10.とても美味しい……


 ロームは大丈夫だって言ってくれた。

 でも、やっぱり、みんなが心配なのには変わりない。私がやれることはないから相変わらず寝てばかりだったけれど、あまり心地よく眠れることはなかった。


 クロは人間が問題を起こしてから、一度も会いに来てくれない。

 多くの魔物達を抑えるのに苦労していて、一瞬も目を離すことができないみたい。


 私が一番最初に契約をした魔物だから、クロは街の総司令代理を務めてくれている。

 クロの言葉は私の言葉でもある、と魔物達は思っているみたいで、現場にクロが居るのと居ないのとでは、魔物達の動きが結構変わるらしい。


 元気な姿が見れないのは心配だけど、クロは私達のために頑張ってくれている。


 だから私は待つ。

 今どうなっているのかを把握していないから、私は待つ。


 ロームはそれで良いと笑ってくれた。

 いつも通りの姿を見せてくれるだけで、自分達は安心できるのだと、そう言ってくれた。


 本来の私をみんなが望んでくれるのなら、私はいつも通りで居続ける。

 それが私にできることで、一番好きなことだから……。


 だから眠りながら、全てが終わるまで待つことにした。

 いつまで寝ていたか、わからない。でも、やることを決めてからは、ゆっくり眠ることができたと思う。


 人間達はどうなったのか。

 契約した配下達は大丈夫なのか。


 私達の街に起こっている問題を思い出して、心配になった時、私の部屋の扉が『コンコンッ』と叩かれた。


『我が主。クロだ』


 それは久しぶりに聞く声だった。


「……ん、入って」


 クロを拒む理由はない。

 私は上半身だけを起こし、クロを迎える。


『久しぶりだ、主よ』

「久しぶり。ずっと会えなくて心配だった」

『……すまない。我が居ないと危険な状態だったので、場を離れられなかったのだ』

「謝る必要は、ない。……ちゃんと、わかっているから。私達のために頑張ってくれて、ありがとう」

『勿体無い言葉だ。我の苦労も意味があったと思える』


 クロは嬉しそうに尻尾を振っている。

 私は労いの言葉しか送れないけど、それで喜んでくれるのなら、いくらでも言ってあげたい。


 ──でも、今はそれより、


「人間達は、どうなったの?」

『今日はそれを報告しに来たのだ』

「……そう。みんなは無事?」

『ああ、主のおかげだ』

「私、の……?」


 どうして私が?

 それがわからなくて、首を傾げる。


『主との契約の力があったおかげで、戦闘で負った傷は一瞬で癒えた。致死量の怪我を負った魔物も居たが、一晩眠れば元通りだった。今は元気に働いている。だから、被害は皆無だ』

「…………良かった。心配、してた」


 傷を受けてもすぐに治ったというのは、朗報だった。

 一応私も、みんなの役に立てたのだと思うと、少し嬉しい。


 でも、ここまででわかったことがある。


 傷を負ったということは、人間達と争いになったということ。


 つまり、彼らは私達の提案に乗ってくれなかったのだろう。

 人はいっぱい居たって聞いている。その人達が皆死んでしまったのは、やっぱり悲しいと思う。


「人の死体は、どうしたの?」

『処分した。痕跡を残すわけにはいかないからな。いずれ人間の血が必要になるかもしれないと思い、血液だけは残して保存しているが……』


 人間の──血。

 それを聞いた時、私の胸の奥が疼いた。

 無性に喉が乾く。……不思議だ。前に、魔物の血を飲むかと提案された時は疼かなかったのに、人の血液があると知った瞬間、乾いて乾いて仕方がない。


 思い返せば、屋敷から追放させられてから今まで、一度も『吸血』をしたことがなかった。

 それは私が『高貴なる夜の血族クイーン』という特殊個体で、普通の食事だけでも十分に生き長らえる存在だったからだ。

 死なない程度に、最低限の食事だけをしてきたせいなのか、その反動で私の本能が人間の血を欲している。


「クロ、ごめん。血、欲しい……」

『そうだろうと思い、一本だけ持ってきた。首のやつだ』


 見ると、ふさふさの毛の間から、真っ赤な液体が入った瓶がぶら下がっていた。ネックレスみたいで、持ち運びが便利そうだ。

 クロが私に近づき、こうべを垂れる。

 手を伸ばして瓶を取り、キャップを開けると、血の匂いが鼻腔をくすぐった。


「……いただきます」


 人の血を飲むという行為。

 それは吸血鬼にとっては当然のことだから、自然に行えてしまう。それだけ、私の体は血液を欲していたのだろう。

 久しぶりに口にした血は、とても甘くて、とっても美味だった。嗅いだ時よりも濃厚な香りが、口の中いっぱいに広がり、それが脳に到達した瞬間、私は今までにない快感を覚えた。


「……ん、…………ん、んく……っ……」


 採りたてだったのだろう。瓶の中身は、ほのかに温かい。その温かくて心地のいい液体が喉を通り、お腹に落ちた。そこからじんわりと熱が広がり、私はホッと一息つく。


「……美味しぃ」


 これを一度口にした私は、これの虜になってしまった。

 今まで食べたお肉とか、お魚とか、野菜とかよりもずっと、美味しい。


 私の中の全てが満たされる。

 睡眠とはまた違うけど、これも幸せだと感じる。


 ああ、本当に美味しい……。


 瓶の中に残る一滴すらも惜しくて、いつまでも瓶の口をペロペロと舐める。お行儀が悪いと怒られそうだけど、それが気にならないほど甘くて、幸せだ。

 ようやく最後の一滴まで飲み干して、唇に付いた血液も舌で舐め取る。


「…………ごちそうさまでした」


 喉の渇きは無くなった。

 今、私は全てに満足している。

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