自立の道

@hodomochi

第1話

 KAZは、シングルマザーの子としてこの世に生を享けた。戸籍抄本を見ると母の欄には「南川真実」と記載されているが、父の欄は空欄となっている。

 真実の父は、銀行員であった。裕福な家庭という程ではなかったが、金銭的に不自由な思いをしたことは無いし、幼稚園から小学校、中学校を通じて辛い経験をした記憶も無い。高等学校にも得意科目だった美術のお陰で厳しい受験勉強をすることも無く推薦で入学し、美術・工芸コースを専攻してデザインを勉強した。

 高校を卒業すると大阪のアパレルメーカーに就職し、デザイナーとして働き始めた。職場には大学卒が多かったが、高校卒という学歴の差はむしろ周囲の親切な指導を促し、デザイナーとしての仕事は順調にスタートし、2年ほど経験を積んだだけで会社から有力な戦力候補として期待されるようになった。

 キャリアウーマンの道を着実に歩み続けていた真実は、26歳の時、業務を通じて高級ブテックを経営する会社の若い専務と知り合い、結婚を意識するようになった。専務といっても個人事業主の跡継ぎであり、いずれは社長の座を継ぐ身である。

 真実は、「MASAMI」ブランドのウエアが心斎橋筋商店街にある高級ブディックに並んでいる光景を夢見ることもあったが、28歳の時に懐妊し、平穏だった人生は激変する。

「これ、母から」

 父親になるはずだった男の手には、銀行の分厚い封筒が握られている。

(母から……。それ、手切れ金でしょう。それとも、中絶費用? どっちでもいいけど、30歳になろうとしている男が、母からと言って渡すものではないでしょう。)

 真実は眼前のにやけた顔をしている哀れな男の姿に、今の我が身を映して見ていた。

(小学校に入学してから高等学校を卒業して就職するまでは親と教師の意向に逆らわず、従っただけ。会社に入ってからは協調性のある社員との評価に守られて周囲の顔色をうかがってきただけだった。平穏で恵まれた人生ではなく、周囲の環境に守られ、ただ流されてきただけの人生……。そして、流れ着いた先が銀行の封筒か。)

 真実の脳裏に、28年間の人生が目まぐるしく反照される。

(銀行の封筒の先には、もはや護ってくれるものなど無い。待っているのは、世間の荒波に漂い続けるだけの惨めな人生……。)

 真実の表情が、強張った。

(嫌だ! 生きる、今から私の意志で生きる!)

 真実は一瞬の逡巡を吹き払い、自分自身に向かってきっぱりと断言した。

(この封筒は、決してこの男の母の思惑に流されて受け取るのではない。これまでの人生と決別するため、私の意思で手にするのです!)

 真実が無言で封筒を受け取ると、男は「それじゃ」とつぶやいて格子戸を開け、石垣の塀に囲まれた邸宅の内に入って行った。格子戸の隙間から見える庭には手入れの行き届いた芝生が敷き詰められ、御影石の石畳が玄関まで続いている。男は真実が予想したとおり一度も振り返ることなく、母が待っているであろう玄関の内に消えていった。

(大阪府箕面市百楽荘2丁目5番地)

 真実は邸宅の住所を脳裏に刻み込むと、一度も入ったことのない格子戸に背を向け、レンガ積みや自然石張りなどの堅牢な塀に囲まれた豪邸が悠然と居並ぶ街路を阪急箕面線の牧落駅に向かった。牧落駅から阪急宝塚本線、大阪メトロ御堂筋線を乗り継ぎ、大阪市中央区久太郎町の社宅に戻った。

 社宅に戻ると岩手県盛岡市のホームページを開き、「郵送による戸籍謄・抄本等交付請求書」をダウンロードし、印刷して必要事項を記入した。その瞬間、真実は引き返すことない自立の道に第一歩を踏み出したのである。

 翌日出社すると昼食時間を待って郵便局に出向き、昨夜作成した交付申請書が入った封筒に交付手数料450円分の定額小為替と返信用封筒、それに運転免許証の写しを同封して盛岡市市民登録課宛てに郵送した。5日ほど待つと、戸籍謄本が入った返信用封筒が郵送されてきた。

