第30話

 やってきた意外すぎる人物に、ウィリアム達は三者三様の反応を示した。最もこの場にふさわしくないであろう人物だったからだ。


「あ、あなたはどうしてここに!?」


 特に、ウィリアムにとっての驚きは桁違いだ。


「なんだ。余がここに来てはいけぬ理由があるのか?」

「ち、」


 何故ならその人はウィリアムにとって特別で。誰よりも厳しくて。誰よりもここに来れる可能性が低かった。


 老いた顔が疲労によって濃く浮き彫りになっている。げっそりと肉が削げて、痩けた頬と窪んだ眼球が痛々しい。闇に近い通路内でも血の気が悪いとわかる張りがない肌。刻まれた皺がぜぇぜぇと体全体で息をするたびくしゃくしゃに形を変える。


「父上・・・・・・・・・!」


 威厳溢れる王の姿ではない。倒れてから二週間は経っているがまだ本調子ではないのだろう。それだけ父の疲労は尋常ではなかったのだ。


 けれど父を悲しむより慮るより、変わり果てた父にウィリアムはショックを受け、そして次いでここに来たことに疑問を抱いた。それも、一人でなんて。


「トリスティニア国王にしてウィリアム王子の父、トリスティニアⅣ世である」


 流石にメオンもローガンも予想外すぎて唖然としている。


「ど、どうしてここに・・・・・・?」


「王宮内に、魔物が出現し周りの者達より、避難を命じられた。魔物で埋め尽くされ照った。ここに入っていくウィリアムとその男が見えた」

「え?」

「マーリンがその男からの攻撃を防ぎ、魔物らを今も足止めしておる。ゆえに余でもここまで来れた」


 だとするなら、国王は秘密の通路が魔物だらけだとわかっていた上で通ってきたのか? ローガンを追跡するために。


「素晴らしいですな、国王陛下。御自ら下手人を捕まえるおつもりでしたか。ですが、蜘蛛の巣に引っかかった獲物と同じでございます」


 ウィリアムに殴りかかろうとするローガンを制止ながらメオンは一歩前に進んだ。じっと二人で対峙している。


「王国の権力者にして二人しかいない王族を、我らはどちらも手中にできるのでございますが。浅慮がすぎましたな。賢き御方と聞き及んでおりましたが」


父であるなら、当然冷静に考えて危険性に気づいて然るべきだった。例え前代未聞の事態で本調子でなかったとしても。マーリンもどうして止めなかったのか。


(なにか策でもあるのか・・・・・・? いや、そうに違いない!)


「その方らは、察するに帝国の者であろう・・・・・・」


 ウィリアムにはおもいもつかない策の布石。そのために父はここにきた。それしかない。そうでなければ父上がこんな無謀なことするわけがない。ある種の期待がローガン等に知られないよう、成り行きを見守っていた。


 メオンは魔物達に対して独特な指の動きと口笛をした。それだけで大人しくしていた魔物達が殺気だつ。ああやって魔物達を操っているのか。


 トリスティニア国王は、メオンにむかってふらつく足どりで一歩ずつにじり寄る。


「時間稼ぎが目的でありましたら、無駄でございます。いかに国王と申されても御身がいかほど重要かおわかりのはず。命を奪いたくはございませぬ」

「どうでもよい」

「己の命よりも国の行く末か。だが領土と民のことは考えぬのか? 遺された家臣のことは? 責を負う輩の振る舞いではない」


 ローガンも、メオンも国王の目的が不鮮明で困惑している。頻りに物騒なことを述べて魔物達を吠えさせてるのは、警告だろう。


「一切合切どうでもよい。家臣も領土も我が命。今はすべてどうでもよい。であれば考えなしに余一人でここへ来るわけがあるまい」


(え?)


 だからこそウィリアムでさえ耳を疑った。信じられない父のとんでもない一言に。


「は? 今なんとおっしゃられたので?」

「どうでもよいと申したのじゃ。我が命もその他すべてのことも」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 聞き間違いか。いや、どうかそうであってくれ。だがウィリアムもローガンもメオンもそれぞれ自分以外の人間を見比べているところ、全員同じ言葉を聞いたようだ。


 え? まさかなにも策ないの? 


 国もなにもかもどうでもいいの?


 じゃあなんで来たの?


「お主、今なんと? 一国を預かる王の台詞には到底ふさわしくない」


「王とはすべての民の頂点にいる者。ならば己を優先しないのは・・・・・・いかなる?」


「いかなるもなにもあるか。余は王であり人である。ならば人としての務めを果たすのも不思議ではあるまい」


 ウィリアムは、唖然としっぱなしだ。普段の父にはふさわしくない発言の数々。なにより長い間王でい続けたというのに、王としてではなく個人の感情を優先しようとしているのだ。


 こんな父は初めてだ。


「子を守りたいとおもうのに王も人もあるものか」

「え・・・・・・・・・」


 嘘だ。耳を疑った。聞き間違いだ。それしかありえない。


 厳しい父が。おそろしい父が自分のためになにかするなんて。嘘だ。


「国王陛下・・・・・・・・・あなたはウィリアム殿下を守るためのここまで来たと?」

「いかにも」


 嘘だ。情けない息子なんかのためにわざわざ危険をおかすなんて。父はそれほど優しくない。それほど家族愛に溢れる人ではない。


 だって、俺のせいで母が死んだ。父の妻が死んだ。ずっと人を避ける生活を送っていたのだ。自分でさえ情けないとおもっていたのに父がおもわないはずがない

 誰よりも厳しい人だった。国王だった。父として在るよりも、国を統べる人として在った。自分もそんな父しか知らない。


 弱々しい父の眼光と視線が交錯すると、瞳の中になにか熱いものが込められている。その熱さは随分と昔体験したような懐かしさがあった。


(そうだ、これは母上と同じだ)


 肉親に対する愛情ある瞳だ。


 父は自分を愛していなかったのか? 


