第29話
「遅かったですね」
耳朶を揺らすやかましい獣の唸りがそこかしこで反響している。クリアな思考を取り戻すよりも音が意識を覚醒させた。
「致し方なかろう。儂はそなたほどあの王宮に詳しくないのだ」
「とはいえ一度は入れたのですから」
「う、うう・・・・・・・・・ん」
「起きたようじゃ」
体が投げだされた。浮遊感と落下感をほぼ同時に味わう間もなく地面に体を打ち据えた。
「お、お前らは?」
松明の頼りなさすぎる小さな火では、声の主達をはっきりと視認することができないが、少なくとも二人いる。そして姿が確認できなくても、気配で魔物がいることも。
そこいら中で鼻息荒くしている獰猛な息遣いは、闇に溶けこんでいても隠せていないのだから。
「次はお主が担げ」
「ですが、」
目を凝らすと、闇に慣れてきて二人のシルエットと顔つきが鮮明になっていく。片方の一人がどこか見覚えがあった。
「お前、まさかエリスの師匠か!? たしかローガンとかっていう!」
そうだ。以前エリスを頼って王宮に来たという、『ローガン流格闘術』を教え広めている人物だ。エリスと部屋に入るとき、興味本位でそ~っと見ていた。
「ぼんくらと聞いていたが、エリスと違い記憶力がよいな」
はっきりと肯定も否定もしなかったが、その堂々とした物言いは認めたも同然だった。
「あんた、なんでここに!? というかここどこだ!?」
「落ち着かれなさい。ウィリアム殿下。ここは貴方もよくご存じの場所です」
ローブ姿の男は、遠ざかろうとするウィリアムを見下ろすだけだが、それが却っておそろしい。手足を縛られているわけではないが、逃げようにも転びそうになる。
ガァンッッッ!
「命は奪わん。だが抵抗したり邪魔をするならば死なない程度まで弱らせることはできるのじゃぞ」
ローガンの拳が、地面を割り、深々とした亀裂を生じさせていた。ウィリアムは身動ぎをやめざるをえない。
「ふむ。まず説明をしましょうか。さすれば安心であると理解できましょう。今後も慌てたりしないですみます。以前の、亡き王妃様の二の舞はお互いごめんでしょう」
亡き王妃。頭から血の気が引いていくと同時にこめかみ付近に自ずと力が加わる。
「お前達は、帝国の間者か?」
「ご明察です。そうでなければ貴方を誘拐しようとは試みません。時間がかかってしまいましたが。それとこの人は厳密には間者ではありません」
あのときの間者は、死んだはず。だからこの男は別人だとおもっても、冷静さを失いかけ、静かに深呼吸を繰り返した。
「どうやって王宮に侵入した? 警備は厳重になっていたんだぞ」
「ふん。だから使いやすかったわ。貴様ら御用達のここを使ったからの」
「・・・・・・まさかここは秘密の通路か!?」
母から教えられ、現在ではウィリアムと国王、そしてエリスしか知らない場所だ。それを他国の人間が知っているなんて。衝撃なんてものじゃない。
「十年前に死んだ間者は定期的に情報を帝国に送っていた。そうだなメオン? じゃからこのような詳細な王宮内の地図を描けたし秘密の通路があるということも突きとめた。まぁその情報を送っていたせいでバレたらしいがの」
ローガンが手にしている地図はたしかに王宮内のものと一致している。
「だが、どうやって外側の出口を見つけられた・・・・・・・・・簡単に見つかるような場所には」
「ええ。ですから魔物を使ったのです。それとこれを」
ローブの男が取りだしたのは、なんの変哲もなさすぎてウィリアムには見当がつかない。
「貴方のお母上が所有していた鍵。そして手紙の紙片。貴方のお母上が亡くなったとき身につけていた衣服に血が付いたものです。魔物は嗅覚が優れているので。お母上の臭いを辿らせてもらったのです」
「! こ、この・・・・・・・・・クズども・・・・・・!」
母に曰くのある品々をそんな方法で悪用されて、怒りを顕わにするが、奥歯を噛み締めることしかできない。
とてつもなく悔しかった。
「私が手に入れたわけではございません。あくまで私の前任者が手に入れていた物を与えられ有効活用させてもらったまでのこと」
「前王妃は王族だったゆえな。外で臭いが残る場所は限られておる。じゃが、数の多い魔物を当たらせればよい。手間もない」
もう勝利を確信しているのか、二人は交互に、対照的に説明をしている。片方は淡々と。もう片方はやや感情的に。
だが、得意げなローガンが、忌々しかった。自分より遙かに強靱なローガンに対する侮蔑と憤怒の視線を注ぐことだけがウィリアムに許された唯一の抵抗だった。ローガンは一顧だにせず鼻で笑って付した。
「とはいえ、かなり時を要しました。五年間私一人でしたので。魔物の実験が成功し操ることが可能となったので」
「やはり王国内での魔物の出現はお前らの仕業か・・・・・・・・・!」