 翌日の午後、大阪市中央区役所に行くため、年次有給休暇を取った。

「病院?」

 退勤の準備をしていると、同僚の社員が声を掛けてきた。

「いいえ、ちょっと私用で。」

 真実は、曖昧に笑ってごまかした。

「心斎橋筋かな?」

 同僚の興味深そうなつぶやきには、多少の妬みも含まれている。真実と心斎橋筋商店街にある高級ブテックの専務との交際は、社内でも噂となっていた。だが、今の真実には、同僚の他愛もない妬みや社内の好意的な噂が、早晩、冷酷な誹謗中傷に変わるであろうことは容易に予測できていた。

 真実は同僚のつぶやきを笑顔で受け流し、区役所に向かった。区役所に着くと、窓口サービス課に戸籍謄本を添えて分籍届を提出した。親の戸籍から抜け、自らの戸籍を得るためである。

 新しい戸籍に記載されているのは、当然、真実だけだ。本籍は、大阪府箕面市百楽荘2丁目5番地となっている。結婚への未練でも、銀行の封筒への恨みでもない。生まれてくる我が子への保険である。我が子が一人だけになり、不測の事態が生じたとき、認知はされていないが、実の父親なのだから助けを求めることができるかもしれない、そういう微かな可能性を残すためである。

「マサミちゃんは強いから、一人で出産できるかもしれない。でも、産休を取れるのは1歳までだよ。いかにがんばり屋さんのマサミちゃんでも、仕事を続けながら子育てするのは、無理かもね」

 程なく、真実を取り巻く社内の雰囲気が急変した。専務との破綻が、社内に広がったからである。同僚が真実に掛ける声には露骨な嘲笑が含まれ、上司はあからさまに会社のお荷物だという態度を見せるようになった。

(シャーデンフロイデ。他人の不幸は蜜の味、ですか――。)

 真実は、同僚の嘲笑も上司の態度もさりげなく無視した。銀行の封筒を手にしたとき、自立の道を歩むことを決意している。大阪には、身寄りがいない。一人で出産するのは、困難である。ならば少し疎遠にはなっているが、盛岡の親元に帰って出産するしかない。退職は、織り込み済みである。

 旧民法では私生子と呼称され、父無し子と非情な呼ばれ方をしたこともある昭和の時代を生き抜いた両親にとって、未婚の娘の出産を受け入れることは決して容易ではなかったであろうが、出産のための帰郷を許してくれた。

 親の許しを得ると、真実は会社に辞表を提出した。辞表が受理されると、会社が借り上げている宿舎も退去しなければならない。翌日荷物をまとめ、宅配便で実家に送るとビジネスホテルで大阪の最後の夜を過ごし、翌朝、新幹線に乗って盛岡に向かった。

 真実は、実家で両親に見守られながら出産の準備をした。手始めは、住居の確保である。

 実家には両親と兄夫婦が住んでいたが、間取りが二世帯住宅となっていたため、真実を受け入れるゆとりは十分にあった。兄夫婦からも同居の誘いはあったが、自立の道を歩む決意をした真実は実家に隣接する木造アパートの一室を借りた。

 1993年11月22日、KAZは誕生した。我が国でインターネットの商業利用が認められた年であり、いい夫婦の日でもあった。

 KAZが一歳の誕生日を迎えると、真実は仕事を探し始めた。両親から、KAZが1歳を迎えるまでは育児に専念するようにと強く言われていたからである。子育てをしながらできる仕事は、限られる。選んだ仕事は、近所のスーパーマーケットのパートタイマーだ。

 スーパーマーケットの業務は、大きく分けるとレジ、品出し、総菜の3つの業務で構成されている。真実に与えられた業務は、品出しであった。

 初日に出勤すると、古参の従業員から仕事の説明を受けた。店内をゆっくり巡回しながら、お客様に商品を買っていただくため品切れにならないよう常に気を付け、商品は丁寧に並べるようになどといった説明が続く。真実はしおらしく聞く振りをしながら、商品の置き場所を記憶することに専念していた。商品の置き場所さえ分かれば単純な作業だ、そう一瞬で判断したからである。

