第32話
学園の卒業式が近づいていた。
卒業式は午前中に学園内の講堂で行われ、夕方からは男子部と合流して王宮での舞踏会が行われる。
そこで国王夫妻からも卒業を祝っていただくのだ。
舞踏会への参加はカップルで。
婚約している者は婚約者と、そうでない者も誰かと誘い合って行くのがならわしだった。
フェリシアはケヴィンと行くことになっていた。
まだ婚約者がいないレイチェルにはバーニーを紹介した。
実のところ、フェリシアとケヴィンの婚約が内々に調うのと時を同じくして、バーニーとローズマリーとの間に急遽縁談が持ち上がっていた。第二王子であるケヴィンはエアハート家を継ぐことができる。それを知ったローズマリーが、バーニーのお嫁さんになりたいと言い出したのだ。
年は十歳離れているが、悪い話ではないということで、わりと真面目に検討されている。
それでよければ、と言うフェリシアにレイチェルはむしろ嬉しそうに言った。
「助かるわ。私、まだ結婚はしたくないし、下手なお相手と舞踏会に行くのが憂鬱だったの。フェリシアの妹と話が進んでいるなら、気が楽だわ」
キャシーとブリトニーが「そんなこと言ってると、条件のいい殿方がいなくなるわよ」と横からからかうが、レイチェルはそれでいいと笑っていた。
二人はいつの間にか相手を見つけていた。
子爵家の跡取り娘であるキャシーは王立騎士団員の伯爵令息を婿養子に迎え、男爵令嬢のブリトニーも若き子爵に嫁ぐことが決まっている。
「なんだかんだ言って、みんな落ち着くところに落ち着くのね」
最後の授業がある教室で、仲のよかった四人でおしゃべりをしていた。
こんなふうに過ごす時間もあとわずかだ。
「レイチェルは、やっぱり王宮で働きたいの?」
女性も官吏に登用されるようになって数年が経つ。
チャンスはあるが、実績はまだ多くなかった。
「官吏は無理かもしれないけど、宮廷詩人になれたらいいなぁと思ってるの」
「レイチェルならなれるわ」
「ええ。きっと」
「官吏になる可能性も消えてないわよ」
ありがとう、とレイチェルが微笑む。
「それで……?」
三人の目がフェリシアに向いた。
サイラスとの一件があったばかりなので、少しばかり遠慮がちだ。
「フェリシアは、どうするつもり?」
「ちょっと、聞いていいのか、迷うけど……。聞くわ」
「そうよ、聞くわよ。だって、なんだか、最近すごく幸せそうなんだもの。何かいいお話があるんでしょ?」
フェリシアは、まだ正式な発表はしていないけれどと断って、ケヴィンと婚約したことを三人に打ち明けた。
ケヴィンは第二王子なので、発表は王室が行う。
その際には舞踏会も開かれる予定だ。
学園の卒業パーティーがあり、舞踏会が続くことになるので、少し間を開けて、卒業式の二週間後に発表することになっている。
「ええっ!」
「すごいわ、フェリシア!」
「あのケヴィン殿下と!」
口々に驚きの声を上げ、揃って「おめでとう!」と言ってくれる友人たちに感謝の言葉を返す。
「ありがとう。でも、まだ内緒にしてね」
「ええ。わかったわ」
「卒業パーティーでバレちゃうと思うけどね」
「それは織り込み済みでしょ?」
嬉しそうに笑ってくれる三人を見て、幸せを噛みしめる。
そうしながら、少しだけ寂しくなった。
卒業してもみんな王都にいるし、いつでも会えるのに。
「あ、そろそろ成績優秀者の発表があるんじゃない?」
四人は教室を出て、廊下の先にある掲示板の前に向かった。
すでに大勢の人だかりができている。
アクランド王国の学園では、卒業式の前に成績優秀者の名前を貼り出し、各クラスの担任教諭が盾を授与する。
卒業式当日に壇上に上がるのは最優秀者だけなのだ。
「フェリシアとレイチェルの名前があるわ。レイチェル、最優秀ですって!」
「すごいわ」
「おめでとう」
「学科ごとの優秀者には、キャシーとブリトニーも」
「私たち、みんな頑張ったわね」
事務員を従えた教諭が二枚目の紙を広げる。
最優秀に選ばれたレイチェルだが、こちらの紙のほうが気になっているようだ。
その用紙には、王室への推薦を受ける詩作の優秀者の名前が並んでいた。
宮廷付きの詩人を目指すなら、なんとしてもこの推薦は欲しい。
ここに名前があがっても、学園の卒業生から新たに王宮に迎え入れられるのは年に一人か二人だ。
けれど、まずはここに残りたい。
「あったわ!」
レイチェルが嬉しそうに叫んだ。
「フェリシアも。あとはやっぱり、いつもの人たちね」
授業でよく優秀者として詩を読まれる何人かの名前が連なっている。
とても順当な感じだ。
けれど、その中の一つに気づいて、レイチェルが眉をひそめた。
「メイジーの名前があるわ」
その名前を目にしたとたん、ようやく癒え始めた心の傷が開いたとでも言うように、レイチェルの顔はみるみる曇っていった。
「私、まだメイジーのこと、許せないの」
「……わかるわ」
「一生、許せないかも……」
フェリシアはもう一度「わかるわ」と言って頷いた。
レイチェルの気持ちが痛いほどよくわかっていた。
まわりの人から見たら、もう忘れてもいいじゃないかと感じることかもしれない。
少し文章や言葉の使い方、表現を真似たくらいで、大袈裟だと思うかもしれない。
けれど、この鈍い痛みは決して消えない。
やられた人間にしかわからないかもしれないが、決して消えることはないのだ……。
誰かに盗まれるために書いたわけではないという思いが、詩を書こうとするたびによみがえる。
今まで一番楽しかった時間が、憎しみや恨みでかき乱される。
もう二度と、以前と同じ気持ちで創作をすることはできない。
盗んだ側にとってはただの文章でも、盗まれた側からすれば、創作の歓びそのものを壊されたのと同じことなのだ。
フェリシアはふと、これは痴漢行為と似ているかもしれないと思った。
やったほうはただの悪戯。
けれど、やられた側にとっては、一生忘れることのできない不快な記憶になる。
誰かに触れられるたびに思い出す、汚らしい感触。それは、たとえ徐々に薄れたとしても、一生消えずについてまわる恨みや憎しみの色を持つ記憶になるのだ。
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