第33話

 メオンから見て、エリスは異質だった。


 彼女は既に限界を越えている。いつ終わるともしれない二人の対決は実に二時間経過している。やはりメオンの想定通り自らの優位に進んでいる。


 顔は紫がかっていて酸素が足りていない。嫌なかんじの脂汗をかきながら全身の打撲と骨折は奥歯を噛み締めるだけで耐えている。


具にエリスを観察し、更に魔法と格闘術を組み合わせた攻撃方法を構築する余裕さえある。僅かな打撃だけで血反吐を吐き呻くほどにダメージを負いすぎている。


 加えてメオンはエリスにはできない魔法が扱える。暗器を使える。武器を使った闘い方ができる。正卑を問わず、学んだ様々な方法を組み合わせた闘い方はバリーションは無限だ。現にエリスでは対応できていない。


「う、をををををををををををををを~~~~~!!」


 だが、絶対にエリスは倒れない。


彼女のすれすれの攻撃が掠めるだけで風圧が生じる。外れた攻撃は容赦なく地面を割り、礫を発生させる。


 既に死に体だ。なのにどうしてまだ闘えるのか。自分のほうが圧倒しているのに、執着と気迫に圧されて、少しでも油断すれば負けてしまう。メオンでさえ恐怖する執着。


 命を燃やし尽くすほどの猛攻は、やまない。確実に。一撃で。次で終わらせる。そう何度攻撃を与えたか。それでもエリスは倒れない。


「くそ、なんなんですかあなたは!?」


逃げなければ一生終わらない。だが、一度背を見せればこの少女には決定的な隙になる。


 靴の裏に隠していたナイフの刃を露出させ、蹴りにみせかけて避けさせる。直後に魔法で刃先を爆発させる。幾重にも分裂させて至近距離から四方八方に飛ばす。


 エリスは顔の前で腕を交差させて膝を立てて胸の前まで折りたたむ。空中で体育三角座りの様相となって最低限の防御のかまえをとった。


 そのまま前方に回転させ車輪のようになりながらメオンに肉薄する。回転の勢いが凄まじく炸裂したナイフの刃は悉く弾かれた。


「!?」


 避けることができた。そう確信した距離だった。だが、エリスはいつの間にか片足を伸ばしながら回転していたのだ。不意に伸びた攻撃の範囲に対応できず、メオンは頭から地面に沈んだ。


 そのまま背中を仰け反らせながら前転の勢いで倒立。追撃してくる上方向のエリスにむけて両足で蹴りを放つ。


 そのままエリスの腹部へと直撃した。だがエリスは最初から覚悟していて、腹筋に力を入れて無理やり耐えた。


 軽快にメオンの足を掴みながら落下しつつ自らの脇に足首を移動させ挟んだ。急激に重さが加わりつつ、背骨が折れ曲がっていく。そしてメオンの首、後頭部に膝を当て、腰椎、頸椎、脊椎に肘打ちを連続で入れられる。


「っっっ!」


 関節技に打撃技を組み合わせたエリスの攻撃を、咄嗟に直撃箇所に魔法を発動して防護壁とした。完璧には防げず、衝撃が皮膚を貫通し肉を抉り骨が軋む。


「ぐ、うぅぅ・・・・・・・・・!」


 次に魔力を多く操作して発動した風魔法で、エリスを離れさせようとしたが、エリスはしがみついたまま離れない。メオンは自分の体を起こさせるのに魔法を組み変える。魔法によって強化されたメオンの抵抗はエリスの握力を凌駕した。


 魔物に似た四足の体勢で、じっとエリスと距離をとりつつ窺う。至近距離での間合いは、完全にエリスの方に分がある。自身の身誤りを悔いる余裕すらなくなり、徹底的にエリスの間合い外をキープする。


 魔法とメオンの武器ならば、充分可能。いや、逆にそうでもしなければいけない。


(こいつは・・・・・・危険だ!)


 エリスの技のキレは、段々と鋭くなっていく。寧ろ追い詰めれば追い詰めるだけ人並み外れてメオンに追いついてくるのだ。普通は逆だ。時間が経てば経つほどに、ダメージを受け続けていけばいくら化け物じみていても疲弊する。


 今のメオンのように。体力は消耗する。精神力は痛みに削られ、集中力を維持することは不可能。意地だけでは体はついていかない。保たない。どこかで破綻しプツンとなにがしかが途切れてエリスは死ぬだろう。


 なのに、エリスは逆だ。対応できなかった動きに対応できている。反応できていただけの攻撃に、付いて来れているのだ。


 いや、既にエリスは死地に踏み入っているのではないか? そうでなければ説明できない。あのとき王都で出会ったエリスの真っ直ぐな闘い方ではない。生気がこもっていない視線、どこまでも形がない気迫は蜃気楼めいている。なのに体にはどこまでも芯がある堂のいった佇まい。


 軽くても無力ではないこれまでの数々の攻撃は生者の放てるものではないのではないか?

死すれすれに追い詰められたら信じられない膂力を発揮する場合が戦場ではある。生死のやりとりでは存在する。エリスもそうではないのか?


生きながら死に踏み入っているという矛盾が、あの強さではないか? 