 真実の判断の的確さは、その日のうちに証明された。店内を巡回していると、客から「バニラエッセンスはどこにありますか。」と聞かれた。バニラエッセンスは見ていないが、香料が置かれている棚は覚えている。あるとしたら、そこしか考えられない。真実は、「こちらへ、どうぞ。」といって陳列棚の一郭に案内した。予想したとおり、香料が並べられている棚の片隅に茶色の小さな瓶があった。

 客は「ありました! よかった。ありがとうございます。」といって小瓶を買い物かごの中に入れた。もし、「分かりません。」と答えていたら、「あなた、店員でしょう。店員が商品を置いている場所を分からないとは、どういうことですか!」という怒声が店内に響いたかもしれないのである。

 真実にとって、品出しだけでなく総菜もレジも難しい仕事ではなかった。従業員には、主婦も多い。休憩時間には、和やかな談話もある。主婦のアルバイトとしては、恵まれた職場といってよい。だが、生涯の仕事として選んだデザイナーの仕事を捨ててシングルマザーの道を選んだ真実は、和やかな会話の日々に違和感を覚えるようになっていった。

 決められたとおり確実に行う作業の繰り返しと、子供の自慢話に夫への愚痴の和やかな談笑は、半年が経過しても何の変化もない。

 変わらないのは、それだけではない。母と子の生きる糧である給料にも、変化はなかった。時給は最低賃金より50円ほど高い580円、勤務時間は6時間で1か月の勤務日が20日、結果、月給は7万円ほどである。真実がデザイナーとして得ていた給料の3分の1に過ぎない。この給料では、木造アパートの家賃と母子二人の食費を賄うことも厳しい。多少の貯金と銀行の封筒に入っている現金はあるが、それも2、3年で消えてしまう。幼稚園まではなんとかなるにしても、小学校に入学するための準備資金さえ賄えないかもしれない。これでは、親の援助がなければ母と子の生活は成り立たない。

 真実は就職情報誌を調べるだけでなく、公共職業安定所にも足を運んで新たな職場を探した。しかし、子育てをしながら働ける仕事はパートタイマーしかない。

 盛岡には母と子の自立を支える仕事は無い、そう判断した真実は幼子を両親に預けて東京に向かった。知人を頼り、働きながらネットビジネスを学ぶためである。

 インターネットの商業利用が認められたばかりで、特殊で胡散臭い業界とも思われていたネットビジネスの世界に、真実は自立の道を求めて飛び込んでいった。

 真実が東京から戻ったのは、1年半ほどが過ぎた頃である。母と子の住居は以前の木造アパートであったが、二人の生活は大きく変わった。

 真実は、夜食の残り物や近くのスーパーマーケットで買ってきた惣菜などで朝食をそそくさと済ますと、手際よくKAZが幼稚園に行く準備をし、送迎バスが来るまでの寸暇も惜しんで台所のテーブルの上のパソコンに向かう。

「おやおや、もうママはお仕事ですか。」

 KAZがほったらかしにされるタイミングを見計らったように、祖母が入って来る。

「ママは、カズちゃんと一緒に暮らすため、パソコンを頑張っているのよね」

 祖母がそう言ってKAZの服装やバックの中身を確認し、手を引いて外に出て送迎バスを待ってくれる。祖母の本心は、「子どもをほったらかしにして、何をしているの」と怒鳴りたかったのであろうが、哀れな孫に対する憐憫の情が怒りを抑え、真実の行動をやんわりと褒めたのかもしれない。

 KAZが幼稚園から帰るのを必ず待っていてくれたのも、祖母であった。バスから降りると、祖母は手を繋いでアパートではなく祖母の家に連れていってくれる。祖母は手作りの美味しいおやつを出し、気ままに遊ばせ、風呂にまで入れてくれた。祖母との楽しい時間は、あっという間に過ぎる。

