8.頭領の心変わり2(ガッド視点)
ドワーフ族専用の移住区に戻りながら、俺は過去のことを思い出していた。
それは俺達の暮らしが丸々変わっちまった日のことだ。
強大な力を宿した魔物がやって来て、その魔物が交渉を持ちかけてきて……。信じられないことが連続で起こった日だった。
最初はそりゃぁ……半信半疑だった。
口だけでは友好的に見せかけ、俺達を誘い出して重労働を課せてくるとばかり思っていた。だから俺はドワーフ族の代表として交渉を先延ばしにして、相手の出方を探っていた。
だが、それは杞憂だった。
魔物は、クロ殿は毎日のように俺達の村に訪問しては、被害を出すことなく話だけをして帰っていくようになった。
──おかしな話だ。
相手は俺達を遊び感覚で殺すことだってできるのに、それをしないで交渉を願ってくる。
もし、俺達を誘き寄せて奴隷のように使役するつもりなら、最初から武力を示して強制的に働かせればいい。……なのにクロ殿は何もしなかった。むしろ俺達にとって良いことばかりをしてくれた。
訪問するたびに多くの食料を持ってきてくれた。
魔物に困っていると言ったら、すぐに脅威を排除してくれた。
最初のはうっかりだったらしく、その後は決して圧力を見せつけることなく親しげに話をしてくれた。
更には、移住するにあたって俺達が、ドワーフ族が望む最高の居場所を優先して作るとも約束してくれたし、なんならすでに作ってあるから見学に来てくれと言われてしまった。
それを聞いた俺は、魔物が作った街とやらに行くことを決意した。
いい加減、クロ殿の本心を知りたいと思っていたんだ。彼が口にした『平和の街』がどこまで本気なのか、彼らの崇拝する『主』とやらは何者なのか。それを確かめないことには何も始まらないからな。
罠だったら、その時はその時だ。
弱肉強食の世界では、騙された方が悪い。この件で俺が死んだ時のために次の頭領候補を選び、様々な準備を終わらせてから、俺は多くの魔物が住む街へ向かった。
それを初めて見た時の衝撃は、今でも忘れられねぇ。
本当に沢山の魔物が住んでいやがった。
普通は争って命を奪い合う魔物が、隣同士で歩きながら親しげに話しているんだから、驚くに決まっている。
しかも、だ。
俺の驚きはそれだけじゃなかった。
魔物の街には、人間が住んでいた。
それこそ、あり得ないことだ。魔物と人間はずっと殺し合いをしてきた。会話の余地なんてない。お互いが出会ったら必ず殺し合いになるはずなのに、その魔物と人間が協力して畑作業をしていた。
俺はその時、どんな顔をしていたのかわからねぇ。
だが、クロ殿から漏れ出た笑っているような声から考えて、きっとアホ面を晒していたんだろうなと予想がついた。
今思えば、俺はそこで変わったのかもしれない。
──興味が湧いた。
これほど多くの魔物を従え、争いのない街を作り上げている『主』とやらに興味が湧いた。
だから、その主とやらに会わせてくれと俺は頼んだ。
クロ殿は最初、難色を示していた。
これは後で知った話だが、主と自由に面会を許されているのは、その主が最初に契約した魔物のみ。それがクロ殿と、彼と同じ種族のブラッドフェンリルだ。
クロ殿は悩んでいたようだが、会わせた方が色々と都合がいいと納得してくれたようで、もし会ったとしても会話するのは難しいと、断りだけを入れた後に面会を許可してくれた。
そして俺は、見事にその主に惚れ込んじまったわけだ。
ここの魔物を統べるんだから一体どんな奴が出てくるのかと思ったら、見た目はただの可愛らしい女の子だった。その子が只者じゃねぇってのは、彼女から感じる魔力で何となく分かったが、想像していた見た目とは真逆の奴だったせいで拍子抜けしたのは事実だ。
魔物の主、クレア様はいつも眠っていた。
ちょっとやそっとで起きることはなく、布団の上で猫のように丸まり、見ているこっちまで顔が綻んでしまう幸せそうな顔で眠っていた。
