第4話 世間知らずの女神

 難民がぞろぞろと入ってきた。男性も女性もいるが、みなわたしより年上の二十代だ。

 警備員のひとりに案内されて建物内に向かう。


 ぼんやりと見送るわたしに、やわらかな声がかかる。


美紗紀みさき殿」


 本名で呼ばれた。名前を捨てるのはここのルールだが、レイダさまだけは例外なのだ。


 わたしは相手の完璧な顔に目を向ける。

「はい、レイダさま」


「怪我をされたかたは、いらっしゃらないのですか?」


 レイダさまは魔法が使えると聞く。

 わたしは目にしたことがないが、それを目撃した人は、彼女の美しさと相まって、レイダさまを地上に降臨した女神と信じている。


 幻想かもしれないが、それで良い。

 かろうじて世界変異を生き延びたわたしたちは、その日を無事に終えることにすべてのエネルギーをかたむけている。

 ひとつくらい希望を持たないと、未来は黒く塗りつぶされてしまうに違いない。


 わたしは首を振った。

「幸運なことに、アレグロさんにも、わたしにも怪我はありません。ですが、ほかに戻って来られたかたはいませんでした」


 痛ましげな顔になる。

「そうですか。どうやら、わたしの仕事はなさそうですね」


 わたしは、なぜか申し訳ない気持ちになった。

「すみません」


「美紗紀殿のせいではありませんよ」

 そう言うと、お付きの巫女たちに声をかける。

「神殿に戻りましょう」


 一行がまわれ右をしたときに、ひとりの巫女の横顔がはっきり見えた。


友理ゆり!」

 わたしは驚いて友人の名を呼ぶ。

「こんなところにいたなんて! 探したのよ!」


 だが彼女はわたしをちらりと見ただけで、すぐに視線をそらしてしまった。


 思いもよらない態度にたじろぐわたしに、レイダさまがたずねる。


「美紗紀殿の近しい人ですか?」


「はい、高校の友人です」


 レイダさまは美しい眉をひそめる。

「高校? 高校とは何ですか?」


 しばらく沈黙が下りる。


 わたしはあきれて、きれいなその顔を見ていた。

 レイダさまの表情は真剣そのものだった。


 世事にうといと聞いてはいたが、ほどがある。世間のことをなにも知らないのではないか。

 そういえば、そのために、身のまわりのお世話をする巫女が大勢つけられていると聞いた気もする。


 コロニー最初期の入植者の話では、ある日、コロニーの門のすぐ外で全裸で倒れている彼女が発見されたという。


 その後、意識を取り戻した彼女は日本語はおろか、どんな言葉も通じなかった。唯一、その口から発せられたのは「レイダ」という言葉だけ。


 それが彼女の名前になった。

 とんでもなく美しいこと以外、外見は日本人そのものだが、あるいは本物の女神さまなのかもしれない。


 わたしはどうにか気を取りなおす。


「高校とは、ものごとを学ぶ場です。かつては、このコロニーの建物がその場所でした」

 簡単に説明して続ける。

「友理とは、世界変異のときに一緒に逃げたんですが、離ればなれになってしまったのです。まさか同じコロニーにいたとは思いもしませんでした」


 考えてみれば出会ったのは必然かもしれない。

 自宅に帰れなくなったら、親戚や友人の家か、自分の学校に避難するのが自然な反応だろう。

 もっともわたしたちは、どちらも電車通学だった。まさか同じ場所を目指していたとは思わなかったのだ。


 女神さまはぐるりとあたりを見まわした。黒いつやのある髪が動きにあわせて揺れ動く。


「ここは広いですからね。今まで顔をあわせなかったのも無理はありません」


 そこで形のよい唇をわたしの顔に近づける。

 思わずどきりとした。


「美紗紀殿にお話があります。のちほど神官を迎えによこします。仕事を終えたら神殿に来てください」

 小声で言う。


「はい」

 なぜか顔が赤らむのを感じた。


「では、待っております」


 レイダさまはゆっくりと立ち去る。

 入れ換わるように大声で呼ぶ声がした。


「赤リボン!」


 建物の前で、クロスボウを肩にかけた警備員が手招きしている。先ほど先導して難民を連れていった人だ。


「今行きます」


 答えて小走りに向かう。


 目の前まで来ると男が言った。

「こいつを案内してくれ。新入りだ」


 頭を傾けて隣を指し示す。

 難民のひとりだ。

 わたしより三、四歳年上だろうか。細い目、満足に栄養を取れていないのか、身体も細かった。


「わかりました」


 男は黙ってわたしを見ている。


「部屋は東棟二階の空いているところでいい。十人ぶんだ。適当に割り当てて報告してくれ」


