第26話

 夜が更ける頃。エリスは王宮の塔の先端に立っていた。瞑想に耽り、月明かりを静かに浴びている。


 本来なら鍛錬をしているが、王宮の雰囲気がおかしくなっているし連日慌ただしい。エリスの日課も見とがめられて制限されてしまっている。


 室内でやってもよかったのだが、窮屈だったし落ち着かない。ウィリアムのことでもやもやとして鍛錬どころじゃないのだ。


 外の広けた誰もいないところで心を落ち着ければ平静さを取り戻せる。そうおもいやってみたのだが、中々うまくいかない。


(なんだいウィリアムのやつ!)


 そうおもってムカムカしていたかとおもえば、


(僕が悪かったのかも・・・・・・)


 シュンと落ちこんでしまったり。


(なんでこんなにうまくいかないんだろう・・・・・・)


 モヤモヤとした感情が後から後から湧きでてきて際限がなくて瞑想どころではない。じっとしていると喜怒哀楽が爆発してしまうのだこんなことは初めてだった。


 ウィリアムに当たりたいわけではないし喧嘩もしたくない。だが、自分でも感情の制御ができない。このままではきっとよくないという予感がある。


 けど、どうすればいいのか。


 このままでは意味がないので、早々に切り上げて自分の部屋に戻ることにした。塔から別の塔の先端、または壁面へ。最近は出歩いているだけで責められたり怒られるが、まさかこうやって移動しているとは誰もわからないだろう。


 高さも距離も異次元で、やろうとしてもできはしないのだから。現に見回りの兵士も誰も気づいていない。風を受けながら移動しているほうが爽快で気持ちが良い。瞑想よりも穏やかになれる。


 王宮の一番高い塔に飛び移ったときだった。最上階の窓に人の気配がした。しかも起きてる。まずい! とカサカサと虫さながらに移動して姿を隠そうとしたが。


「なにをしておるのだ?」


 見つかってしまった。僅かな取っ掛かりにしがみついて、亀のように身を縮こませて誤魔化そうとするが。


「もう一度聞くぞ。なにをしておるのだ?」

「散歩です」

「そなたは夜塔を散歩できるのか? ・・・・・・・・・いや、できるのだろうなそなたは」


 しかもあろうことか、トリスティニア国王だったのだからエリスはとんでもなくやってしまったと。


「ごめんなさい」

「なにを謝るか?」

「起こしちゃって」

「別にそなたが来るより前に余は起きておった」


 国王は頼りない足どりで、部屋の奥へと歩いていく。怒られなかったことはなによりだが、顔だけひょっこりと上にだして、窓を覗く。


 国王の丸まった後ろ姿が弱々しく、ふらついて家具に手を置いて体を支えている。酷く疲れきった表情はげっそりとやつれて老人のそれだし、ぜぃぜぇいという呼吸は酷く苦しそうだ。


 下手をすれば倒れてしまうのではないかと不安になって、エリスは室内に入って国王を肩を貸して手伝った。


「すまぬな」


 それからベッドに寝かせて、机の上の水差しを頼まれたので、コップに注いで渡した。


「寝ていなくて大丈夫なの・・・・・・大丈夫ですか?」


 味わうように、ゆっくりと飲み進めていた国王は最後、感嘆を漏らした。


「部屋の中を少しでも歩くくらいはよいであろうよ。寝たきりであればそれはそれで体が痛くなる。回復がより遠くなる」


 そういうものなのだろうか。エリスは病気や怪我とは無縁で寝込んだことなんて一度もなかったからわからない。けど、なんとなく衰えてしまうのは動かなくなってしまうからだろうというのは知っている。


「王宮の様子はどうじゃ?」

「え?」

「ここに来るのは、医師か使用人。大臣や主だった者は来てもただの結果報告で今の現状を教えようとせん。尋ねてもはぐらかしおる」

「僕もよくわかっていないけど、ウィリアムとレイチェルのことくらいしか」

「かまわん。申してみよ」


 エリスは、それからできる範囲で国王に教えた。国王は政務の内容や魔物騒動のことよりもむしろ王宮内の様子を知りたがっているようだと気づいてから喋るのが楽になった。


 納得しながら頷いていたが、ウィリアムのことを喋っていると険しくなった。


「そうか・・・・・・ご苦労。世話をかける」

「ごめんなさい・・・・・・」

「何故にそなたが謝る?」

「ウィリアムと喧嘩しちゃってるから・・・・・・」

「・・・・・・・・・そなたも罪悪感をいだくのか」


 力なく笑っていたがそれだけで咳がとまらなくなった。

「あの、聞いてもいいですか?」


 背中を摩り、少し穏やかになった国王に聞いてみた。

「・・・・・・なんじゃ?」

「どうして僕を護衛に命じたんですか?」


 最初は、なんともおもわなかった。けど、この際聞いておきたかった。


「そなたならば、あれを変えられると確信したからじゃ」

「僕が強かったからですか?」

「いや。ウィリアムがそなたを庇ったからじゃ。あれは今まで余の前では萎縮していた。誰かを助けるために動いたことなぞもなかった。心を許しておるとおもった。そのような者が側にいれば、と願っていた。友か愛しい存在を」


