第10話 闇に潜むもの
神官との立ち話が長くなってしまった。
神殿を出るころにはすっかり日が落ち、外は暗くなっていた。
振り返ると、その神官が大きな扉を閉めるところだった。
あらためて見てみると、入り口の扉は後づけのように感じる。レイダさまのために、専用にしつらえたのかもしれない。
月明りのなか、だれもいないグラウンドをひとりよこぎる。
貴重な電力はフェンスへの通電に使用しているため、照明にまわす余裕はほとんどない。校舎の明かりさえも特定の部屋で使っているだけだ。
月の位置の関係で、校舎の影がグラウンド側に差している。
そのあたりだけは、真っ暗闇だった。
連絡棟の中央玄関から建物に入ろうとしたとき、その暗闇にうずくまる黒い影があった。
どきりとして足を止める。
妖魔が入りこんだのだろうか。
コロニー内とはいえ、たったひとりで照明の灯りも届かない夜に、建物の外にいるなんてばかだった。
神殿で気を失ってさえいなければ、明るいうちに戻れたろう。
脚がすくみ、へたりこみそうになる自分を叱咤して、震える足で一歩ずつ後退する。
急激な動きは危険だ。声を出してもだめ。
ぼんやりとした黒い影がゆっくりと立ちあがる。
わたしは息を呑み、立ち止まった。
こちらを見ている気がする。
顔の角度を変えたのか、赤い瞳が星の光を反射して輝いた。
ああ、やっぱり見ている。
すぐに全力で逃げなければ。
無理だ。
今朝の仲間と同じように、すぐに追いつかれる。
それで終わりだ。
もう動けなかった。
わたしは蛇に睨まれた蛙のように立すくみ、ただ自分が殺されるのを待っていた。
どれくらい時間が経っただろうか。
赤い瞳が見えなくなっている。
動いてもいいのだろうか。
妖魔はいないのだろうか。
早くこの場を立ち去りたいが、動くのも怖い。
暗闇に向けて目を凝らした。
いなくなっているような気もする。
いつまでもこうしてはいられない。
後退りのための一歩を、かかとから、ゆっくり踏みだす。
ざくりと地面を踏む音がした。思った以上に大きい。
化け物が引き返してくる!
わたしは目を閉じ、身体を硬直させて、襲いくる衝撃と痛みを待つ。
――何も起こらなかった。
恐るおそる目を開き、様子をたしかめる。
凝りかたまった闇があるだけだ。
くるりと身体を反転させ、全速力で駆けだす。
自分の口からかすれた悲鳴が漏れている気もするが、止められない。
昇降口に飛びこみ、階段を駆けあがる。割り当てられている部屋のある四階に達すると、わき目も振らず廊下を走り抜ける。
扉が開く音がして、並び部屋の住人が顔を出すのがわかったが、構わず走った。
見慣れた自室に飛びこみ、壁際に達する。近くにある毛布を頭からかぶり、震えながら入り口の扉を見つめた。
背中を壁に押しつけ、恐怖に怯えながら朝が来るのを待った。
「赤リボン、起きろ!」
だれかが呼んでいる。扉を叩く音もする。
そこで目が覚めた。
とても眠ることなどできないと思っていたが、そうでもなかったらしい。
教室の窓からは、すでに朝の光が差している。
わたしは眠い目をこすり、教室の扉を開けた。
男の人がいらついたように顔を見る。
「なんでしょうか」
「なんでしょうかじゃない! 早く体育館に迎え! 放送に気づかなかったのか?」
呼び出しにも気づかないほど寝入っていたのか。
わたしは頭を下げる。
「すみません! すぐに向かいます」
迎え役の男性はさっさと行ってしまった。
わたしは身だしなみもそこそこに、急ぎ足で指定の場所をめざす。
一階まで降り、体育館への渡り廊下を小走りに駆ける。
両開きの扉は開いていた。
二十人くらいの男女が集まり、一段高くなった舞台のほうに視線を向けているようだった。
