33.初めての本気


 目の前には眼鏡白衣の細男。

 私が現れたことで凄く驚いているのか、私を指差して、お魚みたいに口をパクパクさせている。


 背後には、傷だらけのクロ。

 その姿はとても痛々しくて、ひどく辛そうだった。


「…………ごめんなさい」


 来るのが遅くなっちゃって、ごめんなさい。


「ごめんなさい。ごめんなさい──みんな、ごめんなさい」


 私が無茶を言ったせいで、ごめんなさい。

 こんな限界になるまで、ごめんなさい。

 酷い我儘を言って、ごめんなさい。


 クロとの約束を破っちゃって、ごめんなさい。


 クロは泣きそうな顔で私を見ていた。

 違うの。悪いのはクロじゃないんだよ。助けが遅れた私と、あの人間が悪いんだよ。


「すぐに終わらせるから、待ってて」


 だから、この先は私がやる。

 みんなを、大切な仲間をいたぶったこの人だけは、どうしても許せないから。


「──ハッ! お、お前が魔物の親玉だね? ああ、僕はなんて運がいいのだろう。まさかカモの方が来てくれるなんて!」


 体を動かすのなんて、いつぶりだろう。

 物心ついた時には、もう私は常にベッドの上にいたから……はっきりとは覚えていない。


「お前をこの場で殺せば、僕は、僕の研究は国に認めてもらえる! 僕を馬鹿にしていた奴らを見返せるんだ! これ以上の幸運はない! さぁ、魔物の親玉。僕のためにその命を──」

「……………………、…………ん、………?」


 あ、話が長いから寝ちゃってた……?

 だめだめ。みんなを心配していたせいで十分に眠れなくて、今になって凄く眠くなってきたけれど、ここで寝たらみんなを余計に心配させるだけだから……今だけは我慢。


 でも、なんでだろう。


 この人の話を聞いていると、無性に眠くなる。

 無駄話ほど興味が湧かないものはない。って前に誰かが言っていたけれど、本当にその通りだと思う。


 私は、この人の全てに興味がない。それこそ、どうでもいい。


 私がここに来たのはクロを、みんなを助けるため。

 それさえ果たせれば十分だけど、それだけだと一時凌ぎにしかならない。すぐにより強くなった結界を持って、人間が私達の街までやって来ると思う。だから、今のうちに────。


「お前! 僕に向かって無礼だぞ! 僕はノーマンダル王国の研究所副所長、グラパドロールなんだぞ!」


 いや、知らないし興味ない。

 あと名前長い。覚えられる気がしない。


「ふ、ふんっ! どうやら魔物如きが理解できる話じゃないようだね! まぁいいさ! お前もそこの獣諸共すぐに死ぬ! 僕の作り出した結界の中に入った時点で、魔物の負けは確定、して……」


 私は一歩、また一歩と、グ──なんだっけ? 分かりやすいし眼鏡でいっか。

 私はゆっくりと眼鏡に近づいた。下半身を動かすのは本当に久しぶりだったから、違和感のせいで足取りがゆっくりになったけれど、確実にその男が立っている場所まで歩いていた。


 そのことに眼鏡は信じられないと叫んで、あからさまに狼狽していた。


「ど、どどどうして僕の結界の中で動ける!? この結界は君の魔力に反応して、効果を増幅させているはずだ。僕が作った腕輪が無いと動くのは不可能なはずだ! なのに、なぜお前はそんな普通に──!」

「分からないし興味もない。でも、多分大したこと、ない……?」

「…………は?」


 大きな口を開いて、固まる眼鏡。


「あ、ああありえない。そんなはずはない。僕の結界は完璧だ。ちゃんと起動している。現に、後ろの魔物だって動けないでいるじゃないか。ありえない。そうだありえないんだ。あっては──ならないんだぁあああああああああああああああ!」


 うわぁびっくりした。

 急に近くで大声を出されたから、眠気が吹き飛んだ。


 でも、おかげで助かった?