 友はわかる。だが、愛しい存在とはなんだろう? とエリスは頭を捻った。


「余には、友がいなかった。妻がいた故に、なんとかなったが。ウィリアムには、立場を抜きにした存在がいるべきじゃとおもうたまでよ。互いを励みにし、喧嘩をして共に成長できる輩が」

「それが・・・・・・僕ですか?」

「うむ。もしくは余にとっての妻のような存在が」

「???」

「ともかく、側にいる者によって、人は変る。成長する」


 妻のような存在はともかく、友。なんだかむずがゆい照れくささがある。


「ウィリアムは、僕より強いです。心が強いんです」

「まさかそなたがあれを褒めるとは」


 エリスは、恐怖を知った。恐怖に竦むと、どれだけ鍛えていても元となる心を縛られる。ウィリアムは恐怖に縛られながらも克服しようと今藻掻いている。エリスだけではできなかったことを、ウィリアムはやろうとしているのだ。


「前に陛下が言っていたのって、そういうことなんでしょ? 強さって肉体だけのことじゃないって」

「そうか。そうじゃ・・・・・・」

「ウィリアムが教えてくれたんです。彼のおかげです」


 秘密の抜け道。通路。まるで大切な思い出のようで。話しちゃいけないのに誰かに話したくなるほど温かくてドキドキする記憶を振り返りながらエリスは語った。


 あのときの記憶を意識すればするほど、ニヤニヤとだらしなくなっていることを、エリスは気づいていない。


「だから、ウィリアムのことにイライラしちゃったり辛く当たっちゃうのが嫌なんです。自分でもダメだってわかっているのに」


 まるでエリスの愚痴、悩み相談の体裁をなしている。しかも相手はトリスティニア国王だ。誰かが知れば泡を吹くほどとんでもないことだ。


 だが、今の国王にとっては微笑ましいのか、それでさえ満足なのか。優しい声音で諭し続ける。普段の国王の威厳とはかけ離れていて、まるで老人を相手にしているようだ。


病で衰えている国王は精神的にも弱くなっているのは仕方がないことだ。そして、エリスも無意識にだが国王の心境を悟り、誰かと話したいんだとエリスはおもった。自覚すると、遠慮がなくなって楽しくなってくる。


「時が、解決しよう。もしくはそなたにまだ足りぬものに気づければ」

「え!?」

「ウィリアムには、まだ酷じゃろうが」


 自分にまだ足りないことがあったのか? 強くなるのに大切なことがまだあるのか?


「そなたが気づいたのは、そなたの恐怖。それを克服するにはどうすればよいかがわかっておらぬ。もしくはなにをしたいかに気づくこと。それはそなた一人ではできぬことじゃ」


「え? どういうこと??」

「そして、そなたは今までしてきた。無意識にじゃ」

「?????」

「ウィリアムが成長するにもそれが必要じゃ」

「え、えええ???」


 だめだ。考えれば考えるほど。国王の言葉の意味を理解しようとすればするほど、頭がこんがらがってしまう。


「それって一体なんですか? 教えてください」

「それは――――――」


 そこで、国王は咳をした。枯れた喉を更に傷つけているような激しくて辛そうな咳だ。


「ごめんなさい。僕自分で考えてみます」


 もう帰ったほうがいい。これ以上は国王に無理をさせることになる。それはだめだ。


「そうせよ・・・・・・そろそろ医師が薬を持ってくる。知られればめんどうじゃ」

「うん、おやすみなさい」


 エリスは来たときと同じく窓から出ていこうとした。流石にこれには国王も意外すぎて、笑いが我慢できない。


「そうじゃ。忘れておった。そなた、会食のとき魔物をどこで見つけた?」

「ああ。あの魔物はトイレにいくとき普通に見つけました」

「・・・・・・・・・なに?」

「本当です。偶然ばったり遭遇しました。王宮にも魔物って出るんですね」

「・・・・・・・・・そのこと、レイチェルやマーリンにも伝えておけ。もしや・・・・・・」

「? はい。じゃあおやすみなさい」


 エリスは窓から飛んで落ちていく。空中を闊歩しながら、また国王と会いたいな。会えないかなとワクワクしていた。


 ウィリアムに秘密の通路を教えてもらったときと同じで誰にも共有できない大切な時間だった。


 ふと、ウィリアムはどうなんだろうか、国王に会いたくないのか、会えて話ができればいいんじゃないかとおもった。


 それから、レイチェルとマーリンに魔物のことも教えないといけない。

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