第3話 塹壕の戦い

 緑の鎌がもう一本壁から突き出る。

 二本の鎌にくわえられ、犠牲者はまたたく間に壁に引き寄せられた。

 男の悲鳴が周囲に響き渡る。

 身体の正面を壁面に押しつけられ、土壁にキスをするような格好になった。


 声をあげ、身体をはがそうともがいている。シャツに血がにじみ出た。

 またたく間に背中が血まみれになった。

 ひときわ高い悲鳴をあげたあと、男が動きを止める。

 手足が力なく垂れ下がった。


 犠牲者を手放した二本の鎌が、青シャツさんに向かって宙を飛ぶ。

 青シャツさんは地面を転がってかわした。


「だれか来てくれ!」

 青シャツさんが叫ぶ。


 駆けつけた和弘さんが、鉄槍を鎌の一本に突き立てる。壁から出ている根もとのほうだ。

 筋肉に当たる部分を貫いたためか、鎌の動きが鈍くなった。


「美紗紀、スプレーガン! 関節部を狙え!」


「はい!」


 両手で構え、狙いをつける。

 鎌が静止した瞬間を狙って噴霧器のトリガーを引いた。

 霧状の水酸化ナトリウムが勢いよく吹き出し、緑の鎌にかかった。わずかに動きが鈍る。

 もう一度!


 表皮が溶けだし、ぬるぬるとぬめってきた。さらにもう一度。

 こいつは痛覚神経がないのでやっかいだ。

 わたしは溶液を吹き続ける。


 緑の鎌を攻撃しながら、リーダーの様子を確認した。


 青シャツさんは、もう一本の鎌を避けながら地面に落ちた鉄槍を拾おうとしている。クロスボウはすでに投げ捨てていた。


 ひとりでは無理だ。

 和弘さんは歯を食いしばって、鉄槍を突き立てている。ほかのことに目を配る余裕はない。


「赤リボン、応援を呼んでくれ!」

 リーダーが攻撃を避けながら言った。


 塹壕は狭い。人が密集すると身動きが取れず、よく動くこいつの的になってしまう。

 前と後ろ、どちらを呼ぶか。後ろは新顔だ。

 わたしはスプレーガンを発射しつつ、すばやく決断する。


「後ろのふたり! 急いで来て!」

 大声で叫ぶ。


 駆け出す足音が聞こえた。


 このふたりは男女の組みだ。

 女の力では鉄槍は扱いきれない。わたしと同じように、女はスプレーガン。男のほうは鉄槍のはずだ。

 この化け物は、槍だけでは対応しきれない。


 近くまで駆けてきた足音が、ためらうように止まった。

 鎌の動きに気を配り、注意を向ける余裕はない。


 頭上からの攻撃をかわしながら怒鳴り声をあげる。

「到着したら、そう言いなさい!」


 年上に命令を下しているが非常時だ。


「来ました。どうすればいいですか!」

 震える声で女性が聞いてくる。


「ふたりで青シャツさんを支援して! いま化け物に襲われている人!」


 返事がない。


「早く!」


「どうやればいいかわかりません!」

 女性は泣き声をあげた。


 このふたりは恋人だろうか。男性のほうは彼女に応答を任せている。


「鉄槍の人は、和弘……アレグロさんと同じようにやるの! あなたは、わたしのやっているようにする。溶液が味方にかからないよう気をつけるのよ。発生するガスにも気をつけて。早く行って!」


「でも……」


 まだぐずぐずしている。

 大人のくせに。


 なんとかふたりを勇気づけなければならない。

 わたしは動く鎌を注視しながら、頭をフル回転させる。


「高校生のわたしでもできているのよ。きれいで行動力もある大人のあなたならできるわ! コロニーの居住が許可されたほどの能力の持ち主なのよ。自分を信じて!」


 まるっきりのでまかせだが、プライドをくすぐってやった。世界変異について連れの男性に得意げに語っていたことから、自尊心が高いと見たのだ。


「わかりました!」


 女性が駆け出し、男があとに従った。


 すぐに青シャツさんの指示が聞こえてきた。

「よし! 黒縁メガネのおまえ、化け物の根もとに鉄槍を突き立てて、動きを止めろ! ショートカットのおまえはスプレーガンで牽制! おれに誤射しないよう注意しろよ! 時間稼ぎでいい。おれもすぐに加勢する!」