クロ殿曰く、これが普通らしい。
クレア様の願いは、ただ一つ。
『平和に、静かに、眠ること』
これが魔物を従えるお姫様だなんて、笑っちまう。
…………だが、何でだろうな。
彼女の近くにいるのは、悪くない。
顔を合わせているわけじゃない。一言すら話していない。近くにいるわけでもない。クレア様の街にいると思うだけで、なぜか知らんが日々の疲れが癒されて行くような気分になった。
◆◇◆
そして今日、俺は初めてクレア様と会話することができた。
『可愛いお髭だったから、触りたくなっちゃった』
『編み込み、可愛い。私、それ好き』
こうして思い出しても、不思議な御方だった。
その時まで張り詰めていた緊張感も、クレア様の一言で全てが霧散する。
『すごく、ふわふわしていて気持ち良かった……ガッドさんが許してくれるなら、また触ってみたい』
そういえば、この髭を褒められたのは初めてだったな。
つくづく、変な御方だ。
人によっては彼女のことを『空気の読めない奴だ』と言うだろう。
だが、ここの住民はそう思わない。彼女はそういうものだと理解しているからだ。
好きな時に眠って、動く姿のほうが珍しいとまで言われるクレア様。
いつも寝起きは気だるげで、全てのことを配下達に任せっきりなクレア様。
誰がどう見ても堕落している姿が彼女の全てであり、彼女がただ一つだけ望む形だ。
その中に心優しい一面もある。
人を引き付ける魅力がある。
不思議な空気がある。
そんな彼女のことを知れば知るほど、彼女のために在りたいと願ってしまう。
正直なところ、クレア様の下につくことが正解だとは思わない。
きっとこの先、魔物の街というものは嫌な意味で注目を浴びることだろう。
……いや、もうすでに手遅れなのかもしれない。
クロ殿が言うには、すでに様々な国から敵視され始めているらしい。
そんな状況だから、今後は今以上に忙しくなるのは分かっている。自分達に危険が及ぶ可能性だって十分にある。最悪、戦いが得意じゃないドワーフ族も戦力に加えられるかもしれない。
それでも、あの御方のためになら頑張れると──そう思ってしまう。
「おお、戻ったかガッド! ガハハッ!」
広場に行けば、同胞達が豪快に酒樽をあおいでいた。
ドワーフ族にとって、人間が飲むような酒はただの水に近い。……だが、これは違うな。微かに顔が赤くなっている同胞を見るに、かなり度数の高い酒を楽しんでいるな?
普段なら、ここで怒鳴り声をあげていた。
「これから仕事だというのに、酔っ払うほど飲んでどうする!」と彼らを叱っていた。
だが、まぁ……今はいい。
「ん? なんだよガッド。えらく上機嫌じゃねぇの。どうした。何かいいことでもあったのか?」
「……そうか?」
「ああ、そうだとも。だってお前──笑ってるぜ?」
言われて気付く。
ああ、この高揚感は「楽しい」という感情だったのか、と。
クレア様と出会えたことが、喜びだ。
クレア様と話せることこそ、幸福だ。
クレア様のために働くのが、一番だ。
俺は……いや、俺達は、この出会いに感謝しなければならない。
ただの炭鉱夫として生涯を終えるより、よっぽど楽しい人生だ。
「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
どうせ生きるなら、クレア様のためにこの技術を使いたい。
そう思った俺は、今まで積み重ねてきたプライドを捨てて同胞達に聞く。
その瞬間、
「…………その、女の子って何をプレゼントされたら……嬉しいんだ?」
──ガシャン、バコン、ドガァァァン!!!
様々な、本当に何がどうしたらそんな音が出るんだと思うほどの騒がしい音が、広場に轟いた。
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