第5話 新入り1
「おれの見たところでは、ここの男女比は二対一のようだな」
新入りの男は言う。
よく知っている。フェンスの外側にいた頃からチェックしていたのだろうか。
「男のほうが多いが、おそらく女には興味がないやつもいるだろう。そう考えると人数比はかなり均衡してくるはずだ」
腕組みして壁に寄りかかった。
どうしてそんな話をするのだろう。
「まあ、あぶれるやつもいるかもしれないが、そこは生存競争になるだろう。自然の摂理ってやつだな」
にやりと笑う。
あの笑みは気に入らない。
わたしはさりげなく扉のほうに移動する。
「なあ、あんたは売約済みかい?」
そういうことか。
ようやく男の考えていることがわかり、吐き気をもよおす。
うかつだった。
部屋のなかでふたりきり。外からは見えない。
「十八歳に達していません」
遠まわしに答える。
「そうかい。でも、もうすぐだろう。楽しみだな」
男はにやにやする。
早く人のいるところに出なければ。
「もうここは充分ですよね。次の場所に行きます」
わたしは身体の震えを悟られないようにしながら、すたすたと廊下に出る。
男があとをついて来るのがわかった。
背後から声がかかる。
「なあ、いまから予約しないか?」
この階は空き部屋が多いためか、だれもいない。
立ち止まり、男に正対する。
怖がるからつけこまれる。毅然とした態度をしめすのだ。
「そんなルールはありません」
「おれたちのあいだだけさ。十八歳になったら、あんたから希望を出せば、お偉いさんも少しは汲んでくれるんだろう? それまでは、こっそり楽しめばいい」
不意に腕をつかまれた。
わたしの全身に虫唾が走る。
「放してください!」
振りほどこうと腕を動かすが、がっちりと固定されていて、びくともしない。
男がにやにやする。
「まあ、そう言うなよ」
「いや!」
涙が出てきた。
だれか助けて!
背後から近づく足音がして、止まった。
「なんだ、おまえ」
新入りの男が、わたしの頭越しに尖った視線を投げる。
この足音は、もしかしたら……
わたしは顔を後ろに向ける。
望んでいた姿がそこにあった。
アレグロさんは、わたしを認めると表情を一変させた。
「おまえ!」
つかつかと歩み寄り、男の胸ぐらをつかんだ。どんという音を響かせて壁に押しつける。
「この人が嫌がっているのがわからないのか!」
胸ぐらをつかまれた新入りは、へらへらしている。
「そんなにむきになるなって。ただのあいさつだよ」
アレグロさんは顔を男に近づけた。
「新入り、警告しておいてやる。次はないぞ。この子に手を出したら、ただじゃおかないからな」
凄みのある声で言うと、もう一度壁に押しつけ、背を向けて歩み去る。
「ちぇっ。ここは恋愛の自由もないのかよ」
身勝手な言葉を吐く男をしりめに、わたしは救い主の背中を追った。
「アレグロさん!」
頼もしい背中が立ち止まり、振り返る。
「どうした?」
直前の姿とは同じ人物と思えないほどの穏やかな表情を見せた。
わたしは頭を下げる。
「あの、ありがとうございました」
「気にするな」
あいかわらず短い言葉しか言ってくれない。
「これで二度目です。助けてもらったの」
アレグロさんは片頬に笑みを浮かべる。
「
「えっ?」
「おれの名前だ。アレグロではなく、和弘だ。そう呼んでくれ」
「はい!」
なぜか嬉しくなる。
「わたしは美紗紀です!」
「美紗紀か。覚えておく」
「はい! お願いします!」
和弘さんはちょっと笑い、歩いていく。
わたしはその場で後ろ姿を見送っていた。もしかしたら笑みが浮かんでいたかもしれない。
「なあ、もういいんだろう」
耳障りな声が聞こえてきた。
新入りがふてくされたような顔で見ている。
「待ちくたびれたぜ。早くあんたの仕事に戻ってくれ」
わたしはため息をついた。
高揚した気持ちが、たちどころにしぼんでいくのがわかった。
まだこの男の案内が残っているのだ。
わたしは足早に廊下を進む。
「おい、ちょっと待てよ」
声をかけてくるが、無視して歩く。
「なあ、ちょっと待てって」
もう、一秒たりともこの男と一緒にいたくない。またふたりきりになったら、何をされるかわからない。
なるべく人目の多いところに出て、残りの仕事を片づけよう。
廊下の奥まで達し、連絡棟の階段を下りる。
校舎をはさんで中庭と反対側にあるグラウンドに出た。
ほっと息をつく。
ここに来てようやく安心できた。どうやら知らずに全身に力を入れていたらしい。両肩ががちがちに強張っている。
広いグラウンドは活気に満ちあふれていた。
左手は中庭から続く畑になっており、担当の女性たちが作物の世話をしている。
近くにはビニールハウスが組まれており、そこにも食用野菜が育てられている。
正面奥、裏門の前には、車やバイクが何台も並んでいた。
世界異変が起きた直後、ここまで乗りつけた人が使ったものだ。
現在は、舗装路が異世界の土地に侵食されているため役立たなくなり、廃車となってしまったが、万一のためのバリケードとして残している。
そのほか、伐採班が森から運び入れた木材やその近くで加工する人たちが立ち働いている。電動のこぎりや釘を叩くにぎやかな音が響き渡っている。
案内すべき場所はまだたくさんあるが、早めに切りあげようと決めた。あとは、大切な神殿だけ案内して終わらせよう。
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