第8話 女神の出自
わたしは友人に向きなおり、その名を呼ぶ。
「友理、美紗紀だよ。わかる?」
あいかわらず何も喋らない。ぼんやりとした目を向けるだけだ。
わたしを認識した様子は少しも見られない。
その場に残っていた神官に目顔で問いかける。
相手は首を振った。
今までとまったく変わらないということか。
レイダさまが気落ちした声になる。
「やはり美紗紀殿でもだめですか」
あんなに活発だった友理がこんな姿になるなんて。
「なんとかならないものでしょうか」
訴えるように言った。
「あれから何度も治癒魔法をほどこしているのですが、一向に改善のきざしが見えません。わたしの力は心の傷には及ばないようです」
そこで気づいた。
レイダさまの巫女たちは、みな静かで存在感がない。この神殿に住みこんでいるということだが、まるで気配を感じられなかった。
「レイダさま。ひょっとして、友理のような者を手もとにおいて巫女としているのですか?」
やさしい女神はうなずく。
「はい。そうしないと、コロニーの役に立たない彼女たちは追放されてしまいます」
こんな状態でコロニーの外に出されたら、あっという間に妖魔の餌食になる。
「仮に置いてもらえたとしても、首長たちの慰みものにされる運命でしょう」
たしかにあの首長ならやりかねない。いずれにせよ、地獄が待っている。
それを防ぐためにレイダさまは、友理たちの庇護者となったのだ。たとえ首長と対立することになったとしても。
わたしは頭を下げた。
「どうかこれからも友理をお願いいたします」
慈愛の女神さまは、やわらかくほほ笑む。
「もちろんですよ、美紗紀殿。巫女たちは、みなわたしの子どものようなものです。それにこの子たちを見ていると、かつての自分を思いだし、放っておけなくなります」
かつての自分? 同じ目にあったということだろうか。
「レイダさまも妖魔に襲われたのですか?」
相手は優雅に首を振った。黒いつややかな髪が動きにあわせ、肩口で流れる。
「いいえ、妖魔とは関係ありません。同じ境遇というのは、行き場を失っていることです。わたしもここに来る前の記憶がないのです。ですから、コロニーを出されたら、ひとりで生きていくことはできません」
「以前のことは、まったく覚えていないのですか?」
だから高校も知らなかったのか。記憶喪失というのは、概念も失ってしまうものなのだろうか。
「覚えていません。神官の話では、わたしは全裸で発見されたそうです。ですから、身元を知る手がかりさえもありません」
「世界変異のことはどうですか?」
あれだけの大災害なのだ。印象には残っているかもしれない。
「その言葉を聞いても何のイメージも思い浮かばないのです。目の前のこのコロニーが、わたしの世界すべてです。みなさんから聞いたのですが、今まで経験したことのない現象がいろいろな地域で起きたそうですね」
「はい。通信も途絶してしまったので、世界的な現象なのかはわかりません。突然、わたしたちの住んでいる環境が、違う世界へと変貌を遂げたのです。土地も生き物も建物もすべてです」
妖魔や見たことのない植物が突然あらわれたのだ。
街は大混乱に陥った。影響は地中にも及んでいるのか、電気、水道、ガス、通信設備などもすべて停止した。
わたしたちにとっては混沌でしかないが、レイダさまにとってはこれが世界の姿なのだ。
「変異前の世界はどんなふうだったのですか?」
記憶を取り戻す糸口を探しているようだ。きっかけがあればよみがえるかもしれない。
「妖魔はいません。動きの速い肉食性の植物もありません。昼間であれば、森の奥に入らないかぎり、出歩いても安全です。
電気は常に通じ、このような建物は夜でも明るいところが多いです。裏門の前にあるような自動車が外を走り、人を乗せて移動する乗りものが空高く飛んでいます」
言葉を切って様子を見る。
「どうですか。何か思いあたるものはありましたか?」
記憶を失くした女神はため息をついた。
「やはり何も思い浮かびません」
あるいは、世界変異のせいで記憶に影響が出たのだろうか。
レイダさまも同じことを考えていたようだ。
「美紗紀殿は、この変異がどうして起こったのか、聞いていますか?」
