第3話 女神登場
わたしは生い茂る樹々のあいだを懸命に走った。肩のあたりで髪の先端が揺れる。
並走する影が見えたような気がするが、気のせいだと言い聞かせる。
立ち止まれば死ぬ。
恐怖だけがわたしを動かす原動力だった。
でこぼこした地面に足を取られないよう注意しながらも、腕を大きく振りあげ、力のかぎり大地を蹴る。
コロニーが見えてきた。右手前方だ。
建物は片仮名の「ヨ」の文字の格好をしている。
わたしの通っていた高校だ。「ヨ」の縦線の右側がグラウンド、反対側が中庭になっており、そこに正門がある。
わたしは建物を見おろすように、正門に向かって「ヨ」の下の横棒に沿って走っている。
このまま直角に折れて斜面を下り、フェンスを乗り越えたいが、電気柵になっているため、そういうわけにはいかない。
すでに全身汗みずくで息もあがっている。それでも力を振りしぼり、最後の道程を走る。
正門だ。
門の前にはコロニーへの居住を許されなかった人々が群がっている。
「どいてください!」
枯れた声で叫ぶが、だれも動こうとしない。羨望と憎しみの混じった目でわたしを見つめるだけだった。
「お願い、通して!」
邪魔をするかのように押し黙ったまま動かない。おそらく、実際に妨害をしているのだろう。
門の内側でライフルを手にしている警備員ふたりも、数十名の集団とわたしとを交互に見るだけで手を出しかねている。
「赤リボンは妖魔に追われているぞ! 用心しろ!」
聞き覚えのある声が大きく響き渡る。
警備員の顔色が変わった。銃を構え、わたしの後方をすかし見る。
正門前の群衆がわれがちに逃げだした。
残っているのは数名のみ。
わたしはスピードを落とさずに彼らのあいだをすり抜け、細く開けてくれたゲートの隙間を駆け抜ける。
「通電しろ!」
すばやく閉めた警備員のひとりが奥に向かって叫ぶ。
指示を受けたひとりが建物の外壁に取りつけた配電盤を操作した。
見た目に変化はないが、電流が通ったようだ。正門の外にいる人たちが飛び退いた。
わたしは屈みこんで両膝に手をつき、ぜいぜいと荒い息をたてる。
コロニーの人たちがなにごとかと集まってきていた。
少し離れた場所には、アレグロさんがいる。
門外に陣取っていた群衆を追い払ってくれた人。
まだ膝が言うことを聞かないが、どうにか近くまで歩み寄った。
「ありがとうございました」
「礼など、いらん」
そっけない返事が返ってきた。
助けてくれたのはありがたいが、それならどうして森のなかで放置したのだろう。
質問しようと口を開きかけたとき、不機嫌そうな太い声がした。
「アレグロ! 赤リボン!」
振り向かなくてもわかる。首長だ。
アレグロさんの視線がわたしの肩越しに流れ、背後の人物に焦点をあわせる。
わたしはいやいや振り返った。
五十歳くらいの男性が、屈強そうな部下を従え、目を怒らせて睨んでいる。角ばった顔、ぎょろりとした目。人に命令することに慣れたような雰囲気だ。
「ほかはどうした」
首長が言った。
アレグロさんは冷静に答える。
「みんなやられた。生き残ったのはおれたちだけだ」
あの梯子の人も犠牲になったのか。
「武器と収穫物はどうした?」
案の定、犠牲者のことは通りいっぺんだった。
アレグロさんの目に怒りの色がひらめく。
「妖魔に襲われたんだぞ! そんなことを気にしていられるか!」
首長が怒鳴り声をあげた。
「ばかもの! 数少ない武器なんだぞ! 放置して済む問題か! 妖魔に侵入されたらどうするんだ!」
アレグロさんは負けていなかった。
「みんな死ぬさ! だが、あのとき武器を持って逃げても殺されていた! おまえは人の命よりも武器が大切なのか!」
「わたしはこのコロニーを預かっているんだ! 二百人近い住人の人生を背負っているのはわたしだ、おまえじゃない! 武器はその二百人の命を守る大切なものだ!」
「そこまで大切なら、おまえが行って取ってこい! おれたちはここで帰りを待っていてやるぜ」
首長が言葉に詰まった。目をぎらぎらさせ、黙って睨みつけている。
わたしははらはらした。
首長に逆らって良いことなどひとつもない。あとで懲罰任務を与えられるのが関の山だ。
「首長、それくらいにしてあげてください」
やさしい声がかかった。
居合わせた人々がざわめき、口々に言いあう。
「レイダさまだ」「女神さま」
わたしは声の主に視線を向ける。
美の化身がそこにいた。
白い絹のようなドレスをまとい、肩まで垂らしたつややかな黒髪、慈悲深い笑みをたたえた神秘的な顔。
その姿は女神そのものだ。
彼女につき従っているのは、ふたりの巫女だ。顔を伏せているため、表情は読み取れない。
美しいレイダさまは、穏やかにさとす。
「アレグロ殿も、赤リボン殿も、死の一歩手前まで行ったのです。もう少し寛容になってあげてください」
首長は不服そうな顔をするが、言葉をしぼりだした。
「わかりました」
次いで、冷たい光を帯びた目をわたしたちに向ける。
「おまえたち、今回の埋めあわせはしてもらうからな。覚えておけよ」
アレグロさんはぷいと顔をそむけた。
「はい、すみません」
わたしはおとなしく答える。
これ以上へまをすると、このコロニーから放り出されることは間違いない。居住を懇願する人たちは、ひっきりなしに来るのだ。
コロニーが維持可能な人間の数には上限がある。
首長は警備班を置き、毎日のように嘆願に来る彼らを追い払っていた。
コロニーにとって有用な人物しか居住が許されていないのだ。
特殊技能を有する者、武器を扱える者、重労働に耐えられる者だ。
ここに年寄りはいない。
わたしが置いてもらえているのは、単に若い女であるからに過ぎない。
年上の女性たちがそうであるように、いずれ、わたしも男たちの相手をしなければならなくなる。
わたしも子どもではない。それくらいは承知しているし、覚悟もしている。
わたしの価値はいまのところそれだけなのだ。
わたしが考えているうちに、アレグロさんはとっくに立ち去っていた。
警備員に質問する首長の声が聞こえる。
「門の前に残っている難民は、どれくらいいる?」
自分の目でたしかめれば一目瞭然だが、目を向けようともしない。
「十名です」
ひとりが答えた。
首長は手を振る。
「全員入れてやれ。居住者の補充だ」
ライフルを持った男が驚いた顔をした。
「テストをしなくて良いのですか?」
入植にあたっては事前に心理テストを行うのが定めだった。コロニーへの潜在的脅威となる人物をあぶり出すためだ。
「構わん。妖魔がくるとわかっていて残ったくらいだぞ。とんでもない愚かものだが勇気だけはある。使いようによっては優秀な兵士になるだろう。自分で考えることを放棄しているからな。もちろん、使い捨てだが」
コロニーの指導者はにやりと笑った。
レイダさまがかすかに眉をしかめる。
あきらかに嫌がらせだ。
「承知しました」
命令を受けた警備員は電気を遮断するよう指示し、難民を入らせた。
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