第3話 入りこんだ妖魔

 男は身を乗りだし、仰向けになったわたしの上に馬乗りになった。両手で鉄槍を振り上げる。


「おれたちの苦しみを味わうがいい!」


 鉄槍の尖端がわたしの顔に迫った。


 ――――――


 身動きがとれない!


 死を覚悟したそのとき、鉛色の切っ先がわたしの顔をかすめて跳ね上がる。


 鉄槍が力なく揺れたあと、落下した。


 何が起きたのか戸惑うわたしの上に、男の上半身が倒れこむ。


 重い。

 男の全体重がわたしの上にかかり、肺が圧迫されている。


 顔の上にも身体がかぶさり、視界も真っ暗だった。

 無理矢理横を向き、かろうじて息ができる程度の空間をつくる。


 男から逃れようと両手でその身体をつかんだとき、ずるりと滑った。

 再び荷重がのしかかる。


 血で滑った。

 そう直感した。


 すると外は……


 妖魔の咆哮が轟いた。

 怒号は消え、悲鳴しか聞こえなくなっている。


 とうとうコロニーのなかに入ってきた。


 妖魔にとっては、難民も住人も同じ獲物でしかない。扱いに区別はしてくれない。


 わたしは男の身体を押しのけよようともがく。

 七十キロ近い荷重がかかっている。

 身体を左右にねじりながら、なんとか這い出た。


 グラウンドは地獄絵図だった。

 逃げまどう人々。それを追う妖魔。

 だれかが襲われているあいだに、ほかの者が逃げ去ろうとするが、すぐに追いつかれ、同じ運命をたどる。


 妖魔の進路上を横ぎろうとしたひとりが飛びかかられ、そのまま動かなくなった。

 化け物の口を覆っていた蟹の脚のような顎脚が左右に開く。

 なかから繊毛のような細い管が伸びてきた。背中で揺れる感覚器官にも似ている。

 その管が犠牲者に突き刺さった。


 この化け物は、生き物の体液を吸う。


 わたしは気分が悪くなり、目をそむけた。


 起きあがりながら校舎に視線を向ける。

 一階の窓に人の姿が見えた。


 あそこから逃げられないだろうか。


 だめだ。

 板を打ちつけはじめた。


 二階は?


 窓から縛ったカーテンが垂らされている。

 よじ登ろうとしている男性がいた。窓から身を乗りだした人が手を差し伸べている。

 走り寄った妖魔が跳躍した。

 窓から悲鳴があがる。

 カーテンがちぎれ、男が落下した。

 そこに化け物がのしかかる。


 窓はだめだ。

 急いで逃げ場所を探さなければ。


「美紗紀!」


 頼もしい声。


 和弘さんだ!

 屋上の手すりから身を乗りだして叫んでいる。

 わたしを探してくれたのだ。


「中央の昇降口だ。早く来い!」


「はい!」

 叫び返し、指示された昇降口目指して駆けだす。


 和弘さんもすぐに姿を消した。

 わたしを迎えに駆け下りてくれているに違いない。


 和弘さん!


 わたしは全速力で走る。


 昇降口が大きくなってきた。

 廊下の奥から走ってくる和弘さんの姿も見える。


 声をあげようしたとき、横の廊下から彼めがけ、飛びつく人影があった。

 そいつともつれあい、横ざまに倒れこむ。

 数人が加わった。

 和弘さんが男たちに押さえつけてられている。


「早く防火扉を下ろせ!」

 だれかの叫ぶ声。


 和弘さんがもがいている。

「よせ!」


「待って、お願い!」

 わたしは叫び返した。


 あのときの再現だ。

 森から逃げてきたとき。

 難民に妨害された。

 今度はコロニーの仲間に妨害されている。

 唯一わたしを気づかってくれる和弘さんも、みんなに邪魔だてされている。


 わたしの希望を絶つように防火扉が下りはじめた。


「美紗紀、後ろだ! 気をつけろ!」

 男たちに阻まれながら、和弘さんが叫ぶ。


 走りながら、ちらりと背後に目をやった。


 妖魔だ!