「異星からの侵略だとも、わたしたちが土地ごと違う世界に飛ばされたのだとも言われていますが、真相はわかりません。一瞬のうちにわたしたちの周囲は変わってしまいました」
「大勢の人が亡くなったと聞きました」
「はい。飛行中の旅客機は適切な滑走路が見いだせず、墜落したと聞いています。街なかにいた人々の多くは、妖魔にやられました」
恐ろしいのは、人間どうしの生存競争がはじまったことだ。
舗装道路が壊滅状態になったので、通常の自動車はあまり役立ない。悪路に対応した車やバイク、自転車は可能だが、外に出れば妖魔に襲われる。
移動範囲は徒歩圏内になってしまった。
今までのように、気軽に田畑をたがやしにも行けない。
最終的に、身近な地域での食糧の奪い合いがはじまった。
だから危険を冒してでも、人々は秩序の保たれた領域での生活を切望する。
このコロニーにも、あちこちから人が集まって来ており、それは今も続いている。
「レイダさま、ここの住人でレイダさまのことを知っている者はいないのですか?」
美しい女神は悲しげな顔をした。
「わたしもそう考えました。ですが、日中はみなさん、お忙しそうで声をかけられません。夜間は神官殿が神殿の扉の鍵をかけてしまって、わたしも出られないのです」
「なぜですか?」
「危険だと言われました」
それはわたしも想像したところだ。
こんなに美しいかただ。変な考えを抱く者も出るかもしれない。あるいは、狂信的な信者もいるだろう。
一方で、人々の希望のためには女神の姿も必要だ。魔法はわたしたちにとって、奇跡と同義語なのだ。
信仰があれば、それを利用してコロニーの秩序の維持に役立たせることができる。
女神の安全と適度な露出、それに加えて妖魔の問題。
神官もさぞ苦労していることだろう。
待てよ。
魔法?
レイダさまは魔法が使える。当然だが、わたしたちには無理だ。
「レイダさまは、異世界側の住人だったということはないですか?」
相手は思わぬ推理に虚をつかれた顔になった。
「それは……考えたこともありませんでした」
「人間は魔法が使えません。少なともわたしの知るかぎりでは、ですが」
「そうなのですね。わたしはこれが普通だと思っていましたから……」
外の世界を知らない身だ。そう考えるのも無理はないだろう。だれでも自分を基準にする。
しばらく考えるふうだったが、やがて首を振った。
「いえ、やはり違うと思います。それなら、同じような人が大勢いるはずです。わたしはここから出たことがありませんが、ほかに魔法を使える人物を目撃した話は聞いたことがありません。仮に、わたしが異世界の住人だったとしても、記憶がないことの説明はつきません」
たしかにそうだ。
わたしがこのコロニーに加わるまでのあいだに見かけた魔法的な生物は、スプライトくらいのものだった。
スプライトは微小な生物で、外界に対して干渉することができる。
その現象は、わたしたちにとっては、魔法としか呼べないものだった。
総じておとなしい生き物だが、あつかいを誤れば妖魔に匹敵するほどの攻撃性を発揮する。
「魔女」
不意に友理が声を発した。
わたしは驚いてその顔を見る。
神官も意外そうな顔をした。
「友理、戻ったの?」
声をかけるが、表情に変化はない。
今のひとことだけだった。
「どうしたのでしょうか?」
「突然でしたね」
神官は当惑しながら友理の顔に視線を据えた。
わたしの友人は場を驚かせたことなど知らぬげに、ぼんやりと宙の一点を見つめる。
新たな動きは一向になかった。
レイダさまが気を取り直すように明るく言う。
「少なくとも変化はありました。美紗紀殿のおかげです。わたしの出自については、巫女たちの状態が改善されてから考えることにいたしましょう」
このかたは、自分のことは二の次なのだ。友理もレイダさまの庇護下にあれば安心していられる。
これからも様子を見に来よう。
わたしはふたりをかわるがわる見た。
「またここに来てもよろしいでしょうか」
やさしい女神はにっこりする。
「ぜひいらしてください。美紗紀殿ならいつでも歓迎ですよ。また友理殿に変化があれば、お知らせいたします」
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