第9話 神官の憂慮

 レイダさまとの会見が終わった。

 待機していた神官が出口まで送ってくれる。


 傾きかけた陽射しが神殿の壁を透過し、廊下に降り注いでいた。

 夕日の色に染められたそのなかを、わたしたちは歩いている。


 神官がのんびりと話しかけてきた。

「赤リボン殿、レイダさまについてどのような印象を持たれましたか?」


 わたしは正直に答える。

「慈悲深く、やさしさに満ちあふれたかただと感じました。レイダさまは、最初からあのような感じだったのですか?」


「最初に発見されたときは、意志の疎通も困難なほどでした」


 ただ記憶を失っていたわけではなかったのか。


「自力で生活するのも難しい様子だったので、私が願い出てお世話をすることになったのです。その後、魔法の力を発揮されて傷ついた者を治癒すると、人々からは女神ととしてあがめられるようになりました。その頃からでしょうか。レイダさまは、このコロニーの愛の中心になろうと決心されたようです。流れのままに私は神官となり、以来こうして仕えています」


「神官さまは、一年以上もレイダさまとご一緒にいらっしゃるのですね」


「そのとおりです。それだけの期間、お仕えさせていただいていると、欠点も見えてきます」


 意外だった。

「どのようなことでしょう」


「ご案内するときにもお話ししましたが、レイダさまは、あのとおりの世間知らずです」


「はい」


「のみならず、慈愛の心も深い」


「ええ」

 まったく異論はない。


「それ故、不幸な目にあっている者を見ると、放っておけないようです。あとさき考えず、手を差し伸べてしまわれる」


 巫女たちのことを言っているのだろうか。


「それは不都合なことですか?」


 レイダさまに仕える男性は左右のこめかみを指で揉みほぐす。長い髪がはらりと垂れて、横顔を隠した。


「見ていてはらはらします。まったく胃が痛い」


 ああ、そういうことか。


「首長との軋轢あつれきが大きくなってしまうのですね」


 神官はわが意を得たりとばかりに、勢いよく顔をあげた。

 その美しい顔だちにどきりとする。


「さすがに見抜いていらっしゃいますね。いまやレイダさまに対する人々の尊敬の念は、絶大なものとなっています」


 それはよくわかる。先ほどの会見だけで、わたしもレイダさまの虜になった。


「それにより、首長は自分への求心力が低下することを危惧しています」


 そうかもしれない。権力者は嫉妬深いと聞く。


「レイダさまは、私たちの希望の象徴なのです。このコロニーにとっても、失うわけにはいかない存在です」


 わたしは大きくうなずく。

「よくわかります。レイダさまは、わたしたちの精神的な柱となっているのですね」


 美しい神官はしばらくためらっているようなそぶりだったが、立ち止まり、声をひそめる。


「あなたは特にレイダさまに気に入られているのでお話ししましょう。実は首長はレイダさまの処遇について、考えを見直そうとしています」


 わたしは息をのんだ。

「つまり、それは……」


 相手は重々しくうなずく。

「コロニーからの追放です」


「そんな……そんなことをしたら……」


 レイダさまは生きていけなくなる。もちろん友理をはじめとする巫女たちもだ。


「レイダさまを崇敬する人たちが許さないでしょう。内乱が起きるかもしれません。コロニーは、まっぷたつです」


「首長はそれを承知で強行するつもりなのでしょうか」


「赤リボン殿は、魔女の噂をお聞きになりましたか?」


 突然の話題の転換にとまどいながらも答える。

「それは、先ほど友理が口にした言葉ですね」


「そのとおりです。少し事情をお話ししたほうがよさそうですね」

 神官は眉を曇らせながら続ける。

「実は、あなたがこのコロニーに来る前に、魔女騒ぎがあったのです」


「魔女ですか? 妖魔ではなく、魔女なのですか?」


「魔女です。夜間、コロニー内で殺人がありました」


 殺人!

