第28話

 エリスはこの日、ウィリアムの側を離れていた。他ならぬウィリアムの命令でだ。周りも今のままでは悪化の一途だと理解したため肯んじていた。


 それでも、ウィリアムのすぐ隣の部屋で待機し、いざというときは動けるようにしていた。昼食の時間となって、ウィリアムはまだご飯を食べていないと気づいた。


 毎日使用人が届けにくることになっていたが、ここ最近ウィリアムは忙しくて食事を後回しにしがちだと、料理人が愚痴を零していた。


 殊勝にも、エリスは自分で取りにいくことにした。王族だろうと格闘術だろうと、体が基本なのは共通の事項だ。


 お腹がぐぅぅ、と鳴ってウィリアムの分の料理に齧りつきそうになるのを必死で我慢する。だめだ、これは彼の分。ウィリアムのほうが大変なんだと。


 料理を持って王宮内を巡っていると、誰も彼も忙しそうに働き回っている。それは自分のことだけではなく、根底にはなにか別のことを心配している。


 陛下は。トリスティニア王国は。民は。殿下は。


 大抵、自分よりまずは他のことを心配しているのだ。自分の大切な人を心配し、優先している。


(凄いな皆)


 エリスは、今まで誰かの心配をしたことがなかった。慮ることも。自らが強くなることを優先し、他は一顧だにしなかった。


 弱いのが悪い、強くなればいい、鍛えればいいじゃないか。どこまでも自分を基にしてしまう思考は単純で、無自覚に他人へと厳しかった。


 ローガンがそうだった。育った環境がそうだった。手本となる対象が狭く、特殊すぎた。


けど、それじゃダメなんじゃないか? 王宮内の人達を眺めていると、自問がやまない。


恐怖の意味を知った。足りないものがまだある。きっとそれは強くなることだけじゃなく、人として当たり前のことなのだ。


 だからこそ知りたい。もっと知りたい。国王は言っていた。無意識にしていたこと。ウィリアムの成長に必要で、誰にでも備わっていることだと。


(あれ?)


 今、なにか思い至りそうになった。恐怖の意味を知ったときと同じ感覚だ。国王の言葉と自分の今までの記憶と皆の言動が重なって、バラバラだった欠片が一つの形となりかけている。そんなもどかしさが。


「きゃあああああああああああああああ!!!」


 悲鳴が響いた。エリスは急いで走っていくと、侍女の子が尻餅をついて眼前の魔物に怯えていた。


悪魔然としたシルエット。翼を持ち、丸々とした剥げ頭から短く鋭利なツノが二本。体躯は小さく細く、くすんだ灰色も相まって石像に近い。


ガーゴイル。翼を広げたそれが、侍女に飛びかかった。


「はぁっっっ!」


 エリスは走りながら床を蹴り、宙へと跳んだ。左足を前方へと伸ばし、右足を開きながら膝を畳む。絞り放たれた矢のようになったエリスはガーゴイルの喉仏に爪先を突き入れる。後方へと吹き飛ばされていくガーゴイルから左足を離すと頭を掴んでそのまま引っ張り右膝を直撃させる。


 肘に全体重を載せながら後頭部に当て落下。床に直撃したガーゴイルの頭部は、割れた床にめりこみつつ半分以上潰れていて絶命したのは明らかだ。


「大丈夫?」


 侍女の子を助け起こしながら、まだ魔物の気配が消えていないことを素早く察知した。そこかしこにある魔物の気配は把握するのも難しい。


 ひとまず、一番魔物の気配が多い方向へと行くとガーゴイルだけじゃない。様々な種類の魔物が跋扈していて王宮内はパニックになっている。


 エリスは魔物を倒しつつ、あちこちの人を助けて回ったが、キリがない。きっとじ十体や二十体じゃ足りない。


「す、すまん助かった!」

 衛兵は武器を持っているため対抗できているが、いかんせん不意討ちだったがために連携もとれていない。


「魔物達はどこから現われたんですか!?」

「わ、わからん! いきなりともなくだ!」

「ここはもういい! 君は早くウィリアム殿下の元へ! このままでは陛下も殿下も!」

「あ、そうだウィリアム!」


 エリスは自分の護衛対象であるウィリアムをようやくおもいだした。一目散に走りながら、行く手を阻む魔物を通り過ぎざまに蹴散らし、屠っていく。


「ウィリアム! あれ!? お~いウィリアム!」


 ウィリアムの部屋は抜け殻となっていて、誰もいない。隠れているのかと探し回るがやはりいない。


「くそ、どこに行ったんだ!?」


バルコニーが開け放たれていたのでそちらから外に出ると、魔物があちこちで暴れ回っているではないか。既存の生物ではない、鼓膜にビリビリと凄まじいまでの不快で獰猛な鳴き声は一体どれだけの数だろうか、輪唱のように伝わっている。


 虫型の魔物、獣型の魔物。鳥型の魔物。ガーゴイルだけじゃない。ありとあらゆる魔物が、本能のままに蹂躙のかぎりを尽くし美しい庭は踏み荒らされ、連なっている塔は攻撃の余波で破壊されている。