「カズ君、帰ろう」

 五時半を過ぎる頃、真実が迎えに来る。

「もう、夕食の時間なのね」

 祖母が、寂しそうに呟く。

「夕食、ママとカズちゃんの分もあるけど、食べていかない?」

 祖母が、遠慮がちに言う。

「夕食の準備、してきたから」

 真実は、そう言い残してアパートに向かう。シングルマザーとして子育てをする決断をした。そのためには、生活資金の確保が不可欠である。その生活資金を得るため、上京し、出稼ぎをした。だが、その代償として1年半もの間、子育てを放棄しなければならなかった。その後悔が、実母の作った食事であっても受け入れることを許さなかったのかもしれない。母と子は夕食が準備されているはずのアパートではなく、近くの食堂やコンビニに向かうことも珍しくなかった。

 台所のテーブルの上に置かれたパソコンは、母と子の生活費を生み出す大切な道具であるが、真実はKAZがパソコンに触るのを決して止めなかった。KAZは真実がパソコンから離れるのを待って、キーボードを叩いて遊んだ。KAZにとって、パソコンは最もお気に入りの玩具となっていたのである。

 小学2年生になると、真実は仕事の合間を見てKAZにゲームを教えたくれた。KAZは、瞬く間にそのゲームの虜となる。だが、真実がパソコンを離れるまでは、ゲームができない。母の背中を見つめながら、何もできずに待つことは辛かった。

「これ、カズ君のパソコンだよ」

 待つことの辛さが、真実の一声によって消滅した。

「僕のパソコン?」

 KAZが小学4年生になって間もなく、学校から帰ると食卓の上に新しいノートパソコンが置かれていた。確かに、眼にはパソコンが写っている。だが、現実感がない。KAZはパソコンが消えてしまいそうな恐れを抱きながら、ゆっくりと触れてみた。指先から、冷たい感触が全身に走る。

「パソコンだ!」

 KAZは、思わず大声で叫んだ。

「これ、本当に僕のパソコン?」

 KAZは、真実の顔を凝視して聞いた。真実は、表情を変えずに軽く頷く。それを確認し、ランドセルを背負ったままパソコンに飛び付こうとすると、真実がパソコンの上に手を置いてKAZを制した。

「ランドセルを置いて、服を着替えるのが先でしょう。宿題も先ね」

 真実が、穏やかに言った。語調は穏やかでも、母の命令は絶対である。KAZは真実のようにてきぱきと動くことが苦手であったが、パソコンを一刻でも早く手にするため、懸命に衣服を着替え、宿題に取り掛かった。

「ハンドルネーム、どうしようかな」

 KAZが、専用のパソコンを開きながら独り言のように呟いた。

(ハンドルネーム? 小学生なのに一丁前のことを言って――)

 母は、満足そうに込み上げてくる笑い声を抑えていた。

「一路、カズジは、ボクの名前だし――」

 KAZは、「イチロ」と言い掛けて口を閉じた。母の名前は、「マサミ、真実」である。マサミにカズジはよいが、シンジツにイチロは避けなければならない。小学四年生のKAZにも、真実一路には母の特別な想いが秘められているように思えたからである。

「カズがいいか。カズにしよう!」

 KAZが、大きな声で言った。

「ママ、カズはこれでいいかな?」

 KAZが、「K、A、Z、U」と一語ずつ大きな声で言いながら、人差指でテーブルの上に書いた。

「Uは要らないかもしれない。K、A、Zでカズがいいかな」

 母が、淡々と答える。

「KAZか! よし、ボクは今から一路ではなく、KAZだ!」

 一般家庭にはまだパソコンが普及していなかった時代に、小学4年生の一路がネットユーザーのKAZとなったのである。

「カード、欲しいのだけど」

 ゲームに嵌って間もなく、ネットでカードを購入すると更にゲームが面白くなることを知り、母にねだってみた。母は、あっさりと承知してネットオークションのIDを教えてくれた。母から許された金額は月額1,000円であったが、2、3百円で買えるカードもたくさんあり、ゲームに没頭する時間は大幅に増えた。

「カズ君、会計ソフトできるかな。できたら、ゲームに使えるお金、3,000円にするけど、どうする?」

 専用のパソコンを持って半年ほど過ぎた頃、母がさりげなく言った。

「できる。絶対、できるよ!」

 KAZはゲームだけでなく、インターネットの検索やワード、エクセル、パワーポイントなども一通りは使いこなせるようになっていた。会計ソフトは使ったことがなかったが、3,000円という金額を聞いて反射的に、できる、そう思い込んでしまった。