 父は面と向かって自分に一度でもそんなこと言ったか? 


 ただ見せようとしなかっただけではないか? 


 そして自分もそんな父を見ようとしなかったんじゃないか?


「ち、父上・・・・・・・・・」

「こんな小僧がさほどに大事か? なら、守ってみるがよい」


 メオンは魔物に対して、サッと合図を加えた。それに呼応して二匹の犬型の魔物がウィリアムにむかって飛びすさんできた。


「うぐぅ・・・・・・・・・!」

「父上!!」


 鮮血が舞った。トリスティニア国王が身を横たえるようにして投げだし、魔物を防いでいた。そのせいで肩に深々と牙が刺さり、太腿と腕を爪で切り刻まれつづけている。


「あ、あ、あ・・・・・・・・・」


 幼き頃の、死にしく母と重なる。血に染まった衣服。苦悶。


「父上ええええええええええええええええ!!」

「なるほど。どうやら真のようですね」

「おいメオン。そのようなことをすれば!」

「先生、よいのですよ。帝国にもどちらか片方でかまいませぬ。残された側は手傷を負うか身動きできぬかが都合よろしいでしょう」

「しかしだな―――」

「なにか文句が?」


 メオンとローガンが師弟にふさわしからぬやりとりをしている。泰然自若としているメオンに呑まれたように引き下がるローガン。あきらかに上下関係がおかしい。


「父上、父上えええええええええええええええええええええ!!」


 だが、ウィリアムにとってそんなことはどうでもよかった。自分を庇い、倒れている父ににじり寄り、だがどうすればよいのか皆目見当がつかず。必死で呼びかけるだけで精一杯だった。


「に、逃げろ、ウィリアム」

(ああ、)


 この人は、母とは違う。


 わかりやすい愛情ではなかった。厳しい人だった。厳しさしかないとおもっていた。


 だが、根底には自分に対する情があった。慈しみがあったのだ。厳しさは愛情からだと。そうでないと、自分に対して逃げろと言い続けるわけがない。危険なここに来るわけがない。


 今際の際でやっと悟ったのだ。


「にげよ、逃げよ・・・・・・・・・」


 ウィリアムは伸ばされているトリスティニア国王の手を、一回だけしっかりと握った。


「う、うわああああああああ!!」


肉親の柔らかい皮膚の感触とほのかな温もりをたしかめてから、あれだけ立派だった父の手がいつの間にか小さく感じられることが悲しくて。


 泣きじゃくってしまう。


 魔物達が背後で頻りに喚いている。今この瞬間にも襲いかかってきそうなほど荒々しい気配だ。血を嗅いで興奮したのか。闘争本能を刺激されたのか。


「もうよいでしょう。師匠。殿下を」

「うむ。さぁ、来るがよい」


 とにもかくにも、ウィリアムはトリスティニア国王を背にして、両手を広げて立ち上がった。自分が連れていかれれば、父は置いていかれるだろう。あとはどうなるか。


 そんなのはダメだ。絶対に。


「ん?」

「殿下、なにを?」


ウィリアムはただ立ち上がった。

父であるトリスティニア国王を背にして、庇うように。魔物達に立ちはだかるように。


 かまえた。


「うぃ、ウィリアム・・・・・・」

「父親が息子を守るのが当たり前なら、息子だって父親を守りたいのは当たり前です!」


 今のウィリアムでは、メオンどころかローガンにもあっさり負けるだろう。魔物一体でも勝てるかどうか。


 こわい。小便を漏らして、まともに喋れなくて。膝だってガクガクと笑っていて。死を前にした恐怖にはただ立ち尽くしてることしかできない。


「ふむ。殿下も少し痛いめにあっていただかなければ運べませんね」

「うるさいっっ!! いいか、俺は―――」


 それでも。


「もういやなんだっ! 誰かに守られるのはッ! 俺のせいで誰かが死ぬのはっっ! ずっとずっとずっとずっとなにもできないままなのは嫌なんだっっっ!!」


 だから、叫んだ。惨めったらしくても情けなくても。どれだけ涙と涎と鼻水に塗れても。


 せめて死んだ母親みたいに。


 憧れたエリスみたいに。


 父みたいに。


  最後は誰かを守れる自分でいたい。


 大切な誰かを少しでも守りたいのだ。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 魔物達が殺到する。開いた口にびっしりと敷き詰められた歯。自分の生命を奪う、死そのものだ。死が近づいてくる。


 かまえも、必死で習っていた攻撃の動作もできない。恐怖に対する視線だけは逸らさずまっすぐ見据えた。


「やっぱり強いねウィリアム」


 不意に聞き慣れた声が、耳元を通り過ぎた。


 ウィリアムの鼻先まで迫っていた魔物達は、一瞬でなにかに刈り刈りとられたような勢いで千切れた肉塊に変貌する。


 なにかに叩き潰され蹴り貫かれ屍肉と化していく。


 振われているのは、肉体のみ。目にもとまらぬ拳が残像をおこすほどに素早く。しなやかな脚が旋風を感じさせるほど鋭く。


「貴様は・・・・・・・・・」

「ほう」


 何度、こんな光景を味わっただろうか。何度彼女に助けられただろうか。腰を抜かしてしまいそうなほどの安心。いつもどおりの常人離れした少女。


「お待たせ」


 護衛であるエリスが、現われた。

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