 警備員は男に視線を向ける。

「新入り、もめごとを起こすなよ。おまえを叩き出さなくちゃならなくなる。それから、教えられたことは、おまえからほかのやつらに伝えておけよ。二度手間はごめんだ」


「ああ、わかってるよ」

 ぼそりと返事が返った。


「案内します。ついて来てください」


 わたしは中庭をよこぎり、東棟に向かう。片仮名の「ヨ」の字で言えば、最上段の横棒に当たる箇所だ。


「東棟の外側は洗い場や畑です。水まわりはそこに集中しています」


 この時間は、役割を命じられた女性たちが作物の世話や洗濯をしているはずだ。


「あとで洗いものの集積所の場所を教えます。そこに積んでおけば、下着以外は役回りのものが洗っておいてくれます」


「水はどこから取っているんだ?」


 世界変異が起きたとき、インフラはほとんどやられてしまっていた。


「ここは普通科以外に、農業科と工業科併設の学校です。井戸は最初からありました。あとは雨水を貯水タンクに溜めています」


 世界変異も、地下水脈には影響していないようだった。あるいはこの場所が、たまたまだったのかもしれない。


 建物そのものが異様な変貌を遂げてしまったところも多いと聞く。

 ここはほぼ無傷で残った。

 難民が押し寄せてくるのも、わかる気がする。


 新入りの男性が屋上を見あげる。

 その視線を追った。

 貯水タンクと巨大なソーラーパネルが設置されているのが見てとれる。


「農業に工業か。だからフェンスに電流を通すことができたってわけだな」


 何度も痛い目にあったのだろう、口調は苦々しげだった。


 こういうときは、沈黙が賢明ということを学んでいた。下手に応答すれば、攻撃の矛先を向けられる。


 無言で屋内に入り、階段を上る。

 途中で何人もの居住者とすれ違った。


 新入りは、ほかの居住者をじろじろと観察している。


「ところで、ここは年寄りはいないのか? おれが見たなかでは、あの首長が最年長のようだったが」


「そのとおりです。居住の条件は首長を除き、男性は三十代まで、女性は二十代までと定められています」


 二階に達し、廊下を歩きながら答える。


 学校なので採光は充分だ。右側の奥までずらりと並んだ窓から明るい陽が注いでいる。左側は教室だ。

 廊下の奥は、わたしたちのいる東棟と隣の中央棟、それに反対側の西棟をつなぐ連絡棟になっている。


「満足に働ける者だけが住めるってことか。だから子どももいないんだな」


「そうです」


 男は鼻を鳴らした。

「だが、首長さまだけは例外ってわけだ。きたねえな」


 わたしは答えなかった。


 男の意見には同感だが、わたしも人のことを言えた義理ではない。難民を見捨てているのは同じなのだ。

 だれだって自分の身はかわいい。


「ここは何人くらいが住んでいるんだ?」


 わたしは首をひねった。

「わかりません。二百名くらいでしょうか。全員が揃っているところを見たわけではないので、正確な数字は知りません」


 みんな仕事を割り当てられて班ごとに行動しているのだ。自分の所属する班と、それに関わる職種の班としか交流がない。


「それじゃあ、あんたも見たことがないやつが、このコロニー内にいるってことか?」


「そうです。わたしは特に外で行う作業が多いので、内部で働く人たちとは、ほとんど顔をあわせたことがありません。知りたければ、首長に聞いてみるといいですよ」


 男は面倒そうに答える。

「ああ、好奇心から聞いてみただけだ。必要ねえよ」


 言い終えると同時に、目的の教室に到着した。


「着きました」


 スイングドアを開けてなかに入る。


 部屋はがらんとしていた。

 教室の中央に壁をつくり、ふたつに仕切ってそれぞれ独立した部屋にしたものだ。前と後ろの二か所に扉があるので、ひとつの教室につき、ふた部屋つくれる。


 机や椅子は、すべて片側の壁に寄せている。充分以上の広さだ。


 新入りは口をへの字に曲げた。

「ここに十人を押しこめるってわけか。まるで収容所だな」


「違います。ここはひとり部屋です」


 さすがに驚いたようだ。

「ひとり? ひとりで使えるのか?」


「教室の数はたくさんありますから。あとで係の者に寝具をもらってください」


「なるほど。プライバシーだけは確保できるということだ」


 新入りが意味ありげな目つきでこちらを見る。


 わたしは視線を外した。


 嫌な目つきだ。何をたくらんでいるのだろう。

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