 エリスが、動いた。死そのものが近づいてくるようで、メオンの肌に冷たい粟が生じた。


「もういい加減に倒れなさいっっっ!!!」


 死に一歩踏み入っている。それもあるだろう。だが、それだけではない。生者が死に一歩踏み入っていて長時間いられるわけがない。


エリスは、いつでも愉しみを求めていた。


闘った相手の攻撃を喰らっても、いつも痛みより楽しさと快感があった。


いつだって自分の欲求に素直な少女だった。


今も変っていない。今の欲求に素直だからこそなのだ。


体力が擦り切れても、意識を失うほどのダメージを負っても、立ち上がれなくなっても、次勝てばいいなんて甘い考えではない。勝敗より自分の命よりもっと大切な人を守りたいという素直な理由に従っている。


 立ち上がらなくてはいけない。闘わなくてはいけない。勝てる勝てないじゃない。僕はこの人を倒さないといけない。只それだけを目的に闘っている。


 もうダメだ。立てない。何度挫けそうになったか。挫けそうになった度、心の底から無尽蔵に溢れる力が後押ししてくる。


 過去のエリスでは絶対にできない。自分ではなく、誰かのためという目的がエリスの精神力を支えて限界以上の力を無意識に引き出しているのだ。


 エリス自身も自覚できていないが。本質的なエリスの闘い方すらも変えている。自分が好んでいた『ローガン流格闘術』の攻めに特化した型だけではない。過去に習得した五つすべての型と技をその場の砌に脊髄反射で対応した動きに合わせて繰りだしている。


 頭で考えるのではなく心で感じ、眼で見るのではなく肌で観る。笑顔も感情の揺らぎもない。我ではない、無。動から静。淡々と己の習得したすべてを肌で、空気で感じ、自然と動くままに任せているからこそできる。


 おそらくすべての武術を学び究めようとする者が最後に辿りつける境地に、エリスはいるのだ。

 

 かつて、師であったローガンが教えた、頭で考えて動くのではなく反射で動くこと。エリスは今できているのだ。


 体力の限界を越え、人の領域を越え、死地に一歩踏み入れる矛盾をなし得る精神力と体力があって、初めてできる。経験では補えない死すれすれに追い込まれた者にしか会得できない境地からなる、闘い方だ。


 メオンにはそれがわからない。


 おそらくローガンにもわからないだろう。


 自身達が立ち入れない高みへと至ったエリスの正体が見えなくなり、恐怖となっている。


 だが、永遠にできるわけではない。


 死に一歩踏み入れている状態なんて、生者にできるわけがない。エリスの望むと望まざるとは別に付いてこれていない体が、ついに限界に近づいている。


 関節が、悲鳴をあげた。エリスの動きに間に合わず、視界が歪み大きくもたれこもうとした。メオンは好機とし、一息に剣を抜き放った。


 魔法を纏わせながら最後のトドメへと、未だ倒れかけているエリスに浴びせようと。


「エリスッッッッ!!」


(あ、)


 ウィリアムの泣きそうな声が、心に火を灯した。


 見えてはいない。ただ聞いて、心で感じた。ウィリアムがすぐ側に来た。守るべき存在が。大切な人が。


 それだけで、負けられない。


「う、を、を、」


ギリギリで踏みとどまった。倒れかけた体を踏みしめた片足一本でギリギリ支えた。


「う、を、ををををををををををををを!!!」


 魂が叫んでいるような、原始的で動物的な咆哮をし、エリスが消えた。


 空気が振動し地面を揺らすほどの衝撃波。それがやんだとき、中心部にエリスとメオンが衝突していた。


「ぐ、ごはぁ!」


 メオンの剣はエリスの正拳に真ん中をくり抜かれ、貫通していた。そのまま胸板に突き刺さっている。


 足捌きさえ見せないまま下半身に全神経と力を注ぎ込んだ。踵、膝、腿、足首の屈伸と張り運動を利用。爆発的なまでの瞬発力を殺さないために左足を浮かせ、送り足の要領で移動すると、地面を滑走してのけた。

 

 誰も目にも留まらず、音さえ置き去りにした爆発的な動きは、メオンにも、そして誰にもエリスは瞬間移動したと見えただろう。


 移動だけに留まらない。腰、上半身腕、首。凡そ二十七以上の関節と筋繊維に捻りと回転を加え、高速で稼働させほぼ同時に行う。そうすることで繰りだされる正拳の速さが音を越えた。




 これだけでもとんでもないことだが、正拳が当たる間際に全ての関節を完全に固定することで拳を通して相手に全体重を載せた一撃を加えたのだ。


 爆発的な移動と、音を置き去りにする正拳、そして当たる直前の関節の固定三つの動きが組み合わさり、技術によって人間離れした技に昇華している。


 『ローガン流格闘術』によるものではない。そもそもが技として意識的にできたことじゃない。

 

 だからこそ、メオンにもどうすることもできなかった。


 『ローガン流格闘術』、そして魔法、生きるために必要なこれまで培った知識でも対応できない。人間離れした、どの既存の枠組みからも大きく外れたエリスの偶発的な『技』の前では。


 思考によって為されたことではない。感情を原動力としてエリスの身体能力、経験、そして動物じみた本能、反射神経によって奇跡的に近しいことだった。


 無論、エリスに対する負担も尋常ではない。


 今まで無尽蔵に動いていた気力が、体がとまり、意識で勝ったと考えたとき、限界が訪れた。


 地面に倒れ伏したメオンを眺めて少ししてから、エリスもまた受け身すらできず崩れ落ちた。



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