第2話 崩壊の序曲

 森からの声は、はっきりと聞きとれるようになっていた。


 やはり、門を開けてくれと言っている。


 息を切らしながら叫んでいるようだ。

 全速力で走っているのだろうか。


 サスペンダーの警備員が叫んだ。

「どうしたんだ!」


 しばらくの間、返ってくるのは沈黙だけだった。


 やがて声が届く。

「追われている!」


 妖魔だ!

 警備の男たちは、さっと緊張した。手にしたライフルを構えなおす。


 推測を裏づけるように、風に乗って声が運ばれてきた。

「妖魔だ!」


 周囲は騒然となった。

 難民がなかに入れろと騒ぎだし、まだグラウンドに残っていた住人は、あちこちで興奮した顔で喋りあう。


「早く入れてあげましょう!」


 わたしも同じ目にあっている。あの恐ろしさはよくわかるのだ。


「いや、しかし……」


 歯切れが悪い。


「どうしたと言うんです!」


「難民が一緒に入って来るので、扉を開くなと言われているんだ」


「わたしのときは入れてくれたじゃないですか!」


「それが、おまえを入れたあと、残っていた難民の移住を首長が認めてやったろう? あれを目撃したやつらが騒ぎたてているんだ」


 わたしは門の外に目を向けた。


 たしかに今回は、わたしのときと反応が違う。妖魔と聞いても、だれも逃げない。

 居残った者は移住を認められると学習してしまったようだ。


 回収班の生き残りが樹々のあいだから姿をあらわした。二班のふたり、どちらも古参のほうだ。

 ときどき後ろを振り返り、脚をもつれさせながら必死で走っている。

 長い距離を走って来たのだろう。ふらふらになって、今にも倒れてしまいそうだ。


「入れてあげないと、死んでしまいます!」

 わたしは訴える。


 ふたりの警備員が顔を見あわせた。

 どうすべきか迷っているようだ。


 甲高い濁った咆哮が森からこだまする。


 難民のなかで悲鳴が湧き起こった。

 みんな蒼白な顔をして、後ろを振り返りながらわめきたてている。

「早く入れてくれ!」


 妖魔の姿が見えた。

 夕陽に照らされ、長い手脚を使って飛び跳ねながら追いかけている。

 傷を負っているのか、普段よりスピードは落ちている。


「扉を開けてくれ! 早く!」

 難民たちが大声で騒ぐ。


 逃げてきたふたりが、難民の群れまでたどり着いた。


 最前列の男が鉄柵をつかもうとし、電気ショックに悲鳴をあげて手を引っこめる。


 騒ぎを聞きつけたのか、コロニーの建物から数人が出てきた。

 新入りと黒縁が混じっている。


「首長の命令だぞ、なかに入れるな!」


 なんて勝手なやつだ。

 つい二日前までは、自分たちがそちらの側だったくせに。


 グラウンドにいた住人も集まってきた。

 少し距離を置き、不安そうな表情で外の様子を見ている。


 わたしは警備員に向き直る。


「お願いです! 難民の人たちは、一時的に避難させてあげればいいじゃないですか!」


 男たちは煮えきらない。

「だが、首長の許可がないと……」


「そんな時間はありません!」

 二班のふたりを指差した。

「妖魔に追われている彼らは、コロニーのために物資の回収に行ったんです!」


「懲罰任務だっただけだ、コロニーのためじゃない! 入れるな!」

 黒縁が叫んだ。

 目をぎらぎらさせている。


 ひどいことを言う。

 自分の恋人が妖魔にやられた腹いせだ。


 難民がぎゃあぎゃあ騒ぎたてた。


 わたしは繰り返し訴える。

「まだ妖魔とは距離があります! あなたたちだってライフルを持っているじゃないですか! 入れることができないと言うのなら、せめて化け物を撃ち殺してください!」


 警備の男性はうわずった声をあげる。

「だめなんだ。弾を渡されてない……」


「おい、それは言うなと命令……」

 もうひとりが制止しようとしたが、手遅れだった。


 会話を耳にした難民がどっと押し寄せる。

「銃はかざりだぞ!」


 背後から人が殺到し、前列が電流の通じたフェンスに押しつけられる。

 悲鳴があがるが、人は離れなかった。

 ますます背後からの圧がかかり、前の者が押しつぶされる。


 フェンスが耐えきれなくなった。

 根もとが持ちあがり、鉄柵が内側に倒れこむ。

 群がった人々が悲鳴をあげ、将棋倒しになった。


 後ろの者は、横たわりもがく仲間を踏みつけて敷地内に押し入る。


 怒号と悲鳴がうずまいた。


「まずいぞ、やつら、完全におかしくなっていやがる!」


 警備員が背を向けて走りだした。


「赤リボン、おまえも早く逃げろ!」

 通りすがりに声をかけられる。


 わたしもまわれ右をして、男たちの背中を追った。


 新入りと黒縁たちは、すでに建物のなかに逃げこんでいる。

 逃げ遅れた住人が難民に捕まり、袋叩きにあっていた。


 今までの恨みが積もりつもった難民たちは、たがが外れたように住人を襲っている。

 コロニーの内側に入れたという安心感からか、フェンスが壊れたことを忘れてしまったようだ。


 あちこちで住人の悲鳴と泣き叫ぶ声が湧き起こる。


 わたしは建物を目指して走った。

 不意に脚を取られて転倒した。急いで上体を起こし、確認する。

 難民の男が腹這いになって、わたしの足首をつかんでいた。

 もう一方の手には鉄槍が握られている。


 近くには住人の女性が血まみれになって倒れていた。


「放してください!」

 恐怖にとらわれ、脚をばたばたさせるが、男は放さない。


 そいつの目は狂気の光を帯びていた。

「コロニーの女め! さんざんいい思いをしやがって!」


 身を乗りだし、仰向けになったわたしの上に馬乗りになった。両手で鉄槍を振り上げる。


「おれたちの苦しみを味わうがいい!」


 鉄槍の尖端がわたしの顔に迫った。

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