1人と1匹の出会い(クロ視点)


 フェンリルは元々、一定の場所に住み着くような生態ではない。各地を渡り歩き、その度に縄張りを形成していく魔物だ。


 その時も、偶然通りがかった森で魔力濃度が高い場所を見つけたため、住処に飽きるまで留まろうと思っていただけで、そこまで長居するつもりはなかったのだ。


 我々が縄張りを形成し、太陽が五回ほど登った頃──それは唐突に現れた。


「──っ」


 我らは一斉にその異常に気がつき、警戒態勢を取った。

 我々は魔物の中でも上位に数えられるほどの力と魔力をこの身に宿している。


 だが、そんな我らが霞むほどの存在が、我らの縄張りに接近してきたのだ。


『それ』の警戒を続けるていると、それは我らの縄張りから数十メイルの距離で止まって、動かなくなった。

 なにがあったのかと我らは首を傾げたが、数時間が経っても、数日が経っても……それはピクリとも動かない。それがいる方面から異質な魔力が流れ続けているため、死んでいるわけではないと分かる。


 ──様子を見てくる。


 我は同胞にそう伝え、単騎で様子を見に行くことにした。

 もし敵対してくるならば縄張りを放棄し、フェンリルの脚力をもって全力で場を離れる。友好的であればここに来た理由を聞き出し、穏便に事を済ませる。


 我は最悪な結果になることも視野に入れつつ、縄張りを出た。

 向かう先には、我らとは比べ物にならない脅威の存在が待ち受けているのだ。これを平常心を保ったまま向かえるものがいるならば、それはまさに世界最強の精神を持っていることだろう。


 脚を動かすたびに魔力は強くなっていく。

 並大抵の魔物では息をすることさえ難しくなるほどの濃縮された魔力を肌で感じた我は、どこか不思議な感覚に陥っていた。


 …………心地いい。


 一見すると、無差別に周囲を威圧しているような魔力。

 だが、しっかりとそれを観察してみると、なぜか惹かれるのだ。


 ありえない。

 我々は昔から、数百年も前に起こった神魔大戦の時から一度も、誰かに心を許したことはない。


 この感情は、なんなのだ?

 そう思いながら警戒して歩き続けていると、森の中で開けた空間に──それは居た。


 見た目は成人していない人間の小娘のように見える。

 だが、彼女から放たれる存在感は本物だった。


 全ての魔物を従える唯一の頂──魔王。


 彼女こそが我らの主となるべき者だと、本能が理解する。


 …………。

 ……………………。

 ………………………………。


 しかし、この状況はどうすればいいのか。


 彼女は今、猫のように体を丸くさせ、安らかな表情で目を瞑り、スヤスヤと静かな呼吸を繰り返していた。

 ──就寝中だ。

 今は起こさないほうがいいのだろうか?

 無理矢理起こして怒りを向けられても困る。そう思った我は、彼女が自然と起きるのを待った。


 それから何度、太陽が登り降りしただろう。

 数えるのが面倒になった頃にようやく、彼女は初めて寝返り以外の動きを見せた。


「……ふ、ぁ……はぁ……」


 あまりにも寝すぎだった。

 縄張りに近づいてきて、しばらく動きがなかったのは……まさか眠っていたからなのか? それを考えると、彼女は随分と長い時間眠っていたのだろう。

 どんなに睡眠が必要な生き物でも、ここまで眠り続けることは可能なのか?

 実際、彼女は一度も目を覚ますことはなかった。もしかしたら死んでいるのでは? と心配になってしまうほどで、たまに見せる寝返りに何度、心を安堵させたことか。


「ふぁ……ぁぁ……」


 っと、色々と考えているうちに彼女が再び眠る体勢になってしまった。

 ──この機会を逃したら、また長い時を待つことになるだろう。それだけは勘弁してほしい。割と真面目に。


 我は見守っていた茂みから姿を現し、彼女に接近する。


 目が合った。

 彼女は首を横に倒す。


「ごめんなさい。何言ってるか、わかんない」


 同じ魔物であるとはいえ、使う言葉は異なる。

 久しく同胞以外のものと話していなかったせいで、すっかり頭から抜けていた。


 だが、言葉が通じないのであれば、どうやって意思の疎通をすればいいのだろうか。


「狼さん。私と契約しない?」


 困り果てていた我に、彼女はそのような提案をしてきた。


 その提案はむしろ喜ばしいことで、我は二つ返事で頷く。


 我はすでに彼女を『主』と認めている。

 彼女の側に居た時間は何もすることがなくて暇だったが、不思議と悪くなかった。


「それじゃあ、受け入れて」


 差し出された血を舐め取れば、変化はすぐに起こった。

 身体の内側から湧き出るような魔力。見れば主の体は光を放ち、我も同じように光り始めていた。それと同時に彼女の情報が頭の中に流れ込んでくる。……いや、情報だけではない。主の考えていることやその思考、全てが我の中に流れてきた。


 やがて光が収まり、我の体は黒く変色していた。

 これには流石に驚いたが、不思議と受け入れることができた。


 主は、我の変化を見届けて満足したのか、地面にゴロンと横になる。


「私は寝る。おやすみ」


 ……ああ、おやすみ。我が主。


 この時、我は新たに生まれ変わった。

 この時、我は新たな主を手に入れたのだ。


 我が主──クレア様。


 今日の出会いは『運命』である。

 貴女によって受け入れたこの力、これより先は貴女のためだけに使おう。


 再び静かな寝息を立て始めた主に──そう誓った。

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