第2話 世界変異
塹壕は門から少し進んだ先にあった。
表面に木の板が渡され、木の葉や枝などで覆っている。
強風が吹いたらどうなるかわからないが、たしかに一見しただけではわからないようになっていた。
少なくともこの点に関しては、首長は嘘を言っていなかったわけだ。
カムフラージュの板を外し、青シャツさんが入り口の前で立ち止まった。
わたしは前の人の肩越しにのぞきこむ。
内部はかろうじて四人の大人が並んで歩けるくらいの幅だった。
「二列縦隊で進むぞ。おまえたちが先頭に立て」
新顔の二人組に命じた。
指名されたふたりは鉄槍を手にして穴に降りる。
「次はおまえたちだ」
わたしにちょっかいを出した新入りとその相棒に命令する。
「前のやつらと距離を空けろよ」
指示されたふたりが入っていった。
その調子で前方を新顔で固め、中央に古参、最後列を新顔というように隊列をつくっていった。わたしたちは、最後から二番目の列だった。リーダーの青シャツさんの組みはわたしたちのすぐ前だ。
「美紗紀、理由はわかるか?」
和弘さんが囁く。
わたしはうなずいた。
「はい。先頭が最も危険です。侵入した妖魔にまっさきに狙われるからです。だから戦力としては未知数の新顔で前方を固めました。同じ理由で、襲われやすい最後尾にも新顔を配置しています」
「そうだ。経験者でもある古参がやられると、隊に動揺が走るからな」
「はい」
塹壕は薄暗かったが、ところどころ天井の羽目板の隙間から日が差しこんでいた。
地面は土中の水分が
粗末な仕上げではあるが、目的地まで延々と続いている。
これをつくるのに、どれくらいかかったのだろう。
「どうした?」
わたしの様子を見た和弘さんが小声で問う。
「これだけのものを掘るのに、何人が犠牲になったのだろうと思っていました」
自分の口調がしんみりとなっていた。
「そうだな」
背後から声が聞こえてくる。
「ねえ。この世界変異、どうして起きたのか知っている?」
後ろの新顔ふたりだ。たしか男女の組みだったはず。
わたしは耳をそばだてる。
「さあ? あいつらがやったんじゃないのか? 地球を侵略しに来たんだと思っていたけれど」
男性が答えた。
「それが違うの。侵略者は、むしろわたしたちのほうよ」
男は疑いのこもった声をだす。
「そんなわけないじゃないか。どうやっておれたちが侵略したんだ? この足の下にあるのは宇宙船の床じゃなくて、普通の大地なんだ。おれたちが侵略したのなら、地球ごと移動したとしか考えられないぞ」
「まあ、そういうこと。いい、これは国際機関の研究所にいた人から聞いた話だけど」
「きみの前の恋人か?」
「そこはどうでもいいわ」
前置きした上で話しはじめた。
「彼らは、次元に穴を空ける研究をしていたのよ」
「次元に穴を空ける? どういうことだ?」
「並行宇宙のことよ。この世界の外側には、わたしたちの世界とは少しずつ違う世界が無数にあるの。その世界のひとつと小さなつながりをつくるつもりだったそうよ」
「どうしてそんなことをするんだ?」
「エネルギーよ。違う世界とつながれば、そこからエネルギーを取り出せる。資源だって無限に手に入れられる。並行世界は無数にある。世界のエネルギー問題は一挙に解決するわ」
「それがどうしてこうなったんだ?」
「ミスをしたの。穴を空けるつもりが、世界全体を重ねてしまった」
「世界全体を重ねる?」
「ええ。わたしたちの世界と別の世界が、ぴったり重なってしまったというわけ」
もうひとりが息を呑む音がした。
「それが妖魔のいる世界だったってわけか」
「そういうこと。だから地面の下も、空中も、何もかもが化け物のいる世界と融合したの。この世界のどこにも逃げ場はないのよ。もうわたしたちがいた世界は消えてしまったから」
