第31話
「え、エリス・・・・・・」
危機一髪だった。もう少し遅かったらウィリアムはどうなっていたか。簡単に怪我がないことを確認してエリスは心底ホッとした。
ウィリアムはまだなにがおこっているか受け入れられておらず、ただどこまでいってもいつもどおり朗らかで、脳天気そうにニコニコと笑うエリスを見上げている。
「陛下もいたんだね。大丈夫?」
次いで、国王の傷を観察し、自分の衣服を破いて丸める。流れでる血を塞ぎながらウィリアムに手渡す。
「このくらいだったら多分大丈夫じゃないかな。レイチェルとマーリンさんが来たらもっと詳しいことがわかるんだろうけど。これでいいのかな? 僕打ち身や骨折の治療の仕方はわかるんだけど」
「ど、どうしてここにお前いるんだ?」
「君を助けに来たんだ」
「ど、どうして」
どうして自分がここにいることがわかったのか。そんな意味が込められている。
「だって僕君の護衛だし。それに君のこと好きだし。助けたかったし」
「お、お前は―――」
「え、エリス貴様! なにをしているのかっっっ!」
エリスに対して怒鳴り声を発した。ローガンはいつになく血走った目で感情のままに発散させている。
「あれ? 師匠?」
今更ローガンに気づいたエリスは瞼を瞬かせてきょとんとした驚きをみせている。
「よいかエリス。儂はな――」
「え、エリスダメだ! こいつは俺と父上を攫おうとした! そもそも王宮に魔物を連れて来たのはこいつらなんだ! 口きくな!」
「そうだ師匠! この人トリスティニア王国の王様なんです! この人の怪我どうすればいいいか知ってます!?」
「話きけや!」
「其方は真に・・・・・・・・・! まぁよい。エリスウィリアムを捕らえてこちらへ来い! そうすれば悪いようにはせぬ! 師に従え!」
「え? どうしてですか?」
「よいか。其方にもわかりやすく説明すると――」
「そうだ師匠! 師匠ってどうしてここにいるんですか!?」
「話を遮るなっっっ!」
「師匠。ここは私が。始めまして、エリス」
メオンがローガンを抑えて、話を引き継いだ。
「あなたは―――――――前に王都で会った人ですよね?」
ローガンとウィリアムと話してるときとは打って変って、エリスは静かになった。
ただ最初に遭遇したときにも感じたメオンが発する強者特有の空気。それに対して警戒せざるをえないのだ。
「覚えていたのですか。流石は。単刀直入に説明させてもらうと、私は貴方の兄弟子に当たります」
淡々と説明しながら、メオンは視線だけでウィリアムを射竦めるのも忘れない。下手なことをするな、という言外の脅しだが、効果は覿面だ。
「いいですかエリス。私と師匠、そして貴方の『ローガン流格闘術』はもっと広く役立てることができるのです。王子の護衛だけじゃない。もっと多くの人に教える。格闘術を身に付けさせる。そして認められる。そのために私達は働いているのです」
なんの話だろう。そう不思議がりながらも、黙って聞いていた。
「武術家とは、単に己のみを鍛えればよいだけではありません。それ以外に目的を持たなければいけない。そうすることでより研鑽に集中し、身が入るのです。より高みへと至れるのです」
目的。なんとなくだが、エリスにもわかる。いや、わかりかけている。それはきっとエリスがなかったもの。国王に指摘されながら気付けなかったことだ。
「一国の王子を守り続ける。それも大切でしょう。一つの格闘家の生き方だ。貴方が使う『ローガン流格闘術』もやがては認められるでしょう。称えられるでしょう。ですが、それではもったいない」
「なにがもったいないんですか?」
「もっと貴方の名と格闘術を広められる方法があるのに、わざと遠回りをしているのです。エリスがしていることは私達からすれば損でしかないのです」
損。なにが損なんだろうか。
「ですから貴方も私達に協力しませんか? 貴方だったらウィリアム殿下の護衛だけじゃない。もっと高い役職に付くこともできます。それに兄弟子とローガン師匠に対する恩返しもできます」
「そうじゃ。忘れたか? 孤児である其方を育て鍛えた恩を。つい一月ほど前に知り合った小僧とどちらを選ぶか。明白であろう。ウィリアムを我らに差しだせ。さすれば以前逆らったことも許そう。破門もとく」
「・・・・・・・・・僕は難しいことはわかりません。でも―――」
エリスは格闘術と強さ一筋だった。それ以外の常識も学問も人として足りないものが多すぎる。
だが。こと格闘術に関しては素直だ。単純ともいえる。エリスにとって強さとは絶対。道場のときでも強いほうが偉いという認識は変っていない。
殊にローガンはずっと教えを受けてきた人だ。尊敬しているし、服従してきた。自分より強い凄いという風におもっている。
「師匠と兄弟子はウィリアムのことを連れ去ろうとしていた人達ってことですか?」
「そうなりますね」
「じゃあ陛下に怪我をさせてウィリアムにも酷いことをしようとしていたのも?」
