第32話
トリスティニア王国の王都から離れた入り組んだ河川沿いの深林には、あばら屋と古ぼけた井戸がある。日中であっても日の光は届かないし、街道からも外れているし、なによりおどろおどろしさがある。
万が一誰かが立ち入ったとしても、かつて人が住んでいた名残り程度しかない。そんな人が立ち入らない場所から一人の男が抜け出てきた。
隠し通路の出口である井戸から這いでた男、メオンは煤だらけ。衣服は所々穴が空いていて端々が焼け焦げている。
魔法を発動し、師であるローガンごとエリス等に攻撃をした隙に通路から脱出したのだ。
メオンは臆病風に吹かれたわけではない。自分の実力にはっきりと裏打ちされた自信はあるし、実際あの場にいた全員に勝てた。
冷静に分析し、ここで争っても益がないことを悟ったまでである。ウィリアムを連れ去れるか不可能かもしできたとしてもどれだけの損失と手間がかかるか。逆に連れ去れないまま手傷を負わされた可能性が高かった。
ウィリアムを誘拐するという当初の目的が果たされなかったのは悔しいが、収穫はあった。たった二人の王族が死んだかどうかはさておき、暫くトリスティニア王国は混乱するだろう。
そもそも上層部も、成功には期待していなかった。当初は前任者が探せなかった秘密の通路を見つけることだけだった。メオンが習得していた『ローガン流格闘術』とローガンの繋がり、都合のいい妹弟子がいたからあわよくば・・・・・・という魂胆だった。
つまり、只のついでという色が強く、ウィリアム王子誘拐が発案されたのだ。
お陰で散々だったが。妙に張り切ってしまったローガンが暴走したために方向性を変えざるをえなかっし。
だが、傷痕は残した。メオンが最後に魔法を浴びせたことでウィリアムもトリスティニア国王もただではいられないだろう。その隙に魔物を用いて王都、王宮を含め襲撃する回数を増やしていけばいい。
そうすれば最終的には帝国の望みは叶う。
用意しておいた舟に乗り込み、棹を操りながら今後の展望を練る。師匠であるメオンを犠牲にした感傷はなかった。
メオンは他人に対する感情は一切無い。帝国や上層部への忠誠心も。自身の『ローガン流格闘術』も特別な愛着はない。魔法をはじめとした、他にも習得している生きる術の一つでしかない。
それでも、実力は本物だ。間者だけの器には収らない身体能力は人を越え、研ぎ澄まされた五感は魔物を凌駕している。
川岸から怒濤の早さで走り、川面を駈け、飛沫を撒き散らしながら近づいてくる、何者かの気配を鋭敏に感じとっていた。
ジャンプして太陽を背にしながら回転し、頭上より迫る蹴りを片手で防ぐ。舟が軋み、沈みかけるほどの威力を、腰を落としつつ分散させる。
連撃がとまらない。腰を捻りながら右足ピンと爪先ごと立てて遠心力にし、回転を加速させる。落下しながら左足をフェイントに利用し、右踵を側頭部へと叩き込む。
肘、拳、上膊で攻撃してくる。舟に降りたってからも怒濤の攻撃はやまない。
風を手繰るように手を動かし受け流し防ぐ。廻し受け。防御の基礎であり、円の動きによって捌く受け技。最初メオンは廻し受けのみで充分だと高を括っていた。
「ぬ、!」
予想以上に攻撃が鋭く、重い。掛け受け、交差受けも使ってなんとか捌ききった。
「驚きました。どうやって脱出したのですか?」
かまえを解かず、猛進してくる妹弟子、エリスに語りかける。
「別になにもしていません。地面に穴を開けて皆で隠れて、レイチェルが魔法で防いだ。それから僕は自分の体を回転させながら炎の中を突き進んできただけです」
「・・・・・・・・・ふふ、君は、本当に呆れるほど凄いですね」
きっと、この少女は自分がしたことがどれだけ規格外かわかっていない。
舟が、二人の交戦に耐えられず崩れる。メオンは魔法で風を纏い、空中へと逃れた。エリスは魔法を用いない単純な跳躍力で追従する。
掌底を繰りだしながら、魔法も発動させる。やはりメオンの掌底は防がれたが直後の魔法までは読めなかったのか。雷撃によって大きく崩れ苦悶するエリス。まだ雷撃の影響が消えないままに、蹴撃の直撃と同時に臑に纏わせていた風魔法を炸裂。
川へと落下してくだけでなく、炸裂した風魔法の鎌鼬さながらの鋭い風圧で体のあちこちが斬られていき、水面に衝突した。
柱ほどの飛沫があがる。メオンは懐から石ころほどのボールを取りだし、水面に投げつけた。
水紋ができる前、即座にエリスは飛びだす。だが、ボールが破裂して濛々とした煙に包まれた。
「うわ、ゲホゲホ!」
目が途端に滲みて開けていられない。喉が焼けるように不快になって咽せてしまう。