「ええ。元々は戦争利用が目的の実験でした。ですが戦争をするとお金と手間がかかります。むしろ私に利用させてもらったほうが戦争をするより簡単にトリスティニア王国を支配することが可能だと。現に貴方をこうして誘拐することができた」
「俺が目的だったのか!?」
「別に貴方でも国王でもどちらでもよかったのですよ。戦争をし、新たに統治すると元々の民が従いません。反乱もあちこちで発生するでしょうし失われた人員も傷ついた田畑を元通りにするのにどれだけかかるでしょうか」
「それだったら王族を誘拐し、裏から帝国が支配すればいい。そう考えたってことなのか・・・・・・」
「唯一の誤算は、エリスという少女のみですが。まぁこればかりは想定外でしたし、上手くいかなくてよいぐらいのことでしたが」
「ふん、」
「あいつがなんだ・・・・・・あいつまでなにか利用するのか?」
「正しくは利用しようとしたです。我が妹弟子を」
妹弟子。聞き慣れない単語にどういうことかと、ウィリアムは二人を見比べる。
「こやつはエリスを引き取り育てる前に儂に師事していた弟子の一人。師弟と門弟同士の関係は家族関係に例える。こやつが先に師事していた。ゆえに兄弟子でエリスは妹弟子じゃ」
「兄・・・・・・妹・・・・・・・・・」
血の繋がりがないとはいえ、エリスとフード男の意外な繋がりが判明して声を失う。まっすぐで天真爛漫なエリスを知っているウィリアムからすれば、こいつは違いすぎる。
家族。ウィリアムが知っている暖かい憧れにある関係性に三人を当て嵌めていると、薄ら寒くどうしようもなく腹立たしい。
「こやつは以前トリスティニアの王都で情報収集をしておった。そのときエリスと遭遇した。即座に『ローガン流格闘術』であると見抜き、儂の元へ参った。外見と戦い方、そして女ということですぐにエリスであるとわかったわ」
あのとき、エリスが自分より強いと指摘したローブ姿の男。目の前のメオンという男だったのか。そういえばローガンが来たのは、あれからすぐ後だった。
「じゃあローガン・・・・・・・・・あんたが王宮に来たのはこいつに手を貸すためだったのか?」
「じゃのに・・・・・・・・・あの馬鹿め。せめて協力させてやるつもりでおったに」
自分の目の前にいる、この老人は誰だ? エリスが言っていて、ウィリアムが頭の中で思い描いていたローガンではない。誇り高く立派な人物ではなく、あのエリスを育てたというのはあまりにも悪辣めいている。
「エリスはあんたを尊敬していたぞ。自慢していた。破門されたけど、『ローガン流格闘術』を究めるって・・・・・・・・・あんたを絶対越えてやるって・・・・・・・・・!」
純粋すぎるほどまっすぐなエリスを、ローガンは利用しようとした。それを知ったらエリスはどれだけ嘆くか。そんなエリスなんて見たくない。
「よいか小僧。あやつは履き違えおる。強さの意味だけでなく儂の望みをじゃ。儂は自らの名を、『ローガン流格闘術』を世に広めたい。それだけじゃ。むしろ己の流派を打ちたてている者ならば、それ以外になかろう。儂はもう技を究めた。腕力も武術も究めた。ゆえに別の強さを求めるまでじゃ」
「こ・・・・・・・・・の・・・・・・・・・!」
「先生に協力してもらえるならば、帝国で道場を始めるとき手伝わせてもらう。それだけです。それから帝国の軍人全員が身につける武術として推薦するとも。恩返しでもありますから」
「だのにあの馬鹿は。恩知らずにも儂の誘いを断りおってからに。そのせいで儂が直接王宮に侵入せざるをえなんだわい!」
この男は、本当にあのエリスの師匠なんだろうか。
許せない。単に自分を攫ったというだけではない。エリスを利用し、騙した男という印象が強い。
「先生。そろそろ出発いたしましょう」
「おお、そうじゃのう。どれ代わってくれるかのうメオン」
再び背負おうとするローブ男、メオンがにじり寄ってくる。体を無理やりくねらせ捻らせ、芋虫に似た動きで逃げようとする。
「がぁっ!」
メオンの、親指ほどの僅かな押圧だけでピリッとした痺れが走り、息ができなくなる。
「無駄な抵抗はおよしなさい。どうせ貴方にはなにもできはしないのですから」
「ぐ、くそったれが・・・・・・・・・」
結局、自分にはなにもできない。悔しくて情けなくて、涙が零れそうだ。
ウィリアムの首に伸ばされたメオンの手がぴくん、と反応してすぐに真反対へと顔をむけた。
「どうやら追ってきた誰かがいるようですね」
「む、うむ・・・・・・」
ローガンとともに、二人が闇にかまえた。松明だろうか。ゆらゆらとした小さな明かりが、それを持った人物の顔も近づいてくる。
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