「ゆえあってのこと。命までは奪うつもりはなかったわ」
「そうですか。じゃあ――」
だが、善意がないわけではない。
「嫌です」
「「な、」」
感情がないわけではない。意志がないわけではない。
ローガン達は知らない。エリスが破門されてから学んだことを。
破門されてから学んだことが、ローガン達よりも、ウィリアムを選ばせた。
「僕はウィリアムを守ります。これからもずっと。師匠達とは一緒にいけません」
ウィリアムに出会って学んだことの様々がエリスを成長させた。師に逆らうほどに。
守りたい人に酷いことをした相手が誰であろうと許せないと。はっきり示せるほどに。
自分より強い相手に。恩ある人達に対して。闘争心以外の理由で立ちむかう覚悟を初めて確立させたのだ。それほどまでにエリスは変った。
「貴様・・・・・・わかっているのか?」
不意にローガンが殺気を纏った。同情での打ち込み、実戦を想定した闘いではついぞなかった。ビリビリと肌が剥かれるほどの鋭い殺気に、エリスはウィリアムの前に出てかまえる。
本気だと。師匠は自分を殺すつもりだと。
エリスは自分の強さがローガンよりも劣っているとわかっている。一度も勝てたことなどなかったのだから。それにどちらかが相手を殺すほどの闘いなんて初めてだ。
気迫に呑みこまれ、一歩も動けなくなるほどの重圧が肩にのし掛かる。
けど、例えエリスは殺されてもかまわなかった。生きるか死ぬかではない。ただウィリアム達を守れれば。
「あ、そうか」
このとき、エリスはやっと理解した。自分になかったものの正体。
「なんだ、そういうことだったのか」
場にそぐわないふ、と小さく笑ったエリスにローガンが少し訝しんだ。
今までエリスは自分一人のために闘っていた。けど、今エリスが闘おうとしているのは別のためだ。
後ろにいる、ウィリアム。そしてその父トリスティニア国王。
エリスは護衛でありながら意味を理解していなかった。ただの役目で、仕事という認識で、そこになんの感慨も思い入れもない。
自分以外の誰かのためという理由が、認識が根底になかった。
人を失うこわさも、強くあろうとする努力も、他者がいなければ芽生えない。だが、人は誰かを想うからこそ闘える。なんだってできる。互いを庇い合ったトリスティニア国王とウィリアムのように。
生きてほしい。死なないでほしい。大切な人を死なせるのがこわい。
だから、強くなる。闘う。守りたいから。
自己ではなく他者を慮ることが、優しさが、エリスには欠けていた。
エリスがやっと気づいた、欠けていたもの。他人を想うことはそのまま心とも言い換えることができるだろう。
「これだ、これだったんだ・・・・・・・・・!」
はっきりと自覚すると、エリスは嬉しくなり、そして楽になった。もう対峙しているローガンに対する気負いはない。殺気をどこ吹く風で受け流すようにかまえなおす。
自然と落ち着いていく。圧倒的強者に対するプレッシャーが引いていき、闘いに備えた。
「っっっ!?!?」
ローガンはエリスに怯えて言葉に詰まった。
エリスの佇まいが、はっきりと変った。勝つ、勝とうという気概が消えた。凝り固まった攻撃の意志、闘争心はない。水面のように穏やかで静かで、木のように頼りない。なのに打ち込んだらすぐに反撃される油断なさを感じる。
今までのエリスではない。別人だ。こちらの動きを探ろうとする視線の動きも、エリスから攻撃を仕掛ける予兆さえない。
強者にしか到達できない境地に、エリスは到達したのだ。それも短すぎるほどの短時間で。今まで読みやすく対処しやすかった子供への闘いでは、ダメだ。
「ほう・・・・・・・・・」
メオンも感じとったのか、溜息を漏らした。
「ウィリアム君! 陛下! エリスちゃん!」
慌ただしくボロボロのレイチェルが、マーリンとともに現われた。一気に場が喧噪じみてくる。このままではウィリアムを攫うという当初の目的が達成できなくなる。
だがエリスもローガンも意識をむける余裕はない。ただ対峙している相手に、全神経を注いでいる。ただ肌でこちらの分が悪くなったと察知しただけだ。
ローガンが、動こうとした。だが、エリスは動こうとしない。
後ろから、なにかの気配を感じた。空気が振動し、なにか尋常ではない力の波動が集まっている。
「メオン、貴様!?」
弟子にして協力者であるメオンの掌を中心に閃光が発生してる。火の粉が爆ぜ舞い、瞬く間に一つの塊の形を成し、更に膨張をして炎の蛇となった。
紛うことなく、魔法だ。
コンマゼロ一秒ほどもない刹那的速度でできあがったメオンの魔法、炎の蛇は放たれ、ローガンごと呑みこまんばかりに迫ってくる。
どうしてと考える暇もなく、メオンの魔法が炸裂した。
一切合切が破壊で覆われる威力。悲鳴もかき消え去れる爆音。酸素すら燃焼させるほどの熱気。
暴れ狂う炎に、通路が埋め尽くされた。
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