「つまり、おれたちの世界そのものが、異世界と化したってことか。やってくれやがったな!」
男がうめくような声をあげる。
わたしたちは茫然として聞いていた。
「そういうことか」
和弘さんが喉にからんだような声をだす。
後ろの会話は続いていた。
「もとに戻す方法はないのか?」
「無理よ。彼らが真っ先にやられてしまったわ。わたしは、たまたまその日に休んだ彼から聞いたのよ。研究所は跡形もなくなったって」
突然、うわずった声があがった。前方からだ。
「妖魔だ!」
わたしたちのすぐ前にいる青シャツさんが声を張りあげる。
「何匹だ!」
「一匹、最前列!」
短い答えが返ってくる。
あとは激しい息づかい。
「二列目、三列目、最前列と合流! 前に出て支援しろ!」
青シャツさんの指示。
「四列目、武器を構えてそのまま待機! 五列目と六列目は、四列目と間隔を詰めろ! 前のやつらが破られたら、おまえたち六人で防げ!」
和弘さんが冷静な声をだす。
「美紗紀、ここまで来るかもしれない。準備しておけ。仲間にかからない位置から噴霧するんだぞ」
「はい!」
わたしはスプレーガンを構えた。
和弘さんが一歩前に出る。
すぐに意図がわかった。盾になって防ぐつもりだ。
和弘さんが足止めしている間に、わたしが水酸化ナトリウムを浴びせる。
妖魔は強力だ。少しでも遅れたら、和弘さんは死ぬ。
あいつだって、少しは手傷を負っているはず。
外しはしない。絶対にやってみせる。
わたしは口を引き締め、妖魔があらわれるのを待つ。
前方で悲鳴があがった。
ひとりやられたのだ。
「この、化け物が!」
ほかの仲間の叫び声が響く。
そのとき気づいた。
青シャツさんが新顔を前後にまとめたのは、単に戦力を試すためだけではない。
これは、人間の盾なのだ。
前からきた妖魔に最初の六人があたる。
次にまた六人。
いくら化け物が強力でも、いつまでも無傷というわけにはいかない。中列まで達する頃には、大きな傷を負っているだろう。
そこでとどめを刺す。
つまり前方の人間を消耗品と見た戦術なのだ。
わたしたちは、ほかの人間を犠牲にして生き残る。
なんということだろう。
これでは、首長となんら変わるところがない。
「美紗紀、おまえはそんなことは考えなくて良い。自分が生き残ることだけに集中しろ」
わたしの動揺を読んだ和弘さんが諭す。
そうだ。わたしたちは生き残らなければ。
「はい。わたしと和弘さんが生き残ることだけに集中します」
台詞の一部を変えた。
和弘さんがやさしく苦笑する。
気づいた頃には、最前列の叫びは止んでいた。
「前列! 始末したか!」
青シャツさんが呼びかける。
「ああ、やっつけたぜ!」
新入りの男の声が返ってきた。
「犠牲者は?」
「先頭のひとりだけだ!」
「よし! 二列目のおまえたちは……」
「青シャツ、右に気をつけろ!」
和弘さんの声が走る。
リーダーのいる側面の壁が崩れた。
青シャツさんは確認もせず、反射的に飛び退く。
隣の男性は驚いて立ち止まった。
それが明暗をわけた。
土中からいくつもの関節のある緑色の鎌のようなものが飛び出す。大人の腿ほどもある太さだ。
関節部分から折れ、青シャツさんの相棒の胴に巻きつく。
驚いた男が鉄槍を落とした。
わめき声をあげ、太い緑の鎌を拳で殴りつけながら助けを求める。
青シャツさんはクロスボウで射ようとするが、仲間が邪魔になり狙いをつけられない。
「美紗紀、助けるぞ!」
和弘さんが鉄槍を構え、緑の鎌に向かって突進する。
わたしはぴたりとそのあとを追った。
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