あらぬ方向に進んでいくエリスの足首を掴んで投げつけようとする。エリスは視界を塞がれながらも反対の足で挟みながら両腕でメオンにしがみつき、肘関節を逆に伸ばして極める。
腕挫で固めたものの、メオンは固められている腕から魔法を放ち、エリスの頭を片方の腕で殴りまくり、そのまま腕ごと地面にエリスを叩きつける。
堪らずエリスは緩めた。そのまま魔法によって吹き飛ばされる。水面を滑るように流れていって、川岸でとまった。
土煙の中から、エリスの人影が立ち上がった。
「一つ聞いてもいいですか? どうしてそれほどまでに私と闘おうと?」
エリスにとって、メオンと闘っても益はない。既にウィリアムへの脅威はない。だが、ここでトドメを刺しておかなければエリスは絶対に諦めないし、それはメオンにとっては鬱陶しいを通り越して後顧の憂いとなる。
これまでの闘いから、やはりエリスと自分の実力は大きく差がある。エリスのほうが身体的には優れているだろう。だが、経験と格闘術以外の戦い方への対処ができていない。
初めて会ったときは造作もない子供だった。その子供という認識を引っ張りすぎていたからさっきは油断してしまった。
尋ねたのは、気紛れだ。
「兄弟子って呼んでいいんですよね。どうして師匠ごと攻撃したんですか?」
? どうしてこの期に及んでそんなことを聞くのだろうか。
「そうしなければこちらが危なかったのでね」
「でも、師匠は兄弟子の師匠でもあるんですよね? 仲間だったんですよね?」
ああ、この子は甘い。
「仲間、というのは違いますね。あの人も私も、都合がいいので利用していた相手というだけです」
「ふぅ~~ん?? じゃあ『ローガン流格闘術』を学んだのは? 楽しいからですか?」
「私にとって有益だからです。魔法も間者も」
「そっか。人にとって大切なのってそれぞれなんですね」
エリスは少し寂しそうだった。同じ格闘術を学んでいながら理解できないからだろうか。
「そんなことを聞くために追ってきたんですか?」
「ん。なんだか兄弟子の拳には、攻撃には楽しいとか感情とかがなかったから」
つくづく、甘い。そして若いとメオンはおもった。
そんなことのためにむざむざと役割を放棄したのか。後悔したとしても遅いのに。
「あと、もう一つあります」
純粋な子供っぽさが消えていく。あどけなさが薄らと引いていって、
「?」
「貴方をここでやらないと、ウィリアムが一生危ないとおもったからです。だから―――」
改めてかまえたエリスには、感情の揺らぎが一切無かった。
例えるなら雲。あるいは水。あるいは空。捉えどころがない。
おおらかで自由。力が抜けていて自然。技巧に彩られず、なにかの形に囚われてはいない、あるがままの姿だ。
(これは――)
そんなエリスに、メオンは圧倒された。今までのエリスとは別人だ。攻撃が読めず意志さえわからない。ある一定の強さ、境地にまで達した強者のみが到達できる佇まい、雰囲気と酷似している。
以前のエリスにあった闘争心。わかりやすいくらいの感情はなりを潜めて攻撃が、意志が読めなくなっている。瞳はメオンを捉えていないのに、すべてが通じない。そんな錯覚に陥る。
まだローガンに師事したばかりの圧倒されたときと、同じ心境に陥っている。
一体どうしてエリスがここまでに至れたのか。王都で遭遇したときとは別人。それも短時間で。
ここで追撃できない程度に弱める余裕はあるし、是非ともしなければいけないとメオンは簡単に考えすぎていた。
だが、メオンはエリスに対する認識を改めた。
今後の障害となりうる強者とある種認めたからこそ、徹底的にやらなければと。本気で命を奪る方向に決め直したのだ。
「私自身のためにも、本気で闘わせてもらいましょう」
合図もなにもなく、二人で睨みあう。間に遮るものはなにもなく、気が昂ぶり爆発し衝突する間際。
音を置き去りにして、二人の姿が消えた。そして交錯した。拳が頬に当たり、爪先が脇を貫いた。そのまま二人とも一心不乱に戦い続ける。
一人の格闘家と間者。ぶつかりあった。
ぶつかり合いせめぎ合う。余波で地面が抉れて礫が弾ける。衣服が裂ける。血が噴き、骨が軋む。
ただ言葉もなく音もなく。痛みさえ置き去りにして。命を懸けて闘うことだけに反応し動き続ける。頭で考えてはいない。闘い、勝つために体が勝手に動くに任せながら最適な行いをし続ける。
誰の目にも把握できないほどの二人の動きが更に加速して激しさを増していく。誰にも介入できない、強者だけの空間と化している。一切合切が常軌を逸していて。
この世の有様とは誰も信じない光景が、いつまでも繰り広げられていく。
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