第9話 青シャツの秘密
「聞かせてくれ」
青シャツさんが言った。
和弘さんもわたしを見ている。
「毒ガスをつくりましょう」
「毒ガス? 美紗紀、おまえ高校生だろう。そんなものをつくれるのか?」
わたしはにっこりした。
「ここにある品でできますよ。漂白剤と酸性洗剤を使うんです」
和弘さんは、右手の握りこぶしを反対の手に打ちつけた。
「混ぜるな危険作戦か!」
混ぜるな危険作戦……
なんだか格好悪い。
でも和弘さんだから許そう。
気を取り直して説明する。
「塩素ガスを発生させてやれば、いくらあの化け物でも無事ではすまないでしょう」
青シャツさんが感心したように言う。
「赤リボン、冴えているな」
わたしは笑顔を向けた。
「赤リボンじゃありません。美紗紀です」
以前の和弘さんの台詞のまねだ。
青シャツさんは破顔する。
「わかった。おれは、雄二だ」
「雄二さんですね、はい」
「おれは、和弘だ」
雄二さんは笑った。
「わかっているさ。おまえたちは名前で呼びあっていたからな。コロニーのなかで、そんなことをするのはおまえたちくらいだ」
わたしたちは顔をあわせ、どちらからともなく微笑を浮かべる。
心から信頼できる人がいるというのは良いものだ。
「ひとつ問題がある」
和弘さんが話題を戻した。
「なんだ?」
「塩素ガスは空気より重い。床で発生させただけでは、やつの顔まで届かないんだ。かといって、二本のボトルを投げつけただけでは、すぐに逃げられるだろう。あの化け物はすばやい」
雄二さんが腕を組んだ。
「ひと工夫いるってことか」
それについてはすでに考えてある。
「あいつの顔に直接かけてやりましょう。さすがに顔で発生するガスからは逃げられません。こちらを襲うどころではなくなるでしょう。苦しみはじめたら、さらに追加してやれば確実です」
われながら、身の毛のよだつようなことを言う。
「どうやって浴びせるんだ?」
和弘さんが心配そうに言う。
「わたしが棚の上で待機します。妖魔が近づいたら、漂白剤を頭の上からぶちまけてやります。あとは離れたところから洗剤を投げつければ、わたしたちに被害が及ぶことはないでしょう。もちろん、最初におびき寄せる必要はありますが」
和弘さんは苦い顔をした。
「そんなことだろうと思ったぞ。おまえが危ない橋を渡ることになる」
「でも、わたしが一番体重が軽いんです。適任だと思いませんか?」
わたしは同意を求めるため雄二さんに顔を向け――にやにやしているのに気づいた。
「おまえたちを見ていると、うらやましくなる。おれもそういう相手がほしいよ」
和弘さんはうろたえたような顔になった。
どういう意味だろう。
雄二さんは真顔になる。
「ところで、おまえたちに頼みがある」
和弘さんが顔をしかめた。
「このタイミングでそれは聞きたくない台詞だな」
「まあ、そう言わずに聞いてくれ」
雄二さんはひと息ついた。
「おれには姪がいるんだ。姉の子だよ」
「コロニーにいるのか?」
「ああ、その子ひとりだけだがな。姉は移住を許されなかった。今はどこにいるかわからない。もしかしたら、すでにこの世にはいないのかもしれない」
"その子"という言いかたに引っかかった。
コロニー居住者の最年少は、わたしと友理のはずだが……
「ひょっとして、姪御さんは子どもですか?」
雄二さんはわたしを見る。
「勘がいいな。十二歳だ」
和弘さんが驚く。
「十二歳! よく移住が許可されたな!」
「許可されてないよ。おれが
「移住を許されなかったお姉さんが子どもを託したんですね」
「そうだ。だが、ある日首長に見つかってしまった」
わたしは息を呑んだ。
「追放されたんですか?」
「いや、取り引きを持ちかけられた。黙っていてやるかわりに、要求を呑めとな」
「回収班のリーダーだな」
そういうことか。
入植時を除き、ミスをしでかさないかぎり、住人が回収班に組み入れられることはない。
わたしたちのように懲罰として与えられた場合でも、任務に成功すればお役ごめんとなる。
成功率は低いが、希望は残してあるのだ。そうしないと脱走者が続出する。
わたしは雄二さんがずっと回収班にいるのが不思議だった。幾度も任務を成功させているのだ。
裏にそんなからくりがあったとは。
優秀なリーダーがいなければ、回収班を組織しても、遠征のたびに全滅するだろう。物資も手に入らない。
だから雄二さんを釘づけにしたのだ。
ひどいことをする。
「首長のやつ、汚い手を使いやがる!」
和弘さんが吐き捨てるように言った。
雄二さんは瞳を曇らせる。
「おれは、いつまでも生き延びられるとは思っていないんだ。こんな任務を続けていれば、いつかやられるときがくる。仮に今はしのげても、歳を重ねればいずれミスをするだろう。そのときに気がかりなのは、姪の運命だ」
利用価値のなくなった子どもがどうなるかは、想像にかたくない。
「わかった。その子の名は何と言うんだ」
「りえだ。
「梨恵だな。どこに匿っている?」
「普段は音楽準備室だが、だれかに見つかりそうなときは、空いている部屋に逃げこむよう言ってある。引き受けてくれるか?」
「もちろんだ。だが、おまえが無事に戻ることが第一だぞ」
わたしは深くうなずきながらも、雄二さんの言葉を頭のなかで
――いつまでも生き延びられるとは思っていない。
わたしは、この先もずっとコロニーにいたいのだろうか。
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