第8話 ショッピングモール3

「妖魔が移動したぞ!」

 一斉にざわめきたった。

 みな口々に話しはじめるが、だれもどうしていいかわからないようだ。


 そのなかでも和弘さんは冷静だった。

「かなりまずい状況だぞ。すぐに二班に知らせよう」


「ああ、今からやるところだ」


 青シャツさんは腰からトランシーバーを取りあげ、送話ボタンを押した。


「二班、聞こえるか? 一班の青シャツだ」


 ざーっという音がして、応答があった。

「聞こえる。どうした?」


「妖魔が移動した。気をつけろ」


「わかった……ちょっと待ってくれ」


 通話ボタンから指を離したのか、無音になる。

 少しして声が戻ってきた。


「廊下に置いた見張りから報告させた。特に怪しい姿は見えないそうだ。これで……どうした!」


 通話ボタンを押しっぱなしにしているのか、トランシーバーの向こうで喋っている声が聞こえる。


"妖魔だ! ひとりやられた! "

 だれかの声。

"そっちに行ったぞ、逃げろ! "

 それきり音声が消える。


 和弘さんと青シャツさんが顔色を変えた。

「くそ、遅かった!」


 三階から物の崩れる音と悲鳴がする。

 トランシーバーではない。吹き抜けを伝って聞こえてきた。

 ガラスが割れる音。走りまわる音。別の悲鳴。


「三階に行くぞ!」

 青シャツさんがクロスボウと鉄槍を手にする。


 みんなの反応が鈍い。ただリーダーを見ているだけだった。


「どうした!」


「妖魔がいるんだろう」

 左腕を包帯で巻いている新入りが言った。


「あたりまえだ! 今のを聞いていなかったのか!」


「逃げるなら今がチャンスだな。あの化け物は三階にいるやつらに気を取られている」


 青シャツさんが信じられないという顔をする。

「おまえ、彼らを見捨てて逃げると言うのか?」


「あんなの倒せるわけがない。こっちまでやられて終わりだよ」


「コロニーの仲間だろうが!」


 黙っていた黒縁がはじめて口を開いた。

「おまえだって彼女を見捨てたろうが!」


「あれとは話が違う! あのとき押さえつけなければ、全員が死んでいたんだ!」


「今だってそうだぜ」

 新入りが言う。


 屁理屈だ。

 彼女の場合は、自らが仲間を傷つける行為をしていた。放置していれば、被害者はさらに増える。

 だから止めざるを得なかったのだ。


「なあ、青シャツ」

 残りひとりの古参が話に加わる。


「コロニーには、おれたちの物資を待っている人たちが大勢いるんだ。無事に持ち帰るのも大事な任務だぞ」


 青シャツさんは絶句した。


 味方だと思っていた男に裏切られ、ショックを受けた顔をしている。


 男の言うことは、理屈の上では正しい。

 回収班の任務は、物資を持ち帰ることだ。

 仲間を助けるか否かは、倫理観や良心の問題になる。

 だれでも仲間を助けたい気持ちはあるが、当然ながら自分の命も惜しい。

 そこに葛藤が生まれる。

 そんなときに大義名分を掲げられたら、格好の理由ができる。

 嬉々として飛びついてしまうだろう。


 青シャツさんはあきらめたようだ。

「わかった。おれひとりでも行く。おまえらは勝手に逃げればいいさ」


 すかさず和弘さんが声をかける。

「待てよ、青シャツ。おれも行くぞ」


 そう、和弘さんはそういう人なのだ。


「わたしも一緒です」

 スプレーガンを握りしめた。


 新入りが手を伸ばしてくる。

「待てよ、赤リボン。おまえはおれたちと一緒に来い。こんなやつらなんか放っておいて……」


「触らないで!」

 わたしは絶叫した。


「あんたたちなんて、もうたくさん! 高潔さも同情心のかけらもない人たちとは、これ以上一緒にいたくないの! せいぜい、かわいい自分を守っているがいいわ!」


 新入りは目を怒らせた。

「おまえ! 助けてやろうとしたのに、よくもおれの好意を踏みにじってくれたな! 許さねえぞ!」


 わたしは無視して背を向ける。

「和弘さん、青シャツさん。早く行きましょう」


 それきり薄情なやつらのことは頭のなかから追いだす。


 わたしたちは慎重に階段を上った。

 売り場の入り口で左右の壁に張りつき、男たちが上半身を傾けて、なかの様子をうかがう。


 顔を引っこめた青シャツさんが目顔で問う。

 和弘さんは軽く首を振った。


"こっちもだ"

 青シャツさんは口の形で伝える。


 わたしは和弘さんに顔を向けて、表情だけで許可を求める。

 相棒は渋面をつくったが、結局うなずいた。


 すでに一度やっているのだ。


 その場で腹這いになる。


 青シャツさんの視線がこちらに向いた。

 驚いたような顔を見せたあと、正面に向かって問いかける。


"おい、いいのか? "

 その口が動いている。


 応答があったのか、先ほどの和弘さんと同じように渋い顔をしてわたしを見た。


 心配そうな青シャツさんに向けて、返事がわりの微笑を送る。


 わたしは相棒なのだ。ただ指をくわえて見ているわけにはいかない。


 じりじりと匍匐前進ほふくぜんしんを重ね、視界を広げる。


 血だまりのなかに倒れている仲間が見えた。


 ひとり、ふたり。


 ふたりだけだ。妖魔の姿はない。

 背後に顔を向ける。

 クロスボウを構えた青シャツさんが目に入った。

 ゆっくりと首を左右に動かし、だれもいないことを伝える。


 顔を前方に戻し、さらに床を這い進む。


 三人目を発見した。ぴくりとも動いていない。


 たっぷり時間をかけてフロア全体を確認したが、妖魔はどこにもいなかった。


 見つかった仲間は四人。息をしている者はいなかった。

 二挺のクロスボウも床に転がっている。

 射かける暇もなくやられたらしい。矢も全部残っていた。


 残りの四人は逃げきったのか、あるいは、どこかに隠れているのか。

 少なくも、あれ以来どのフロアからも悲鳴は聞こえてこない。


「化け物を始末しないと、おれたちも逃げられないな」

 青シャツさんが屈みこみ、クロスボウと矢を回収する。


 和弘さんはフロアの惨状を見まわした。

「まともに戦っては勝ち目がない。やるなら罠しかないが、一瞬で無力化しないと、こっちがやられる」


 青シャツさんが難しい顔をする。

「難題だな。電気が通じていればまだ何とかなるかもしれないが……いや、それでも無理か。このフロアにあるものだけで何とかしなくちゃならないってのもある」


 ふたりは考えこんだ。


 わたしは周囲を見まわす。


 ここは日用品の売り場だ。洗剤やティッシュ、歯ブラシなどが主で、武器になりそうなものはない。


 わたしたちの手もとの武器は、クロスボウ三挺、鉄槍三個、スプレーガン一個だけだ。


 これら武器を使っての攻撃は、数名が鉄槍で牽制しつつ、別の者がスプレーガンとクロスボウで徐々に優位を確立するという戦術だ。狭い塹壕のなかでさえ、六人必要だった。今のわたしたちでは戦力不足だ。


 スプレーガン。

 待てよ。

 中身は水酸化ナトリウム溶液。別名、苛性ソーダだ。

 そして、ここは日用品売り場だ。


 わたしはふたりの注意を引いた。

「考えがあります。聞いてください」

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