わたしはそっとなかに入り、大人たちの一角に、身を縮めて身体を紛れこませる。
みんなの視線を追った。
舞台の上には首長とその取り巻きが立っていた。
遅れてきたわたしを見ている。
叱責の言葉が飛ぶかと思ったが、首長の視線はわたしを通り越し、集まった一同をひとわたり見まわす。
わたしはひと息ついて、周囲の大人を観察した。
女性もいるが、男のほうが多いようだ。
フロア側に立っている者は、わたしを含め、ちょうど二十人。
昨日コロニーへの入植を認められたばかりの難民も前方で勢揃いしている。
新入りの男がわたしの視線に気づき、振り向いた。
途端ににやにや顔になる。
わたしはぷいと顔を背け、ほかの人に目を向けた。
がっちりした体躯の青シャツの男性の姿が見える。
あれは回収班のリーダーだ。
回収班の任務は最も危険な仕事だ。あの青シャツの人は、ずっとそれをやり続けている。
いやな予感がする。
首長は昨日、失敗の埋め合わせをしろと言った。
任務に失敗した班員の生き残りと、入ったばかりの難民たち。
ということは……
わたしは絶望的な気分になった。
「どうやら揃ったようだな」
わたしの気分にお構いなく、首長の声がこだまする。
「今日のおまえたちの仕事だ。ショッピングモールまで出て、必要な物品を持ち帰ってこい」
途端に館内がざわめきだした。
新入りとその仲間は、何のことかわからず当惑したように周囲を見まわしている。
わたしは小さなうめき声をあげた。
やはりそうだ、これは懲罰任務だ。
「ショッピングモールだと!」
わたしが絶望に浸っていると、声があがった。
青シャツのリーダーだ。
「話が違うじゃないか! あそこは妖魔の出没地域だぞ!」
首長は冷たい視線を返す。
「わかっているのか? おまえは不満を言える立場ではないんだぞ! 無駄飯を与える余裕はないんだ。本来なら放り出されても文句は言えない立場なのに、チャンスを与えてやっているんだぞ。感謝しろ!」
「おい、どういうことだ? 教えろ」
いつの間にか、あの新入りの男がわたしの近くにやって来ていた。
言いかたに少しいらつくが、今はそんな場合ではない。
「回収班は、懲罰班とも呼ばれているの。割り当てられた仕事に失敗して、コロニーに損失を与えた者に課される任務なのよ」
そう。昨日のわたしのように。
新入りは警戒するような声をだす。
「危険なのか」
「生還率は五割」
さすがに怯んだようだ。押し黙った。
「うまく任務に成功すれば、もとの安全な仕事に戻れるわ」
答えながら、頭の隅で思考をめぐらせる。
そうはいっても、ここに呼ばれた人たちは、みな頼りにならない。もちろん、わたしを含めてだが。
このメンバーのうち、コロニー外での仕事にたずさわっていたのは和弘さんだけだ。ほかは内勤。
当然のことだが、なかでの仕事は外の任務とくらべ、はるかに命の危険が少ない。
にもかかわらず、大きなミスをしてここに集められたのだ。
そのような者が集まれば、任務の成功率は極端に低くなる。
わたしの思考はさらに漂い流れる。
和弘さん以外で唯一頼りになるのは、あの青シャツの人だけだ。何度も任務に成功している。
それにもかかわらず、未だに回収班にいるのはなぜだろう。
「おい、赤リボン」
新入りが不満げな顔つきをしているのに気づいた。
「どうしたの?」
「おれはミスなんてしてないぞ」
「新しく入った者は必ずやらされるのよ。コロニーに貢献できる人間かどうかを見られるわけ」
自分の命を賭けてだが。
「あんたも経験したのか?」
「したわ」
思い出したくない記憶だ。
「で、何人が戻れたんだ?」
「ふたりだけ。わたしともうひとりよ」
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