 外の妖魔だけでなく、内部でも問題が起こるとは。


「奇妙なことに、被害者は全身の血を抜かれていました」


 思わず身震いがでる。

「そんな恐ろしいことを、だれがおこなったのですか?」


「わかりません。その夜を皮切りに、立て続けに同じ手口の事件が発生したのです。コロニーは騒然となりましたが、犯人はつかまりません。それで、人々は魔女がいると噂をしはじめました」


「ここは広いといっても閉鎖社会ですよね。念入りに調べあげれば、犯人を突きとめることもできたと思うのですが、そこまでの捜索はしなかったのですか?」


「捜査に割ける人員にはかぎりがあります。当時は外からの攻撃に備えて、防護設備を一刻も早く整えなければならない段階でした。それどころではなかったのです。そこで居住者には、警備の隙をついて入りこんだ妖魔のしわざということにして、犯人捜しのほうは少人数でこっそりと行うことに決めました」


「パニックを防ぐためですね。それに、そのように言っておけば、設備の設置作業にも拍車がかかる」


「そのとおりです」


「人々はその説明で納得したのでしょうか」


 一旦広まった噂を消すのは、なかなか難しいのではないか。

  

「納得したというより、むりやり自分を納得させたのでしょうね。せっかくたどり着いた安全なコロニーです。外の心配だけでなく、内側の心配もしなければならないのでは身がもたない」


 たしかにそうだろう。


「自分たちの心の平安のためには、信じざるを得なかった、というわけですね」


「そうです。そのうち事件も起こらなくなり、いつの間にか私たちの記憶からも薄れてしまいました」


 次に言うことは想像がついた。


「ところが、最近また同じ事件が起こったのです」


「ほとぼりがさめたと判断した犯人が、また活動しはじめたということでしょうか」


「そうとも考えられますし、それを真似たほかの者のしわざとも考えられます」


 換言すれば、何もわかっていないということだ。


「ただ動機がさっぱりわかりません。こんなコロニーの居住者を殺害して何になるというのでしょう。利益のためなら、権力者を狙うでしょう」


「人を殺めて楽しむ人間もいると聞きました」


「その可能性はあるかもしれません。ですが、そういった類いの人間は、一年以上も我慢していられるものでしょうか? 今になって再開するのは不自然に感じます」


 そうかもしれない。

 動機はひとまず置くことにした。


「友理は今回の事件をどこかで耳にして、過去を思い出したと考えているのですね」


「はい。私が心配しているのは、当時友理殿が何らかの手がかりを目撃して、あのような状態になった、または追いやられたのではないか、ということです」


「つまり今回の事件は、友理が過去を思い出すほど、レイダさまの身近に迫っているわけですね。夜間、神殿を外から施錠して出歩けないようにしているのは、それが理由でしょうか」


 神官は首を縦に動かした。

「察しがいいですね。ご推察のとおりです」


 会話をしながら、この話の流れを思い出していた。

 首長はレイダさまの追放を考えているということだった。魔女騒ぎが首長の動きにどうつながるのだろう。

 魔女騒ぎと女神の追放……

 そうか、わかった気がする。


「首長は、魔女の事件をレイダさまのせいにしようと企んでいる。魔法を使えるのはレイダさまだけなので、こころよく思っていない人たちは、その言葉を簡単に信じこむ。事件が長引けば、レイダさまに対する不信感は増大する。そうやって女神の座から引きずり下ろし、追放にもちこむのですね」


「さすがですね。そこであなたにお願いがあるのです」


「おっしゃってください。なんでもいたします」


 友理とレイダさまのためなら、なんだってやる。


「日中は私はさまざまな用件に追われて、レイダさまのおそばに常に付き添うというわけにはいきません」


 神官は医療業務にも従事している。ほかにも首長への対応など、いろいろと多忙だろう。


「はい」


「私が不在のあいだ、レイダさまの近くにいてほしいのです」


「レイダさまが犯人ではないという証人を立てるためですね」


「そうです。特に美紗紀殿は、最初の魔女騒ぎのときにはコロニーの住人ではありませんでした。それ故、事件とは無関係です。そのような立場の者から、レイダさまのアリバイ証言が出れば、さすがの首長も濡れぎぬをかけることはできないでしょう。ほかの者では口裏をあわせていると邪推されます」


「承知しました。ですが、わたしもコロニー内にいる時間はそれほどつくれないのですが」


「構いません。今は美紗紀殿がいてくれれば充分です。レイダさまも心強いでしょう」


 神官はにっこりとほほ笑む。

 レイダさまとはまた違う美しさだ。思わず顔が赤らむのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る