 宿題の計算ドリルをエクセルの数値計算を使ってゲーム感覚で解いていたKAZにとって、会計ソフトはゲームの延長のようなものであった。

「カズ君、もうできるの。すごいね」

 KAZが29年間の人生の中で母の驚いた表情を見たのは、この時だけかもしれない。

 小学校5年生になると、ゲームのカードが売れることを知った。興味本位で、500円で購入したカードを売り出だしたら600円で売れた。有頂天になり、他のカードも売りに出したが、全く買い手が付かないか購入価格より安い値段しか付かなかった。それでも、購入したゲームを転売するという新たな出会いに心が躍った。

 この時から、ゲームに向かう視点が変わる。自分が楽しむためのカードではなく、高く売れそうなカードを探すようになったのである。そのためには、自分の好みから離れ、いろんな人の気持ちになってカードを探さなければならないが、決して苦痛ではなかった。むしろ、様々な人の好みを想像してみるのは楽しい経験でもあった。

 中学生になると、国内で売れそうな海外版カードを見つけて転売することもしていた。転売で得る金額も、月額で2、3万円にはなっていて、小遣いに困ることはなかった。

 中学3年生の夏休みに、日本で初めて販売が開始されたばかりのiPhoneを2台購入し、1台を母へのプレゼントとした。金額は5万円ほどであった。

「カズ君からの初めてのプレゼントか」

 真実は、そう言って満足そうに受け取った。

 KAZは、中学校を卒業すると高校に行くことになる。勉強には興味がなかったが、担任の教師の勧めもあって普通高校に進学した。退屈で窮屈な高校での時間に耐え、下校すると古物店に向かった。高校生活から逃れるため、古いカメラなどを探してネットで売る「せどり」を始めたのである。登校は苦痛であったが、帰りに転売する商品を探すためと思って耐えた。

 しかし、その忍耐も高校二年生で限界に達した。高校生活が退屈で窮屈なうちは耐えればよかったが、無意味に思えてきたのである。無意味なことに耐えることはできない。

「高校、辞めようかな」

 高校に行くことは無意味だと確信し、KAZが母に告げた。

「高校を辞めたら、その時から社会人として自立しなければならないよ。その覚悟があるなら、自分で先生に退学を伝えなさい」

 KAZは翌日授業が終了するのを待って職員室に行き、担任の先生に退学を告げた。

「先生から電話があったよ。明日、放課後、三者面談することになったけど、カズ君、退学の意志は変わっていないのね」

 学校から帰宅すると、真実がKAZの意志を確認した。KAZは、「辞めるよ」とあっさり応じた。

 高等学校を辞めて二日後、KAZは6畳1間の古いアパートに引っ越した。自立した社会人としての記念すべき夕食はコンビニで買ってきた弁当であったが、孤独の悲哀も将来への不安も感じなかった。むしろ、総ての束縛から解放され、自由を得た思いに浸っていた。 

 この自由を手放さないためには、お金が必要だ。お金を得る手段として思いつくのは、「せどり」しかない。翌日から自転車で市内の古物店や古本屋を回って売れそうなものを物色し、ネットでの転売を始めた。手持ちの資金は20万円だ。少しでも在庫が出るとたちまち資金が不足するし、自転車で市内を回るだけでは商品の仕入れにも限界がある。3か月も待たずに「せどり」は行き詰った。

「50万円、必要なのだけど」

 中学生の時に、ブログのアフィリエイトで月に100万円を稼ぐ学生がいるという情報を得ている。高校生になってアフィリエイトに対する興味が深まり、勉強もしたが、学業の合間にできるほど簡単ではないし、収入を得るにはプロのコンサルが不可欠だ。そのため、将来の夢として胸に収めていた。真実に電話した50万円は、その夢を現実にするためのコンサル料である。

「いいよ。50万円、振り込んでおく」

 真実は、お金の使い道を問うこともなく、あっさりと承知した。 詐欺まがいのコンサルティングも結構あるが、KAZのコンサルタントは優秀で親切であった。有能なコンサルタントに巡り合い、50万円のコンサル料は2か月で回収することができた。

