第10話 妖魔との戦い
雄二さんが誘導役になった。
わたしの視界にその姿はない。
廊下に立ち、鉄槍で階段の手すりをがんがんと叩き、大きな音を立てている。
商品の山に隠れてクロスボウを構える和弘さんは足止め係だ。
妖魔があらわれたら三挺のクロスボウで次々に矢を射かけ、所定の位置で釘づけにする。
そこで商品棚の最上段に身をひそめたわたしの出番となる。
用意したバケツたっぷりの漂白剤を浴びせてやるのだ。
すべきことを終えたら、すぐに飛び降りる。
棚の両側の床にはクッションがわりの段ボールやオムツが積まれ、どちらからでも逃げられるようになっていた。
むずかしいのはそのあとだ。
洗剤を投げつけるタイミングを見計らわなければならない。
自分たちもガスを吸いこまないよう、充分な距離をとる必要があるのだ。
つまり化け物から離れる時間が必要になる。
第一撃目の漂白剤は手持ちのスプレーガンと同じ水酸化ナトリウムだが、短時間で弱体化させる威力はない。
妖魔は人間よりもしぶとい。
洗剤を投げつける前に必ず反撃があるだろう。
そこは状況に応じてやるしかない。
カムフラージュがわりの段ボールに囲まれ、窮屈な姿勢で待ち続ける。
オウムの雄叫びのような濁った声が耳をつんざいた。
廊下からだ。
足音と地響きが聞こえてくる。
入り口から雄二さんが猛然と飛びこんできた。
「すぐ後ろだ!」
駆け去りながら叫ぶ。
続いて妖魔の姿があらわれる。赤い大きな瞳を、逃げる雄二さんに据えていた。
そちらに向かおうとした瞬間、矢が突き立つ。
化け物は新たな獲物に顔を振り向け、耳をつんざく咆哮をあげる。
和弘さんは次のクロスボウの矢を射かけた。すぐに捨て去り、最後のクロスボウを手にする。
「こっちに来い!」
怒る妖魔を挑発しながら後退りした。
わたしは商品棚の上で中腰になる。
バケツを手にしてタイミングを計った。
すぐ下を妖魔が通りかかる。
いまだ!
バケツの中身をぶちまけた。
妖魔がずぶ濡れになり、鼻をつく刺激臭があたり一面に広がる。
化け物が再び声をあげた。
首をめぐらせ、わたしを捉える。
ジャンプするより早く、妖魔の長い腕が棚をひっくり返した。
足がすべり、悲鳴をあげて落下する。妖魔の側だ!
オムツの山に肩から突っこんだ。
痛くて動きが取れない。
鼓膜が破れそうな鳴き声が頭上から降ってきた。
妖魔が目の前に迫る。
ああ、やられる!
わたしは目を閉じた。
腹の底からのわめき声とともに、段ボールの上を走る足音が聞こえた。
和弘さん!
目を開けると、和弘さんが鉄槍を化け物の腹に突き立てているところだった。
「逃げろ、美紗紀!」
和弘さんは鬼の形相で鉄槍をねじこむ。
アドレナリンが全身にまわっているせいか、驚いたことに妖魔を押し戻しはじめる。
わたしは背を向けて駆けだす。
目的の棚から洗剤を取りあげた。
和弘さんの足が段ボールに引っかかり、下半身がずるりとすべった。
妖魔が長い腕を振り上げる。
「和弘さん!」
わたしは悲鳴をあげた。
必殺の体勢となった化け物が一瞬動きを止め、天井に向かって濁った叫び声を放つ。
背後から鉄槍で貫かれていた。
「この化け物めが!」
雄二さん!
助けに来てくれた雄二さんは飛び退ろうとし――
その前に妖魔の腕に叩きつけられた。
宙を吹っ飛んだ仲間は壁に激突し、崩れる。
その間に和弘さんがすばやく立ちあがる。
「美紗紀、洗剤だ!」
わたしは手に持ったボトルを投げ渡した。
空中でキャッチした和弘さんはすばやくキャップを外す。わたしのいる方向にダイブしながらボトルを妖魔に投げつけた。
溶液をまき散らしながら宙を飛んだボトルが化け物の後頭部を直撃する。
妖魔が直立し、咆哮をあげた。
明らかに今までの鳴き声とは違う。
「美紗紀、次のボトル!」
わたしのもとまで戻った和弘さんは化け物に視線を向けながら、片手を伸ばす。
その手にしっかり握らせた。
受け取った和弘さんはキャップを外し、再び投げつける。
動かない標的に命中させるのは簡単だった。
塩素ガスをたっぷり吸いこんだ妖魔が倒れこむ。重い身体が床に激突し、地響きがたった。
和弘さんは新しい洗剤のボトルを手にして、用心深く視線を据えている。
「美紗紀、雄二の様子を見てきてくれ」
「はい」
返事をしたわたしは、商品棚をまわりこみ、倒れたままの仲間のもとに走り寄った。
「雄二さん」
声をかけるが動かない。
大量の血が流れていた。
「雄二さん、しっかりしてください!」
わたしは屈みこんで身体に手をかける。
うっすらと目を開くが、焦点が合っていない。
「美紗紀、どうした!」
和弘さんの声。
「雄二さんが重傷です!」
和弘さんが駆けつけてきた。
「おい、しっかりしろ!」
「止血するものを探してきます!」
立ちあがろうとしたところに手がかかった。
「雄二さん!」
命の恩人は薄い笑みを浮かべる。
「もう、無理だ」
「そんな!」
「自分でもわかる……」
「レイダさまのところに戻りましょう! 無理ならわたしが呼んできます!」
「無茶を言うな」
弱々しい声が返ってくる。
「でも……」
涙が出てきた。
「いいさ……そのときが来ただけだ」
「梨恵ちゃんが……悲しみます」
涙で声がうまく出ない。
「もう頼んであるだろう」
「はい。でも雄二さんも……」
雄二さんは再びほほ笑み、次いで和弘さんに目を向ける。
「いい子だな」
「ああ」
和弘さんは喉にからんだような声をだす。
「おまえが、うらやましいよ……」
「そうだな」
「大切にしないとな……」
「そう思っているよ」
雄二さんの返事がなかった。
わたしは声をあげて泣いた。
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