「ファイア・ブレスト!」


 杖から放出されている魔法を操り魔物を防いでいるレイチェル達が彼方の地上に見えた。戦えない者達を庇いながら、移動をしている。


 エリスはバルコニーから屋根へと登ってそのまま走っていく。空を駈けながら一番近くにいた鳥型の魔物を足場にし、踏みつける要領で顔面を潰しながらジャンプする。


 襲いかかる魔物を空中で身を翻しながら足を掴んで体の勢いを加速させながら更に跳ぶ。そのまま掴んだ魔物を武器のようにして魔物達に叩きつける。


「レイチェル!」

「エリスちゃん!?」


 レイチェルと合流したエリスは、そのまま地から這いずってくる魔物達を相手取る。


「ウィリアム君は!?」

「僕もあいつを探しているんだ! 一緒じゃないの!?」

「私が行ったときにはもういなかったわ! その後魔物が現われたから探す暇もなくて!てっきりエリスちゃんが連れだしたのかと!」

「ええ!? じゃあどこ!?」


 エリスはレイチェルと話しながらも、的確に魔物の攻撃を捌き仕留めていく。意識を会話に向けたがために攻防が疎かになったレイチェルをフォローするのも忘れていない。


「もう、なんだってこんなときに! 騎士団は外に出払っているのに!」

「でもこの魔物達どこから現われたのかな?」

「わからないわ! だっていきなりだったんだもの! 王宮の内側からじゃないとこんな数ありえないんだから!」

「内側・・・・・・・・・あ! 前にレイチェルとマーリンさんが言ってたこと!?」


 レイチェルは冷静ではいられないのだろう。声が上擦りながら視線が右往左往しまくっている。エリスも戦うことが好きとはいえ、今は緊迫しているからそれどころではない。


「もしかしたらウィリアム君攫われてしまったんじゃあ!? ああ、なんてこと! 私がもっと早く側にいっていればぁ! ああ、でも陛下もお助けしないと! あ、でもお師匠様は無事なのかしら!?」


 よほど余裕がないのだろう。レイチェルは粟食ったように慌てふためいてしまっている。まだエリスのほうが冷静で、ウィリアムがいそうなところはどこかと見当をつけていた。


「ねぇレイチェル。僕ウィリアム探してきてもいいかな?」

「できることならお願い!」

「わかった!」


 レイチェルの魔法で制御された風が、近寄ろうとする魔物を追い払っていく。そのまま別の箇所に出現させた火炎が風に煽られつつ、燃え広がる範囲を限定されながら魔物に迫っていく。焼け焦げる音さえ残さず、容赦なく魔物達を呑みこむ。


 あ、とエリスはウィリアムがいる場所が頭に浮かんだ。


 秘密の通路。教えてもらった王族だけしか知らない、図書館にあるあそこだ。いざというときの避難場所だったはず。


「図書館てどこだっけ!?」

「どうして今それを聞くの!?」


 じれったくなったエリスは、レイチェルを背負ってそのまま走りだした。びゅんびゅんとどんどん加速していくエリス。おんぶされているレイチェルは顔に風圧をもろに喰らう。頭部が後方へと持ってかれて首が痛く、油断すれば振り落とされそうだ。


「ちょ、エリスちゃん!? 痛い痛い痛い痛い! 顔が剥がれるわ!?」

「こっち!? それともこっちだっけ!?」


 エリスの意を汲むことはできないが、なんとかレイチェルはエリスに正しい方向を示し道案内を務めた。


 だが、図書館に近づくほどに魔物は数を増していく。それに伴ってエリスの動きは激しくなり、床だけでなく壁と天井を走り、寸でで魔物を避けて足蹴りだけで倒していく。


 魔物の攻撃を身近に感じているレイチェルとしては、生きた心地はしない。


「よし・・・・・・・・・あれ?」


天窓を破って降り立ちなんとか図書館に到達したものの、どこかおかしい。書架は倒れ壊れ、壁も床も至るところ穴だらけ。本の山が埋め尽くさんばかりに散乱し、瓦礫、粉塵塗れ。まるで内側からなにか巨大な力が何回も爆発したかのような惨状だ。


 そして、今までと比ではないほどの魔物が大量にいて、わらわらと増え続けている。


「まさか、ここから魔物が現われていたの!?」

「ああ、あそこだ!」


 エリスはぴょんぴょんと跳びながら見つけた。魔物が侵入している箇所を。

不自然なほど大きさと形が歪み、変形しているが、ウィリアムが教えてくれた通路の入り口と位置が重なる。


「っ」

 ウィリアムの破れた服が、入り口の間でボロ雑巾のようにうち捨てられているのを捉えた。魔物達に踏みしだかれているのを目にして、


「ええい、どけえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっっ!」


 今までこれほどなかったほどに激昂して突貫していく。最早魔物がどうしてここから現われたのかなんて関係ない。

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