 ブログで得たものは、お金だけではない。物品は転売すると無くなるが、スキルは決して無くならない。KAZは、その無くならないスキルという商品を手に入れることができたのである。

「100万円ほど必要だけど、どうかな」

 スキルの商品価値を高めるためには、ネットでコンサルを受けるだけでなく、対面式の講習会や研修会に参加することも重要だ。高いスキルを得るためには、当然に高い投資が求められる。

「分かった。100万円、入金しておく」

 真実は、再度の要求にも文句を言わずに応じた。結局、1年で500百万円ほどの投資をしたが、その回収も早かった。

 一年間ほどスキルの習得に集中した結果、ブログのアフリエィトやコンサルティングに加え、ネット広告の企画制作など企業から請け負う仕事も増えてきた。しかし、一人で対応できる仕事の量には、限界がある。そのため、仕事を安心して託せるビジネスパートナーも増さなければならない。

「東京で仕事をしたいが、いいかな」

 研修会の講師に加え仕事の打ち合わせなどのため、週3日は東京に行くようになっていた。交通費やホテル代を考慮すると、東京に仕事の拠点を移したほうが経費の削減になる。それ以上に、移動に要する時間がもったいなかった。そこで、真実に東京への移住を相談した。

「いいよ。でも、東京に行くのなら、盛岡駅に近いマンションを買ってね。それが、条件だよ」

 真実が、当然のことのように言う。

「マンション? どれくらいするのかな」 

「3千万円ぐらい、かな。今後の運転資金も考えて銀行口座の残額が3千5百万円になったら、東京に行っていいよ」

「借りたお金は、5百万円なのに――」

 無駄な抵抗であった。

「5百万円は、投資です。5百万円の投資があったから、今のカズ君があるのでしょう。3千万円の配当なんて安いものよ。それに、東京の職場は支社になります。盛岡の本社がアパートで、東京の支社がマンションでは、つり合いが取れないでしょう」

 KAZは東京に行くため、さらに必死でパソコンと格闘し、1年後やっと上京することができた。事務所兼住居は、山手線の品川駅から徒歩で十分ほどのタワーマンションにした。賃貸料は、月額35万円であったが、真実は何も言わずに了承した。契約者は、真実が社長となっている有限会社である。KAZの持っている銀行口座の名義も有限会社であった。要するに、KAZはいつの間にか真実の会社の雇用人になっていたのである。KAZにとっても余計な事務処理に煩わされることなくネットビジネスに取り組むことができ、歓迎すべきことではあった。

「仕事に集中できないことが多くて、とても困っている」

 KAZが、性格が似ているネット仲間に愚痴ってみた。ネットビジネスが急速に拡大するのに比例して、集中できない時間の多いことが苦痛になっていたのである。

「僕もそうだった。以前はぜんぜん集中できなくて辛かったが、今は薬の治療でだいぶ楽になってきた」   

 KAZは仲間から薬で治るという情報を得て、翌日、心療内科を受診する。告げられた病名は、期待どおりADHD(注意欠如多動症)であった。

「病気なのですね」

 KAZは薬がもらえると思って嬉しくなり、つい口走ってしまった。

「ADHDという病名が付くので病気といえるかもしれませんが、個性かもしれませんよ。お話をお伺いすると、ネットビジネスで成功しているそうですが、その個性がすばらしい才能を開花させてくれた、そう言えるかもしれせんね」

 医師は、薬が欲しくて受診した不心得者を優しい言葉で包んでくれた。

(あの母なら、僕の病気に気づいていたのかもしれないな――)

 真実は、パソコンで遊ぶ幼児を見守り、自由にゲーム興じる小学生を叱りもせず、中学生の「せどり」を黙認し、高校生の退学をあっさりと認めた。たぶん社会常識に照らすと極めておかしな育て方なのだろうが、その特異な育て方によってKAZは30歳を待たずに年収5千万円と多くのビジネスパートナーを得ることができた。

(母にとって、僕は発達障害のある不憫な子だったのか、それとも特異な個性を持った人財だったのか――)

 KAZは、ふと、ブログで呟きたくなったが、母からの叱責の電話が煩わしいので、止めた。                      (了)

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