、これまでいませんでした」


 最後につけ加える。


「もしかしたら美紗紀殿は魔法使いなのかもしれませんね」


 思ってもみなかった可能性だ。


「わたしがですか!」


「はい」


「とても考えられません」


 レイダさまは軽い笑顔をみせる。

「そうですか? わたしは充分あり得ることだと思いますよ」


 驚きだ。

 知らぬ間に自分が魔法使いになっている。

 レイダさまもこんな風にして、自分の力を知ったのだろうか。


 いや、きっと違う。

 レイダさまは、魔法の力も、その美しさも比類がない。

 わたしが魔法使いなら、レイダさまは本物の女神さまだ。


 しばらくそのきれいな横顔に見とれた。


「どうしたのですか?」

 視線に気づいた女神さまがたずねる。


「信じられないほどのお美しさだと思っていました」


 レイダさまはふふっと笑う。

「ありがとうございます。美紗紀殿だって、とてもかわいいですよ。ご自分では気づいていないのでしょうけれど」


 わたしは赤面する。

「そんなことありません」


 美しすぎる女神はくすりとした。

「やはりわかっていないようですね。わたしは神殿ですやすやと眠っていた姿が今でも忘れられません」


「レイダさま、恥ずかしいです!」


 なかったことにしたい出来事を思い出してしまった。

 けれど、もしあのとき気分が悪くなっていなければ、レイダさまともこうして……


 そこで気づいた。


「レイダさま」


 わたしの声のなかにある緊張に気づいた女神は表情をあらためる。


「美紗紀殿、どうしたのです?」


「神殿でわたしが変調したときのことです」


「ええ」


「あの直前、レイダさまは魔法を使ったでしょうか」


「いいえ。使う理由がありませんから」


 予想どおりの答えが返ってくる。


 わたしは居ずまいを正した。

「魔法を使った者が近くにいたのではないでしょうか」


 レイダさまはゆっくり答える。

「それは……魔女のことですか?」


「はい。近くで潜んでいたのだとしたら、つじつまがあいます」


「どのような魔法を使ったのでしょう?」


 わたしは首を振る。

「わかりません。わたしには魔法の性質まで知る力はないようです」


 神官さまが夜間、神殿の外に出さないようにする配慮が、ようやく実感できた。

 もし、レイダさまを狙っていたのだとしたら……


「承知しました。神官にも話しておきましょう」

 レイダさまは自分のためというより、わたしのために答えた。


「お願いします。どうか、くれぐれもお気をつけください」

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