 もう大丈夫だろう。

 わたしは目の前の敵に集中した。


 必死の戦闘が続く。

 おそろしく時間がかかったが、ようやく緑の化け物は動かなくなった。

 わたしたち五人は、かたまって地面にへたりこみ、肩で息をしていた。

 全身汗みずくになっている。


 息が整ってきた頃、新顔の女性が口を開く。ショートカットと呼ばれたほうだ。


「一体、あれは何だったんですか?」


「植物だよ」

 青シャツさんが答える。


「植物なんですか? あれが?」


「そうだ。肉食性のな。おまえは今まで遭遇したことがなかったのか?」


「はい」


 黒縁メガネの男性もうなずく。


「運が良かったんだな」


 リーダーの青シャツさんは息絶えた仲間をちらりと見る。

 血はあまり流れていなかった。化け物が吸いとってしまったのだ。


 和弘さんは視線を外し、わたしを見る。

「美紗紀、よくやったな」


 この人に褒められるとなぜか嬉しい。

 思わず笑顔になる。

「これ以上、だれも死なずに済んで良かったです」


 青シャツさんが思い出したかのように、宙に向かって声を張りあげる。

「新しい化け物は来ていないか!」


「はい、無事です!」

 前方から声が返ってくる。


「さっきのやつは、たしかに死んでいるんだろうな!」


「間違いありません!」


 吐息をついた青シャツさんは、和弘さんに顔を向けた。


「妖魔と出くわして犠牲者ひとりだなんて奇跡だよ」


「小型のやつだったんだろう。今のところ、これだけで済んでいるのは幸運と言えるな」


「まったくだ」


 リーダーは鉄槍を杖がわりにして立ちあがる。


「さて、そろそろ休憩も終わりにしないと、あっという間に日が暮れちまう」


 呟きながらクロスボウを拾う。

 彼の武器に鉄槍が加わった。


 人が死ぬたびに武器が増える。


「残った最前列のひとりは後ろに来い! おれと組むんだ。二列目が先頭だ!」


 あの新入りが先頭になるのだ。


 一行が隊列を組みなおすと、行軍が再開された。

 後ろの男女はピクニック気分が抜けたのか、すっかり押し黙っている。


「和弘さん」

 わたしは相棒の名を呼んだ。

 昨夜のことを話しておいたほうが良い。


 わたしの信頼する男性は油断なく目配りしていた。

「どうした?」


「昨日の夜、怪しい影を見ました」


 視線がわたしに向かう。

「夜というと、コロニーの内部ということか?」


「はい」


 和弘さんが心配そうな顔になる。

「おまえの部屋の近くで見たのか?」


 首を横に振った。

 動きにあわせて揺れる髪がうなじをくすぐる。


「いいえ、運動場です。校舎の陰になったところでした」


「どんな格好をしていた?」


「瞳が赤かったので、そのときは妖魔だと思いました。ですが、今は自信がありません」


「校舎の陰と言ったな。瞳はどれくらいの高さにあった?」


 わたしは思い出そうとした。

「たしか……一階の窓の中間あたりだったと思います」


 和弘さんは冷静に指摘する。

「大人の視線の高さと同じだ。そいつは、少なくとも妖魔ではないな」


 その言葉にぎょっとなった。

「では、魔女でしょうか」


「その噂はおれも聞いているが、わからないとしか言いようがない」

 和弘さんはわたしの顔をじっと見た。

「心配か?」


「はい」

 正直に答える。


 年上の男性は、しばらくためらっていたが、やがて言った。

「本音を言えば、おれにとっては、ほかの住人などどうでも良い。おまえさえ安全であれば構わないんだ」


「でも、レイダさまは……」

 さすがに和弘さんの見も知らぬわたしの友だちのことは出せなかった。


「わかっている。おまえが心配しているのなら、おれも協力はしよう」


「ありがとうございます!」

 やはりこの人はやさしい。


 暖かな気持ちにつつまれて顔を戻すと、行軍が止まっているのに気づいた。


「ようやく到着したようだな」

 青シャツさんが言った。

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