 これで本気を出せる。契約以外で初めて使う力を──使える。


「来て──【血溜まりの棺桶】」


 私の足元に、大きな棺桶が出現した。

 傷一つない綺麗な棺桶。みんな、ちゃんと守ってくれたんだ……。


「ん、しょ……」


 私は棺桶の中に手を入れて、がさごそと漁る。

 そして、やっと見つけられた物を引っ張り出して、眼鏡に向けた。


「なんだ、それは……何なんだ、その異常な『剣』は!?」


 私の血液で作られた剣。

 私の全てを出し切ることが出来る、唯一の黒剣。


「……は、ははっ……それで僕を殺すのかい? でも、無駄だよ。万が一の場合を想定して、僕の体には全ての攻撃を弾く結界が」


 無造作に一振り。

 パリンッという軽快な音を立てて、眼鏡を覆っていた薄い膜みたいなものは砕けた。


「は?」


 再び、間抜けな顔。


 理解できていないみたい?

 なら、説明してあげたほうがいいのかな?


「私に、全ての攻撃は効かない。物理も魔法も、全部私の前では無力。そんな私の血で作られたこれも、同じ力を持っている……みたい?」


 全ての攻撃を無効化し、全ての防御を破壊する。

 私が、『高貴なる夜の血族クイーン』だけが持つ特殊な体質。

 その血が形になった物だから、相手がどんなに強力な攻撃をしてきたって、相手がどんなに強固な防御を張り巡らせてきたって、この剣が触れるだけで簡単に無力化できる。


 ──あ、ついでにクロ達を縛っている結界も壊しちゃおう。


「えいっ」


 さっきのに比べて一際大きな音が聞こえてきて、上空を覆っていた膜も同時に壊れた。

 ……うん。クロ達に纏わりついていた嫌な魔力は消えている。シュリも起き上がり始めた。ミルドさんはまだ気を失っているみたいだけど、時間が経てばそのうち目を覚ますと思う。


「ひ、卑怯だ!」

「……卑怯? なんで?」


 この世界は強いものが正義。勝ったほうが正しい。そこに卑怯も何もない。油断したほうが悪い。魔物の中では常識。…………人間は違うの?


「もう、終わり?」

「へ?」

「もう終わりなの?」


 凄く偉そうな口だったから、もっと対策してきたんだと思ってた。

 でも、眼鏡は魔物を縛る結界と、防御結界。二つの結界しか持ってきていないように見えた。


 他の人間が近くで待機している気配はない。

 眼鏡一人で来たくせに、この程度の結界しか持って来なかったの?

 ……やっぱり、油断していたのかな。

 死ねば終わりなのに最善を尽くさないなんて、人間っておかしな生き物。


「ふ、ふふ……」


 ふ?


「ふ、っざけるなぁぁぁぁ!!!」


 眼鏡は発狂して、クロを痛めつけた杭を突きつけてきた。

 凄く遅く見える。いつもゆっくり動いている私がそう言うんだから、もしかして眼鏡……弱い?


「えい」


 剣を一振り。

 眼鏡の持つ杭がバラバラに砕け散った。


 最後に足掻いてきたから何か特別な力が宿っているのかと思ったけれど、そんなことはなかった。


「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だッ! 僕の研究は完璧だったんだ! なのに、こんな小娘に……! こんな小娘に簡単に壊されるなんて、これは何かの嘘なんだああああああああああああ!!!!!」

「ごめんなさい」

「はぁ!?」

「これは嘘じゃない。あなたがやったことも、あなたが想像以上に弱かったことも、全て現実」


 だから、私はこの人を許さない。

 大切なみんなを傷つけた。クロを痛めつけた。


 ──その代価は支払ってもらう。


「認めない。そんなの、僕は認めないいいいいいいいい!!!!!」


 人間は魔法を使って、遠く離れた人の視覚を共有している。って前にミルドさんが言っていたのを今、思い出した。

 だから、もしかしたら今も覗き見しているかもしれない人間さん達に、私はこの言葉を送る。


「二度と、関わらないでね?」


 これ以上はもう──許さないから。


「アアアァアアアアアァアアアアアァアアアアアアアア──ッ────、…………」


 狂ったように私へ手を伸ばす眼鏡の両腕を断って、その勢いのまま真っ二つに切り裂いた。

 これで、やっと静かになった。


「…………ふ、ぁ……」

『主!』


 久しぶりに動いたせいで、凄く疲れた。

 大きく背伸びをしようと思ったら転んじゃって、私はもふもふの地面にぶつかった。……ううん。これは地面じゃない。


「ありがとう。クロ」


 微笑む。良かった。みんな無事だった。

 これで、全部終わったんだよね?


『…………帰りましょう。皆で、一緒に』

「うん。みんなで、帰ろ?」


 クロの体はもふもふで気持ちがいい。

 私達は頷き合って、そして、気が付いたら私は…………眠っていた。

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