 わたしに狙いをつけて、凄まじい勢いで駆けてくる。


 化け物が跳躍した。


「美紗紀、方向転換!」

 和弘さんの声。


 わたしは左に直角に曲がった。


 妖魔はわたしを飛び越し、はるか先に下り立つ。


「おまえを見失っている。そのまま走れ!」


 和弘さんのガイドに従い、スピードをあげる。中央棟に沿ってまっすぐ走った。


 この先は西棟への昇降口になる。

 そこまでたどり着ければ……


 和弘さんの声が聞こえなくなった。

 防火扉が下されたのだ。


 見えた。昇降口だ!

 その瞬間、わたしは絶望的な気持ちに陥った。

 すでに扉が下されている。


 背後から地面を蹴る音が近づいてきた。

 妖魔だ。


 和弘さん、助けて!

 届くはずもない願いを心のなかで祈り続ける。


「美紗紀殿!」

 美しい女性の声。左からだ。


 視線を向け、驚く。

 レイダさまが駆け寄ってきた。


「レイダさま、危険です! 来ないでください!」


 わたしは走りながら声を限りに叫ぶ。


 背後で化け物が跳躍するのがわかった。

 わたしの頭上を越し、新たな獲物に飛びかかろうとする。


 レイダさまは立ち止まり、左の手のひらを空中に向けた。


 空間が歪む感覚を覚える。

 足を止め、その不快感に耐える。


 空中にいた妖魔がレイダさまのもとに落下する。

 女神さまが横に身を投げた。


「レイダさま!」

 わたしは叫んだ。


 妖魔がだれもいない地面に激突する。

 長い手脚を使って身体を起こそうとするが、そのまま崩れた。


「レイダさま、ご無事ですか!」

 声をあげながら駆け寄った。


 美しい女神さまは地面に両手をついて身体を起こそうとしているところだった。

 白いドレスが汚れているにもかかわらず、そのしぐさは優雅だ。


「どこにも怪我はありませんよ、美紗紀殿」

 美しくほほ笑む。


 わたしは横たわる妖魔に視線を向けた。

 まったく動いていないが、油断はできない。


 レイダさまを助け起こした。

「早くこの場を離れましょう」


 美しい女神さまは、わたしの手を取って立ちあがる。

「大丈夫ですよ、美紗紀殿。妖魔はすでに死んでいます」


 驚いてその顔を見た。

「どうやったのです? 武器を持っているようには見えませんが」


 しかも一瞬だ。

 銃でもない限りなし得ないわざだ。


「この者の生命エネルギーを吸い取ってやったのです」

 こともなげに言う。


 わたしは茫然とした。

「生命エネルギーって……レイダさまが使えるのは、治癒魔法だけじゃないのですか?」


 女神さまはにっこりほほ笑む。

「原理は治癒魔法と同じですよ。わたしは対象者の生命エネルギーを操れるのです」


「それなら、すぐにでも妖魔を一掃できるのではないですか?」

 期待をこめて言う。


 魔法を使える女神は瞳を曇らせた。

「残念ながらそうはいかないのです。わたしの力は近づかなければ効果がありません」


 さすがにレイダさまを妖魔に近づけさせるわけにはいかない。一匹ならなんとかなるかもしれないが、森に入ればそんなことはまれだろう。


 それでも希望は見えてきた。

 治癒魔法と妖魔をやっつける魔法か。


「レイダさまは、本当の女神さまですね」


 絶世の美女はにっこりする。

「そうですね。それ故、もっとみなさんのお力にならねばと思っています」


 思わぬ返答に二の句が告げなかった。


 比喩のつもりで言ったのだが、当然であるかのように受けとめられた。

 もしかしたら、自分のことを心の底から女神だと信じているのかもしれない。

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